鬼が辻 19
永倉・斎藤・の三人は、数日間の謹慎で済んだ。周囲には特命で他出していたので、その報告と後始末をしているということになっていた。
そして謹慎の解けた日、斎藤とは京都守護職邸に呼び出された。
「面を上げよ」
一室で控えていた二人に、会津藩公用方筆頭の野村が声をかける。二人はゆっくりと頭を上げた。
「斎藤、角屋からの報告、大儀であった。三日も押し込められていては、さぞかし窮屈であっただろう」
「恐れ入ります」
野村の言葉に斎藤は再び頭を下げる。
「山口よ、お主もよく黙ってついておったな」
「はっ」
も同じく頭を下げた。
たった数日の謹慎で済んだのには理由がある。会津からの手回しがあったのだ。
斎藤の報告を聞いた野村が、居続けが終わるを見計らって新選組に使者を送り、穏便な処置で済ますよう通達したのであった。
そして謹慎空けに、斎藤とを守護職邸に呼び出したのである。
「さてと…どうしたものかのう。肥後守様は新選組のことをだいぶ高く評価していらっしゃるが、参謀である伊東が薩摩と通じておるとはな」
野村はふうとため息をついて腕を組んだ。
「まだ我が藩も決定的な証拠は掴んでおらぬが、薩摩は長州と通じているやもしれぬ。長州は幕府を負かすつもりでおるからな、そんな危険な藩とつながっているやもしれぬ薩摩が、我が藩身中の組織と通じているなど許されぬ」
手をほどき、野村は火鉢に手を伸ばす。細長い火箸を取ると、ゆっくりと灰をかき混ぜ始めた。
「参謀の伊東は、局長の近藤に不安を抱いていると言っておりました。そして幕府はこのままでいいのかとも」
斎藤がぽつりとこぼす。
「大きな事を」
くつりと野村が笑った。
「その口で局長に、見せかけの分離案を提言いたしました」
斎藤は何の感情も伺えない口調で語り始めた。
それはたちが角屋から屯所に戻ってきた夜のことだった。
永倉と斎藤とはそれぞれ別室で謹慎を申し渡されたが、斎藤は部屋をこっそり抜け出し、局長室の床下に身を潜めた。
頭上から局長の近藤、副長の土方、参謀の伊東の会話が漏れ聞こえてくる。
伊東の声が必死で訴える声が斎藤の耳に届いた。
「新選組からの分離を装い、僕が薩長の密偵に入る策です」
(薩長の密偵に、だと?)
斎藤は呼吸の音すらも殺し、伊東の言葉が継がれるのを待った。
分離はあくまでも装うだけだが、その根回しのために九州へ行く必要があること。その同行者には局長の派閥から選ぶべきであったこと、そうでなければ本気の分離と疑われる心配があったこと。その人選のために今回の暴挙に出たこと。
今回の自分の行動で、巷間に自分が局長に反する思想を持っていると思い込ませる効果もあるであろうこと。
そしてこれが独断専行であり、局長たちに単なる言い訳と取られ、違背の罪で切腹となる結末も考えたが、それこそが命がけの賭であったこと。
「策を通すか腹を切らせるか、二つに一つをお選びいただきたい!!」
伊東の声が場を制した。
斎藤の耳に、近藤が伊東を賞賛する声と。
土方の歯噛みが、聞こえたような気がした。
「左様であったか。素直すぎるきらいのある近藤はともかく、あの土方をも翻弄するとはな。伊東とは困った男よ」
「まったくです」
さくさくと、野村が灰をつつく音が室内に響く。
(内容が内容なのに…こんな雰囲気でいいのかな…)
は穏やかな口調で話す男二人を眺めながら思った。
野村の言うとおり、土方は伊東に翻弄されている。
謹慎中、は夜だけ副長室に戻るのを許され、土方の隣に床を延べた。背を向けて横になる土方からはぴりぴりした空気が伝わってきて、はいたたまれない気持ちであった。
鬼の副長、土方を追いつめていく伊東の理論。
伊東の影が延び、土方を覆い尽くしてゆく。
そんな幻影が見えたような気がして、は膝の上の手を握りしめた。
「山口、お主はどう考える?」
「えっ」
「お主なら、この困った伊東をどうする?」
「参謀を…ですか」
土方のことを思い浮かべていたは、自分に話が振られるとは思っていなかったので、どう答えたものかと口をつぐんだ。
「相変わらずであるのう、お主は。こういった話題にはとんと疎い」
野村はに苦い笑いを向ける。
「えっと…あの、どうにかならないものでしょうか」
「どうにもならぬのであれば、伊東もろとも新選組は解散してしまうしかないかの」
「そ、それはもっと困ります」
は焦って身を乗り出した。
「冗談よ、山口。そういうのが通じないのもまたお主らしいが」
ははは、と大きく口をあげて野村は笑った。
からかわれたと知り、は居心地が悪くなって下を向く。
「戯れはここまでとしよう。斎藤、お主はどう見る?」
野村は斎藤に目を流す。
「すでにお考えはあるかと。御意のままに」
そう言って斎藤は身を低くした。
やや間をおいて、野村は口を開いた。
「…伊東は、今度御陵が設営される泉涌寺の住職に接近していたのだったかな?」
「はい」
斎藤が頷く。
御陵とは、先月崩御した孝明天皇の墓のことである。たちが角屋に居続けている間の一月二日に、京都東山の泉涌寺に御陵が設営される布告が通達されていた。
野村が立ち上がり、床の間の柱に飾ってある椿の枝に触れる。
「伊東が新選組から分離したがっているとなれば都合がよい。ぜひそうしてもらおうではないか。だが、これは分離ではない。いつぞやの芹沢のように、排除である」
ぷつり、と野村の指が椿の葉をもぎ取った。
と斎藤は守護職邸から西本願寺の屯所へと戻った。
「あ、兄上! さん! お帰りなさい!」
境内の石畳を箒で掃いていた神谷が手を振る。
「うむ」
「ただいま戻りました」
二人は神谷に会釈を返す。
「…む」
ふと斎藤が足早に神谷へと歩み寄った。
「目が赤いな。髪もほつれている。何かあったのか」
「え?」
は神谷をじっと見つめた。確かに斎藤の言うとおり、かすかにではあるが神谷の目は赤みを帯び、後れ毛がぱらりと垂れている。
「も〜、兄上には適いません。実は副長を怒らせてしまって」
神谷はばつが悪そうに頭をかいた。
「土方さんを?」
はすっと目を細める。
「副長のお元気がなかったので、参謀に密着されまくってるせいですかねって冗談で言ったら、本気で締め上げられちゃいました」
「…また余計なおせっかいを言ったのか。悪い癖だな」
斎藤はぎゅっと神谷の唇を摘んでねじ上げた。
「〜〜〜〜」
閉じられている神谷の口からは、言葉らしきものは発せられない。だが、音の抑揚から、すみませんと言っているようであった。
は斎藤と別れて副長室に入った。
「ただいま戻りました」
「ああ」
中に土方がいた。土方は畳の上にごろりと横になっていた。
「お茶でも」
「いらん」
の言葉を素っ気なく打ち切り、土方は背を向けた。
土方は何も聞かない。が斎藤と守護職邸に行くことは知らせていったのに、起きあがって報告を待つ素振りもない。
伊東たちと居続けた三日間のことも、実は聞かれていない。一度話そうとしたのだが、
「斎藤からすでに報告を受けている。お前から聞くことは何もねえ」
と断られてしまった。
土方は伊東の動向を、喉から手が出るほど知りたいはずなのに。
ほんのわずかだが、自分も伊東と二人きりになって伊東の話を聞いているのに。
なぜ土方は、それを聞くのを拒絶しているのだろう。
の喉に冷たい空気が入り込む。その冷たさはまるで、氷を詰め込まれた生水を飲まされているかのようであった。
その夜。
「ふ…ざ、ける、な…!」
寝ていた土方が突然そう叫んで、暗闇の中で身を起こした。
「…? 土方さん…?」
も目を覚ました。
土方は大きく肩で呼吸している。
「ど…どうしたんですか?」
「何でもねえ、夢見が悪かっただけだ」
「本当ですか、どこかお加減でも悪いんじゃ」
は行灯に火を入れると土方の側にいざり寄り、額に手を伸ばす。
べたりとした汗を感じたと思った瞬間、土方がその手をはたいた。
「あっ」
「…っ」
思いの外強かった力に、は叩かれた手のひらを覆う。
土方は、はっとして手を止めた。
は立ち上がり、部屋を出た。
廊下を走る。
何も出来ないのか。
自分を助け、生きる場を与えてくれた土方が苦しんでいるのに、土方のちからになりたいのに、何も。
は無力感に目頭が熱くなってきた。
「!」
手で顔を覆おうとした、その時、体ががくんと揺れて止まる。
後ろからの肩を掴むものがあった。
(しっ)
そう言いながら唇に指を当てたのは。
(近藤局長…!)
近藤がを後ろから追いかけてきたのであった。
(局長、土方さんが、あの)
は近藤の袖を掴んで説明しようとするが、うまく言葉が出てこない。
(うん、わかってるよ)
隣室の近藤にまで聞こえていたのだろう。近藤はの頭をそっと撫でた。
その手は大きく、温かい。
土方の手とはまた別の安堵感を与えられ、は少しずつ落ち着きを取り戻す。
(君、トシと気まずい思いをさせ続けて悪かったな)
はふるふると首を横に振った。
(そろそろ私が出よう。私もこれ以上トシが目を合わせてこないのは適わんからな。君はもう何も心配しなくていい。今夜は私の部屋で寝なさい)
(はい…ありがとうございます…)
近藤が来てくれた。
土方と旧知の近藤が、きっと土方をいい方向に持って行ってくれる。
自分が何も出来ないことに変わりはないが、は近藤の言葉に何度も頷いた。
次の日の夜。
は薩摩藩邸からこっそりと屯所に戻ると、近藤の部屋へ滑り込んだ。
そこには近藤と井上がいた。が留守の間、近藤と井上で話をし、土方に対してこれから起こす行動を確認したのである。
近藤は頭巾を深く被り、副長室の前に立った。
と井上は、局長室と副長室を隔てる襖の側で耳をそば立てた。
出かけようとする土方を、近藤が酒に誘う。しかし土方はその誘いを断った。
隊内では最近、土方に通う妓が出来たともっぱらの評判である。その妓に会わせてくれと近藤は食い下がるが、土方はかたくなに拒否した。
「気づかないとでも思っているのか!? ここ最近ずっとお前が俺と目を合わせずにいることを!」
どすんと大きな音がし、は肩をぴくりと震わせる。近藤が土方をちからずくで座らせた音だった。
近藤はさらに続けた。
自分の目は節穴なのだと。最近の土方の様子がおかしくて、今夜は特に何かを隠しているように見えても、それが何なのか見抜くまでの眼力はないのだと。
「だがそれでいいと思っている! 俺の目なんか節穴なほうが、土方歳三は自由に動けるからだ!」
呆然とする土方に、近藤は言葉を投げかける。
どこで何をしようと構わない。自分を騙してまで何かをしても、それが土方の役に立つことなら喜んで騙されよう。そう近藤は豪語した。
「だから歳三、何も恐れるな」
目をそらしてうつむかれるのは、それだけは適わん、そう近藤は言いながら、土方の両肩を包んだ。
「そういうことじゃよ、トシさん」
井上がすらりと襖を開けた。
「源さん?」
土方がぎょっとして声を上げる。
「わしも若先生と同じ考えじゃ。それと、トシさんのかわいい小姓もな」
井上はの背を押して前に出した。
「…ちくしょう、全員で俺をはめやがったのか」
近藤に諭されているところを聞かれて恥ずかしかったのか、赤くなって土方は悪態をついた。
「こそこそして俺達をはめようとしているのはお前のほうじゃないのか、トシ」
近藤が肘で土方をつつく。
土方はぐっと答えに詰まる。
は井上と一緒になって笑った。
一夜空けた土方はすっかり自信を取り戻したようで、隊内に次々と指示を与えていた。
(これでもう、土方さんのことは心配ない)
は風呂敷を抱えて薩摩藩邸に入った。
ゆうべの近藤の言葉にあったように、土方がどんな思惑で自分に何も聞かずとも構わない。
自分は、自分に与えられた仕事をこなすのみだ。
「おはようございます」
「おはよう」
はすでに翻訳の部屋に入っていた赤松に挨拶をした。
「遅いではないか、山口」
田代が目をつり上げる。
「すみません、ちょっと寄り道していたものですから」
は風呂敷とともに持っていた徳利を、田代に示した。
「ずっとお誘いを断っていて申し訳ないなと思ったので、お酒を買ってきました。どうも花街の雰囲気は苦手なので、今夜はここで飲みませんか?」
は田代に薄い笑みを向けた。
田代は、信じられないというように、ぽかんとしたまなざしでを見た。
20111229