鬼が辻 17
門限破り、ひいては法度破りの酒宴が続く。
永倉が酒を舐めながら、自分の出自を訥々と語った。
永倉は松前藩定府御取次役の跡取りでありながら窮屈なお屋敷勤めに嫌気がさして出奔し、剣術修行に明け暮れたのだという。
伊東は話を聞いて、永倉の父親が咎められたのではと心配した。
しかし、藩からは何のお咎めもなかった永倉の剣術好き(本人曰く、剣術狂い)は周囲に有名だったので、藩も理解を示し、お咎めなしとして内々に納めてくれて今に至るのだ。
「だから俺はいつかきっと、国元に恩返ししなきゃならねえんす」
酔って舌足らずになりながらそう語る永倉の目は、心底国元に感謝している目だった。
(そうか…もし永倉さんが脱藩ということになったら、家を継ぐ実子がいなくなるし、お父上も罪に問われるのか…)
この時代において、家の継承は大事なことである。自分のしたことが咎められ、家族にまで及んでしまうことがある。
もこの時代にいる時間が長くなってくるにつれ、少しずつそういったことを理解するようになってきた。
「なるほどいい話だ。だからこそ君は、人一倍新選組の不正に対して厳しいんだね」
伊東が目を細めた。
ぴくり、と斎藤の肩が動くのに、は気がついた。
伊東は、永倉が近藤を糾弾した事件のことを持ち出した。
禁門の変や池田屋事件で新選組は名を上げた。局長である近藤は、浪人の身分でありながら供揃えをして公用に出かけるようになったり、妓を身請けしたりした。
それを、隊士は同志であるはずなのに供扱い、妓には情夫がいて陰で笑われているなど、永倉の目には近藤が局長の器にないと映り、会津藩主松平容保に建白書を出した、その時のことである。
結局は松平容保の仲裁ですべてが丸く収まり、己の器の小ささに気づいたと永倉は頭をかく。
その永倉を伊東が、公正だの謙虚だのと誉めそやした。
ますます永倉は照れて口元が緩んでいく。
(参謀、口がうますぎる。本当に酔ってるんだろうか…)
酔ってますます達者になったのだろうかと、はぼやけ気味の頭で考えた。
伊東が口調そのままの勢いで杯を前に突き出した。
「どうせぼくらは戻れば切腹となる身の上なのだ! ならばもうここで死んだ気になって、秘していた本音を全部さらけ出すのも一興ではないか?」
(秘していた、本音?)
はその言葉に背筋を撫でられたように、ぶるっと身を震わせた。
「僕は土方君が好きだ!」
杯を置くと、伊東はやおら立ち上がって叫んだ。続けて抱きしめたいだの口を吸いたいだの、土方に対する恋心をぶちまけ始めた。
と永倉は呆然とし、斎藤だけがそれは今更でしょうなどと、冷静に突っ込む。
三人の目が冷ややかになった、その瞬間。
伊東の口元が、ほんのわずかにつり上がった。
「僕は近藤局長に不安がある!」
しんとした室内に、伊東の声が高らかに響いた。
「…!?」
何を言い出すのか、とは目を見開いた。
「新選組はこのままでいいのか? 幕府は、そして日本国は、国内においても国外においても、このままでいいのか? 僕は不安だらけだ!」
しゅっと伊東の袴が音を立て、三人に近づいてきた。
「さあ、君たちの本音は?」
伊東の腕が永倉と斎藤の肩に回る。
とっさに斎藤が体を入れてかばってくれたおかげで、にまでは手が回ってこなかった。
「俺は…近藤さんは女にだらしなさすぎると思う!」
永倉が先に言葉を発した。
「京に来てどんだけの女を身請けしたと思ってんだ! しかも駒野といい深雪といい、結局逃げられたようなもんじゃねえのかよ! 唯一まともなお幸は深雪の妹だし、姉妹で食っちまうとか、あり得ねえだろ!」
人が良すぎていらつくこともあるだの、おだてに弱いだのと永倉は次々にまくし立てた。
「さもありなん。斎藤君は?」
伊東が斎藤に目を向ける。
斎藤は何を言うのだろう、まさか斎藤も近藤に一言あるのではないかと、はどきりとする。
「俺は…沖田さんと気が合わない」
酒を口に運びながら、斎藤は落ち着いた声で言った。
「ほう、それから?」
伊東が続きを促す。
(嫌だ、聞きたくない)
これ以上幹部たちの争いになりそうな言葉を聞きたくない。は自然と息が苦しくなってきた。
「後は別に…割とどうでもいい」
斎藤は変わらず淡々とした口調で続け、ちらりとに視線を向ける。
決して、心を乱してはならぬ。
一瞬の視線で厳しくそう言われた気がして、は胸元を手で押さえた。
静かにゆっくりと、深く呼吸する。すると、酔いでぼんやりしていた頭がゆるゆると感覚を取り戻してきた。
「どうでもいいって…そんな君に引っかかる沖田君が逆にすごいな」
「嘘付け、お前ら仲いいじゃねえか」
「向こうが勝手にそう思いこんでいるだけだ。俺は思っていない」
斎藤は二人の会話を受け流す。
「しかしだな斎藤、この世で唯一どうでもよくない相手ってことはだな」
「それを言うなら永倉さん、あんただってさっきから局長のことばかり」
「当たり前だろ、“局長”だ! 誰よりも厳しく正しくあるべき立場だろうが!」
永倉が腰を浮かせ、太い声で怒鳴った。
「永倉君…」
伊東が驚いて呟く。
「すまねえ斎藤。もうよそうぜこんな話。酒がまずくなる。伊東先生もすみません、酒の恥はかき捨てってことにしといてください。、注いでくれねえか」
永倉は我に返ってすとんと座り込み、目を合わせずに杯だけを突き出した。
「あ、はい」
は永倉の杯に酒を注ぐ。
永倉はばつが悪そうに、一気に酒を飲み干した。
昼も静かだったが、夜になるとまたいっそう静寂が身にしみる。
は道に面した窓を少し開き、星が瞬く空を見上げた。
結局、角屋に泊まることになってしまった。
伊東は風呂に入っており、永倉は先に布団に潜り込んでいて、斎藤は厠に行っている。今はひとりだ。
歩いて帰れない距離ではないから、店を抜け出せばすぐにでも帰れたはずだった。
(土方さん…無断で出て来ちゃって、怒ってるだろうな…)
白い息がむなしく宙に消える。
伊東の言うとおり、無断で外泊をすれば切腹になるだろう。自分は営外居住を許された幹部ではないから、他の三人より罪は重い。切腹どころか斬首の可能性もある。
こうなった以上、命を取られても仕方がない。
(けど、ただでは死ねない)
伊東がこんなことをしている思惑を暴き、土方に伝える。それぐらいの土産は残していかねばならない。
この時代で生きながらえていられるのは土方のおかげだ。それぐらいの恩返しができずに、どうしてこの世を去ることが出来ようか。
強めに吐き出された白い息が、暗い夜空にとけ込んで消えていった。
どんどんと木の戸を叩く音がして、は窓の外を見下ろした。
店の前に、戸を叩いたとおぼしき男が立っている。提灯が照らす人影は、結い上げたくせのある髪を緩く揺らしていた。
(沖田さんだ…!)
は格子にしがみついた。
「どなたはんでっしゃろ」
店の男が応対に出てきた。
「新選組一番隊組長、沖田総司と申します。こちらに参謀の伊東甲子太郎、二番隊組長の永倉新八、三番隊組長の斎藤一、副長付き小姓の山口、以上四名がうかがっておりませんでしょうか」
沖田は小さな声で男に問う。
「さて…何のことですやろ」
伊東に言い含められているのか、男は首を傾げる。
せっかく沖田に居場所を伝えられるのに、とは室内を見渡す。
自分のそばには行灯が点っている。その足下に据えられている油差しが目に入った。
は油差しの小さなふたを取って素早く懐紙で包むと、窓の外へと投げた。
包みはぽすんと音を立て、沖田の傍に落下した。
沖田がそれに気づき、包みを広げる。
(お願い沖田さん、こっちを向いて)
は格子のこちら側で必死に手を振った。
沖田がちらりと上を見上げ、と目を合わせた。
はぶんぶんと手を振る。沖田はふっと口元だけで笑い、に合図を寄越した。
「また改めます」
沖田は男に会釈をして去っていった。
(よかった、沖田さん、気づいてくれた)
これで土方に居場所だけでも伝えてもらえる。
居場所が知れたところでどうなるというわけでもないだろうが、どこに行っているのかも不明という事態だけは避けられる。は思わず大きな安堵の息を吐き出した。
その背に。
闇の中からさわりとかすかな音が近づいていた。
「?」
は気配を感じて振り返ろうとしたが、許されなかった。
不意に伸びてきた腕に両腕の自由を奪われ、口元を塞がれた。
20111201