鬼が辻 16
は斎藤と一緒に、内海次郎に連れられて屯所を出た。
内海は少し先をすたすたと迷いなく歩いてゆく。
(どこに行くんだろう。今日は元旦だし、帝の喪中で華美なことは禁じられているはず…飲むなら屯所にあれだけお酒があるんだから、屯所の別室で飲んでもいいはずじゃないの…?)
は内海の背中を探るように見つめた。
とん、と斎藤が肩をぶつけてきた。
(斎藤さん)
はどうして伊東の誘いに乗ったのかと、斎藤に疑問の目を投げかける。
斎藤はじっとの顔を見つめてから、ぼそりと言った。
(眉間に皺を寄せすぎだ。そういうところは副長そっくりだな)
(えっ)
は眉と眉の間を触ってみる。そんなに険しい顔で内海を眺めていたのかと、指先で皺を伸ばした。
は再び斎藤を見上げる。
斎藤は何も言わず、ぽんぽんとの背を叩いて前を向いた。
答えてもらえなかった。斎藤の横顔を見ても、彼が何を考えているのかは読みとれない。まったくいつも通りの斎藤の横顔でしかなかった。
(でも…そこに斎藤さんの答えがあるのかもしれない)
いつも斎藤は冷静だ。
どんな事態にも平常心で当たっており、慌てているところを見たことがない。
思惑がありそうな伊東と会うという今もそうだ。
伊東と会い、何が起きるのかはわからない。
だが、何が起きても平常心で見極めなくてはならない。
今からあれこれ勝手な想像をして心を乱しては、見えるものも見えなくなる。そういうつもりのなのだろう。
(参謀の誘いの狙いがどこにあるのか、この目で確かめよう)
そうすれば、土方の苦しみに少しでも近づけるかもしれない。
の脳裏に、煮詰まった背中の面影が浮かぶ。
は口元をきゅっと引き締めた。
真っ白な息をくゆらせながら、内海は島原の大門をくぐった。
入り口の手前に天水桶が積まれている。門は開放されているが、提灯が下がっていない。
大門の向こうは、これが島原かと思うほど静かであった。どの店もぴたりと戸を閉じ、飾りひとつない。通りには人っ子ひとりどころか、猫一匹の影すらもない。
息苦しいほどの静けさに、は思わず喉元を押さえた。
「こちらです」
と内海が一軒の店の軒先で足を止めた。
整然と並んだ細い格子の窓が、一階と言わず二階と言わず、長い店の幅をびっしりと埋め尽くしている。斎藤はその店を見上げて呟いた。
「ここは…角屋…」
島原一の揚屋、角屋であった。
(ここは…芹沢さんが最後に宴会をした、あの店…)
かつて、副長の新見錦が断罪された。腹心を失った初代局長・芹沢鴨は、ここで新見追悼の宴に参加した後、散々に酔って寝ている所を土方たちに処断されたのである。
は急に指先に冷えを感じ、口元に手を持っていくと、息で手を温めた。
中から店の男が出てきて、内海たちを中に案内する。
はきょろきょろと室内を見回した。
姿が映るほどつややかに磨かれた床、しっとりとした感触の柱、落ち着いた色彩ながらも金銀の色紙で光を放つ襖。
何もかもが高級感にあふれ、身が引き締まる思いを感じる。
男は三人を二階奥の部屋の前まで連れてくると、恭しく頭を下げて下がっていった。
「甲子太郎さん、内海です」
「ああ、待っていたよ内海。入ってくれ」
「失礼します」
内海が声をかけて襖を開くと、そこには見慣れた人物が座っていた。
「内海さん、っと、斎藤?」
「永倉さん? あんたも呼ばれてたのか」
永倉がいた。斎藤の姿を見て驚いた顔をしている。
「あっれ、お前もかよ」
「ええ、どうも…」
驚いた顔のまま軽く手を挙げる永倉に、はぺこりと頭を下げた。
「急な招きに応じてくれて嬉しいよ。どうぞ座ってくれたまえ」
澄んだ美しい声が聞こえて、はそちらへ目を向ける。
黒漆で鈍い光を放つ違い棚と、格調高い絵の掛かる床の間を背に、声の主が微笑んで座していた。
「ようこそ」
新選組参謀、伊東甲子太郎。その人がそこにいた。
伊東、内海、永倉、斎藤、、それに伊東の弟である三木三郎が車座になって酒盛りが始まった。
「伊東参謀、お誘いありがとうございます。何の飾り気もねえ正月なんてって思ってたところへ参謀のお声がけってんで、喜んでついてきちまいましたよ」
永倉が杯をぐっと威勢良く飲み干す。
「こちらこそ、来てくれてよかったよ。かねてから永倉君には興味を抱いていたんだ」
伊東は永倉の杯に酒を注ぎ足す。
「へ? 俺に、ですか?」
杯を口元へ寄せる手を止め、永倉が目を丸くする。
「君は試衛館派の中で唯一由緒正しい武家の出なのに、何故に好んで浪人風を装っているのだろうと思ってね」
君にはにじみ出る人品というものがある、と伊東は言った。
「君や斎藤君、それと…」
伊東がぐるりと三人の顔を見回す。
「君たちにははじめからどこかほかとは違う風情を感じていた。君たちとならきっと深い話が出来ると予感しているのだが、どうかな?」
床の間には絵が掛かっている。新春を思わせる薄紅色の花をまとった枝が斜めにのび、小鳥が二羽、むつまじく身を寄せあっている絵だ。
その絵が放つ淡い光が、後ろからぼんやりと伊東を照らす。
光だから明るいはずなのに、にはそれがこの場を絡め取る黒い糸のように感じられて。
はことりと膳の上に杯を置き、隣に座る斎藤の袴の端をぐっと握った。
部屋には香り高く清い酒と、温かく豪華な料理が次々と運び込まれた。
の目の前には、鴨と葱の鍋物が据えられている。この鴨は伊東が買って運び込んだものらしい。は鍋をせっせと取り分け、各人の前に運んだ。
「、お前ももっと飲め!」
永倉がの手を取り、杯を持たせる。
「すみません、弱いものですから。でも自分としてはかなり飲んでますよ」
は熱くなった頬に手を当てる。
伊東が酌をするのを断りきれず、ほんの少しずつだが飲んでしまっている。自分では見えないが、かなり顔も赤くなっているに違いない。
「本当に、は酒に弱いんだな。そこがかわいくもあるのだがね。それに引き替え、永倉君と斎藤君はたいした酒豪だ」
そういう伊東も相当飲んでいる。
「参謀こそ見かけによらずお強いのには驚きました」
「そーなんれすよ永倉さん。兄上は昔っからどんなに飲んれも…」
真っ赤になりながらさらに飲み続ける永倉に三木が笑いかける。三木はもう完全に酔いが回って、まともにしゃべることも出来なくなっていた。
「内海」
すっと伊東の目が細くなる。
「そろそろ三木を連れ帰ってくれ。これ以上置くと醜態をさらしそうだ」
「承知しました。三郎さん、戻りましょう」
内海が三木の体を支えて立ち上がる。
「ひしゃしぶりの酒なんらから、まだ飲みたいぞ〜」
三木が内海の腕をふりほどく。
「三郎さん、過ぎると本当に兄上と縁を切られますよ。今日のところはおとなしく帰ってください」
内海は慣れたものなのか、ぶんぶんと振り回される三木の腕を避けた。三木の首の後ろをむんずと掴むと、内海は三木を引きずるようにして部屋を退出していった。
「すまないね、興ざめしてしまったかな? 我が弟ながら、あの酒癖の悪さだけはどうにもならなくてね。養子先に離縁されるのももっともだ」
ふう、と伊東はため息をつく。
「いや…しかし参謀、直に隊規の刻限なれば、我々もそろそろ…」
それまでほとんど口を開かなかった斎藤が進言した。
「まだいいじゃないか斎藤君。久々にこんないい気分なのを、無骨な隊に戻るなど興がない」
上機嫌で伊東が杯を掲げる。
「しかし参謀、法度違反は切腹になりますよ」
まさかそこまで飲むとは思っていなかったのか、永倉が帰り支度をしようと立ち上がる。
斎藤も立ち、も従った。
の心にも焦りが浮かんできていた。斎藤と一緒とは言え、土方に無断で出てきてしまっている。窓の外はすでに暗く、門限の暮れ六つが迫っているはずだった。
その時。
伊東の声色が僅かに変わった。
「君たちは、近藤局長をどう思うね?」
「!?」
一瞬、永倉と斎藤、それにの体から酔いが消えた。
「たとえば…我ら四人が法度に背き、揃ってここに居続けたとして、局長が後先もなく大幹部三人と、副長の大事な小姓でもあり、会津藩や現将軍からの預かり者を切腹させる程の愚か者だと思うかい?」
伊東もすっかり赤くなり、吐く息は酒くさい。だが口調は酔っているとは思えないほどしっかりしている。
「大分…酔っていらっしゃるようですね伊東先生」
永倉が冷たい声色で言い返す。
「酔わなきゃ出来ない賭けもある。…局長の器を、試してみたくないかい?」
伊東はきらりと目を光らせ、三人を見上げた。
の背に、言いようの無い何かが走る。
遠くに鳴った門限の太鼓の音は、の耳に届かない。
初代局長が運命を終える直前に訪れた角屋。
ここから始まるこれからの出来事に、は後々、重たい因果を感じるのであった。
20111124