久遠の空 ドリーム小説 鬼が辻 15

鬼が辻

update:2011.11.18

鬼が辻 15 

 慶応三年一月一日。
 京は孝明天皇の喪が発表されたばかりで、正月の飾りや音曲が禁止され、天皇の死を悼む雰囲気に包まれている。

 天皇の死についても、人の口には噂が上っていた。
 はじめは風邪で発熱だと聞いていたのに、亡くなったとたん疱瘡にかかっていたとの話に変わった。

 「疱瘡や言わはるんやから、疱瘡やろ」
 「いや、もしかしたら殺されはったかもしれんて」
 「殺されはったって…誰に」
 「そらわからへんけどな。今上はんは今度将軍にならはった豚一公をたいそう気に入ってはって、公と武をまとめてやっていこうとしていたらしいわ」

 「それでどうして今上はんが殺されなあかんの?」
 「“公”だけを頂点として政をなさんとする方々には、“武”と手を取られる今上はんが目障りなんやろ」
 「それでお命取るもんかねえ」
 「物騒なことや。また戦になったらどないしよ」

 正月一日で店も開いておらず、音曲もなく、静かだ。人の口に上る噂もめでたいものではない。京は新年らしさがまったくなかった。



 ところが、西本願寺境内にある新選組の屯所は、朝から飲めや歌えやの大騒ぎになっていた。
 清めの酒と称して、鬼の副長・土方自らが隊士全員に飲むことを許可したのである。

 「騒ぎすぎじゃないか、いいのかトシ」
 近藤が騒ぎを見下ろして眉をひそめた。
 集会所の階段下に樽酒が並べられ、隊士たちが酒を注いでは飲み、注いでは飲みしている。
 へべれけになって倒れている者、早々に酔って寝ている者、寒空の下脱いで踊り出す者、ふざけて剣を抜き、芝居の真似をし出す者、様々である。
 「音曲も飾りもやっちゃいねえんだ。問題ねえだろ」
 隣に立つ土方は満足そうにその様子を眺めた。
 「それにもう正月の酒は頼んじまった後だったんだ。今更あんだけの量の酒を取りやめられたら、酒屋だって迷惑だろう」
 「まあ、そうかもしれんが…」
 「無責任野郎の豚一が将軍になり、幕府と手を携えようとしていた天子様がお隠れになったんだ。おまけに正月を楽しむことも禁止ときちゃあ、酒でも飲んで流すしかねえよ。もし下っ端どもが街に出て憂さ晴らしでもしたらどうする? この囲いの中で騒いでる分にゃあマシだ」

 「さすが土方君! そこまで考えてのこの騒ぎとは恐れ入るよ」
 伊東も後ろで土方の論を聞き、手をすり合わせる。
 「伊東さんまでもがそう言うなら」
 と近藤は言い、井上と一緒になって枡を手にした。
 「もう、局長まで!」
 神谷が目くじらをたてるが、ふと周りを見れば、すでに原田や藤堂、永倉は赤くなってすっかり出来上がっていた。

 西本願寺の神域とこちらを隔てる垣根の向こう側からは、今年の平穏をささやかに願う参拝者たちがじろじろと集会所のほうを見ている。
 喪に服すべき時期なのに大騒ぎとはと、冷たい視線が竹矢来を通して突き刺さる。
 土方は大筒を据えさせると、空砲を打たせた。参拝者たちはその大きな音に驚いて、蜘蛛の子を散らすように寺から逃げ去った。

 「副長! そんなことさせて、また西本願寺の門主様から苦情が来ますよ!」
 神谷が青くなって叫んだ。
 西本願寺の門主は大筒の音を嫌っている。境内で遠慮なくどっかんどっかんと練習の空砲を打つのに耐えかね、境内での銃砲訓練は止めてもらいたいと訴えてきたことがある。 土方は何度目かの門主の訴えでようやく頷き、銃砲訓練は壬生寺の境内で執り行うことを、“しぶしぶ”約束したのであった。
 「総司! ガキがうるせえ!」
 土方は神谷を沖田に任せると、副長室へ引っ込んだ。



 四半刻もしないうちに、沖田が副長室の障子を開いた。
 「失礼します。これから原田さんの家でささやかに新年会をやるそうで。局長と副長にも声をかけてくれって」
 「そうか。帝の喪中とはいえ、茂君には初めての正月だしな。どうするトシ」
 近藤が聞く。
 「俺はいい、あんただけ行ってこいよ。幹部が誰もいなくなったら、平隊士どもが何しでかすかわかったもんじゃねえ」
 土方は火鉢に手をかざし、動く素振りも見せない。
 「留守なら私がしますよ。土方さん、局長と行ってきてください」
 沖田が障子の方へと手を指し示した。
 「何言ってやがる。赤ん坊抱かせてもらうの一番楽しみにしてるやつが」
 「うっ、土方さん鋭い…」
 新年早々、土方のまっすぐな指摘に、沖田はかなわないなあと頭をかいた。

 原田の家に行くのは、近藤、井上、藤堂、沖田、神谷になった。
 「斎藤先生はどこかへお出かけで、永倉先生は島原に行くと言って出ていったそうです」
 沖田と手分けをして一緒にいく面々に声をかけていた神谷が報告する。
 「そうですか。後は…? 誰か忘れてる気がするんですけど」
 沖田が首を傾げる。
 「あ! さん!」
 ぽんと神谷が手をたたく。
 「そう言えば、朝に新年のご挨拶をしてから見ていないですねえ。どこ行っちゃったんでしょうか」
 「トシに、君を見たら左之助の家に来るよう伝えてもらえばいいじゃないか。場所は知ってるんだろう?」
 「そうですね、そうしましょうか」
 近藤の提案を受け、沖田が土方に伝言し、皆は原田の家にいそいそと出かけていった。特に沖田は赤ん坊に会えるので、相当に顔を崩していた。


 幹部棟は静かになり、集会所の喧噪が遠く聞こえてくる。
 「…そういやあいつ、いつまでやってんだ」
 が副長室に戻り次第、原田宅に足を運ぶよう伝言を受けた土方は、書類を繰りながらふと顔を上げた。



 二刻ほど前から、は台所にいた。
 朝、幹部たちに新年の挨拶をしてから、土方の命令で、運び込まれた樽酒を集会所前に運び出したり、仕出しの料理を並べたりする采配を振るっていたのである。
 「料理はここからここまでが一番隊から三番隊、戻ってここからが四番隊で、向こうまでが六番隊です。ああ、それは八番隊のですよ、端から取っていってください。 お酒は樽ごと集会所前へ。ひと樽だけ残しておいてくださいね、熱燗が欲しい方はここで温めて持っていけるように」
 は次々と指示し、隊士たちを動かした。

 「熱燗ー! 俺熱燗!」
 と隊士が早速なだれ込んでくる。
 「あ、はいはい、ただいま」
 はしゅっとたすき掛けをすると、沸かしておいた湯に銚子をちゃぽんと投入する。
 「や、山口さん! すいません、俺ら自分でやりますから!」
 鬼の副長の小姓に雑用をやらせたとあっては後でどんなお叱りがあるか知れたものではない。なだれ込んで来た隊士たちは一様に青くなった。
 「いいですよ、今日は副長ご了承済みの無礼講なんですから。すぐ温まりますので待っててください」
 がにこりと微笑みかけると、隊士たちはこくこくと頷いておとなしく酒が温まるのを待った。


 その後、熱燗を所望する隊士たちがひっきりなしに台所へやってきた。
 本人たちは知らないが、隊の中で神谷とは“男らしくないかわいさ”あるいは“妙な美しさ”があるとして、密かに人気を二分している。
 その片割れが、今日は鬼の副長の庇護になく、酒を勧めてくれるというのだ。この機会を逃す手はないと、男たちが群がってきたのである。
 は手際よく次々と熱燗を出し、要望に応えた。

 やっと熱燗の行列が途切れたところで、今度は酒屋と仕出し屋が訪ねてきた。
 「よそで新年の酒を断られまして…もしよかったら、こちらさんで引き取ってもらえまへんやろか」
 「うちもどす。ほら、急に玉(天皇)がお隠れにならはったやろ。宴会を中止する言うて、仕出しも止められてしまったんどすわ。ちょっとお安くさせてもらいますんで、どうか」

 両名とも、ここは何とかひとつ頼めないかという目でを見上げる。
 は少し考えた。
 土方から、今日は皆に心ゆくまで飲ませてやれとは言われているが、追加を受けていいかは聞いていない。
 もしここで断ったらどうなるだろう。
 きっと酒屋も仕出し屋も、嫌われ者の新選組の元へ、嫌々ながら商売のために来たに違いない。
 多少の追加を断られたとあっては、もうすでにあれだけ飲み食いして騒いでいるのにけちくさいなどと噂が立ってしまうかもしれない。

 「わかりました、お受けします。お困りの分、持ってきてください」
 は顔を上げると酒屋と仕出し屋にそう言った。
 「ほんまどすか、おおきに」
 「すぐお持ちしますんで、ええ」
 酒屋も仕出し屋も引き受けてくれたことに満面の愛想笑いを浮かべ、そそくさと屯所を出ていった。

 (引き受けたところで、いいようには言われないんだろうけど)
 はそっとため息をつく。
 引き受けたら引き受けたで、今度は“今上はんの喪中なのにどんちゃん騒ぎを引き延ばした”などと言われるのだろう。
 わかってはいるが、飲み食いする物が無駄にならない分、そしてそれぞれの店が損害を出さない分、いいような気がしては引き受けた。

 新たな酒と料理が運び込まる。
 (お代のことは後で土方さんに相談すればいいか)
 勝手に追加を引き受けたことは悪いと思ったが、きっと土方は怒らない。自分と同じ考えに至るだろうとは考え、再び酒と料理の管理に追われたのであった。


 やっと一息ついたのは、昼をかなり回った頃だった。
 たすきを解き、黒の紋付きを手にしては副長室への廊下を歩く。

 集会所の前では、酔っぱらった隊士たちが大声で騒いだり、歌を歌ったり、ひっくり返って高いびきをかいたりしている。
 (さすが土方さん、皆気持ちよく飲んでるみたい)
 はそれを横目で見ながらくすりと笑った。


 (むしろ騒ぎたいっていうか…憂さを晴らしたいのは土方さんかもしれないのに)
 は口元を引き締めて思った。
 この数ヶ月、土方は重たい空気しか発していない。特に伊東と密談を重ねる度、頬に落ちる影が濃くなっているような気がする。
 (局長と飲んで、少しでもお心を和らげてくれればいいのだけれど)
 近藤は土方の行動が怪しいのをとうに承知だ。新年の酒をきっかけにして、土方が近藤に打ち明けてくれはしないかと淡い期待を抱かずにいられない。
 (もし局長と土方さんが二人きりで飲んでいたら、部屋に戻らないほうがいいかな…)
 副長室の障子が視界に入ったところで、は足を止めた。



 「ああ、いいところにいた。山口君」
 その背に声がかかった。振り向くと、伊東の腹心である内海が立っていた。
 「内海さん…と、斎藤さん?」
 内海の後ろに斎藤がいる。
 「ちょっと急なお招きなんだが、伊東さんが君たちとぜひ一献交わしたいと言っている。ついてきてくれないか」
 「参謀が…?」
 正月なのだから一緒に飲もうということなのだろうか。

 「俺も行く。お前も来い」
 斎藤がぽつりと言った。
 が斎藤と視線を合わせると、黙ってついてくるよう目で示された。
 「はい、喜んでお供します」
 斎藤が言うならと、はこくりと頷いた。

 「よかった。じゃあ行こうか」
 内海はくるりと踵を返すと、すたすたと先に歩き出す。
 は斎藤の隣にすっと入った。
 斎藤の顔を見上げたが、斎藤はを見ない。
 二人は黙って内海の後についていった。



 20111117