久遠の空 ドリーム小説 鬼が辻 11

鬼が辻

update:2011.10.21

鬼が辻 11 

 土方が渋沢篤太夫とともに捕縛を行った翌日。
 伊東が尾張に向かって旅立つことになった。尾張の藩主徳川慶勝に、現在空位となっている将軍職を受けてもらうよう、説得するためだ。

 それは伊東と土方がひっそりと行っている夜中の密談によって決められた。
 日本国のため徳川のため、ひいては近藤のためと言われ、土方は嫌々ながら伊東が指定した裏茶屋に通っていた。そこで伊東と奇妙な見解の一致に達してしまったのである。
 徳川慶喜を将軍職につかせたくないという見解に。

 徳川慶喜は、長州戦争の始末を独断でつけてしまった。
 天皇の勅を賜ってまで自らの出陣を決めたというのに、幕府軍最強の小倉軍が敗走するやいなや、幕府・長州双方に停戦の勅を出してもらうよう奏上した。

 まるで天皇自身が言を左右にしたかのように仕立てた慶喜の行動。
 徳川宗家は継承しても将軍職は受けたくない。
 そんな慶喜の態度に、伊東も土方も不快感を露わにしたのである。

 そこで伊東は策を立てた。
 尾張藩前藩主・徳川慶勝に将軍職を受けてもらおうと。

 「豚一公は将軍職を受けたくないと公言している」
 「尾張の慶勝公なら四十三歳と、年も頼もしい」
 「隠居されているが公さえその気になればどうにでもなる」
 「二度の広島出張で諸藩の志士と盛んに交わり、少なくとも尾張のご家老まで続く人脈を確保してある」
 たたみかけるような伊東の言葉に、土方も頷かざるを得なかった。
 政情が不安定な中で伊東が不在になることを心配する近藤を土方が抑え、伊東の外出は決定したのであった。


 「道中気をつけてな、伊東参謀」
 見送りの近藤が伊東に声を掛ける。
 「ありがとうございます局長。必ずや成し遂げて参ります」
 伊東が爽やかな笑顔を見せた。
 「いってらっしゃいませ」
 は近藤の隣で頭を下げる。
 「君を連れて行けないのは残念だな。でも僕がいない間も君には大事な任務がある。薩摩のことをよく見ておいてくれたまえよ」
 伊東がの手を握った。
 「はい」
 はこくりと頷く。
 「じゃあ土方君、行ってくるね」
 伊東はから手を離すと、今度は土方の手を握ろうとした。
 「とっとと行け!」
 土方は身をかわすとしっしっと伊東を追い払う。
 「甲子太郎さん、もう行ってください」
 あきれ顔で内海が間に入る。
 「わかったよ、内海。お前も留守を頼んだよ」
 渋々土方を諦めると、伊東は篠原とともに屯所の門をくぐって行った。

 「これでしばらくはせいせいしやがる」
 土方は部屋に戻りながらふんと鼻を鳴らした。
 「またトシはそんなことを…伊東さんがいない間に何もなければいいんだがなあ」
 近藤が振り返って門のほうを見やる。
 「この前言っただろ。あんなのがいなくたって、あんたには俺がいる」
 懐に手を突っ込んで土方は言い放ち、自室に入った。

 は薩摩藩邸に出向く準備を整え、土方に挨拶をした。
 「行って参ります」
 「ああ」
 土方は文机の前に座り、山のような書状に目を通し始めている。素っ気ない返事だけをに寄越した。



 は薩摩藩邸への道を進みながら、土方の様子を思い出す。
 (参謀がいなくなってせいせいしたとおっしゃっていたけれど…その割には解放感が感じられないな…)
 土方が自分に対して素っ気ないのはいつものことだ。しかし、伊東がひと月は不在になる旅に出かけたなら、もっと羽を伸ばすような雰囲気になってもよさそうなのに、まったくそういった感じではない。
 (何で…?)
 理由が思い当たらず、は悶々としたまま薩摩藩邸に入った。



 階段をとんとんと上がり、翻訳の部屋に近づくと、赤松と田代以外の声が聞こえてきた。
 (誰だろう?)
 は思い当たらない声に首を傾げた。

 「おはようございます、山口です」
 廊下に膝をつき、は来訪を告げる。
 「か、ちょうどいい、入れ」
 赤松が笑いをにじませた声で許可する。
 「はい、失礼します」
 は障子を開いて中に入った。

 赤松と田代。
 そして恰幅がよく髷のない男と、細身だが着物の上からでも骨格がしっかりしているのが見える男が座っていた。
 (…まさか)
 は恰幅のいい男に見覚えがあった。

 「、こちらへ座れ。西郷殿、こちらが先ほどから噂に上っている山口です」
 赤松が自分の側を示し、はそこへ座る。

 「山口と申します。以後お見知りおきを」
 は丁寧に頭を下げた。
 「山口どんか。こんたびは本の翻訳、ご苦労でごわす」
 恰幅のよい男がよく響く声で言う。
 「恐れ入ります」
 は伏したまま返事をした。

 (この人…)
 歴史にそう詳しくないでも知っている。
 体格のいい薩摩言葉のこの男は。

 「おいは西郷吉之助と言いもす」
 (やっぱり…!)
 西郷吉之助、後の西郷隆盛であった。



 西郷は上京してきたばかりで、たちが翻訳に当たっている「英国歩兵練法」の進み具合を確認しにこの部屋へ来た。
 「思ったより早う進んじょるのう。赤松どん、世話かけるのう」
 すでに清書が出来上がっている分をめくりながら西郷が呟く。
 「半次郎どん、どげん思う?」
 西郷が細身の男に問う。
 細身の男は原本と訳本をくいいるように見比べて返事をしない。
 「申し訳なか。こちらは中村半次郎どんじゃ」
 西郷の紹介を受けると、細身の男ーー中村半次郎は素早く会釈して再び本に目を落とした。


 「お見事で。よくここまでたった三人でやりもうした。たいした量じゃ」
 中村が一通り目を通し、本を置いた。
 「ありがとうございます。が来てくれたのが大きゅうございましてな。これは大変な俊英でして」
 赤松はの肩をぽんぽんと叩いた。
 「いえ、あの、私は別に…」
 は自分に視線が集まるのを感じ、赤くなる。
 「あの、た、田代さん、田代さんがいつも進捗状況を管理してくださっているので、田代さんのおかげです」
 は田代に話を振った。
 理不尽な厳しさもあるが、西郷と中村が認めてくれるほど仕事が進んでいるのは田代が一日の分量を決めているおかげである。
 「そかそか、田代どん、ようやってくれちょるのう」
 西郷が目を細めて田代を誉める。
 「いえ、お、俺、いや、自分はそんな」
 実際に翻訳を行っているのは赤松とである。田代もそれは理解しているので、誉められて複雑な表情をした。
 「気分よか。田代どん、何か甘いもんでも買ってきてたもんせ」
 西郷は懐から金を出すと田代に与え、田代はすぐ外に出ていった。

 西郷と中村が翻訳の苦労を赤松とに聞いていると、田代が戻ってきた。
 「お待たせしました」
 田代は棹菓子を一本持っている。
 「早いな、どこで買ってきた?」
 赤松が聞く。
 「なに、そこの菓子屋で売っていました」
 田代が包みを開いて、一緒に持ってきた包丁でとんとんと切り、懐紙に載せて銘銘の前に置いた。

 「ささ、食べるでごわす」
 西郷が勧める。
 「ちょうだいいたします」
 もひとつ手にとった。楊枝で小さく切って口に運ぶと、久しぶりの甘みがじわっと広がった。思わず口元がほころぶ。

 「?」
 ふと視線を感じてが前を見ると、西郷が丸い目でじっと自分を見つめていた。
 「山口どんはうまそうに食べちょりもすのう」
 「え…」
 見られていた。
 は固まり、菓子がぽろりと楊枝から落ちた。
 「すみませんっ」
 はすぐに楊枝を菓子に突き刺し、口に運んだ。
 「おもしろいのう山口どんは」
 西郷はより大きな声で笑う。他の男たちも声を立てた。
 は恥ずかしさを頬に上らせて下を向く。
 その顔を、田代が見つめていた。




 は屯所にいる短い時間の中でさりげなく、それでいて注意深く土方の様子を観察し続けた。
 やはり土方はどこかおかしい。伊東が不在なのに、妙に張りつめている。

 こんなことがあった。
 伊東が旅立って四日後、土佐藩から幹部の一部が招待を受けた。
 先日の三条制札事件の実行犯は、土佐藩士だったのである。
 土佐藩上層部は幕府寄りであるから、同じく幕府寄りの新選組との関係悪化は避けたいと見え、詫びがてら一席設けさせてくれと招待が来たのである。

 関係修復のための宴であるから、互いに心がほぐれるまでゆっくりと時を過ごしてくるのだと思っていた。
 ところが土方は、早々に一人で店を出てきてしまったのである。

 「あれ…土方さん、お帰りなさい」
 は自分とほぼ同時に戻ってきた土方を見て驚いた。
 「どうしたんですか、こんなに早く」
 「酔った。少し寝る」
 土方は羽織を脱ぎ捨てるとごろりと横になる。
 「今、お布団を」
 羽織を衣紋掛けにかけると、は土方の布団を敷いた。

 「土方さん、お布団敷けましたよ」
 は土方に声をかけるが、土方は背を向けたまま動かない。
 「土方さん?」
 眠ってしまったのだろうか。
 土方が疲労をためているのは明らかだ。組を締める役目は重い。鬼の副長として重責を負っているのだ。

 それに、伊東とのこともある。
 伊東と影で会っていることが、何らかの形で土方の心に影響を与えているに違いない。

 「土方さん、お布団へどうぞ」
 うたたねでも布団で寝たほうが回復するだろう。
 いっそそのまま眠ってしまってもいいかもしれない。
 は土方をそっと揺すってみた。

 ひゅっと土方の手が伸び、を引き寄せる。
 「あっ」
 は足を崩した。
 そこへ土方が頭を乗せてきた。

 「土方さん」
 「ちっと寝るだけだ。膝貸しておけ」
 土方は腕を組み、背を丸めた。


 やがて土方の片手が布団に落ち、肩が規則正しく上下し始めた。
 は土方の額にかかる髪をかき上げる。

 酔ったなんて嘘だ。
 近づいているからわかる、酒の匂いなど全然してこない。

 何を隠し。
 どんな夢を見ているのだろう。
 (話しては、もらえないのだろうか…)
 は軽めの上掛けを引っ張ると、土方にそっとかぶせた。







 20111020