久遠の空 ドリーム小説 鬼が辻 10

鬼が辻

update:2011.10.14

鬼が辻 10 

 土方と伊東が、人目を忍んで会っている。
 その事実を突き止めたは、井上の助言通りに黙って、知らない振りをした。
 そして、知らない振りをしてはいるものの、今まで以上に土方のことを気にかけるようになったは、毎日の翻訳の速度を上げて、早く屯所に戻ってくるようになった。
 倍の量を押しつけたはずなのに、帰る時間がその前とさほど変わらなくなってきたを見て、田代はただ呆然とするのみであった。



 が薩摩藩邸にいる間、土方の手伝いは井上が行っていた。井上ならば試衛館以来どころか同郷の士であるし、井上自身も口が堅く、副長の周囲の世話を安心して任せることができる。
 そして井上もまた、と同じように、何も気づいていない様子で土方のそばにいたのであった。



 こうしてあちらでもこちらでも水面下で動きがある中、新選組にとある仕事が舞い込んできた。三条大橋の西側の袂にある高札場の警備である。

 が屯所に戻ってくると、局長室から複数の声がしてきた。
 「ただいま戻りました」
 開け放たれた障子の側で、は手をついて挨拶する。
 「おかえり、君」
 近藤がにこやかに声をかける。土方はただ腕を組んで軽く頷くだけだ。
 「よう、お前も行くか?」
 原田がひらひらと手を振る。

 「どこか行かれるんですか?」
 が問うと、原田が答えた。
 「三条大橋んとこの高札場あるだろ? あそこの高札が引っこ抜かれて捨てられたんだとよ。しかも二度もだぜ? それで俺たちに高札の警護と犯人のとっ捕まえの命令がきたってわけよ」
 
 鴨川にかかる三条大橋には高札場がある。高札場とは、庶民に通達を行う際に札を立てる場所で、そこから札が抜かれて捨てられるという事件が起きた。

 札には、長州を朝敵とみなす内容が書かれていた。その文言が墨で黒く塗りつぶされ、引き抜かれた上に鴨川へ投げ込まれているのが発見された。

 京都町奉行は同じ札を立てたが、それもまた同じように引き抜かれて捨てられた。そこで町奉行はもう一度同じ札を立て、その警護を新選組に命じてきたのであった。


 「三条大橋って…うちの管轄でしたっけ?」
 「うんにゃ、あそこは守護職様の縄張りよ。それを任されるたあけっこうなことじゃねえかい」
 原田がにっと笑って頭の後ろに手をやる。
 「けっこうなことかよ。所詮ゴミ掃除じゃねえか。高札引っこ抜くような輩、ちっと張ってりゃすぐ捕まえられんだろうが」
 土方が苛立った口調で言う。
 「トシ、守護職様直々のご命令だぞ」
 近藤がたしなめる。
 土方はそっぽを向いて首の後ろをかいた。

 「そう、守護職様からの大事な任務だ。絶対に失敗することはできん。左之助、頼んだぞ」
 近藤が原田に告げる。
 「ああ、任しとけ」
 どんと胸を叩いて、原田は部屋を出ていった。
 

 「トシ、お前、疲れてるんじゃないか? 妙にいらいらしてるじゃないか」
 近藤が土方の肩に手を置いた。
 「んなわけねえだろ。あんたこそ朝っぱらから守護職邸に呼び出されて疲れてんじゃねえか? 後は俺がやっておくから、さっさと妾宅へ行けよ」
 土方は近藤の手を払いのけると自室へさっさと引き取ってしまった。

 (土方さん…)
 は自分も副長室に戻ろうと、近藤に会釈をした。
 近藤はと目を合わせるとぐっと笑った。

 (えっ…)
 はその笑顔に縫い止められた。
 近藤が自分に何かを語りかけている。
 「おい、、茶だ」
 土方が廊下に顔を出して怒鳴りつける、その声にはじかれては副長室へ戻っていった。


 その夜、原田左之助率いる三つの隊は、三条大橋の袂にある会所に詰めた。しかし、賊は現れなかった。翌日も現れなかった。

 隊士たちがだらだらとした足取りで屯所に戻ってくる。
 「ただいま〜」
 原田もおおあくびをしながら局長室へ報告にやってきた。
 「ダメだダメだ、ゆうべも空振り」
 「お疲れ様です」
 はお茶を出しながら頭を下げる。
 「いそうな感じはするんだけどよう、出てきやがらねえんだよな。賊は出てこねえし、ただ待ってるだけだしで会所の中がぴりぴりしていけねえや」
 「そうか」
 原田の報告に、近藤は渋い顔をした。

 「だったら酒でも飲んでたらどうだ?」
 そう言いながら局長室に入ってきたのは井上である。
 「え?」
 「は?」
 一同目を丸くしたが、真っ先にぴんときたのは土方だった。
 「そうか、こっちが目え光らせてるからあっちも出てこねえんだ。こっちが緩まってりゃもしかすると…」
 「さすがトシさん、ご名答」
 井上がにんまりと笑う。
 「そっか! じゃあ今夜は勝利の前払いの酒盛りだな!」
 意を得たりと原田が手を叩いた。
 「、薩摩藩邸に行くついでに酒屋へ寄って、夕方、三条の会所に酒を届けるように伝えろ」
 「承知いたしました」
 土方の言葉には立ち上がった。


 その日の夕刻、土方の名で三条大橋の会所に酒が届けられた。隊士たちは鬼の副長の思わぬ計らいをぐいぐいと飲み、おおいに騒いだ。
 するともくろみ通り、犯人が現れた。月明かりの下、八人ばかりが高札に群がった。高札に手をかけた瞬間、原田の号令で三方から一気に取り囲むと、犯人は散り散りになって逃げようとした。
 犯人のうち三人を斬り、そのうちひとりは即死だった。もうひとりは逃げ、最後の一人は重傷を負わせて捕縛した。
 手を抜かず、数をかけた圧倒的勝利ーーー新選組は、無事に任務を果たしたのだった。



 「酒はうめえし犯人は捕まえられるしで、気持ちのいい夜だったぜ」
 召し取った相手を引き渡して屯所に戻ってきた原田は、豪快に肩を揺すった。
 「左之助、ご苦労だったな」
 近藤がうんうんと頷いて原田をねぎらう。
 「酒飲みながら待機なんて、こんな任務ならいつでも喜んで引き受けるさ」
 「馬鹿野郎、そうそうあってたまるか」
 土方が原田を肘で突くと、室内に笑いが満ちた。



 「局長、失礼します。お客様でございます」
 平隊士のひとりが廊下から声を掛けてきた。
 「客? こんな時分にか?」
 すでに四つを回っているこの時間に来客だという。皆、口を閉じた。
 「まあいい、入ってもらいなさい」
 近藤が入室を許可すると、黒の立派な紋付きに身を包んだ男が入ってきた。近藤は上座を勧めた。


 「夜分に申し訳ない。私は陸軍奉行支配調役、渋沢篤太夫と申す者。新選組に取り締まってもらいたい輩がおる」
 「陸軍奉行…支配調役…」
 れっきとした幕臣を目の前にし、近藤たちは畳に額をつけんばかりにひれ伏した。

 「紫野にある大徳寺の境内に、大沢源次郎という男が住んでいる。御書院番士で、先の将軍がご上洛あそばされた際に随行し、そのまま見廻組に組み込まれた男だ」
 渋沢は目の前に座る近藤たちを睥睨する。
 「この大沢なる男、長州とどこかでつながりがあるようでな。銃器を集め、数百人の仲間を集めて決起をはかっているという噂を突き止めた。これを捕らえたい。同行を頼む」

 「大徳寺と言えば京都所司代か、それこそ見廻組の巡察区域ではありませんでしたかな? それに、陸軍奉行殿の配下が出動してもよろしいのではございませんか」
 土方が頭の中に地図を描きながら聞く。
 「ああ、そこなのだが…」
 渋沢が目をそらした。
 「大沢には最新式の武器を買い集め、仲間も相当増やしているという噂があってな。先だっての長州征伐で銃砲が威力を発揮したとの話を聞いた者たちは…まあ想像の通りだ」
 渋沢がやりきれなさそうに額に手を当てる。
 「後込みしやがったわけか」
 ふんと土方が鼻で笑う。
 「トシっ」
 近藤が土方の袴をぐいぐいと引いた。

 「いいでしょう、俺が出ます」
 土方が言い放った。
 「え?」
 は思わず土方を見る。副長みずからの出動など久しぶりだ。
 「だがトシ、組をひとつ遣ったほうがいいんじゃないのか?」
 近藤が聞く。
 「今夜帰ってきた隊士たちは休ませなきゃならねえ。明日朝の巡察の人数の変更はきかねえ。屯所の守りも固めておかなきゃならねえと来たら、俺が行くしかねえだろう」
 土方はこともなげに言った。

 「かたじけない。大徳寺境内に大沢のすまいがあることは確かなのだが、いつ戻っているのかはわからんのだ」
 「ではこちらで調べましょう。島田を呼べ」
 土方は監察の島田を呼ぶと、大沢源次郎が大徳寺へ出入りしているかを調査するよう命じた。
 「ちょうどくさくさしてたところだ、ちっと暴れるか」
 渋沢が帰ると、土方は口の端を上げた。



 夜が明けると、土方はすぐに行動を開始した。島田には大沢の近辺の聞き込みを行わせ、自らは二人の隊士を率いて渋沢との待ち合わせ場所に向かった。

 土方が引き連れているのは、井上。そしてだった。は翻訳の仕事があるからと断ったが、
 「人手が足りん。万が一の時はお前のこれで大沢の動きを止めろ」
 と土方が懐の短筒を指さし、を引きずるようにして連れてきてしまったのだ。


 三人と渋沢は、大徳寺の門前で会った。近くにある鰻屋を渋沢の名で借り切ると、島田からの情報を待った。
 「まず私が罪状を読み上げるゆえ、その後に大沢を捕縛してもらいたい」
 渋沢が茶を飲みながら言った。
 「それは危険です。とりあえず縛ってからでもいいのではないでしょうか。もし大沢が噂通りの男なら、渋沢殿に危害を加えないとは限りませんし、そうなったら一緒に出動した我々の名も折れます」
 土方が格子窓の外を確認しつつ答えた。
 「いや、罪状を読み上げるまではただの人である。やはり手順は踏まねばな」
 渋沢は譲らない。
 「左様でございますか。では渋沢殿のお言葉のままに」
 土方がふっと笑った。


 「島田だ」
 しばらく待っていると、大徳寺の参道から大柄な島田が飛び出してきた。島田を見つけた土方は店を出て島田に近寄る。
 「どうだ」
 「はい、この先の塔頭にそれらしい男が入っていくのを見ました」
 「よし、案内しろ。渋沢殿、こちらへ」
 「うむ」
 島田に続き土方、渋沢、井上、最後にが急ぎ足で巨大な朱塗りの山門をくぐった。


 敷地の奥にひっそりと、大沢のすまいである塔頭は立っていた。まるで何かを押し隠しているような静けさの中、渋沢が戸を叩いた。

 「…どちらさんで?」
 ぎしときしんだ音を立てて戸が開き、男が出てきた。寝入りばなを起こされたようで、目をこすっている。
 「大沢源次郎だな。陸軍奉行支配調役、渋沢篤太夫である。不逞の輩と手を組み、武器を集めている動きありとの嫌疑につき、同行されたし」
 「何だとっ…!」
 渋沢の口上に大沢は急に目を見開き、渋沢を突き飛ばして逃げようとした。

 塔頭の門前で待っていたは、逃げてくる男の姿を認めると短筒を構えた。
 しかし、が撃つより早く土方が大沢の足を払った。

 大沢は土の上にどっと転んだ。その首元に土方の大刀がぴたりと当てられる。
 「神妙にしやがれ」
 刀身より冷たい声で土方が告げる。
 「ひいっ…」
 大沢は一瞬の出来事に腰を抜かした。



 井上が大沢に縄を掛け、きつく縛り上げた。
 「辺りにほかの賊は潜んでいないようです。後ほど隊士を派遣して、大沢の家を捜索させておきます」
 土方と島田が塔頭の周囲を探り、渋沢に報告した。
 「うむ、助かった。何かあったら知らせてくれ」
 渋沢は満足そうに頷いた。



 「手応えのねえこった。やれやれだ」
 土方が身なりを整えて歩き出す。
 「土方さん、お怪我は」
 も揃って歩を進めた。
 「たったあれだけで怪我なんかするかよ」
 土方はの頭をくしゃくしゃと撫でた。
 「わっ、やめてください」
 長い指でかき回され、の髪はあちこちへ散る。

 は手櫛で髪を直しながら土方を見上げた。
 土方はくつくつと笑っていた。
 しかし、の視線に気付くとすぐに真顔に戻り、歩く速度を上げた。



 20111014