暗雲 3
近藤たちが広島へと旅立って数日の後のこと。
屯所に町人体の男がやって来た。
「見慣れない顔だな」
廊下を渡る土方が、男をめざとく見つけて呟く。
「総司への客らしいっスよ。寺町通りの写真屋とか」
さっきすれちがった時に聞いたんだと原田が言う。
「写真屋…」
は原田の言葉にまばたきをひとつした。
日本における写真の歴史がどの辺りから始まるのかは知らないが、ずっと前に土方と、持ってきた携帯で写真を撮った時、土方が写真を知らなかった。隊の誰もが写真らしいものを持っていないことから、この江戸時代にはまだ広まっていないようだとは考えた。
「写真たあホトガラピーってヤツの事か」
写真屋を目で追いながら土方が聞く。
「違いますよ土方さん、ホトガラピーじゃなくてポトガラヒー」
永倉が言い換える。
「ピーだろう? 近藤さんはそう言ってたぞ」
土方が問い返す。
写真は英語で書けばphotographyだ。ローマ字読みをすればホトガラピーともポトガラヒーとも読める。
(phの発音をホにするかポにするか…迷ったんだなあ…)
は英語の発音と日本語の発音の違いを聞き、微笑ましく二人を眺めていた。
が。
「お前のほうがオッチョコチョイだって可能性はねえのかよ!?」
いきなり土方が大声を上げた。隣では井上が同じく土方に味方している。近藤がホトガラピーと言ったのを、永倉がオッチョコチョイの間違いだと指摘したのだ。
「おい、どっちだ?」
ぎん、と土方がを睨みつける。
「はい?」
まさか自分に話が振られると思っていなかったは、間の抜けた声を出してしまった。
「ホトガラピーかポトガラヒーか、正しいのはどっちかって聞いてんだよ」
即答しないに土方の矛先が向く。
永倉の目も井上の目も、藤堂と原田の目も、に集められる。
「えーと…フォトグラフィー、が一番日本語の発音に近い、ですかね」
「あ?」
「え?」
「どちらも微妙にはずれています。ポトガラも、ピーも、ちょっと違いますね」
両方とも否定され、土方も永倉も目をぱちくりとさせた。
「でもよ、どっちかっつったらホトガラピーだよな?」
先に気を取り直した土方がに詰め寄る。額に“近藤局長絶対主義”の文字でも浮かべているかのようだ。
「ポトガラヒーだろ?」
永倉もずいっとの前に出た。
「…個人的にはどっちでも…」
ほんのわずかな違いである。としてはどちらでも構わないと思うし、たったそれだけの違いでこの場に小さな軋轢を生み出したくはなかった。
「煮えきらねえ奴だな」
「どっちでも、かあ」
土方も永倉もはあとため息をついた。
「まあ俺もどっちでもいいと思うけどな。それより、総司のところに写真屋がどんな用だと思う?」
原田が含み笑いを浮かべて聞く。
沖田が写真を撮ったのではないかという推論を立て、原田と永倉は、ポトガラを撮ると死んでしまうという噂を気にする藤堂を引きずって、写真屋の後を追った。
井上は六番隊の部屋へ戻り、土方とも副長室へ引き取った。
「ホトガラってのは、危ねえもんなのか? 撮ると魂を吸い取られるっつう話も聞くが」
すたすたと歩きながら土方が問う。
「いいえ、何も」
撮ると魂を取られるなど、面白い逸話があるものだ。写真があまりにも本人にそっくりだからだろうか。
「もし魂が取られてしまうのなら、前に一緒に携帯で写真を撮った時に、土方さんも私も取られてますよ」
「…そうか」
納得したように土方は頷いた。
「ところでお前、もう一回あの写真出せ。俺変な顔で写ってただろ、撮り直す」
「え、あれでいいじゃないですか、別に」
「俺が撮り直すっつってんだ」
「元が男前なんだから、あれで大丈夫です」
「…そうか?」
「はい」
沖田たちの元へ運ばれたその写真が、に土方へ重大な秘密を抱かせることになる。
その日の午後、はひとりで山南の墓を訪れた。守護職邸で英吉利語を、南部の寓居で西洋医術を学んでいるので、久しぶりに墓参に来ることが出来た。
いつも誰か来ているのか、真新しい花が供えられていた。
は墓石に水をかけ、座って手を合わせる。
(山南総長、お久しぶりです)
いつも自分に的確な助言をくれた山南。その山南の墓石の前にいるだけで、頼れるような気になる。
冷たい空気が身を包むがまったく気にせず、は山南に来られなかった間のことを語りかけた。
(また来ます)
はひとしきり心の中で話し終えると、持ってきた花を別の隊士の墓に供えようと立ち上がった。
(…ん?)
立ち上がって山南の墓を見下ろした、その視界に何か違和感を感じ、は目を凝らす。
山南の墓の右横に、地面の色が変わったところを見つけた。
(…掘り返した後?)
何かに吸い寄せられるように、は花を地面に横たえて、柄杓の柄でそこを掘り返す。
柄の先に何かが感触が当たる。手で丁寧に土を除けると、黒い布でくるまれたものが出てきた。
は黒い布を開いて、さらに油紙をはがしてみる。
中から二つ折りになった皮の包みが現れ、ぱたりとそれを指でめくると――――
「沖田さんと…神谷さん…?」
沖田と神谷の写真があった。
沖田が床几に腰掛け、刀を持っている。
神谷は女用のかつらをかぶり、女の格好をしている。
(うわあ…神谷さん可愛い、女の子みたい…)
まるで本物の女子のように見える。は思わず笑みを漏らしてしまった。
(でも…こんなものが何でこんなところに?)
は首を傾げる。
さっき来ていた写真屋が持ってきたのがこれなのだろうか。
どんないきさつがあったのかはわからないが、神谷が女子の格好をして写真を撮ってしまい、恥ずかしくなってここに隠したのかもしれない。
(戻しておこう)
は皮の表紙を畳み、油紙と布で包み直すと、元通りに土をかぶせて埋めた。平らにならしすぎてもおかしいので、少し凸凹があるようにした。
これでよしと、は他の隊士の墓に花を供え、墓石に水をかけて拝み、墓地を後にした。
屯所に戻ると、門の前で土方に会った。
「お出かけですか?」
「ああ」
土方は軽く頷いて出ていった。
この後土方は、同様、山南の墓を訪れる。
そしてと同じように、あれを発見してしまう。
沖田と神谷の、ホトガラを。
間もなく日が落ちようという時分。
が幹部用の風呂から上がってくると、土方が部屋から消えていた。
近藤がいない今、遊びに出かけたとは考えられない。急な仕事でも入ったのだろうと、は布団を敷きながら思った。
「土方さん」
と部屋の外で声がした。沖田だ。
「沖田さん、すみません、土方さんは今いないんですけど…」
は沖田を部屋に入れた。
「どこに行ったかご存じないですか?」
沖田は柔らかな笑みをに向けている。が、その目は笑っていない。
「し…知りません。私がお風呂に入っている間にどこかへ」
得体の知れない何かを感じ、は背筋に緊張を走らせる。
「じゃあ待たせてもらいます。すみませんけどさん、今日は局長室で休んでもらえませんか?」
「は、はい、わかりました」
今の沖田には逆らわないほうがいい。そう直感したは、隣の局長室へ布団を運び込んだ。
「おやすみなさい、さん」
「おやすみなさい」
挨拶を交わしては障子を閉める。
締め切る前にちらりと見えた沖田は、強ばった顔をしていた。
布団に潜り込んでは考えを巡らせる。
自分をわざわざ遠ざけるなど、上層部で極秘な何かが起きているのだろう。首を突っ込んではいけない。
沖田と言えば、あの写真。どうしてあんな写真を撮ったのか、なぜ山南の墓の横に埋めたのか。気になるが、隠すように埋められていたのだから、聞くことは出来ない。
局長室と副長室を隔てる襖の向こうから、夜の寒さとは別の、刃のような空気が漂ってくる。
は分厚い布団を頭まで被り、目を閉じた。
翌朝、が副長室に戻ると沖田はもういなかった。土方が戻ってきていたが、あまりよく眠れていないようだった。
「おはようございます、あの、ゆうべ沖田さんが」
「ああ、奴とは話しをした。お前、しばらく局長室で寝ろ」
土方は短くそう言うと、身支度のために井戸へ向かった。
やはり上層部で何かが起きている。
はそう確信し、口を引き結んだ。
次の夜も沖田は土方の元を訪れ、土方と話し合っていたのをは襖越しに感じたが、何を話しているのかまでは聞こえなかったし、聞く気もなかった。食事時に神谷と斎藤の姿が見えないのも、その一環だと思った。
20110428