第十三章拾遺 ししぐい。
「土方さん、お茶をお持ちしました」
は盆を前に差し出す。
土方は湯気の立つ湯呑みをひとつ持った。
は土方の横を通り抜けて室内に茶を運ぼうとする。しかし土方が突っ立ったまま動かないので中に入れない。は土方を見上げた。
じっと。
実にじーっと。
土方はを凝視している。
「あ、あの、何か…」
は探るような土方の視線にたじろいだ。
「ちっと来い」
土方は顎でを促すと、縁側から降りてすたすたと屯所の敷地の奥へと歩いていった。
は土方がどいた障子をもう少し開き、中に茶を差し入れると土方の後を追って下駄をつっかけた。
土方は西本願寺の北側の塀の近くまでを連れだした。人影はほとんどなく、大きな木の影が地面にのびているだけだ。
「聞きたいことがある」
土方は周りを見回すとに近づき、小声で話しかけた。
「お前、元の時代で獣の肉を食ったことはあるか」
「え? 獣の、肉…?」
何を聞かれるのかと身構えていたは、あまりにもあっさりした質問に気が抜けた。
元の時代で獣の肉を食べたことがあるかと聞かれたら、それはある。牛や豚など、毎日のように食べていた。
今、この時代で肉を食べる機会がないことは当たり前だし、食べていけるだけで充分なので、肉食を恋しいと思ったことはなかった。
「今、豚を飼って食ってるだろ。松本先生の薦めとは言っても、残す奴が多すぎる」
「そうですね…」
も二回ほど、夕餉に豚肉が出ていたのを食べたことがある。どうしてか獣の匂いが強く、火が通りすぎて固い。お世辞にもおいしいとは言えない味だった。
「元の時代でもあんな味だったのか」
「いいえ」
「そうか、じゃあ頼みてえ」
が豚肉の味に首を振るのを確認すると、土方はの耳に口を寄せ、ひそひそと囁いた。
「え…」
「作れねえのか」
「出来ると思いますけど…自信ないです」
「頼んだぜ。必要な物は賄い方に言って揃えさせろ」
土方はの肩をぽんと叩くと、また足早に局長室へ戻っていった。
は土方からの頼まれ事に顔を曇らせたが、しばらく思案した後に賄い方へと歩いて向かった。
翌日。
朝餉の片づけが終わったばかりの台所にが現れた。
「朝餉の直後でお疲れのところ申し訳ありませんが、お手伝いよろしくお願いします」
が頭を下げると賄い方の面々は頷き、早速持ち場へと散っていく。
は袂からたすきを取り出すとその片方をくわえ、素早く袖をからげる。しゅっと前掛けも結ぶと、あちこちに指示を出し始めた。
昼餉の時刻になり、腹を空かせた隊士たちが三々五々台所に集まってきた。
「何だ? この匂い…」
隊士たちは漂ってくる匂いに鼻をうごめかせる。
時々食卓に上る、あの固くてまずい豚肉と同じような匂いがする。しかしそれだけではない匂いも混じっている。
台所の戸が開き、賄い方が隊士たちに膳を渡していった。
膳には様々な豚肉料理が並べられていた。
焼いてショウガと醤油で味付けしたもの。
味噌で煮たもの。
ゆでて大根下ろしをのせ、醤油をたらしたもの。
大きな固まり肉を醤油で煮て薄く切ったもの。
薄くずをはたいて卵液につけて焼いたもの。
細かく切って豆腐と一緒に煮て味付けをし、とろみをつけたもの。
たけのこと炒め合わせて、味噌で甘辛くしたものなどなどなど。
また豚肉か、と席に着いた隊士たちから不満が上がる。
しかし、仕方なく箸をつけて肉を放り込んだ口からはまったく別の感想が出てきた。
「あ、これうめえ」
「あんまり臭くないし、柔らかい」
「これならまあ食えるな」
次々に皿の上の肉は平らげられ、汁物として出した豚汁はお代わりをする者までいた。
土方とは、食事部屋の入り口から中の様子を窺った。
「どうでしょう」
「まあまあだな」
隊士たちはほとんど残すこともなく、膳を下げていく。それを見ては胸をなで下ろした。
「賄い方の皆さんはさすがですね。指示通りにきちんと調理してくださいました」
昨日土方がに頼んだこと。それは、元の時代のおいしい豚肉料理を出して、隊士たちに抵抗なく食べてもらうことだった。
は思いつく限りの料理を考え、賄い方と相談し、この時代でも作れる料理を用意したのである。賄い方はが提案した料理を、工夫を凝らしながら作り上げた。
「こんなら豚が肥えた頃、定期的に肉を出せるだろう」
土方はきびすを返し、自室に向かう。
も小走りにその後を追った。
「あの、土方さん…ひとつご相談があるんですけど…」
が土方の袖をつんと引く。
「あ?」
土方は立ち止まった。
「料理を作ったはいいんですけど、その…鍋にどうしても匂いが残っちゃって。今日使った鍋は豚肉料理専用にとっておいて、新しいのを用意していただけませんか?」
まだ豚肉を常食としないこの時代に、獣の肉の頑固な油汚れを落とす洗剤は存在しないのだ。たわしひとつを使いきっても汚れや匂いは落ちなかった。
「何だと?」
土方は片眉をぐっと上げた。
土方は額に手を当て大きくため息をつく。
(豚の餌代がかさむからってえことだったのに…)
これでは逆に鍋釜の代金がかかってしまう。新しい鍋釜の元を取れるまでどのぐらいかかるだろう。
だが、この先いつまでも獣臭い鍋で作った食事を続けるわけにもいかないし、彼女の頼みだ。土方はゆっくりと頷いた。
「ありがとうございます、お願いします」
はぺこりと頭を下げ、ほっとした表情を浮かべた。
その顔に弱いとは、死んでも言えないと土方は思った。
土方とは副長室で料理を味見した。
は箸を止め、ちらりと土方を見る。
土方は黙々と料理を口に運んでいる。うまいともまずいとも言わない。しかし注意深く観察してみると、味に驚いたり、
深く味わおうとしてよく噛んだりしているのがわかる。つまり、そこそこということだ。
「何にやついてんだ」
視線に気づいて土方が顔を上げる。
「別に、何でもありません」
は箸を動かして食事を続ける。にやついているだなんて、ほめ言葉はなくても料理を受け入れてくれていることが嬉しい気持ちが顔に出たのだろうか。
二人は他の隊士たちと同様、料理を残さず食べきった。
その後、屯所では豚肉料理が人気となった。あまりの人気に豚の成長が追いつかないほどであった。
清浄な場であるはずの寺で、獣料理の匂いが漂う。やはり新選組は尋常の存在と異なると、寺の者も参拝者も眉を顰めるのであった。
20100218