久遠の空 ドリーム小説 港 9

update:2010.12.24

港 9 

 「大坂で新選組が、誅罰の上さらし首を断行しただと…!」
 近藤は思わず腰を浮かせる。
 「はい」
 と山崎烝は淡々とした口調で返事をした。


 山崎は監察として大坂に下り、諜報活動を行っている。それと同時に新選組内の行動も監視しており、幹部の目が届かないところで起きている細かな出来事を逐一屯所にもたらしている。
 その山崎が、大坂における最新の情報を持ってきた。隊の人間に顔を知られないよう大工の扮装に身を包んだ山崎は、沖田に連れられて局長室へと入るなり、状況を報告したのである。


 新選組の名をかたり金品を強奪したが故の処罰ーーー断罪を行った谷三十郎は、理由を立て札に述べて首の隣に立てた。
 七番隊組長の谷は、大坂を拠点として活躍している。京にも負けず劣らず不穏な空気を醸し出している大坂の治安維持を行っているのだが、生真面目な性格がやりすぎを生み、今回の事件に繋がった。
 ただでさえ壬生浪とさげすまれている新選組は、この梟首事件で大坂における評判を地に落としてしまった。

 「よし。私が行こう!」
 近藤が口を引き結ぶ。事態の沈静化をはかるためには局長自らが出向くべしと近藤は言い、支度が出来次第すぐ大坂に入ることに決めた。護衛には一番隊がつくことになり、一番隊も大急ぎで準備に取りかかった。


 「そんなにひでえのか、大坂の様子は」
 副長室に引き取った土方は山崎に聞く。
 「はい。今は大樹公が大坂城に滞在されており、特に食料が集められて市場に不足しています。そのため物価が上がっているのですが、 それを憂いた谷先生が米商人などに圧力をかけて、無理に値段を下げさせているのです。 大坂では値が安すぎて稼げないと、産地が米を売り渋るようになりまして、大坂に米が入ってこなくなりつつあるのが現状でして」
 山崎は神妙な面もちで答えた。

 「そうか」
 土方は顎に手を当ててため息をつく。
 山崎は“圧力”と言葉を包んだが、実際はそんな生やさしいものでないことは想像に難くない。大坂での活動にあてがわれている万福寺に商人らを連行して、 脅しまがいの行動に出ているのだろう。でなければこの物価高騰の機会に、そうやすやすと商人たちが値下げに応じるとは思えない。

 「源さんや三木はどうしている」
 大坂には先だって、井上の六番隊と三木の九番隊が派遣されている。谷の振る舞いに彼らはどうしているのか、土方は心配になった。

 「そこはさすが副長が遣わされただけあって、ご心配には及びません」
 ふっと山崎は表情を和らげた。
 「あのお二人はああいったお人柄ですから、町の者たちとも早々に打ち解けております。つい先日も、中止が決定している夏祭りが少しでも行えないかと、天満宮などに働きかけていらっしゃいました」
 将軍が滞在中、祭りは大小を問わず、警備上の問題からすべて中止となっていた。夜の空を彩る花火も狼煙と紛らわしいので取りやめで、大坂天満宮の祭礼での神輿も実施が認められなかった。

 町には物々しい雰囲気の警備の群れ、物価は高騰、食料は品薄、花火も中止、おまけに新選組の取り締まりは厳しいときたら、不満が噴き出すのも当然である。
 井上は山崎をはじめとする監察から状況を聞き、自分でも大坂の町を歩いて、三木と話し合った。憤懣やるかたない大坂の人々に少しでも楽しんでもらおうと、 せめて天満宮の神輿だけでも開催できないか、警備なら自分たちが請け負ってもよいと考え、あちこちに働きかけているのである。
 三木は井上の元、よく働いているそうだ。もともと人は悪くない。剣の腕前も神道無念流免許皆伝である。ただ酒癖がよくないのと、兄の影が余りにも彼を覆いすぎている。それだけなのだ。

 土方は足を崩して胡座をかく。
 どんなにどうしようもないと思うしかない状況でも、近藤がそこに行くと不思議と解決する。
 昔、こんなことがあった。近藤の故郷で、蔵やぶりが横行する事件が頻発した。皆、各家で自警していたが、次は自分の家が襲われるのではないかと震えていた。
 近藤が親戚の家で待ちかまえていたところ、泥棒が入った。近藤は早く召しとろうとする仲間を押さえ、泥棒が存分に盗みを働いて油断したところを捕まえた。なかなか捕まらなかった泥棒を、近藤は捕まえたのである。

 今回の谷の件も、きっとあの時と同じように近藤がうまく解決してくると土方は信じた。
 「ま、局長御みずから出向くんだ、何とかしてくんだろ。ご苦労だったな山崎。大坂に戻り、引き続き情報を集めろ」
 「承知」
 土方の言葉に同意とばかりに山崎は頷く。そして副長室を出ていった。


 数日後、近藤は本当に大坂での騒ぎを解決してきた。
 新選組撤退という、誰も予想し得なかった方法で。

 まず沖田と神谷が先触れに来た。二人はまっすぐ副長室へ駆け込むと、どちらが先に敷居をまたいだかで言い争う。
 「私が先です!」
 沖田が神谷の前に腕を伸ばして押しのける。
 「いいえ、私ですっ!」
 神谷がその腕を掴んで自分が前に出ようとする。
 「神谷さんずるいですよ、私に馬を繋ぐの押しつけて自分だけ先に走っていくなんて。だから階段前で転ぶんでしょうよ」
 「沖田先生こそ! 転んで痛くて動けない私をひらりと飛び越えて“お先に〜”って階段駆け上がっていったじゃないですかっ、一番隊組長としてその態度はどうかと 思いますよ! お団子かかってるからって意地にならないでくださいよ!」
 ぎゅうぎゅうと二人は障子際でもみ合う。
 「あのーお二人とも、まずご用件を…」
 が苦笑いで沖田と神谷に声をかけた。文机の前で筆を握っている土方の米神に青筋が走っている。そろそろ止めないと土方が爆発しそうだった。

 「大坂は、問題ありません!」
 神谷が満面の笑みで土方に報告する。
 「近藤先生がすべて解決してくださいましたからね」
 沖田も同じく笑顔で続いた。

 大坂についた近藤は、すぐ谷と面会した。大坂の様子を一番よく知っている谷からは、治安を維持しようとする熱意が伝わってきた。
 しかし、実際に町を歩いてみると、山崎からの報告どおりに谷の行動が行き過ぎており、新選組が煙たがられている事実が判明した。

 近藤はまず一番隊と入れ替わりに三木の九番隊を京に戻した。三木とも話をしたが、三木は大坂でとても気を遣っていて疲労の色が濃かったからだ。
 同時に下坂した井上も疲労が蓄積していたが、井上のほうが年上で経験もあり、よそとの交渉がうまい。三木は若い分経験も浅く、気疲れしていた。
 特に大坂天満宮の総代と神輿の中止について話し合うのは井上が三木に任せており、敵陣とも言える雰囲気の中で柔らかい空気を保ち続けるのは骨が折れたようだ。

 「谷先生、最初はすごーく意固地になってたんですけど、近藤局長とよく話し合ったら納得してくれて。さすが局長ですよね」
 神谷は沖田に同意を求める。
 「ええ」
 沖田もそれに答えて人のよい笑みを返した。
 大坂暮らしが長くなっている七番隊の慰労という名目で揚屋を借り切っての宴会を行おうとした夜、谷は浪士たちに襲われた。
 沖田が、神谷が、そして近藤が白刃を振るって浪士たちを捕らえたところ、浪士の中に混じっていた町人から、血を吐くような叫びが上げられた。
 谷が物価を抑えさせているせいで、大坂には米が入ってこなくなっていると。売るもの買うものがなくて、どうやって人は生活していくのだと。
 物価安定が人々のためになっていると思い込んでいた谷は絶句した。
 捕縛が落ち着いて揚屋に入った近藤は、谷が決して間違っているわけではないこと、新選組が資金調達をしている大坂で評判が悪い中、これまで本当によくやってくれたことを切々と説いた。
 谷も近藤の心に打たれ、ますます隊への忠誠を誓った。
 新選組は“姿を見せないことで大坂の民の心を刺激しないようにする”との近藤の判断で、大坂から撤退することを決めてきた。

 「でも、神谷さんも貢献してましたよね。土方さん、神谷さんってば谷先生に邪険にされたのに、ずっと食らいついていったんですよ」
 沖田が土方のほうに身を乗り出す。
 「え、えへへ、そうでもないですけど」
 神谷は赤くなって頭をかく。
 「しつけえだけだろ」
 土方が鼻で笑った。
 「あ、副長! 笑いましたね? そうでもないけど、ちょっとは頑張ったのにっ!」
 「どうだかな」
 「まあまあ土方さん、ご本人がそうおっしゃっているんですから」
 ばちばちと火花を散らす土方と神谷の間にが入る。

 「あ、そうだ。お団子!」
 ぽんと沖田が手を打った。
 「私が先に部屋に入ったんですから、神谷さんのおごりですからね」
 きらりと目を光らせ、沖田は神谷に目を向ける。
 「いいえ、私が先です! いい加減認めたらどうですか、子どもみたいにっ!」
 神谷も負けじと言い返す。
 その大声に、土方の目尻がぴくりと動いた。
 「あ、あの…よかったら私がおごりますから、これ以上は…」
 は土方が怒りの雰囲気を出し始めたのに気づき、はらはらしながら二人を止めに入る。
 「「さんは黙っててください!」」
 沖田と神谷は声を揃えてに言い放つ。
 「てめえら、くだらねえ痴話喧嘩は余所でやれ!!」
 そこへとうとう土方の怒りが爆発し、副長室はしばらく怒鳴り声で埋め尽くされたのであった。


 六番隊は将軍警護のため、谷の弟万太郎ほか数人は動向をうかがうため大坂に残ることになったが、新選組は大部分が帰京した。
 どんなに罵倒されようと正義のために平然として大坂の町を闊歩していた新選組は、“かわひる(蛙)の行烈”と揶揄されたまま大坂から姿を消したのである。
 七番隊が去った後、米相場が跳ね上がったのは当然の成り行きであった。


 その大坂であるが、雲上の人々の間もまた混乱を極めていた。
 今回の将軍下坂は、あくまでも長州征伐の途中だ。これから長州に向かい、幕府の命に従わない藩を成敗しにいく。
 江戸の幕府方はそうするつもりだったのだが、京の風向きは少し異なっていた。

 ひと月ほど前、閏五月二十三日に、江戸幕府のお偉方と在京の一会桑の合議が二条城にて行われた。
 「御所に向けて発砲した長州は滅国、藩主親子は死罪に値するであろう」
 と、幕府老中の阿部正外、松平康英らは長州藩を廃すべし、一橋慶喜は、父は助命して子は死刑にすべしとの論をそれぞれ持ち出した。

 そこへ松平容保は、禁門の変で御所へ向けて発砲したことは老中たちの言うように厳罰に処すべきと同調した上で、同情的な西国諸藩の意向をくみ、 藩主親子は助命し謹慎させた上、防長二カ国のうち周防のみ減国にしてはいかがかと折衷案を提出した。

 互いに意見を譲らず、合議は紛糾する。
 老中たちは将軍の許可無く決済を行えない。
 将軍は大坂城にいる。
 老中たちは天皇から、京都にいる一会桑と話し合って長州の処分を決めるよう言われている。
 そこで幕府方は一会桑の三者に下坂を要請したのだが、今度は天皇が一会が揃って京を離れることは許さないと言ってきた。
 一橋慶喜と会津藩主松平容保は交互に大坂へ出入りし、老中との折衝にあたることになった。

 慶喜は筑前福岡藩が使用していた大坂藩邸を拠点として、何度も大坂と京を行き来する。
 松平容保と交互に入れ替わっての話し合いがまとまるわけもなく、幕府側も一会側も苛立ちが募る一方だった。



 「まだ長州征伐は決まらねえのか」
 苛立ちを募らせているのは、土方も同じだった。
 「とっととやっつけにいっちまえばいいのによ」
 土方は手にした杯をに突きつける。はその中に酒を満たした。

 将軍が大坂城に入った頃は、もし長州征伐が決まれば新選組にも出動の要請が下るかもしれないと誰もが思い、西本願寺での修練にも熱が入った。
 熱が入りすぎて境内で大砲をどんどん打ち放つものだから、その振動や大きな音が屋根瓦を揺らす。
 住職は恐ろしくなって布団に潜り込み、境内での大砲の訓練に文句を言ってきた。
 土方は人の悪い笑みを浮かべながら、それほどまで言うのならと壬生寺の境内を訓練場に移してやってもいいと言い、場所を移した。

 はじめのうちは実戦を視野に入れた訓練に燃えていた隊士たちも、何のお達しもなく日々だけが過ぎてくると次第にゆるみ始めた。
 大坂から七番隊が戻ってきたことも考慮し、ここでひとつ隊内を締めておかねばと思った土方が行ったのは、見せしめに近い隊士の断罪。
 町の女と密通した、無断で脱退しようとしたなど、隊規に触れた者たちを次々と粛正していった。

 今日も勝手な金策を行ったとして、一人の隊士に詰め腹を切らせた。土方が口にしているのは、その清めの酒なのだ。
 「長州征伐がすぐにでも始まればな…」
 喉を焼く酒に顔をしかめ、土方が呟く。
 長州征討という目標が出来れば隊士たちも馬鹿な真似はしなくなるだろうと言いたいのだろうが、内容が物騒なのでは答える言葉を持たず、ただ静かに座っていた。



 事態は動かないまま九月に入り、京に京都守護職邸が完成した。
 敷地は広大で、東を新町通、西を西洞院通、南を下立売通、北を下長者町通に囲まれている。
 塀の内側は二階建ての長屋に阻まれ、容易にうかがい知ることが出来ない。

 は重たい瓦屋根のついた門をくぐり、守護職邸に出勤している。
 だが丸く加工された石が敷き詰められている敷石は踏まず、一枚板が貼られた鏡天井の式台にも上がらない。
 中の建物に沿って歩き、英吉利語習得生のために与えられた教場へと入った。

 新しい教場は中央に配された建物の一角で、すでに黒谷から荷物が運び込まれていた。
 他の生徒は大坂に出向中なので、は一人で荷物の片付けを行う。
 畳や柱からは、新しい建物の匂いがする。
 (もしハーバーさんがいたら…)
 きっと喜んでくれるだろう、そして新しいこの教場でまたたくさんのことを教えてくれていたのだろうと思うと、は顔を曇らせた。


 「山口殿」
 ふいに障子の外から聞こえてきた声に、は顔を上げた。
 「はい」
 立ち上がって障子を開けると、そこには一人の藩士がいた。
 「面会を希望している者が来ているのだが、通してよろしいか」
 「面会…?」
 誰かと約束しただろうかとは頭の中をさらったが、特に思い当たる人物はいない。
 しかし自分を訪ねてきたには相違ないのだろうと、はその人物を通してもらうことにした。

 「急にすいやせん、山口さん」
 首から提げた手拭いで汗を拭き拭きやってきたのは、新門辰五郎だった。
 「辰五郎さん、お久しぶりです。いかがされましたか?」
 は辰五郎に中へ入るよう促す。
 「いえ、ゆっくりもしてられねえんで。山口さん、俺と一緒に大坂に来てください。若のお呼びです」
 「ひと…“若様”が?」
 急な頼みと依頼主の名に、は目を見開く。
 辰五郎の言う“若様”とは、もちろん一橋慶喜のことだ。

 辰五郎はの手をむんずと掴む。
 「ちょっと待ってください、準備もあるし一度屯所へ」
 戻らせて欲しいとが言い切る前に、辰五郎が口を開いた。
 「英吉利語の道具だけ持ってきてくれれば、後はこっちで用意します。さあ早く」
 「辰五郎さん? 大坂で何があったんですか? それだけ聞かせてください」
 は辰五郎の腕を素早い動きで振り切った。雇い主のお呼びとあらば行くのは構わないが、理由は知っておきたい。

 「…」
 辰五郎は辺りに人がいないか確認すると、に耳打ちした。
 「まだ誰にも言わんでくださいよ。…摂津に、黒船が現れたんです」




 20101223