久遠の空 ドリーム小説 港 6

update:2010.12.03

港 6 

 また数日経って、、土方、斎藤の三人は南部の家に呼び出された。

 「お前らのこと、信じることにした」
 二階の自室に三人を呼び入れた松本は、厚い唇を横にのばしてにっと笑った。
 「ありがとうございます…!」
 松本がどう判断したのか気にしていたは、表情をみるみるうちに明るくする。安堵の息を 深く吐き、が自分の両側に座る土方と斎藤の顔を見ると、 二人とも口元を綻ばせていた。


 「俺から提案がいくつかある」
 松本は前に体を傾ける。
 「はい」
 はすぐに口元を引き締め、松本をまっすぐに見つめた。

 「まず、何かあったらいつでもここを訪ねて来ていいが、俺は大樹公の医師として下坂することがあるからいない時もある。そんな時に万が一のことがあったら 南部に診てもらえるよう、南部にもこのことを話しておいたほうがいいと思うんだが、どうだ」

 「俺は賛成です」
 斎藤が口を開いた。
 「でも…」
 はこれ以上自分の正体を知る者を増やすのはどうかと、斎藤に心配そうな視線を投げかけた。
 「南部先生なら心配ない」
 斎藤がしれっとして言う。
 「どうして会津の藩医である南部先生が、黒谷の近くでも藩邸の中でもないこんなところに居を構えていると思う?」
 「…まさか」
 「ご明察です副長。窮屈な藩邸暮らしを嫌って町中に住まいを持っている藩士もおります。南部先生も表向きはそういう風を装っていらっしゃいますが、実は私と同じ隠密なのです。各地に散っている会津藩の隠密がここに情報を持ってきて、 南部先生が黒谷へ出仕する際に持っていくという仕組みなのです。口が堅くなければ隠密は出来ませんから、この件も伏せてくれると思います」
 「どうだ」
 土方がに聞く。
 「そのほうが皆さんにご迷惑でなければそういたします」
 はこくりと頷いた。
 「じゃあ決まりだな」
 と松本は腕を組んで口角を上げた。

 「もう一つ提案したいのは、お前さん、如心遷ってことにしといたほうがいいんじゃねえかってえことだ。 もし体を見られて女だってバレた時、困るだろう?」
 松本の第二の提案を受けたは、しばらく視線を横に向けて考え込んだ。

 「えっと…その病で本当に悩んでいる人に悪いので、もし女だってばれて言い逃れ出来ない時の切り札にしておいてもいいですか?」
 もしもの時は如心遷だと言えば神谷という見本がいるし、診断したのが法眼である松本だと言えば信憑性はあるだろう。しかし、神谷が本当にその病気で困っているのに、 それを率先して隠れ蓑にしたくはないとは思ったのだ。
 「お前さんがそれでいいなら、俺は構わねえが」
 「じゃあそれでお願いします」
 その場にいた男たちは三人とも複雑な表情をしたが、は譲らなかった。

 「それから」
 こほんと松本は咳払いをする。
 「、お前は医療を学べ」
 「医療を…ですか?」
 はなぜその必要があるのだろうと松本に目で問いかける。
 「お前は英吉利語の技術は相当らしいが、剣技はさっぱりらしいな。女子の体だと他の連中にわかった時、英吉利語が出来ますってだけじゃ新選組にいることへの説得力にはならねえ。 新選組は戦う集団だ、必ず怪我人が出る。俺と南部で教えてやるから、女子だろう何だろうと、新選組の中で必要とされるだけの腕前を身につけるんだ。わかったな」
 松本が念を押すようにを指さしながら言い放つ。

 個別に松本と面会してから数日の間があったが、その間にここまで考えてくれていたとは。
 は感謝で胸をいっぱいにしながら、はいと答えて畳に手をつき、深く頭を下げた。

 松本からの話が終わると、南部も二階に呼ばれた。
 が女であること、時渡りをしてこの時代にいること、診察してもらいたい時に松本がいなければ南部に頼みたいことを聞かされると、 驚いてはいたが師匠である松本が言うのだからと快く承諾してくれた。

 「松本法眼、南部先生、本当にありがとうございます。よろしくお願いします」
 玄関では頭を深々と下げる。
 「いいってことよ、お前ら面白そうだからな。何かあったら、いや、何もなくても来ていいぞ」
 松本が高く笑う。その横で南部も笑顔を見せた。



 鴨川に、赤く焼けた夕日が映る。
 「よかったですな」
 斎藤が土方に話しかけた。
 「あんたがこの話を持ち出した時には、正直なところどうなるかと思いましたが」
 「ちったあ賭けの部分もあったがな」
 土方が遠くの山並みに目をやる。
 「松本法眼なら大丈夫だろ」
 「そうですな」
 土方は、少し後ろをひとりで歩くを振り返る。彼女の足取りが心なしか軽いように思えた。

 「俺は用事がありますゆえ、ここで」
 斎藤がふいに足を止め、土方に告げる。
 「そうか」
 土方も足を止め、頼むぞと言わんばかりに斎藤の肩を叩いた。
 「斎藤さん、お忙しいところ何度もお付き合いくださってありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
 が追いついて斎藤に礼を述べる。
 「これからどうなるかはお前の頑張り次第だ。精進することだな、
 斎藤はに鋭い視線を放つ。はそれを受け、懸念していたことがうまくいって浮かれていた自分に気がついた。
 「はい、肝に銘じます」
 は背筋をしゃんと伸ばした。

 斎藤と別れたと土方は、昼に近い混雑した町中を歩いた。
 「土方さん、あの…」
 が土方と肩を並べる。
 「お聞きしたいことがあるんですけど、いいですか?」
 「何だ」
 土方がを見下ろした。

 「…どうして、松本法眼に、その、つまりお医者様に私のことをお願いしようとお考えになったのですか?」
 「…ああ…」
 土方は首の後ろに手をやる。
 「兄貴がな」
 「…為次郎さんですか?」
 「ああ。為兄と二人でお前のことを話してた時に、お前を診てやる医者をつけてやれって」
 「え…」

 土方はの腕を掴むと、雑踏から店と店の間の細い通路に入った。そして左右に人影がないのを確認してからに話しかける。
 「お前、今までたいした病気してこなかったろ」
 「はい」
 「だから俺も気にしてなかったんだが、為兄が、お前が急に重い病にかかったら誰に診てもらうんだ、命にかかわる病になった時、診てくれる医者がいないんじゃ、 元の時代に帰す帰さねえ以前の問題だろって」
 「為次郎さんが…」

 は何度も頷く。為次郎といい松本といい、細かいところに気がつくのはさすが年長者だ。そして為次郎の助言を受け、機会を逃さず実行する土方もさすがだ。
 自分は今まで女だとバレなければそれだけでいいと思っていた。その考えが幼稚にすら思えてくる。

 「すみません、私も運良く風邪程度で済んでたものですから、気づきませんで」
 「馬鹿は風邪ひかねえっつうけど、風邪ぐれえはかかるみてえだな」
 「う…」
 「フン」
 言い返せずに黙ったを、土方は鼻で笑った。


 「ところで、為次郎さんに私のこと話してたって、あの時ですか?」
 は土方を見上げる。
 「実家に泊まりに行った夜な。お前が桜の木の下で酔っぱらいやがった」
 土方が皮肉を口の端に上らせた。
 「あの、夜…」
 は呟くと急に下を向いた。
 土方がの顔を覗き込む。何を思い出したのか、は耳まで赤くなっていた。
 「あ」
 あの夜、と土方も思い出す。柔らかな雨が降る桜の木の下で、二人だけの時を過ごしたことを。

 「い、今から急いで戻れば屯所でお昼食べられますよね、行きましょうか」
 はそそくさと細い路地を出る。
 (あんなの未遂じゃねえか。赤くなるほどのことでもねえだろうに)
 土方もの後を追って、光あふれる道へと戻っていった。



 翌日、黒谷での授業を終えたは、ハーバーに松本とのことを話した。
 「そうデスか、医術を身につける、いいデスネ」
 ハーバーは青い瞳をきらきらとさせて微笑む。
 「アナタ、剣術からっきし。腕はイイけど、銃打つタイミングも見極められナイ。それでも新選組にいたいなら他のことで頑張る、松本ホウゲン、いいことおっしゃいマシタ」
 「はい…ハーバー先生のおっしゃるとおりです…」
 「別に恥ずかしいことじゃナイ。自分の出来ることすればいいと思いマス」
 「はい」

 「それにしても…」
 とハーバーは室内を見渡す。
 「皆サン、いつ戻ってくるんでしょうネ」
 今、この英吉利語を学ぶ部屋にはとハーバー以外誰もいない。他の生徒たちは将軍警護のため、京や大坂へ派遣されてしまったのだ。
 「ワタシ、もうあまり時間ナイ。皆にもっと教えてあげたいノニ」
 ハーバーは教本をとんとんと揃えながら深くため息をつく。
 「そうですね…」
 はハーバーの言葉に顔を曇らせた。

 とハーバーは揃って黒谷を出た。
 将軍が居を構えているのは大坂だが、将軍の命を狙う過激な尊王攘夷派が京にも流れ込んできているとの噂がもう随分前から聞こえてきていた。
 攘夷、すなわち夷狄を追い払おうとする輩が、異国人であるハーバーを狙わないとは限らない。
 なのでハーバーは洋装を和装にし、笠を被って黒谷へ出勤している。本当は駕籠でも使えば姿を隠すことが出来るのだが、背の高いハーバーは狭い駕籠に入るのを嫌い、和装での往復に応じている。

 「ハーバーさん、いつ頃でしたっけ、横浜へのご出立は」
 が笠の縁を少しだけ押し上げてハーバーに問う。
 「守護職邸が完成したらスグのつもりデス」
 ハーバーも同じように笠を浮かせた。

 ハーバーは、この京に居続けるのは危険だということで、横浜経由で英吉利に帰国することになっていた。
 「アナタたちにもっともっと教えたかったケド、ワタシの兄が何度も心配の手紙を寄越すものダカラ」
 ハーバーは苦笑いをこぼす。しかしは思った。今の国内情勢を考えると、本当は今すぐにでもハーバーはふるさとへ帰ったほうがよさそうだ。 しかし英吉利に戻るには船に乗らねばならない。京に居ればその船に乗ることは出来ない。そこで横浜の外国人居留地にいる知り合いのつてで 横浜に移住し、通詞の仕事をしながら帰国の機会をうかがうことになったのだ。

 「守護職邸なら黒谷より近いデスし、通うのが楽になると思ったんデスガ」
 守護職邸は京都御所の西に建設中で、九月に完成する予定である。英吉利語の学舎もそこへ移される予定になっていた。
 「でも、仕方ないですよ。ご家族に心配かけないようにしないと」
 「それはそうデスネ」

 二人はたわいもない話をしながら大通りを歩いた。
 もうすぐそこに、ハーバーの仮寓である書肆(貸本屋)のみなと屋が見えてくる。

 「あ、土方さん」
 の視線の先に、形よく結った髷の人物がいた。土方だった。
 「ヒジカタサン、コンニチハ」
 「どうしたんですか、みなと屋さんへ本を借りに来たんですか?」
 「そんなんじゃねえよ。屯所で伊東に追い回されてんのが嫌になって、適当にふらふらしてただけだ」
 は土方らしいと、しのび笑いを漏らした。
 土方は笑うんじゃねえとの額を小突く。伊東にひっつかれて嫌気がさしたので屯所を出てきたのは本当だが、ついでにハーバーを家まで送るを迎えに来たとは口にしない。
 「ヨカッタラ、お茶でも飲んでいきまセンカ」
 とハーバーが二人を誘う。
 「そうですね・・・お邪魔しましょうか、土方さん」
 そのほうが屯所に戻るまでの時間もつぶせますし、とは土方に囁く。
 土方も、黒船野郎の言葉に乗るのはどうかと思ったが、伊東と天秤にかけたらそっちのほうがましだと思い直し、うむと頷いた。


 その時。
 ウナギの寝床の暗い隙間から、黒い影が奇声を発しながら飛び出してきた。
 「No!」
 そちらの方向へ顔を向けていたハーバーが、とっさにを突き飛ばす。
 「あっ!」
 突然押されて、は地面にどさりと身を横たえた。
 土方は飛び出してきた影から狂気の気配を感じ取り、ざざっとの前に滑り込む。


 「い、夷狄め、覚悟!!!」
 鞘走りの音がして。
 黒く光る鞘から、乱れた波紋をまとった銀色の刀身が姿を現す。


 そしてその切っ先が一閃し、ハーバーの体を切り裂いた。




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