久遠の空 ドリーム小説 港 5

update:2010.11.26

港 5 

 「……何だって?」
 松本の眉がへの字に曲がる。
 「この山口は、“時渡り”を経てここに存在していると申し上げました」
 土方はまったく声色を変えず、淡々とした口調で言い放った。

 の額から頬、そして顎へと汗が滑り落ちる。
 顎にとどまった水滴は、次の水滴が合流すると、ぽたりと袴の膝に落下した。袴の縞に、小さな丸がにじむ。
 土方と斎藤は、自分が時を渡ってこの時代に現れた事実を目撃している。だから信じてくれている。しかし松本はどうだろう。話を聞いてどう思うだろうか。

 荒唐無稽なのは、自分が一番よくわかっている。
 しかし、時を渡ったのは事実だ。
 は顔を上げ、松本を見た。

 松本もを見つめていた。顎に手を当てたまま、眉間に深い皺を刻んで。

 「証拠はあんのかい?」
 松本が言う。
 は土方に促されて、懐から携帯電話を取り出した。
 「私が元いた時代のカラクリで、遠くの人と話せる機械です」
 「どれ」
 松本は提出された証拠を手に取る。そして携帯をあちこちから眺めたり、こつこつと叩いたりした。

 「山口ってぇ言ったか。聞かせてみろ、お前さんがどこから来て、どうしてこの時代にいるのかってやつを」
 に携帯を返した松本が、耳の穴に小指を差し込む。
 松本がとりあえず話を聞いてくれることに、三人は顔を見合わせた。
 そしては自分がどんな時代から来たのか、土方はのその後の経緯を、斎藤は自分の従兄弟・が入れ替わった可能性についてを、それぞれ簡潔に話した。

 「じゃあ、お前さんが女だって承知しているのは、そこの土方と斎藤、土方の兄貴、英吉利語講師のハーバーって奴、それから一橋公と俺の六人。さらに時渡りってのもわかってるのはそのうち四人ってことか…」
 松本は昼餉を挟んだ長い話に、腰をとんとんと叩きながらため息をついた。
 「はい」
 が頷く。
 「そうか」
 松本も頷いた。

 「…信じて、くださるのですか?」
 はかすれた声で聞く。
 「まだそれを判断するには早え。だが、お前らが俺にトンデモ話をして利があるとも思えねえ。時渡りして入れ替わるってえこと自体は本当か確かめようもねえけど、お前らの話に嘘があるとも思えねえな」
 松本は眉間の皺を解除すると、厚い唇の隙間から息を吐いた。
 「で、俺に何を頼みてえんだ? ただ話をしにきたわけじゃねえだろう?」
 松本が胡座をかき直しながら問うた。
 は土方に伺いの視線を送る。言われてみれば、なぜ土方がこんな提案をしたのか、まだ聞いていなかった。

 「法眼に、こいつの検診をお願いいたしたい」
 土方はそう言うと、の背に手を置いた。
 「こいつは二年前にこちらに来てから、髪の毛や爪がまったく伸びていません。それがどうしてなのか、わからないのです」
 「ほう」
 松本の目がすっと真剣な色を帯びる。
 「それに、今まではせいぜい風邪だの熱だのぐらいで済んでいましたが、今後もそうだとは限りません。もし何かあった時に、秘密を守って診察してくれる医者が欲しいのです」
 そこまで言うと土方は畳に手を置いた。
 「法眼を見込んで、この通り、お頼みしたい」
 斎藤もも続けて頭を下げる。
 松本は三人の頭をしばらく眺めていた。

 「まず診てやるか。名前は」
 「山口です」
 「そうじゃねえ、お前さんの本当の名前だ」
 「あ、はい、名字は同じで、です」
 「か。…おい土方、斎藤、お前らいつまでそこでぼさっとしてやがる。女子の体診るんだ、とっとと部屋から出やがれ」

 廊下に追い出された男二人が室内に戻ると、体を診てもらったはすでに衣服を整えて正座していた。
 松本が道具を片づけながら三人に言う。
 「悪いところはどこもねえ、健康そのものだ。体毛や爪に変化がねえのも、日常生活に影響がなけりゃ気にする必要はないだろう」
 「はい」
 は健康そのものと聞いてほっとした。しかし、松本は腕を組んで思案顔である。
 「今日の所はひきとってくれ。悪いようにはしねえが、事が事だ。俺にも考える時間が欲しい。追ってまた連絡する」
 「承知しました。本日はありがとうございました」
 土方が立ち上がる。
 「松本法眼、ありがとうございました」
 畳に手をついて深々と頭を下げると、も席を立つ。斎藤も挨拶をして部屋を出た。

 と斎藤が先に外に出る。
 「土方」
 と松本が土方を呼び止めた。
 (この前の話の続き、いつでもいいから聞かせてくれ)
 ひそりと松本が土方に耳打ちする。土方は黙って軽く頷いた。


 南部にも訪問の礼を言い、三人は木屋町を後にした。すでに日は山の端に落ち、鴨川は時折光を放ちながら黒く流れている。
 川の流れる音を背に、は考えた。松本は悪いようにはしないと言ってくれたが、信用するとは言ってくれなかった。
 男所帯の新選組に女がいる、しかもそれを一緒になって隠してくれと頼まれ、はいそうですかと即答できるわけがない。それはわかっている。

 「ぶ」
 どすんと何かにぶつかり、はよろけた。ぼんやりしていたので、前を歩く土方の背にぶつかってしまったのだ。
 「すみません」
 「ぼさっとしてんじゃねえよ」
 土方は振り返り、ぶつけた顔をさするをじろりと見下ろした。
 「もう言うもんは言っちまったんだ、今更その後のことをぐだぐだ考えてたって仕方ねえだろ」
 「は、はい」
 はその通りだと思い直して頷く。
 「おい斎藤」
 土方が斎藤を呼んだ。
 「はい」
 「どっかで飯食って帰るぞ。適当な店知らねえか」
 「わかりました。ではこちらへ」
 斎藤が道を右に曲がる。土方とはそれについて行った。

 土方と斎藤は、道を歩きながらも細い路地や物陰に気を配る。
 どことなく、何かが潜んでいるような気がしてならなかった。


 数日後、土方は一人で松本の元を訪れた。
 「おう、待ってたぜ」
 松本は土方を招き入れた。

 「間が空いてしまい、申し訳ありませんでした」
 「お前もいろいろ気ぃ使って大変だな、原田の縁談だののことだのって」
 「いえ。お仕事中でしたか」
 土方は松本の傍らにある薬研に目を落とす。土方の実家でも、石田散薬などを作るときに使うものと同じものだ。
 「いや、これは南部からの頼まれものだ。権八(居候)してるから、少しは役に立たねえとな」
 松本はぺちぺちと薬研を叩いて笑った。

 「時間を空けてくれて感謝する、医者の性分と思って勘弁してくれ。お前が患った労咳の治療、どうやったのか教えてくれ」
 松本は道具を片づけると、紙と筆を持って土方と相対した。
 土方は過日の診断で過去に労咳にかかっていたことを松本に看破され、死亡率の高いその病からどのようにして本復したのかを聞きたがっていた。しかしはじめにここを訪問した際は神谷に邪魔され、の件もあって、聞き取りが延び延びになっていたのだ。
 「ただ閻魔様に嫌われただけです」
 「そうかもしれねえなあ、お前みたいないい男は」
 土方の答えに松本は笑い、土方にどんな養生法をとったのかを聞いた。土方は兄のひとりが医者でこまめに診てもらったこと、別室に隔離されて家族に代わる代わる看病してもらったこと、近藤がちょくちょく見舞いに来て励ましてくれたことなどを話した。

 「ありがとよ、話してくれて。回復するまでお前も家の人たちも本当によく頑張ったな」
 松本は聞き取ったすべてを書きとめ、筆を置いた。
 「労咳にかかったらまず諦めちまう奴が多い。滋養も大事だが、それ以上に本人も周りも望みを捨てねえことが肝要なんだな」
 ふむふむと松本は満足そうに書き付けを読み返す。

 「お前にもうひとつ、聞きたいことがあるんだがいいか」
 松本は紙をたたむと土方に向き直った。
 「何でしょうか」
 土方は素知らぬ顔をした。だが聞かれることは予想していたし、その内容も見当がついていた。松本が自分に聞きたいことは、ここからが本題だ。

 「土方お前、何だってあの娘を男として匿ってる?」

 やはりそれを聞いてきたかと土方は口の端を上げた。
 答えない土方に松本はたたみかける。
 「娶って、女として、妻として守ってやれ。惚れてんだろ」
 「なぜそう思われます?」
 「男が女のために頭を下げる。惚れてる以外、それにどんな理由があるってんだ」
 松本はどうだと言わんばかりに腕を組んだ。

 「…最初はただの成り行きでした」
 土方はゆっくりと口を開いた。
 「たまたま拾っただけの女を、元の時代に戻るまでの期限付きで預かっている、それだけのつもりでした。しかし運命というやつは不思議なもので、いつの間にかあいつはこの時代にとけ込んでいました。もう後戻りは出来ません」
 「今からでも遅くねえだろう」
 「俺もそうしようと思って、つい先日江戸に下向した際に、あいつを俺の実家に連れていきました。俺はあいつに京での暮らしを捨てさせて、実家に置いていくつもりでした」
 「は何て言ったんだ?」
 「これ以上迷惑になるようなことは慎むので、俺の傍にいさせて欲しいと」
 「…」
 「それがあいつの願いならと、俺はあいつを傍に置いて守ることに決めたのです」

 松本はしばらく考え込んだ。
 「お前、それを聞いて何も思わねえのか」
 「は?」
 「あいつがどんな気持ちでそれを言ったのか、考えたことはねえのかよ」
 「自分の身を守るのに誰かの助けが欲しい、そういうことだと思います。いくら俺の実家と言えど、知り合いは周りに誰もいない。今思えば、あいつはひとりで江戸に置き去りにされるのが心細かったのでしょう」

 土方の答えに松本は首を振った。
 「もお前に惚れてんだろうが。お傍にいさせてくださいなんて泣けるセリフ言ってまでよ」
 今度は土方が首を振る。
 「それはありません。あいつはいつか元の時代に戻る定めにある。この時代の誰とも結ばれないように、固く自分を戒めています」
 「土方…」
 「俺には俺の、あいつにはあいつの道がある。互いにそれを守っていければ、それでいいと思っています」

 二人の間に沈黙が流れ、窓の外を流れる水の音が入り込んできた。
 「お前、本当にそれでいいのか」
 「はい」
 「元の時代に戻るな、俺の傍にいろって言えば、もついてくるだろうよ」
 「それは…言うべきことではないと思います」
 「そこまで惚れてる女を手放すなんて、後悔するぞ」
 「するでしょう。だが、それでも俺は構いません」
 問答の果てに、土方が松本を見据える。その目は強くまっすぐな光を放っていた。

 「…お前がどう思っているのかはよくわかった」
 松本が顔を横に向け、重たい視線から目を逸らす。
 「また少し考えさせてくれ」
 松本はそう言い、土方を屯所へ帰した。



 翌日、黒谷から下がろうとしていたを、同じく黒谷に出仕していた南部が呼び止めた。
 見つかったと思いながらも、呼び止められては仕方がない。は南部の声に振り返った。
 「山口さん、これからお時間ありますか? 法眼から、話があるので家に来て欲しいと言付かったのですが」
 「あ…はい、わかりました、お伺いします」
 屯所での診察を受けるように言われるかと思ったのに、は拍子抜けした。
 それでも松本の呼び出しとは何だろうと思いながら、木屋町に足を向けた。

 「こんばんは、山口です」
 「呼びつけてすまんな。上がれ」
 玄関で名乗るを、松本は階段の上から手招きする。は急な階段に気をつけて、上へとのぼった。

 「飯、まだだろう。一緒に食わねえか」
 松本の前には、煮しめや焼き魚、季節の野菜などがいろとりどりに並んでいた。どこぞから仕出しを頼んでいたらしい。
 「ありがとうございます、いただきます」
 はちょうど腹が減っていたので、相伴に預かることにした。

 素材の味を活かした料理を楽しみながら、二人はの“時渡り”について話した。
 松本は先だって話したことをもう少し詳しく聞き、もそれに答えた。

 食事が済むと、茶を飲みながら松本が切り出した。
 「お前さん、土方のことどう思っている?」
 「恩人です」
 も温かい茶を口元へ運ぶ。
 「惚れてんじゃねえのかい」
 「っ、な、何を…」
 まさかそんなことを聞かれると思っていなかったは、茶を吹き出しそうになり、ぐっとこらえた。
 見透かされたことを誤魔化すようには視線を天井へと向ける。松本はを指さして高く笑った。
 「図星だろう、な?」
 「ち、違います」
 は小さく咳払いをすると俯いた。
 「土方さんは得体の知れない私を拾ってくれた恩人です。心から感謝しています」
 「それだけじゃねえだろう。協力して欲しけりゃ、本当のことを吐け」
 はそろりと視線を上げ、松本を見る。協力して欲しければなど言葉は半分脅しめいているが、を見つめる目にはいささかの冷やかしも感じられない。
 「…はい…」
 は観念して小声で呟いた。

 松本は胡座をかき直して口を開いた。
 「お前、土方と夫婦になる気はねえかい」
 「えっ」
 かあっとの頬が赤く染まる。
 「女だと隠してんのも辛いだろう。こっちへ来て二年だっつったか、いっそこの辺りでバラしちまって、女として普通に生きてみねえか」
 松本の目尻が下がり、に優しげな視線を投げかけた。
 「それは…出来ません」
 はその視線を受け流すと口元をきりと引き結ぶ。頬から赤みがすっと消えた。
 「私はもうこの時代で男として認知されています。新選組内部だけでなく、会津藩などの外部へもです。今更女でしたとは言えません」
 様々な経緯があったとしても、自分を男として扱ってくれるように心を砕いてくれた土方や斎藤を裏切るような真似は出来ない。は膝の上の拳を握りしめた。
 「だが、いつかはバレるかもしれねえんだぞ。そうなる前にお前から女でしたと言っちまったほうがいいんじゃねえか」
 「…そう、かもしれません」
 痛いところを突かれ、は押し黙る。バレてからよりも自ら公言した方がいいに決まっているのは言われるまでもなかった。
 しかし。もし今、女であることを告白してしまったら、今までともに秘密を守ってくれた土方や斎藤に迷惑がかかるだろう。ひいては新選組にも何らかの責任が問われるかもしれない。
 そして運良く身の回りに処罰が及ばなくても、今度は自分の行き場が無くなる。女の身とバレては、新選組にはいられない。
 …土方の傍に、いられなくなってしまう。

 「お前の考えもよくわかった。そう気を落とすな、変な話をしたかもしれねえが、悪いようにはせんと言っただろう。今日は来てくれてありがとうな」
 松本はの肩に手を置く。
 は俯いてこくりと頷いた。


 は松本が呼んでくれた駕籠で屯所へ戻った。
 暦の上ではもう秋であっても、まだ暑い京の町は、熱気でゆらゆらと揺れる空気をはらんでいた。




 20101122