薄紅の雨宿り 8
土方、斎藤、の三人が試衛館に草鞋を脱いだ翌日。
は早速開成所を訪れることにした。
雀が朝を告げる。
つねが出してくれた朝餉をとりながら、は開成所訪問を土方と斎藤に伝えた。
が江戸へ来た目的がそれであることを承知している二人は、無言で頷いた。
朝餉を終えたは身支度を調え、持ち物を確認して試衛館を出た。
土方と斎藤も門の外へ出てを見送る。
ちょっとしたことですぐ迷子になってしまう彼女が、初めての土地で初めての場所を訪ねる。
どちらかがついていってやれば互いに安心するのだが、生憎二人とも大事な仕事がある。
男二人は、頼りなさを覚える細い背中を無言で見つめ続けた。
その後ろ姿が、家々を囲む塀の向こうに消える。土方と斎藤は試衛館の中へと戻っていった。
開成所の場所は、一橋慶喜から寄越された包みの中に入っていた。
その書付によると、開成所は江戸城北東、一ツ橋外護持院原というところにあるらしい。
だいたいの場所や道順は、つねが親切に教えてくれた。
は市ヶ谷試衛館からそこまで、人に道を聞きつつ歩いていくことにした。
まずは江戸城に向かって、東にまっすぐ歩いて行く。
は初めて歩く江戸の町並みにきょろきょろとせずにいられない。
同じように桜が咲き、春の気配を漂わせているのに、京とはまるで違う。
明るく華やかな色彩に彩られている京の町並みとは異なり、江戸は質素だ。
江戸城に向かって歩くに連れ、城の周りを囲むように武家屋敷が増えてくる。その雰囲気は質実剛健と言えよう。
屋敷が高さを揃えて立ち並ぶ向こうに、江戸城の櫓が三つ聳え立っているのが見えてきた。富士見櫓、数寄屋櫓、台所前三重櫓である。
は外堀を渡り、市ヶ谷御門に着いた。
有事の際には城を守る門として、江戸城には三十六の御門が備えられている。その多くが枡形門だ。
この市ヶ谷御門も枡形門で、門自体が四角い枡形になっているのが特徴である。腰の部分が石垣、その上に高い白壁を配して囲っている。
まず入り口には四つ足の柱に屋根がついた高麗門、それから枡形の中に入って側面に櫓門があり、侵入してきた敵が高麗門から曲がって櫓門へ向かう足を一度止め、
その隙に櫓の上から矢や鉄砲で攻撃する仕掛けだ。
柱の足は強固な鉄板で覆われている。装飾されて見栄えはいいが、その目的は防備の強化である。は物々しさを感じながら門を通過した。
外堀を右手に見ながら長い坂を下る。
ところどころで人に道を聞くが、その時にも京と江戸の違いを実感した。
まるで発音が違う。
京は話し方も表現もはんなりとした優しいものだが、江戸はどちらかと言えば早口だし、言い方も京より強めである。
新選組の中にも土方をはじめとして江戸の話し方をする者が多いので聞き慣れている。それが周りにあふれているのであった。
俎橋を渡って南へ下る。
左手に、新しめの板塀に囲まれた屋敷が見えてきた。
屋敷の前には屋根付きの門があり、その前を男がひとりうろうろしている。
もうかなり目的の場所に近づいているはずだと思ったは、その男に聞いてみようと近づいた。
「すみません、道をお尋ねしたいのですが。開成所は…」
とが声をかけると、男はぱっと顔を上げた。
「やあ、山口さん! 待っていたよ!」
男はの手を取って力強く握りしめる。
「えっと…すみません、どちら様でしょうか」
見覚えがある笑顔だが、誰だか名前を思い出せない。は失礼を承知で聞いてみた。
「大鳥ですよ。ほら、大坂の適塾でお会いした」
男はにこにこと笑みを浮かべて言った。
「あ…大鳥圭介さん?」
は思い出した。今年の一月に大坂の適塾を訪ねた時、緒方拙斎の元で出会った大鳥圭介だった。
「文をいただいててね、君が来るのを楽しみにしていたんだ。さあ、中へ中へ」
大鳥はをぐいぐいと引っ張る。
は引かれるままに門の中へと入って行った。
玄関を上がり、ぴかぴかに磨かれた廊下を渡って応対所へと案内される。
西洋風の椅子とテーブルが置いてあり、はそこに座るよう勧められた。
椅子に腰掛けて部屋を見渡す。壁にはガラス窓がはめ込まれ、窓にカーテンが掛けられている。は久しぶりに見る西洋の品物を見つめ、ふかりとした椅子の感触を確かめた。
「やはり珍しいかな」
大鳥が茶を持って部屋に入ってきて、テーブルの上にことりと置く。
室内は西洋の雰囲気を醸し出しているのに、出された飲み物は日本茶だった。
「いやあ、君が来てくれるのを本当に、ずっと待っていたんだよ」
大鳥も椅子に腰掛け、持ってきた茶を啜る。
「私を…ですか? それに、どうして大鳥さんがここに?」
海陸軍兵書取調方、つまり旗本の身分を持っている大鳥が、たかが一藩士でしかない自分を待っているほどの理由があるとは思えない。
そしてそれ以前に、なぜ大鳥がこんなところにいて、自分が来るのを知っていたのだろう。
「実は私は開成所の教授も務めているんだよ。一橋公から君の書いた大坂についての英文が送られてきて、皆で読んだんだ。素晴らしかったよ。
グランマチカ(文法)も単語も完璧だった。京の会津藩でこんなに才能を持つ人がいて研鑽を積んでいることをうちの生徒たちにも知ってもらいたくて、ぜひ君を寄越してほしいと、私が一橋公にお願いしたんだ」
大鳥は湯呑みを手にして、にも飲むように促した。
「…それだけ、ですか?」
はそれに手をつけず、膝の上に拳をのせたまま言った。
大鳥の言葉が妙にひっかかる。
ここは学問をするところだ。しかも学びたい者だけが通う上位機関のはずだ。
ちょっと見ただけでも、自分が学んでいる宿坊より立派で、勉学のための道具も揃っていそうな雰囲気なのに。
わざわざ自分を京から呼び寄せるほどのことはないはずなのに。
「…参った参った」
大鳥は湯飲みをテーブルに置くと、両手を挙げた。
「そんな目で見られちゃたまらない。全部話すよ」
はいつの間にか大鳥を探るような目で見ていた自分に気づき、目を逸らした。
まず書庫に案内するよと言って、大鳥は席を立つ。
も立ち上がり、大鳥について行った。
大鳥は歩きながら話を始めた。
「まず開成所の成り立ちから話そう。この開成所は、古くは五代将軍徳川綱吉公の頃、天文方を置いたところから始まったんだ」
天文歴道を司る天文方は、暦を作るために西洋暦学の知識を必要とした。その知識は漢訳された本から得ていたが、だんだんと直接蘭書の翻訳をおこなって学ぶようになっていった。
時は流れて千七百年代以降、日本の近海に欧米諸国の船が頻繁に現れるようになる。そうなると幕府は、海防や外国の情報入手の必要性に迫られるようになった。
そこで細々と蘭書の翻訳を行っていた天文方に、測地事業、地図作成、外国地理書への翻訳などが任され、後にシーボルト事件を起こした高橋景保の下に翻訳部門を置いた。
そしてペリーの浦賀来航時より外交文書の量が急増した。そのため、幕府は洋書翻訳と洋学研究を行う一機関を創設せざるを得なくなる。
また外交のみでなく、海防の点からも洋式技術の導入を図らねばならなかった。幕府は数少ない交易国である阿蘭陀から軍事技術を学ぶことにしたため、阿蘭陀語が盛んに学ばれた。
老中・阿部正弘は早くから海防について考えており、そのうちのひとつとして洋学機関設立を提唱した。
小普請の勝麟太郎や阿蘭陀通詞の森山栄之助が登用され、外国事情に詳しい者たちの意見を取り入れ、洋学の学舎を建てるための土地を選定したり、本を集めたり、
教授や事務系の職員について定められたりと、話はとんとん拍子に具体化していった。
そして安政四(1857)年、九段坂下の旧竹本屋敷にて「蕃書調所」が発足した。
しかし教授陣は元々自らが翻訳を行う者たちばかりで、第一に翻訳業務、教授は二の次だった。
入学できるのは当初幕臣に限っていたが、次第に陪臣にも門戸が広げられ、立身出世を夢見て身分の低い者たちも大勢集まってきた。
その後、講舎は旧竹本屋敷がアメリカ総領事ハリスの江戸滞在中の宿舎とされてしまったため、九段上表六番地にあった和学講談所の一部で講義を行った。
一度はハリス不在になり旧竹本屋敷へ戻ったものの、今度は小川町の小さな建物へと移転させられる。
はじめは阿蘭陀語に特化していた蕃書調所は、発足して六年後の文久二(1862)年に英吉利語、仏蘭西語、独逸語などの多言語にも対応するため洋書調所に、
さらに同三年八月に精煉(化学)や画学(製図や図学)にも力を入れるため開成所と名を変え、講舎は小川町から現在の一ツ橋外護持院原に新築された。
「それ以降、時代の必要性に合わせた授業が行われているってわけさ」
大鳥は角を曲がり、さらに廊下を進んで土蔵の前に出た。
「ここが書庫だよ」
どうぞ、と大鳥が中を指し示す。はひんやりとした空気の漏れる扉の中に入った。
天井高くまで棚があり、手の届く棚には本が並んでいた。
はいくつかを手に取ってみる。様々な国の言語で書かれた、様々な内容の本が収められているようだ。。
そのところどころが抜けているのは、きっと稽古生たちが借りているのだろう。
「ほら、『英和対訳袖珍辞書』もあるよ」
大鳥が一冊の本を取り出した。それは大坂でが大鳥に見せた『英和対訳袖珍辞書』の下書きに使った原本とまったく同じものだった。
「まだまだ本が少ない。ここをいっぱいにするのが私の目標なんだ」
本を戻しながら大鳥はそう言った。
書庫から出ると、二人はまた廊下を歩いて行く。
「さて…」
襖の前に立った大鳥が苦笑いをする。
「ここからが君に来てもらった本当の訳なんだけどね」
とうとう来たかとは身構えた。この襖の向こうに何があるのだろう。
すっと大鳥は襖を開けた。
中は十畳以上あるような畳敷きの部屋が二間続いており、髷姿の男たちが数人ずつ、二つの組に分かれて机を囲んでいた。
「皆、聞いてくれ! 京の会津藩で開かれている洋学所で学んでおられる、山口殿だ」
大鳥の声が室内に響く。生徒たちは手を止め、を見た。
「や、山口です。本日は見学に参りました。よろしくお願いします」
急に紹介され、は焦りながら頭を下げる。手前の間にいる男たちは軽く頭を下げ、奥の間にいる者たちは微動だにしなかった。
その場にいる全員が紹介されたが、やはり手前の間の男たちは気楽な感じでよろしくと言い、奥の間の男たちはむすっと口を閉じたままだ。
は大鳥に聞かれるまま、京で行われている英吉利語の授業について話した。
英国人の講師がいること、授業はほぼ毎日あること、辞書を作成したときのこと、講師の手作りの教材で学習を進めていることなど、
は言葉を選びながら答えた。
それから大鳥と、英吉利語での受け答えをした。
こちらも大鳥が簡単な質問をしてきたので、は英吉利語で答えた。
美しい発音で詰まることなく返事をするに、多くの者がため息をつく。
ひと通りの会話が済むと、手前の間の男たちからは拍手と歓声が上がった。
「山口殿、何と流暢な…どの程度修練を積んだらそうなれますか」
「ぜひ自分も山口さんのように、自在に言葉を操ってみたいものです」
次々とに声がかけられ、は英吉利語を披露した緊張から解放されて口元を少し緩めた。
「ふん」
わざと聞こえるように、奥の間から咳払いがあった。
「練習すればすぐそのぐらいにはなれる。いちいちその程度で騒ぐでないわ」
奥の間の男たちの一人が、ずいっと前に出てきての前に立った。
「やめないか、山口殿は客人だぞ」
大鳥が窘める。
しかしその男は目をつり上げてを見据えると、急に大きな声で怒鳴りつけた。
「少しばかり稽古が進んでおるからと言って、いい気になるな! わざわざ江戸まで出向いて自分の技を披露するとは恥知らずめ。
厄介の分際で、身の程を知れ!」
「え…?」
は耳を疑った。
確かに自分は―は、山口家の長子ではなく厄介者である。
しかし自分が学んでいる会津藩の宿坊でも、訪れた大坂の適塾でも、そんな野次を飛ばされたことは一度もなかった。
むしろ学んでいる者同士、温かい交流すらあった。
「この…いつもいつも口ばかりで碌に稽古もしないくせに…!」
手前の間にいた男が、を怒鳴りつけた男に食ってかかった。
「自分が伸びないのを棚に上げて、客人に失礼ではありませんか! 一言謝ったらいかがです!」
「何だと! お主こそ陪臣のくせに失礼ではないか!」
「このっ…今日という今日は我慢ならん!」
男たちはとっくみあいの喧嘩になる寸前で周りに止められ、大鳥や他の教授たちが場を沈めて解散を申しつけた。
手前の間にいた男たちは残り、奥の間にいた者たちはぶつぶつ言いながら部屋を去っていった。
ぽかんとするの肩に大鳥が手を置いた。
「すまなかったね山口さん。まさかここまでするとは思わなかったよ」
「あ、いえ…今のは…」
驚きのあまりは言葉が出ない。
「さっき開成所の成り立ちについて話しただろう? はじめは入学できるのは幕臣だけだった。次第に身分の低い者も学べるように、広く募集するようになったんだけど」
「はい…」
「幕臣の入学者たちは気位ばかり高くて、身分の低い者たちと机を並べられるかってつんけんしてるんだ。陪臣や一般の入学者たちも最初は我慢していたけれど、
最近は一触即発状態になってきていて、私たち教授方も困っているんだ。よその土地で力をつけている君の姿を見て、江戸だって負けるもんかと皆が一丸となってくれたらいいと
思っていたんだが、駄目だったようだね」
大鳥はため息をついた。
この時代、寺子屋や手習い指南で学ぶ以外はなかなか学問をする機会がない。
時代の教育としては最先端の外国語を学ぶ公的機関がこの有様とは。
会津藩の宿坊での授業や大坂適塾のような熱心さを想像していたは、正反対の光景を目にして何とも言えない気持ちになった。
20100723