片棒 13
「失礼します」
斎藤が部屋に入ってきた。
「山南総長、お時間でございます。率爾ながら、手前がお世話を務めさせていただきます」
「ああ、斎藤君。よろしく頼むよ」
山南は立ち上がった。
窓の外では明里が山南を何度も呼ぶ。
だが山南は振り返ることなく、控えの部屋を後にした。
山南は斎藤に先導され、堂々たる足取りで仏間に入った。
仏間に据えられた椅子に、検死役の近藤と土方が座っている。
山南が切腹の座に座る。山南が控えていた部屋との境が開け放たれ、仏間の南側に控えていた隊士たちが、そちらへと移っていった。
()
土方が、自分の後ろに立ったにひそりと声をかけた。
(はい)
は土方の隣に進み出る。
(外がうるせえ。静かにさせてこい)
(え?)
(聞こえたらさっさと行け!)
(は、はい)
は小声で怒鳴られると、まだ場所が定まらない隊士たちの間を縫って、部屋を出た。
正門を出て声のするほうへ行くと、窓の格子に掴みかかっている妓がいた。
「…明里さん?」
は妓を見て驚いた。
明里とは一度、昨年の末に会ったことがある。明里の知り合いの尼僧がいる寺の謎を一緒に解決した。
その時は神谷の妓だと紹介された。それが何故神谷に連れられて山南と涙の別れを交わしたのだろう。
は状況が理解できず、ただ立ち尽くしてしまった。
全員が部屋に入ると、土方が咳払いをした。場は水を打ったように静まりかえる。
斎藤が左手に盃と塩を入れた土器を載せた折敷、右手に水を入れた銚子を持って前に出た。
山南は盃に水を受け、二口で飲み干した。
袴の股立ちをとった沖田が山南の後ろに立つ。
刃を上にし、鞘を棟に滑らせて、音もなく刀の鞘を払った。
三方が山南の前に据えられた。
三方に空いている三つの穴が切腹する者の側と両脇になるよう、つまり祝儀の際と逆に向けた。台の閉じめは切腹人のむこう、近藤と土方の側となる。
その上には懐紙で戒められた刀がある。切っ先は山南から見て左側に、刃はこれからそれを手にする者のほうに向いていた。
山南は近藤たちに目礼をし、腕を抜いてまず右肌、そして左肌を脱いだ。
三方を静かに引き寄せ、左手で切腹用の刀を取り上げると、右手を下から添えて目の高さに押しいただく。
刀を右手に持ち替えると、左手でへその辺りを三度撫でた。
沖田が左斜め後ろにそろりと動き、左足を前に出して左半身に構え、刀身を右に構えた。八双の構えである。
「私がいいと言うまで、決して振り下ろさぬように」
山南が低く告げた。
「はい」
沖田は柄を握りしめ、頷いた。
山南はまっすぐ前を向いた。
近藤以下、皆の顔を見渡す。
そしてこの場にはいない、神谷との顔を思い浮かべると、視線をやや下に下げた。
別れを交わした窓。
白い障子紙に、緋色が飛んだ。
窓にしがみついていた明里は、すべてを悟って膝から崩れ落ちた。
「明里さんっ!」
神谷が駆け寄り、明里を抱き上げた。
「さん、人を! 明里さんを運びます、人を呼んでください!」
明里は真っ青になって気を失っている。は神谷の言葉に従い、前川邸に駆け込んだ。
儀式が終わり、涙を流す者、呆然とする者、それぞれの表情を浮かべ、隊士たちが自室へと戻ってゆく。
生々しい鉄のような臭いが立ちこめる。
「あの、外で女の人が倒れています。何人か行って、運んであげてください」
は出てきた数名の平隊士たちに頼んだ。声をかけられた隊士たちは顔を見合わせると、目元を拭って門をくぐって外へ出ていった。
仏間から続いている部屋にはまだ人垣が出来ている。
隊士たちがすすり泣く合間に、その奥から近藤の声が聞こえてきた。
「かの浅野内匠頭でもこう見事には相果てまい」
それを聞いた隊士たちが、うう、と嗚咽を漏らす。
「近藤局長!」
今度は伊東の声が聞こえてきた。
「それだけですか? 山南さんが何故脱走するまでに至ったのか、その理由を知ろうともせぬまま葬り去ってそれでもよいのですか?!」
「え…?」
は伊東の言葉に違和感を覚える。さっきは山南がどうのと、三木と話していたではないか。伊東は山南に関する“何か”がばれたら困るのはないか。
は人をかき分けて前に出た。
「山南さんは命を賭してその理由を秘すべしと望んだのです。ならば敢えて知らずにいてやる事こそ
武士の情け。我々はただ山南さんが潔く見事に散ったことのみを称えようではありませんか」
近藤が悲しみとやりきれなさを押し殺して述べる。
は伊東の顔を見た。
伊東の目が微かに見開かれた。
「それとも」
土方が近藤の前に出る。
「伊東参謀にはその訳を明らかにしたい理由でもおありか」
「トシ!」
近藤が、めったなことを言うなと土方を窘めた。
伊東はぎくりと肩を揺らし、ひや汗をひと筋垂らす。
まさか、気づいている?
は土方と伊東を交互に見比べた。
山南の脱走に、伊東が密かにかんでいる。
土方は、朧気にそれに気づいている。
という事なのか。
ふと自分を刺すような視線に気づき、は辺りを見回す。
伊東が。
土方が。
を見ていた。
が考えていること、気づいていることを探るような目つきで。
「」
斎藤がの前に立ちふさがった。
その衣服は血にまみれている。はここで何が行われたのかを再認識させられた。密度の濃い血の臭いに、突然息苦しくなる。
いや、それ以上に、山南の命がすでにないことを頭が理解していても心が受け付けない。は足が棒のように固まり、体に力が入らなくなるのを感じる。
「俺の部屋に行け。後で行く」
斎藤がの肩を掴んで軽く揺すった。
は気を持ち直し、斎藤が導くまま廊下に出て、斎藤の部屋に向かった。
斎藤の部屋に入って障子を閉めると、しんとした静寂がを包む。
は部屋の隅にうずくまり、膝を抱えた。
あの見守るような温かい眼差しも。
何もかもを話せずとも出来る限りの話を聞いてくれた耳も。
決めつけることなく、でもしっかりと意思を持った助言をくれた口も。
すべては失われてしまったのだ。
もう、山南はいない。
いない。
日が落ち、室内には闇が忍び寄る。
がたりと音がして、斎藤が部屋に入ってきた。
はうつろな目で斎藤を見上げる。
「土方さんから頼まれた。今夜はここで寝ろ」
斎藤は布団を抱えていた。の布団だった。
「…土方さん、は…?」
様子が気になり、は問うた。
「今日はそっとしておいてやれ」
斎藤が短く呟く。
「わかりました…」
は部屋の隅に布団を敷くと、横になった。
斎藤と同室の沖田と神谷は、遅くなってから二人で戻ってきた。
が明里の状況を聞くと、今は落ち着いており、明日は島原へ戻るということだった。
その夜は、誰も眠ることが出来なかった。
助けられなかった。
巻き込んでしまった。
事情を聞かせてもらえなかった。
逃がしてやることが出来なかった。
それぞれが、三十三年で時代からすり抜けてしまった命を惜しみ、痛恨を胸に抱いた。
翌二十四日。山南は、前川邸に隣接する光縁寺に葬られた。
この寺にはすでに二人の隊士が埋葬されており、山南は三人目だった。
“丸に右離れ三つ葉立葵”の家紋が山門に掲げられている。奇しくも、山南の家紋と同じであった。
山南の遺体は棺桶に納められ、駕籠で寺へと送られた。
後年は病や怪我であまり行動範囲を広めなかった山南だが、それでも彼と関わりを持ち、その人柄を愛したたくさんの人々が参列に訪れた。
野辺送りを済ませた後、神谷が門を見上げながら呟いた。
「こんなことになるなら、我慢してでも山南先生の小姓を続ければよかった…」
「神谷さん…」
はその隣で苦く思った。神谷がそれを言うならば、自分だってもっと早く山南の様子がおかしいことに気づくべきだった。
「ほらほら、二人とも。いつまでもしょげた顔をしていない」
ぽん、と沖田が神谷との頭に手を置いた。
「武士として立派な最期を、山南さんは自分で選んだんです。誰のせいでもありませんよ」
「沖田先生…」
「沖田さん」
山南を追い、理由も知らされず介錯まで頼まれたのに、それを武士としての高潔な思いだと昇華してしまう沖田。
到底自分はその境地にたどり着けそうもないと、は脱帽の思いである。
見上げると、朝は青かったはずの空が、どんよりとした灰色の雲に浸食されてきていた。
これから一雨くるかもしれないとは漠然と思った。
光縁寺の山門に目を遣ると、出て行く伊東の背が見えた。
庵に木瓜と言われる家紋をつけた、黒羽二重の後ろ姿が。
伊東が山南の切腹の場で口走ったあの台詞は、一体。
はごくりと喉を鳴らすと、ふらりと足を前に踏み出した。
その瞬間、は肩をぐっと掴まれた。
土方の手だった。
土方は強烈な視線でを見下ろす。
何一つ言わない。
何一つ問うてこない。
が、その目がただ一つ、鋭く問いかける。
何だってそんな目で、伊東を見つめているのだと。
は伊東一派に関する不確かな情報を持っている。
確信はなくとも言うべきか。
証拠を掴むまで言わざるべきか。
ほんの僅かでも感じた違和感を土方に告げないことは、土方への裏切り行為なのではないか。
だが、自分の勘がはずれ、隊内に余計な波紋を投げかけたら新選組はどうなる。
山南が秘し、命を賭けてまで守ろうとしていたものを壊すことになるのではないか。
の頭の中に、あらゆる可能性が沸き続ける。
土方は自分から視線を逸らしたの肩を突き放した。
そして短く舌打ちをすると、大股で寺を出て行った。
山南の死に浸る間もなく、隊内は仏間の現状回復や新しい屯所――西本願寺への折衝で慌ただしい日々に埋没した。
と土方は互いの多忙からすれ違う日々が続き、何も言い出せない、問いただせないまま時間だけが過ぎてゆく。
この迷いが土方との間に小さな事件を起こすのは少し先の話。
そして運命の糸は着実に人を絡め、山南を――総長という肩書きであったり、相談相手であったり、同室同門の仲間であったりという片棒を
失ったそれぞれに、新しい担ぎ手を引き寄せるのであった。
20100325
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本章の参考文献:
『知れば知るほど面白い 土方歳三』 藤堂利寿 学研 2004年
『土方歳三の生涯』 菊池明 新人物往来社 2003年
『新選組決定録』 伊東成郎 河出書房新社 2003年
『土方歳三 新選組を組織した男』 相川司 扶桑社 2008年
『新選組証言録』 山村竜也 PHP新書 2004年
『沖田総司伝私記』 菊池明 新人物往来社 2007年
『新選組紀行』 中村彰彦 文藝春秋 2003年
『新選組異聞』 子母澤寛 中公文庫 1977年
『江戸の旅は道中を辿るとこんなに面白い』 菅野俊輔編著 青春出版社 2009年
『日本とイギリス』 宮永孝 山川出版社 2000年
『時代考証事典』 稲垣史生 新人物往来社 1971年
『私の新選組』 新藤保夫 新人物往来社 未刊行