片棒 9
「副長はん、大坂が焼き討ちされるかもしれまへん」
山崎は新年の挨拶もそこそこに切り出した。
「聞こう」
土方が布団から抜け出し、袢纏を肩に掛ける。
も身を起こし、布団を隅に寄せて行灯と火鉢をつけた。
空いた畳の上に三人が座り、室内は静まりかえる。
山崎は凍り付くような空気の中、ゆるゆると口を開いた。
「谷先生のところに、通報があったんどす」
「谷のところへ?」
土方は目を鋭くする。
行軍録八番隊の組頭に名前がある谷三十郎は、自分を筆頭に男ばかりの三兄弟で、揃って新選組に入隊した。大坂南堀江で種田宝蔵院流槍術と
直新流剣術を教えており、次弟の万太郎は池田屋事件の際には上京し、土方の組に属して槍を振るっていた。
年が明けてすぐ、その谷家の道場へ和栗吉次郎という男が訪ねてきた。
和栗は備中倉屋敷の出で、同じく備中出身の谷とは旧知の仲であった。数年ぶりにやって来た和栗を三十郎は暖かく迎えた。が、
和栗は出された茶に手もつけず、谷に早口でまくし立てた。
去年は京が火の海に包まれたが、今度は大坂が狙われていると言うのだ。
和栗は人脈が広く、尊王派とも交流があった。その筋からの情報で、一月二十日に大坂市中を焼き討ち、その混乱に乗じて大坂城を乗っ取り、
討幕の挙兵に踏み出す足がかりにする計画が進んでいるとのことだった。
首謀者は田中顕助ら、土佐の脱藩浪士たちだ。
最初は六人だった。禁門の変での敗退によって、彼らが志のために潜伏していた長州では非戦勢力が台頭してきていた。田中らは
長州を出て大坂道頓堀の鳥毛屋を仮宿とし、ここで二人を加える。
彼らは鳥毛屋で何度も密議を重ねた。衰退しつつある長州系過激派の勢いを回復するためには、幕府を討つためにはどうしたらよいか。
そして練り上げた計画が、大坂城の焼き討ちだった。幕府の象徴でもある大坂城を攻め落とせば、幕府に与える損害は
物的にも精神的にも計り知れない。
田中らは武器弾薬を集め、準備を進めた。しかし同志の中から、城の焼き討ちは大胆すぎるのではないかという慎重な声が上がった。
彼らはまたしても話し合いを重ね、大坂城焼き討ちから市中焼き討ちへと計画を変更、同時に城を乗っ取ることにした。
「今、田中らは石蔵屋という店に身を潜めている」
和栗が言う。
大坂の東横堀川に架かる末吉橋東詰めに、石蔵屋というぜんざい屋があった。実はその店の主人政右衛門は、公家の武者小路家家臣・
本田大内蔵なる人物で、商人に身をやつして開業している。そこへ田中たちが出入りし、武器弾薬を集めていると和栗は語った。
谷はすぐ石蔵屋に門弟を派遣し、さりげなく見張らせた。すると、襟巻きで口元を隠した男が数人、客足に紛れて店に入った。
その男たちが店から出てこない。
そこで谷は八軒屋の京屋を訪ね、山崎と面会し、京の屯所へ報告するに至ったのだ。
「副長はん、谷はんたちはすぐにでも石蔵屋を改めるつもりです」
「わかった。こちらからも隊を送る。早まることがないようにと伝えろ」
「承知」
土方の言葉に山崎は頷き、部屋を出て行った。
翌日、土方はすぐに大坂へと派遣する隊を選んだ。
巡察の順番になるべく支障が出ず、実戦に慣れており、見知らぬ土地でも冷静に判断が出来る隊。一番隊が、ちょうどその条件に合っていた。
土方は一番隊へ、夜の巡察を終えた後に大坂へ向かうようにと指示を出した。一番隊の面々は威勢良く返事をし、下坂の支度をした。
ところが、その増援は間に合わなかった。
一月八日夕刻、谷三十郎は、弟の万太郎、門弟の正木直太朗らを連れ、石蔵屋を強襲した。
大坂焼き討ちを企てた土佐藩の田中らは折り悪く外出中だった。石蔵屋の主人・本田は突然の乗り込みにたいそう驚いたが、万太郎の胸元に
当て身を食らわせて転倒させた隙に逃走した。
禁門の変でも戦った経験がある、土佐脱藩の大利鼎吉は応戦した。よく戦ったが、全身に七カ所の傷を負い、奥座敷でもはやこれまでと絶命した。
十日に、谷と正木の連名で、近藤宛に事件の報告書が送られてきた。
その書状によると、万太郎は胸に打ち身を作り、三十郎は足に薄手、正木は右腕を四寸ばかり斬られた。
石蔵屋を捜索したところ、長州への建白書などと書かれた書状や武器などが見つかった。
土方は一番隊を大坂へ派遣し、残党狩りを決行する。
ところが石蔵屋の残党はとっくに大和十津川へと落ち延びていた。
大坂にも睨みを利かせておく必要があると思った土方は、大坂に新選組の分所を作ることにした。
山崎に命じて手頃なところを探させ、下寺町の満福寺を屯所にする。
満福寺には簡単な牢獄を作り、谷三十郎を頭とした。
こうして京屋と満福寺、二つの拠点が大坂に誕生した。
一番隊と、谷三十郎率いる大坂新選組の面々は、大坂市中を見廻り、浪士を取り締まった。
二十七日には堂中島の天満屋半兵衛借家を改め、集まっていた二十三名を捕縛し、一名を斬殺した。
また、土方は沖田にあるものを託して大坂に向かわせた。
にもらった菓子切手である。
沖田は大坂から引き上げる日に虎屋大和へ寄り、切手を菓子と交換した。沖田はそれに加え、自腹で数々の美しい菓子を買い、土産にした。
舟に乗り、夜に大坂から戻ってきた沖田は、すぐに局長室を訪れた。
局長室には近藤と土方がいた。
「近藤先生、大坂より帰りました」
「ああ総司、お帰り。大変だっただろう」
「いいえ、大丈夫です。あ、土方さん、これ」
沖田は土方に交換してきた菓子を渡す。
土方は自室で勉強中のに声を掛け、茶を持って来るのと、沖田からの大坂の報告を聞くので山南と伊東を呼んでくるように告げた。
は台所に向かうと鉄瓶に水を入れ、沸くのを待った。
沸くのを待っている間に急須に茶葉を入れ、茶碗を用意する。
山南と言えば、最近様子がおかしいとは感じていた。
伊東が離れの手狭さと同門のよしみを持ち出して、山南と同室になりたいと申し出て許可された辺りからだと思う。
今まで気兼ねなく一人で部屋を使っていたところへ伊東のような人物がやって来れば、慣れるまで多少の気は遣うだろう。
だがそれだけではない何かがある。
馴染みの妓、明里に会いに行くと言って出かけるのだが、その割には短時間で戻ってきたり、話し合いをするから山南を呼んでこいと言われて
呼びに行くと、慌てたように返事をして、目を合わせもせずに局長室へ行ったりする。そうかと思えば物言いたげに近藤や土方を見つめて
いる時もある。
また、様子が妙なのは山南だけではなかった。
伊東もだった。
ここ数日は、山南と同じように屯所にいないこともある。が黒谷からの帰り道に、町中でばったりと出会うこともあった。
屯所にいるかと思えば、縁側で一人、何かを考え込んでいることもある。
は一度だけ、伊東の横顔が険しさをはらんでいるのを見たことがあった。
人当たりの良い表情が歪み、三日月のように柔らかい弧を描く眉が吊り上げられ、唇が固く引き結ばれていた。
自分に気がつくと伊東はすぐに頬を緩め、いつもの雰囲気に戻っていた。
伊東とて、江戸で道場主をしていたほどの腕前なのだから、厳しい表情をしても不思議ではない。
一人で居る時に難しいことを考えることもあるだろう。真に国の情勢を憂えているから近藤について上京してきた男なのだ。
を見れば今にも飛びつかんばかりに早足で寄ってきて、捕まると逃げるのが大変なのはいつもと同じだ。
しかし、自分をからかう軽口が、どこか芝居臭い時がある。
まるで何かを誤魔化すかのように。
湯が沸いた。
は布巾を使って熱い鉄瓶のつるを持ち、急須に茶を注ぐ。
甘いお茶うけがあるので少し長めに蒸らしてから、五つの茶碗に茶を回し注いだ。
茶を運びながら、は山南の部屋に寄り、山南と伊東に声を掛けた。
二人は何かを話し合っていたようで、相対して座っていた。が用件を伝えると、二人はすぐに立ち上がって部屋を出た。
山南と伊東が先に歩き、は後ろから茶を運ぶ。
山南の背が心持ち丸まって、元気がないように感じられる。
一方、伊東はきりりと背を伸ばし、微かに威圧感すらあるように思えた。
二人から受ける印象は、今二人が話し合っていた内容に関係があるのだろうか。
そうだとしたら、伊東が山南に対して優位に話を進めていたのだろうか。
の脳裏には、そんな懸念が横切った。
局長室に山南と伊東が入り、は茶を出して土方の部屋に引き上げた。
襖一枚しか隔てていない向こうから、沖田が大坂の様子を伝える声が聞こえる。
それが終わると、土方が屯所移転の問題を切り出した。
西本願寺でほぼ確定のようだが、山南は渋っている。西本願寺は勤皇の傾向が強いので、幕府第一の新選組が入ったらもめるのではないかと。
土方は、だからこそ西本願寺に入るのだと主張した。西本願寺は、長州の者を西へ落ち延びさせる手配をしたこともある。自分たちが入れば、
そんな不逞な行動は出来るまい、と。
幹部たちの話し合いは話題を移しながら長々と続いた。
は床を延べると、布団を頭まで被って目を閉じた。
幹部たちは決して言い争っているわけではない、それぞれの意見を出しているだけだとわかっている。
だが、山南と伊東の態度に違和感を感じている今、互いの主張を繰り返すのを耳に入れたくなかった。
どうかこの違和感が自分だけの杞憂に終わりますようにと、は願った。
20100305