久遠の空 ドリーム小説 片棒 7

片棒

update:2010.02.19

片棒 7 

 しばし気まずい空気が流れた後、は土方に挨拶をした。
 「長々と留守をいたしまして申し訳ございません。ただいま戻りました」
 「書状ひとつ寄越すぐれえの気遣いもねえとはな」
 土方はが言い終わると同時にたたみかける。
 「すみません…」
 はその通りだと思い、項垂れた。
 「大坂でいったいお前、何してやがった」
 土方は煙管を手に取り、煙草を詰めて火をつける。
 白い煙がゆったりと二人の間に漂った。
 は大坂であったことを次々と頭に思い浮かべた。あまりに見たものが多すぎてどこから話せばいいのやらと、首を傾げる。

 土方はその様子を見て、先ほどの近藤と同じ雰囲気を感じた。
 「…まさかお前まで浮気してきたんじゃねえだろうな」
 煙を吐き出しながら土方が呟く。
 は浮気という言葉にますます首を傾げたが、土方の元を離れ別の男と二十日近くも行動を共にしていたという事実だけを振り返れば…。

 「そう…かもしれません」
 は土方を上目遣いで見る。
 土方は自虐的な笑いを浮かべた。花街ではちやほやされる自分が、どうしてこうも本命に逃げられまくるんだ、と。


 は居住まいを正すと、大坂行きの顛末を土方に全て話した。
 伏見から八軒屋に着き、山崎と会う前に新門辰五郎に連れられて、慶喜と面会したこと。
 慶喜にあちこち連れて行かれて、大坂の町を歩き回り、様々なものを見聞したこと。
 そして、その見聞録を英吉利語で書かされたこと。
 三日で見聞録を書き上げ、慶喜の元を辞すると京屋で待っていた山崎と合流し、京に戻ってきたこと。

 「英吉利語で? それが豚一公の狙いだったのか?」
 土方は煙管を灰皿に軽く叩きつけて灰を落とし、次の煙草を詰めながら聞いた。
 豚一公とは一橋慶喜の異名で、この時代ではまだ一般的でない豚肉を好んで食すことをなかば皮肉ってつけられたものである。
 「一応それで今回は解放されたんですけど…書いたものをどうお使いになるのかまでは…」
 も顎に手を当てて眉を寄せる。
 大坂についての見聞録を英吉利語で書かせるだけが彼の目的だったとは到底思えない。ただの見聞録を書くだけなら、自分でなくても慶喜の側近に いくらでも人材がいるはずだ。そこを敢えて自分にし、英吉利語でしたためさせたのは何故なのか。まったく見当がつかない。

 「でも、結果としてはよかったと思います。土方さんからのご指示と重なっていましたから」
 「そうだな」
 が表情を和らげるのと同時に、土方も再び煙草に火を点けて愁眉を開いた。
 山崎に持たせた書状に記した、に大坂でしてもらいたかったこと。それは大坂の町並みを調べ、簡単な切絵図、つまり地図を作成することだった。
 山崎ら監察を大坂に潜り込ませてはいるものの、土方には大坂の地理に対する知識がなかった。大坂のどの辺りで何が起きているとの報告を受けても、 それを具体的に頭の中で想像する図面がない。監察の面々に頼もうと思っていたところへちょうどよくの大坂行きが舞い込んできたので、 山崎とともに調査に当たるよう、書状にて指示を出していたのだ。
 今年の一月に将軍家茂が大坂へやって来た際にが描いた、軍の場所を表す図。あれはなかなかのものだと土方は思い、故郷への書状にした。 彼女の描く図と、山崎の正確な調査とを組み合わせて切絵図を作らせれば、大坂の様子がより把握しやすくなるだろう。


 「他に大坂で変わったことはなかったか?」
 「変わったこと…特には…いえ、私が戻ってくる日には、町中に武士の姿が多かったような気がします」
 は大坂の町並みを思い浮かべ、その混雑の中に武士然とした格好の者がちらほらといたことを口にした。
 「武士の姿か。山崎も同じようなことを言ってたな。そりゃあ長州への出兵準備だろう」
 の言葉に土方は眼差しを鋭くする。幕府は長州征伐の総督を尾張の徳川慶勝に決め、慶勝はこの頃大坂にあり、出兵準備を進めていた。 それで武士が多くうろついていたのである。
 「新選組は参加しなかったのですか?」
 が聞く。
 「ああ、今回はお留守居だとよ」
 くっと土方は笑った。
 近藤がいたなら長州征伐に加わろうと直前まで食い下がったに違いない。が、土方は会津藩の公用方へ伺いを立て、その返答が断りだったところで あっさり引き下がったのである。こんな大事な案件は、局長の近藤が先頭に立つべきだと判断したからだ。


 今度は土方からに、彼女がいなかった間のことを話した。
 近藤は昨日戻ってきたばかりで、二十三名の新入隊士があったこと。
 が大坂に行く直前にあった三浦の騒動は、表だっては一段落していたが、相変わらず隊内では叔父の勝海舟の自慢話ばかりで、 それを聞かされる隊士たちは嫌がっていることなどがあった。

 そして、が思ってもいなかったことが土方の口からもたらされた。
 「屯所を…移転ですか?」
 は耳を疑った。
 「ああ。今回隊士が増えたし、今後も人数を増やして活動に当たるよう会津藩から言われているからな」
 「具体的にはどのぐらいの人数になるのですか?」
 「二百名ぐらいだな。それに、この前川邸の持ち主の前川一家が家を返して欲しいと町奉行に訴え出ているらしい」
 前川一家は、新選組の前身である壬生浪士組が上洛してきた時からここを貸し出しており(実際には隊士たちの粗暴振りに嫌気がさして 洛中に居を移したのだが)、過日の戦災で居住先が焼け、家屋敷を返してもらいたいと言っているのだそうだ。
 だが新選組もすぐにここを立ち退いて次の居へ移ることは出来ない。前川一家には仮宅に住んでいてもらい、組が移転先を決めるまで 待ってもらうことになっているとのことだった。

 「解っていると思うが、お前も来い。一人だけ前川邸に残ろうなんて許さねえからな」
 土方の声が低くなる。
 「はい…」
 は視線を畳に落とす。
 前川にしてみれば、これほどいい返却の申し出理由はないだろう。しかしにとって前川邸を去ると言うことは、この時代と元いた時代を 行き来する池が光るタイミングを失うことになりかねない。
 前川邸の、土方の部屋から見える池は、が元の時代に戻るための入り口である。池が光るのは約五年毎、たった数日の間だ。 この前川邸にいるからこそ、その針の穴のような機会を逃さずに済むと思っていた。


 池が光ったら移転先へ知らせてもらえるように頼めないだろうか。
 は相談しようと顔を上げる。

 「あの」
 「池のことは前川家と八木家に頼んである」
 「えっ…」
 「光り始めたら何日か光ってるって前に言ってただろう。移転を予定しているのはすぐそこの西本願寺だ、知らせてもらってから 準備しても遅くはねえはずだ」
 土方は池が向こうにある障子を睨み、煙をくゆらせながら言った。
 「だからお前も今回みてえにどこにいやがんだかわからねえってことは…」
 土方は障子に向けていた視線をについと向ける。


 は土方と目が合っても、ぽかんと口を開けたままだった。
 まさかもうそこまで手を打っていてくれたとは思わなかった。
 いや、常に最良の手を考える土方のことだ、これぐらい思いつくのは朝飯前なのだろう。

 「俺の言ったこと聞いてんのかこの野郎」
 土方は煙管を煙管盆に置くと腰を浮かせ、の額をぴんと弾いた。
 「いった」
 「いつまで馬鹿面してやがる」
 は額に手をやり、弾かれた部分を押さえる。
 土方が腰を下ろして再び煙管に口をつけると、辺りに乾いた香りが漂った。

 は額を撫でながら土方を見る。
 土方は何でもないようにそっぽを向いていた。

 近藤の居ない屯所内で、忙しかっただろうに。
 少しでも自分のことを気に掛けていてくれたと思うと、この想いを悟られてはいけないとわかっているのに、の口元は綻んだ。

 「ありがとうございます」
 「お前のことは預かってるだけなんだからな、もし帰れなかったらこっちの寝覚めが悪いんだよ」
 「え? 鬼の副長でも寝覚めが悪いことってあるんですか?」
 「っ、ヘラヘラしてねえで茶のひとつも淹れてこい! 本当に気の利かねえ野郎だな!」
 「はい」


 はすっと土方の部屋を出ると台所へ行き、湯を沸かす。
 あの怒鳴り声を聞いて、やっと戻ってきた実感が沸いてきた。
 普通は笑顔を見るとか、優しい言葉をかけてもらうとか、そういうものなのだろう。
 でもあの人に限っては。
 眉間に皺を寄せて大声を出す土方の姿を思い浮かべると、また笑いがこみ上げてくる。
 は湯を零さないように気をつけて茶を淹れた。


 「お待たせしました」
 は土方の部屋へ戻り、やや温めの茶を土方の前に差し出した。
 土方は軽く頷くと茶碗を手に取り、中身をぐっと飲み干す。
 「ったく、お前がいねえと総司ぐらいしかこの温さの茶を出す奴がいねえ」
 「そうですか…あ、そうだ、お土産が」
 は風呂敷包みを引き寄せ、はらりとそれを解いた。そして中から平べったい包み紙を取り出す。
 「何だこれは」
 「解放されてすぐ山崎さんと合流して戻ってきたのであまり見繕えなかったんですけど…」
 と言ってが包みを開けると、そこには菓子切手が入っていた。
 「大坂でも有名な、虎屋大和というお菓子屋さんの切手です」
 菓子切手とは別名饅頭切手とも言われ、いわゆる商品券のことだ。これを持って虎屋大和に行けば、商品と引き替えることが出来る。
 「とてもおいしそうなお饅頭がたくさんありましたよ。今度土方さんが大坂に行く時にお使いください」
 「こんな紙っきれと饅頭が交換か」
 「はい」
 土方はしげしげと菓子切手を眺めると包みに戻し、自分の行李に収めた。


 「さっきの話ですけど、切絵図に仕立てるにはもう少しお時間をいただきますね。なるべく急いでお作りしますけど」
 は引き寄せた自分の荷物に目を遣った。中にはこちらから持って行ったものの他に、毎日慶喜が来るのを待つ間に記していた、大坂に ついての書付が入っている。それが土方に頼まれた切絵図の元になるのだ。
 「わかった」
 土方は頷いた。

 「さっきの話と言えば、ついでに言っとくが」
 土方は茶托に茶碗を置くと腕を組んだ。
 「入ってきたばかりの奴らには気をつけておけ。特にあの伊東って野郎…何か気になる」
 その視線の鋭さに、は居住まいを正してこくりと首を振る。
 「あいつらと何を話していた?」
 「ご挨拶して…伊東さんの経歴をお伺いしただけです。私のことは土方さんの小姓である以外、何もお話ししていません」
 土方はの言葉を聞いて、ふんと鼻を鳴らした。伊東はきっとにあれこれ聞いてきたに違いない。それをは近藤を楯に しつつ、うまく躱したのだろう。
 「何かあったらすぐ俺に知らせろ。俺がいなけりゃ斉藤か…山南さんか、誰でもいい。試衛館の誰かに話しておけ」
 「かしこまりました」
 は畳に手をついて頭を下げると自分も茶碗を持ち、中身を喉に送り込んだ。

 新入隊士があり、屯所も移転する。
 その流れに抗うことなく、ただ土方についていくのみ。
 は渋い香りに心を落ち着かせながら、すでに暗くなった外と部屋を隔てる障子を見据えた。





 翌朝、は黒谷へ出かけようと前川邸の門を出た。
 門番の隊士たちに出かける旨を伝え、視線を道に向けると、そこに二人の男が立っていた。
 「おはようございます」
 は体格のいい男と、その後ろにつき従っている男に朝の挨拶をする。
 「あ、お前、昨日の」
 体格のいい方がを見るなりずんずんと近寄ってきた。

 「?」
 はその迫力に気圧され、思わず一歩下がる。
 「山口とか言ったな。兄上は昨日、社交辞令でお前を離れに上げたんだからな、勘違いするなよ」
 の目の前まで来ると、その体格のいい男は目をつり上げての喉の近くを指さした。
 「ああ、伊東さんの弟さん。三木三郎さんでしたっけ。そちらは加納さんでしたよね」
 相手の敵意になど全く気づかず、はそれこそ社交辞令用の薄い笑みを浮かべた。
 「うっ…そ、そんな風に笑って、美しいもの好きな兄上には通用しても、僕には通用しないからな!」
 伊東の弟である三木は、真っ赤になってに怒鳴りつける。

 「昨日は夕餉までお邪魔して失礼いたしました。お兄様はたいそう厚いお志をお持ちのようですね」
 は昨日話していた伊東の様子を思い出しながら三木に話しかける。
 伊東はを離れの自室に上げ、に新選組のことをいろいろ質問しようとしたが、逆にに経歴を問われ、自身について 大いに語ったのであった。
 「当たり前だっ、兄上は努力家で勉強家で、誰にも負けない自慢の兄上なんだ! この前だって、挙兵した天狗党の鎮撫に赴いた松平頼徳様に ついていこうとして、上野の会合にまで出かけたのだからな。本当は天狗党を応援するためだったから、忠告されて思い止まりはしたけれども」
 「てんぐとう?」
 得意がる三木の台詞に、は知らない単語を聞いて問い返す。
 「三郎さん、あまり調子に乗ってお話ししない方が…」
 と、三木に付き従っていた男――加納鷲雄が後ろから三木の袖をつんと引いた。

 「加納の言うとおりですよ、三郎さん」
 その時、門から別の男が出てきた。
 「あ、えっと、内海さん。おはようございます」
 はその顔を見て会釈した。その男は内海次郎と言い、伊東の道場の師範代である。離れでは伊東とこの内海、そして三木と加納の四名が 同室で、昨日は近藤とを含めた六名で夕餉を食したのである。
 「おはようございます山口さん。三木さん、お喋りが過ぎますと、また甲子太郎さんに叱られますよ」
 内海はまるで斉藤のように表情を変えずに三木をたしなめた。が、その目は笑っていないのには気づき、そっとその場から視線を外した。

 「お出かけですか? お止めしてしてすみません。失礼します」
 は風呂敷包みを抱えると、ぺこりと頭を下げて三木たちの前から去ろうとした。
 「あっ、じゃないか」
 そこへ噂の人である、伊東が姿を現した。
 「伊東さん、おはようございます。昨日はどうも」
 は足を止め、伊東に向かって挨拶をする。
 「おはよう。今朝もその髪が似合っているね。実に美しいよ
 口元だけで艶然と微笑み、伊東はの頭に手をやった。
 (呼び捨て…)
 は、昨日は名字で呼ばれていたのに突然名前で呼ばれ、僅かに口の端を引きつらせた。
 「あ、兄上! どうしてそんな奇妙な頭の奴にっ」
 三木が涙目で伊東に抗議する。
 「煩いぞ三木! お前のような酒樽を愛でて何が楽しいんだ!」
 涼やかな目尻をきっと吊り上げ、伊東は三木を睨み付けた。
 「京に上って本当によかった。清三郎と言いと言い、美しい花が愛で放題なのだからね」
 くるりとに向き直ると、伊東は相好を崩しての姿形をうっとりと眺めた。
 「よかったら今夜もこちらで夕餉を一緒にいただかないかい? 今度は土方君も誘って…」
 伊東がにこやかな笑みを浮かべて言う。
 「土方さんがいいとおっしゃったら、喜んで同席させていただきます。では、私は用事がありますので失礼します」
 は最良と思われる答えを口に上らせ、踵を返した。


 後ろで伊東や三木たちが何かを言い合うのを聞きながら、は黒谷へと向かった。
 (昨日の夕餉ではほとんど伊東さんしか喋ってなかったからわからなかったけど、伊東さん一派と言ってもその関係にはいろいろありそう…)
 冷たい空気に体を縮めながら、は伊東たちのことを考える。
 土方の言うように、気をつける必要はあるかもしれない。
 が、露骨に避けることも出来ない。考えは様々でも、同じ組織の中でやっていく仲間なのだから。

 (なるようにしかならないと思うけど、やるべきことはやらなくちゃいけない)
 伊東たち新入隊士が増えたことで、新選組がどのような道を辿ってゆくのかはにはわからない。
 それでも、伊東たちの動きに何かを感じたら、迷わず土方に進言しなくてはならない。
 仲良くやって行ければ一番なんだけど、とは青い空に向かって息を吐いた。




 20100218