片棒 6
十月二十六日、近藤たちが江戸から戻るとの先触れがあった。
ひと足先に帰りの集団から抜けて、京の前川邸に知らせを届けたのは藤堂平助である。
たくさんの新入隊士を連れて来たのだそうで、彼らの部屋や寝泊まりの準備を計らうよう、自ら率先して先触れ役を担ったのだ。
幹部たちが山南の部屋に集められ、藤堂から報告を聞く。
新入隊士は合計二十三名、いずれも江戸で選んできた精鋭ばかりなのだそうだ。
天然理心流の門人や近在の他流派からの参加も多かったが、中でも総勢九名の参加を束ねる頭に、土方は着目した。
その男の名は、伊東甲子太郎武明。
常陸国志筑藩(現在の茨城県かすみがうら市)の出身で、元の名を伊東大蔵、上洛にあたって甲子太郎と改めた。
伊東は、水戸で藩校弘道館に召し抱えられていた金子健四郎の道場にて神道無念流を、江戸深川で伊東誠一郎の道場にて北辰一刀流を修めていた。そして伊東道場の娘ウメの婿になり、道場を継いだ。
学問においては熱心だった父の薫陶を受けて育ち、一時は父とともに私塾を経営、また剣術修行の仲間たちとの交流を経て、勤皇の志を深く身につけていた。
隊士募集のためひと足先に江戸へ下った藤堂は、同じ剣流のつてを辿り、伊東の元を訪れて、近藤と話し合うきっかけを設けたのだった。
「新選組は佐幕の組織だ。そこに何だって勤皇の野郎を取り込んできた?」
土方は鋭い目で藤堂を射抜く。
伊東が神道無念流を学んだ水戸と言えば、強烈な勤皇思想で名高い水戸学だ。幕府を頂点とする新選組の思想とは決定的に相容れないはず。そんな思想を持つ輩を、近藤は何故入隊させたのだろうかと土方は訝る。
「そこは大丈夫だと思う。伊東さんだってここ最近の日本の動きを憂えているんだ。近藤さんと伊東先生とで何度も話し合ってたよ」
隊士選抜のため近藤と伊東が話し合う席にはいなかったが、藤堂は二人が何を話し合っていたのか、後で近藤から詳しく聞いていた。
佐幕と勤皇であっても、幕府が天皇を敬う立場である限り、二人の思想は相反することはないとの合意に達していた。
「どうしてもって言うんなら、直接伊東先生に聞いてみれば?」
藤堂は土方に笑顔を向けた。
「そうだな」
土方は二十三名の宿泊部屋を決めると、茶を持ってきた神谷に伊東たちを割り当てた離れの掃除を言いつけて部屋を出た。
土方はそれまで浮かべていた不敵な笑みを引っ込めた。
常陸と言えば、忘れたくても忘れることのない男たちがいる。
秋雨の夜、自分たちの手で断罪した男たち。
「同じことにならなきゃいいがな」
土方はぽつりと呟いた。
翌二十七日。
夜明けとともに土方は隊士全員をたたき起こし、武具・身なり・居室すべてを整えさせ、いつ近藤たちが戻ってきても迎えられるように準備をした。
きっちりと整ったところへ近藤を迎えたいという思いもあったが、北辰一刀流の道場主で水戸学を身につけた大物がやって来るのだ、
もし屯所が汚かったり隊士たちがだらしないところを見られようものなら、所詮は天然理心流の田舎侍どもだとなめられてしまうだろう。
そんなことで近藤に恥をかかせてはならないと土方は思い、朝から邸内に怒号を響かせる。その声に駆り立てられ、隊士たちは掃除や武具の手入れをてきぱきと行った。
昼をやや過ぎた頃。前川邸の門前に立っていた門番が道の向こうに近藤たちの一行を見つけると、その知らせは直ちに土方の元へ届けられた。
土方は一張羅の黒羽二重を着、そのことを沖田にからかわれながらもゆったりと構えて門の内側に立つ。
近藤は二月半振りに屯所へと戻ってきた。
えくぼを作り元気そうに出迎えを受ける近藤の様子を見て、土方は胸をなで下ろす。
そして。
近藤の紹介でくだんの男が前川邸の門をくぐった。
伊東甲子太郎、その人が。
伊東の見目形に、誰もが言葉を失う。
眉目秀麗とはこの男のためにある言葉なのではないかと思われるほど目鼻立ちは整い、切れ長の目元には長い睫が涼しい影を落としている。
髪はひと筋の乱れもなく結い上げられ、黒羽二重の羽織と同じく黒々としていた。
近藤に呼ばれて伊東が土方のそばへ寄ってくる。土方よりも少しばかり背が高い。彼の経歴とともに、その背の高さが土方に威圧感を与える。
土方にまみえた伊東は思わぬことを口にした。
「近藤さんから君のことは聞いていたが、想像以上に美しい」
と。
その瞬間、土方は本能的に危機を感じ、全身の毛を逆立てた。
旅装を解く間もなく新入隊士全員が近藤の部屋に集められ、それぞれが局長と副長に紹介を行った。
天然理心流の門弟から横倉甚五郎、安富才助、大石鍬次郎らが参加し、近藤に挨拶をして旧交を温める挨拶を交わす。
伊東の同志には実弟の三木三郎、道場の師範代で内海次郎、中西登らがおり、その中でも常から交流していた加納鷲雄、服部武雄、佐野七五三之助、
篠原泰之進の四人は神奈川奉行支配下の外国人居留置地警備を経験していた。
近藤の道場にたむろしていただけの自分たちとは異なる経歴に、土方は内心引け目を感じた。
そしてそれが悪かったのか、伊東の論に言葉を詰まらせてしまった。伊東が勤皇の志を持つ者として、佐幕の立場を明確にしている新選組に
加入するというのはいかなる覚悟なのかを問うと、伊東は幕府が天皇に忠義を尽くす立場であることは理解しており、
将軍家茂や松平容保の名まで持ち出して両名が孝明天皇の信任を得ているならばなおさらであると論破した。
そこまで言われては土方も言い返すことは何もなかったのである。
部屋の外で中の会話を盗み聞きしていた隊士たちには笑われ、伊東には怪しい目つきで舐めるように見つめられ、土方は日が落ちる前に疲れ果てた。
夜になり、邸内がやや落ち着きを見せると、機嫌の悪い土方の元へ近藤が訪れてきた。
「なあ、そんなに伊東さんのことが気にいらんか?」
と近藤が切り出すと、土方はますます眉間に皺を寄せる。そんな土方に近藤は伊東を加入させた意味を説いた。今在籍している隊士たちの
中には何の学もなく、ただ力を誇示したい者たちがいる。そうした者たちにも学問をさせることで思想を持たせ、より強力な組織立てをすることを
目標に、立派な学識のある伊東を同道させたのだと。
土方自身は隊士たちが高い教養を持つことは扱いの邪魔になるので反対だが、行いを正しくするのにはやぶさかではない。
しぶしぶながら近藤の弁に頷いた。
しかし伊東は気に入らない。自分より背が高いところも、剣も学問も上なところも。そして自分を奇妙な眼差しで見つめることも、全てがだ。
絶対に伊東と相容れることはないと、近藤に向かって断言した。
それでもいいと近藤は言い、伊東の加入を受け入れてくれた土方に抱きついて感謝する。近藤は土方の拒絶を予想しており、
伊東を受け入れない可能性も考えていたのだろう。
まるで浮気を取り繕う亭主のようだと土方が笑うと、近藤は、
「スマン…実は江戸でもうひとり浮気した…」
と告白した。
「何?」
土方はまた伊東のような変人を、と思って目くじらをたてる。
「こっちはトシも惚れる人物だ! きっときっと」
近藤は胸倉を捕まれながら弁明する。
そこへ沖田が二人の言い争いを夫婦喧嘩に見立て、ふざけて乱入してきたものだから、土方はますます機嫌を斜めにした。
翌二十八日。
昨日到着した隊士たちはゆっくりと一日を過ごし、旅の疲れを癒していた。その一方で土方は自分の成すべき仕事をこなす。
まずは新入り二十三人の名簿を作り、隊内における仮の配置を決め、近藤と山南に提出した。しばらくはその配置で様子を見、改めて各組へ割り振る予定である。
そして近藤への造反騒ぎを起こした永倉の謹慎を再開させた。江戸で近藤と行動を共にして信頼関係を深めた永倉はおとなしく謹慎の続きを受け入れた。
伊東という異分子が入り込んできて警戒と仲間の結束を固めなければならぬ今、その姿勢に土方はほっとした。
その日の夕方、近藤の元へ伊東がやってきて、今後についてあれこれ話をしていった。
ついでだからと近藤は前川邸と八木邸の案内をすることにし、二人はそれぞれの邸内を歩き回った。
まずは前川邸、次に八木邸を巡って、再び前川邸に戻ろうと二人は門に向かう。
その時、前川邸の角をふたつの影が曲がってきた。
「あ、局長」
「おや、君、山崎君」
呼ばれて近藤がそちらを向くと、そこには――と、山崎がいた。
「局長はん、江戸からお戻りにならはったのどすな」
見知らぬ人物が近藤の隣に立っているのに気づいた山崎は、近藤に話しかけるのと同時に一歩前へ進み出て、を背に隠す。
「昨日戻ってきたんだよ。君たちこそ、大坂から帰りか?」
近藤は笑顔で山崎に近づいてきた。
「はい、ただいま戻りました」
山崎が頭を下げると、も一緒に頭を垂れた。
「伊東さん、いい機会だから紹介しよう。こちら隊士の山崎君、そちらが山口君だ。二人とも、この方は伊東甲子太郎さん。新しく加わってくださった、神道無念流と北辰一刀流の遣い手だ」
近藤は手で二人を指し示し、伊東の紹介もした。
「山崎烝です。よろしゅう」
山崎は人なつこい笑顔を浮かべ、伊東に改めて頭を下げる。
「山口と申します。以後お見知り置きを」
山崎に続いても自己紹介をした。
は伊東の顔を仰ぎ見る。三日月のような眉ときらきらと光る黒い瞳が白い肌に映え、各部の配置も完璧な、美しい男だと思った。
伊東のほうもをじっと見つめており、は土方とは異なる柔らかい視線を受け止めた。
「僕のほうこそよろしく、山崎君、山口君」
伊東がにこりと優しげな笑みを湛える。
そしてつかつかとに近寄り、彼女の後頭部を興味深そうに眺めた。
「山口君、君は髷を結っていないのだね。そんなに短いのは初めて見たよ」
「は、はい。あの、なかなか伸びませんで…」
は咄嗟に切り替えした。この時代の男で髷を作っていない武士はほとんどいない。自分では意識していないが、端から見ればそう見られるのだ
ということを、は改めて感じた。
「そうなのかい、何か故あって短くなってしまったのだろうけれども、早く伸びるといいね」
伊東はかろうじて結んであるの髪をしげしげと眺めて言う。そしてほつれて落ちている襟足の髪をくるりと指に巻きつけた。
「珍しいが…美しくもある。君のきれいな顔かたちによく似合っているよ」
くすくすと伊東は笑った。
は歯の浮くような台詞に愛想笑いを浮かべながらも、注意深く伊東の様子を見つめ続けた。いったいこの男はどんな男なのだろう、と。
「そうだ伊東さん、君はすっきりしたいいお茶を煎れてくれるんだが、ひとつごちそうになりませんか? 歩き回って喉が乾いたでしょう」
近藤が横から口を挟んできた。
「そうなのですか? それはちょうどいい、ぜひご相伴に預かりたい」
伊東はするりとの髪から指を抜き取った。
「頼めるかい、君」
「はい、では荷物を置いて土方さんにご挨拶してから」
「ちょっと一杯煎れてもらうだけだから」
と言って近藤はの荷物を山崎に預けると、土方の元へ行こうとしたの腕をとって伊東と共に離れへ歩いていった。
山崎は自分との荷物を抱えると慌てて副長室へ飛び込み、帰営の挨拶もそこそこに、門前であったことを早口でまくし立てた。
土方は、近藤と一緒とは言えがあの伊東の元に連れて行かれたと知ると、血相を変えて部屋を飛び出す。
ちょうどそこへ、離れへ向かう三人の背中が見えた。
「!」
頭一つ小さい背中に向かって、土方は怒鳴りつけた。
「あ、土方さん、すぐに戻りますから。お部屋で待っててください」
は肩越しに振り向き、土方にぺこりと頭を下げる。
伊東も同時に振り向いたが、土方が険しい顔でこちらを睨んでいるのに気がつくと、何かを察しての肩に手を回した。
背後の気配が一層恐ろしいものに変わる。はもう一度振り返ろうとしたが、伊東の腕に邪魔されて後ろを窺うことが出来ない。
伊東はやはりと笑みを深めると、さらにに体を寄せて離れへと入って行った。
「副長はん」
山崎に呼ばれて土方ははっとする。
気を取り直し、土方は踵を返すと自室へ上がった。
「山崎、ご苦労だった。よくをここまで戻してくれたな」
土方は腰を下ろして咳払いをひとつし、山崎に話しかける。
「初めからはんと合流できず、ご心配をおかけしてすんまへんでした」
山崎は畳に手をつき、深々と頭を下げた。
「この前はとんぼ返りさせたから聞いてなかったが、大坂の様子を聞こう」
「はい」
土方は腕を組み、山崎に話を促した。
が無事に戻ってきた。
そのことに土方は心底安堵する。何の便りも寄越さずこれほど長く離れていたのは初めてのことだった。
だが同時に伊東の態度が気に障る。
が戻ってきたら自分がいの一番に出迎えてやろうと思って僅かな外出すら控えていたのに、肩まで抱いて離れに連れていってしまうとは。
ただでさえ気に入らないのにをさらわれ、ますます癪に障る。
土方は山崎の報告を聞きながら、の戻りを今か今かと待ちわび、障子の外に神経を集中させていた。
茶を煎れるだけと言っていたのに結局夕餉までつきあわされ、日が落ちてしばらくしてからはやっと土方の部屋に戻ってきた。
土方は当然のごとくお冠で、はしばらく話しかけることが出来なかった。
20100207