久遠の空 ドリーム小説 片棒 2

片棒

update:2010.01.08

片棒 2 

 「、今から言う内容を含んで代筆しろ」
 「かしこまりました。どなた様宛てでしょうか」
 「勝安房守だ」
 「はい、“かつあわのかみ”様…と」
 「安房守の妹婿が佐久間象山で、三浦敬之助はその息子だ。つまり安房守にとって啓之助は甥っ子だ。様子を知らせる書状を送る。 いいか、“甥御の三浦敬之助殿は会津藩の山本覚馬殿のご紹介で新選組に落ち着いた。父親の仇は探索の末に判明したが、禁門の変で 生死不明である。仇のため、国のため、啓之助殿は文武ともに研鑽を積んで…”いねえがいることにしておいて、心配無用と結べ」
 「…はい」
 「何だ」
 「難しいなと思って…」
 「適当に何とかしろ」
 「はい」


 土方はに自分の仕事を手伝わせることにした。
 今までも雑用や日常生活のことなどはやらせていたが、今後はもっと隊務に踏み込んだことを手がけさせる。

 手始めは書状の代筆である。
 こちらの時代に来てから一年半が経過し、斎藤の手ほどきと本人の努力によって、読み書きは普通に出来るようになってきた。 自分の名代として表に出すことは出来ないが、書状ならば己の意を汲んで代わりに書けるだろうと土方は踏んだのだ。
 「えっと…書き出しはどうしますか?」
 障子越しの朝の光で手元を明るくし、は聞いた。
 「そうだな…」
 土方は文机をとんとんと指で叩きながら思案する。


 結局は文面のほとんどを二人で考え、が清書した。
 最初はこんなものだろうと土方は思った。いくら読み書きに慣れてきたと言っても、初っ端から何もかも完璧に出来るわけではない。
 は何とか書き終えると、乾かすために紙を広げた。

 「ところで…“かつ”様とはどのようなお方ですか?」
 「作事奉行次席軍艦奉行の、勝安房守海舟だ」
 「え、勝海舟…」
 「ああ。幕府に仕えている安房守の甥をうちで預かっているとなりゃあ、そのつてを逃す手はねえだろ」
 「はあ…」

 事も無げに言って自らも文机に向かう土方の背を、はじっと見つめた。
 歴史には詳しくないが、勝海舟の名は授業で知っている。徳川幕府の要人だったはずだ。
 はそんな偉い人に代筆であっても手紙を書いてしまったことに目を泳がせる。
 やはりここは江戸時代なのだと、改めて思わされた。



 書状が乾くとはそれを紙で包み、懐に入れ、日課である黒谷へと向かうことにした。
 式台へと続く廊下を歩いていると、その真ん中に立つ者がいる。
 「おはようございます」
 「ああ、山口さん…でしたっけ」
 その人物は三浦敬之助だった。啓之助は眠そうに欠伸をすると、胸元に手を突っ込んでぼりぼりと掻いた。
 「今からご出仕で? 英吉利語のお勉強をなさってるんでしたっけ。頑張ってくださいねえ」
 「ありがとうございます。では失礼を」
 は頭を下げ、啓之助の横を通り抜けようとした。
 すると啓之助はの腕をぐっと掴んだ。

 「…何か?」
 は啓之助を見上げる。
 「あんた、土方さんの小姓なんだっけ」
 「はい」
 啓之助はじろじろとを見つめた。
 この手の視線に、は慣れている。自分をしつこく見つめる理由はだいたい二つだ。ひとつは“鬼副長の小姓などよく務まるな”という 唖然とした視線。もうひとつは“あの鬼とデキているなんて、どういう奴なのだろう”という好奇の視線だ。敬之助の目は明らかに両方である。
 「気の毒というか物好きというか…まあ、どちらでも構わないが」
 鼻で笑うと啓之助はの腕を放した。は相手の気分が悪くならないようゆっくりと手を引き、風呂敷を両手で抱える。
 「俺の叔父上は勝安房守だ。何か困った時は言ってくれな」
 啓之助はにやけた顔で言った。
 「はい」
 は自然に目線を外し、再び頭を下げる。
 「じゃあひと眠りするかぁ。ゆうべは夜番上がりの隊士たちに叔父上の話を朝まで聞かせてやったから眠くて…」
 啓之助はふわあとまた欠伸をすると、だるそうに肩を叩きながら隊士部屋に戻っていった。

 は肩越しに啓之助の後ろ姿を見つめた。
 先ほど見つめた土方の背中とは、決定的に違うものを感じる。
 啓之助が纏う空気は柔らかいが澱んで見える。が、土方の背負う気配は触れたもの全てを切り裂くような、凄烈な空気だった。
 そう思ったもののそれ以上余計なことは考えず、は行きがけに書状を飛脚屋へ頼むことを念頭に置きながら、前川邸を出た。




 同じ頃、近藤は江戸にて奔走していた。
 京を出て桑名宿(三重県桑名市)に至った近藤一行は、次の宮宿(愛知県名古屋市)までは海上を渡った。宮宿まで陸路もあるが、 七里の渡しと呼ばれる帆船での航行がもっとも早い移動手段だからだ。しかし海は大いに荒れ、雷が轟き、豪雨に見舞われ、険しい海路となった。 無事に宮宿へと到着すると早駕籠を乗り継ぎ、東海道中もうひとつの海路、新居宿(静岡県浜名郡)と舞阪宿(静岡県浜松市)を結ぶ 今切の渡しではまた海路、船を下りて再び早駕籠に乗り換え、検問の厳しい今切と箱根の関所も急行で突破し、 何と五日間の旅程で江戸に着いてしまった。

 夜を日に継いでの強行軍に疲れ果てた四人を迎えたのは、先月末、先に江戸入りしていた藤堂平助だった。
 江戸市谷甲良屋敷にある試衛館に旅装を解いた一行は、近藤の養父周斎、妻ツネ、娘のたまと面会し、旧交を温めたり紹介したりの一夜を過ごした。

 翌日から近藤たちは幕閣に面会するための周旋を始めた。
 永倉は己のつてを辿り、近藤らは江戸城西の和田倉御門にある会津藩邸を訪れ、助力を嘆願した。その結果、老中の松前伊豆守との面会にこぎ着け、 将軍上洛について伺いを立てた。

 近藤は松前伊豆守に将軍進発を唱える。
 伊豆守はなかなか色よい返事をしない。が、近藤の切々たる訴えに重い口を開いた。将軍上洛には莫大な費用がかかり、 容易に首を縦に振れるものではないのだと。随行する旗本らに支給する支度金も満足に出すことが出来ないほど、この時期の将軍家の財政は 逼迫していたのだった。

 ならば無給であろうとも将軍に着いて上洛し、先陣を切って長州へなだれ込むのが本当の旗本、侍の姿ではないかと近藤は伊豆守に上申した。 老中の手前であるがゆえに言葉を選んだが、旗本の役目とは何だと叫びたい気持ちでいっぱいだった。


 近藤は気持ちを切り替えて、藤堂に任せていた隊士の募集に着手することにした。
 そしてこの江戸で近藤は、二つの大きな出会いを果たした。
 後に新選組に加入し、隊内に波紋を起こす伊東大蔵(甲子太郎)。
 幕府の奥医師、松本良順。
 この出会いは、良くも悪くもと土方の運命に関わることとなる。



 さらにその江戸で、九月二十日に大金が動く決定が下された。
 馬関戦争で勝利したアメリカ・イギリス・フランス・オランダの四カ国は賠償金を請求してきた。請求された長州藩は、この戦争は朝廷と 幕府に命じられて行った攘夷活動であり、その責任は全て幕府にあると主張したのである。

 四カ国連合軍は幕府に賠償金の矛先を向け、幕府に支払いをせまった。
 幕府は攘夷の責任を盾にされては言い訳も出来ず、全額を支払うことに同意した。

 その額、およそ三百万ドル。
 安政二(1855)年の交換レートで換算すると約900億円―――
 一説には国家予算の約半分とも言われる賠償請求を、幕府は呑むことになってしまったのである。
 なお余談だが、幕府はこの賠償金のうち百万ドルを慶応二(1867)年から三年(1868)にかけて支払った。残りの二百万ドルは明治新政府が継承せざるを 得なくなり、新政府は明治七(1874)年七月に返済を完了する。

 こうして幕府は密かに、攘夷から手を引いてしまったのであった。



 遠い江戸で大きな動きがあることなど知らぬ京の土方は、苦り切った顔で黒羽二重の羽織に腕を通した。
 これから松代藩士の北沢正誠に面会に行かねばならないのである。

 佐久間象山の死を知り、佐久間家のお家断絶を憂慮した京都所司代の松平定敬が、実兄である京都守護職の松平容保に働きかけ、 象山の子である三浦敬之助が松代藩へ帰藩出来るよう要請したのである。容保公はそれを受け入れ、啓之助を預かっている新選組に事態の収拾を命じた。
 局長たる近藤は未だ江戸に下っており不在である。となればその任は土方が負うことになる。余計な用を増やしやがってと、土方は心の中で毒づいた。

 土方は羽織の紐を確かめ、前川邸を出る。
 供には監察の浅野藤太郎をつけた。
 「三浦さんが叔父上である勝安房守様の自慢話ばかりをして鼻につくとの文句を言う隊士も多かったですし…言い方は何ですが、これで 厄介払いが出来るとあれば悪い話ではないのではないでしょうか」
 浅野が土方の後ろから付き添いながら言う。
 「…そうだな」
 土方は曇った空を見上げる。
 浅野の言うことはもっともだと土方も思う。ただし、この交渉がうまくいけばの話だが。


 土方の杞憂は現実のものとなってしまった。
 松代藩は啓之助の帰藩を認め、土方の訪問から二日後に、三名の使者を新選組の屯所に送ってきた。
 早朝に訪れた使者は客間に通され、が茶を出しに行った。
 使者の元に土方が顔を出し、挨拶を交わす。そして起きたばかりの啓之助が来るのを待った。

 が土方の部屋に戻り出仕の支度をしていると、どこかで大きな音がした。
 しばらくすると土方が荒々しい足音を立てて部屋に入ってきた。
 「どうか」
 したんですか、とが言い終える前に土方が気色ばむ。
 「あの野郎…せっかくの帰藩を蹴りやがった」
 「え?」
 土方の言葉には目を丸くした。

 松代藩が前日に使者が来ることを書状で知らせて来て、そのことを言い含めておいたにも関わらず、啓之助は寝坊した。 寝ぼけ眼で使者の前に現れた敬之助は、柔らかな口調で帰藩を勧める使者たちにこう言ったのだそうだ。
 「父を突然亡くして失意のどん底にいる私から家名まで取り上げた藩の言うことなど信用できない」
 そして手元にあった茶を廊下に投げつけ、わざわざ来訪してくれた藩士三名に礼も言わず隊士部屋に戻って行ってしまったのだ。

 使者たちは今回の話が京都所司代と守護職からもたらされたものであったため、啓之助の仕打ちに何も言わずに去っていった。
 門の外まで見送った土方は丁寧に頭を下げ、三人の影が角を曲がって見えなくなるまで見送った。
 土方が戻ってきた客間の廊下には、割れた極色彩の茶碗が転がったままになっていた。


 むっとしたままの土方を残し、は黒谷へ向かった。
 啓之助に関する会津藩への報告をに頼んだ土方は、己の仕事を確認する。

 まったく厄介な奴を抱え込んじまったもんだ。これで啓之助は二度と松代藩に戻ることは出来ないだろう。つまり、啓之助は新選組に留まるのだ。
 蜜柑は同じ箱の中にひとつでも腐ったものが紛れ込んでいたら、その周りもすぐに腐ってしまう。そうならないように細心の注意を払わねばならない。
 万が一の時には啓之助の紹介に来た山本覚馬に相談することに決め、会津藩の隠密で連絡のつけやすい斎藤の組に入れて見張らせるのが一番だと土方は思い、 後で斎藤に打診してみることにした。


 隊をまとめようとすればするほど、手から砂のようにこぼれていくのは何故なのだろう。
 組織という単位の難しさが土方を襲う。


 しかし同時に、自分の考え通りに動いてくれる面々もいる。
 沖田、井上、山南は、時折私見を述べることもあるが、おおむね自分についてきてくれている。 謹慎中の原田、江戸に行っている永倉、藤堂も、隊をまとめるために力を貸してくれるだろう。


 そしてだ。
 を今後どう使えるようにしていけるか。
 何を彼女に振り分けることが出来、その分自分が動けるようになれるか。
 土方は己の仕事をひとつずつこなす度に、これはに任せらそうか、無理そうかを考えていく。
 どこか楽しささえ感じながら、土方は仕事をこなしていった。



 ところが、事は土方の思うようになかなか進まなかった。
 十月に入り、七日のことである。前川邸を二人の男が尋ねてきた。

 これから朝餉という早い時間、静かな邸内の廊下をどすどすと複数の足音が行く。
 「お待ちください、お客人は客間にてお待ちいただいて…!」
 応対に出た平隊士が必死に訪問者二人を押し留める。
 土方はその足音と隊士の声を聞き、何事かと思って廊下に出た。
 つられるようにも土方に続いた。

 「いいじゃねえか、俺たちは近藤先生の門人だっつってんだろ」
 「そうさ、土方さんとだって知り合いなんだからよ。あ、あれ土方さんじゃねえか?」
 男二人は、廊下の向こうから土方の姿を認めると駆け寄ってきた。
 「よーう土方さん、久し振り! すっかり立派になっちまって!」
 そのうちの一人が土方の肩をばんばんと両手で叩きながら笑顔を見せる。
 「近藤さんに聞いたぜ、大活躍なんだってな! 俺たちもこの新選組とやらに入れてくれよ」
 もう一人も土方の身なりを眩しそうに眺める。
 朝っぱらからの大声に、他の隊士たちも部屋から出てきた。


 「松木、小林…お前ら、近藤さんと江戸で会って話して、ここに来たのか?」
 はそう言う土方の声を聞き、背筋をぞくりと震わせた。
 確かにこの二人は土方の知り合いであるようだ。おそらく近藤の門人というのも嘘ではないだろう。だが、土方が語りかける声は 知己の人物に向けるような色を含んでいない。
 「ああ、近藤先生から…なんだっけ、池田屋? の話とか聞いたぜ」
 「そうそう、それで俺たちも一緒に戦ってみたくてよ〜。近藤先生には内緒で来たんだけどな、驚かそうと思って」
 二人の男――松木と小林は顔を見合わせて頷いた。

 「帰れ」
 土方は鋭く言い捨てた。
 「え? 土方さん、何だって?」
 「多摩に帰れっつったんだ」
 二人の問い返しに土方は顔を上げた。眉がきりりと吊り上がり怒りを露わにしている。
 はやはりと天を仰ぐ。
 「な、何でだよ土方さん。隊士募集してんだろ?」
 「俺が認めねえっつったら駄目なんだ。お前たちの入隊は許可しない。もう一度だけ言う。多摩に帰れ」
 食い下がる同郷の二人に土方は冷たい一別をくれると、己の部屋に戻っていった。

 「お、おい、土方さん」
 「お待ちください」
 二人はなおも土方の部屋に入って話をしようとする。しかしが障子の前に立ちふさがった。
 「あんた何だよ」
 「土方副長の小姓で、山口と申します。副長はもう面会に応じられないと思います。お引き取りください」
 は丁寧に頭を下げる。
 「もうちょっと話をすれば土方さんだって許可してくれるって。だから話させてくれ」
 「そうだよ、あんた小姓だろ? 頼んでくれよ」
 二人はに迫った。

 「…お引き取りを」
 は頭を上げると、二人の顔をまっすぐ見つめた。
 その静かで感情の見えない視線に、多摩から来た二人は思わず一歩下がる。
 「わ、わかったよ、帰りゃいいんだろ!」
 「ちぇ、偉くなってすっかりお高くなっちまったもんだな、土方さんは」
 気圧された二人はぶつぶつと文句を言いながら前川邸を出て行った。

 ふうと気を吐いて、は障子を開いた。
 するとすぐそこに土方が立っていた。
 土方は廊下に出て辺りを見回す。そこかしこから見物に出ていた隊士たちの顔が見えた。
 「てめえら、いつまで雁首揃えてるつもりだ!」
 土方が一喝する。隊士たちはささっと姿を引っ込めた。

 土方は黙って室内に戻った。
 尋ねてきた二人は無腰、つまり刀を差していなかった。もし近藤からきちんと話を聞いていたならば、新選組はどんな集まりなのか わかっているはずだ。刀の一本でも用意してから来るのが筋というものだろう。
 そして今、自分は新選組を束ねる立場にある。 規律も厳しく設定している。なのに同郷と言うだけであのように馴れ馴れしいところを皆に見られては、隊内の士気に関わるではないか。 土方はあのような輩の入隊を絶対に許すわけにはいかなかった。
 背を向ければ帰ると思ったのにあの二人はにつっかって来た。土方はどうしてくれようかと障子に手を掛けたが、は 何事もなく二人を追い払った。その様子を障子越しに聞いて、土方はに何もされずほっとすると同時に、の意外な態度に感心していた。
 いい胆力だ。これならばもう少し用事を言いつけてもよさそうだ、と土方は顎をさすった。



 しかし、そのはしばらくの間京から姿を消すことになる。
 一橋慶喜の招集を受け、大坂に下ることになったのだ。




 20100103