久遠の空 ドリーム小説 片棒 1

片棒

update:2010.01.01

片棒 1 

 まだうだるような暑さの残る九月初旬、新選組副長である土方歳三は、自室の文机でぼんやりと頬杖をついていた。


 禁門の変で御所に向かって発砲し朝敵となった長州を征伐するため、幕府は長州に向けて出兵することになった。
 しかしその総督を命じられた御三家の一、紀州藩の徳川茂承が役目を辞退してしまい、変わって同じく御三家である尾張の徳川慶勝に就任が 要請されたが、ひと月ほど経った今もまだ受諾の返事はなされていない。さしもの朝廷も業を煮やしたのか、将軍自ら戦の先頭に立つことを求めたが、 幕府もまた動かずにいたのである。

 御三家に征伐総督の命が下った頃、長州は馬関(現在の関門海峡)でアメリカ・イギリス・フランス・オランダの四カ国艦隊と戦争を行った。 馬関戦争(下関戦争)である。長州は攘夷の名の下に、前年にも同じ場所でアメリカとフランスの商船に砲撃を加え、 逆に砲撃されて海軍を壊滅に追い込まれてしまった。しかし海路封鎖には成功し、米仏両国の通商に打撃を与えることに成功していた。
 それを不服に思ったアメリカは今回、先に挙げた三カ国と手を結び、総勢十七の艦隊を組んで徹底的に長州藩の砲台を攻撃、 完膚無きまでの懲戒行動に出たのである。

 長州は今、禁門の変でも馬関戦争でも疲弊している。
 今こそ奴らをたたきのめす絶好の機会だというのに幕府のお偉方は何をしているんだと、土方の苛立ちは募るばかりだった。


 また、新選組の内部でも様々な問題が持ち上がっていた。
 永倉が近藤を糾弾したのだ。
 近藤はここ最近、馬を仕立て供揃えをなして公用へと赴くようになった。
 沖田や井上たちは近藤が大身の武家のごとき立派な姿になったことを喜んでいたが、異を唱える者もいた。その最たる者が永倉で、 彼の所見は神谷に言わせれば「生来の武士としての矜持を持つ人から見れば、農民出の局長の供揃えはうそ寒く映るかもしれない」のだ。 しかし土方は違う。近藤は元を辿れば農民の出であることは間違いないが、天然理心流の宗家に入り、歴とした武士の家柄となったのだ。 沖田たちのようにはしゃぎはしなくとも、近藤が威厳ある見た目になったことは喜ばしいと思っている。

 それに加え、近藤の妾についても永倉は不満があった。
 たまたま入った三本木の茶屋で、近藤が囲った元芸妓の駒野が男を匿っており、近藤に貢がせていることを女中たちの会話から 知ってしまったのである。近藤が、ひいては新選組が笑い者にされているといきり立った永倉は、己の考えに同意した 原田、斎藤、島田魁、尾関雅次郎、葛山武八郎の五名と、切腹覚悟で自分たちの預かり元である会津藩主・松平容保の元へと直談判に行き、 思いついたその他の不満を交えた五ヶ条を建白書にして提出したのだ。

 幸い斎藤が先に手を回して容保公に和解の仲介を取りなしていてくれたので助かった。自分も不穏な空気を察知して、こじれた時のために 島田を配しておいたが杞憂に終わり、土方はひと安心した。が、隊内を揺るがせた責任は取ってもらわないとならないので、 糾弾を行った六名をしばらくの間謹慎処分にすることとなった。


 入京以来増えてきた隊士たちのことも、土方にとっては悩みの種だった。
 永倉を首謀とする糾弾事件には、一人の男が余計な口を差し挟んだことも関係している。武田観柳斎という男で、本人曰く出雲の出身、 甲州長沼流兵法という軍学を身につけており、隊内唯一の軍学者であることから近藤に気に入られていた。
 ところがこの男はやたらにおべっかを使い、我先にと話したがる傾向にあった。自分の思ったことを口に出さないと気が済まないらしい。 近藤の供揃えのことも、永倉に「これほどのご立派な方を頭として、我々も鼻が高いですなあ」などと、まるで自分たちが近藤の臣下のように 何度も話すものだから、永倉も疑心暗鬼にならざるを得なかった。

 容保公の取りなしで和解の酒宴を行った帰り道、近藤たちが二条の橋にさしかかった時に武田が橋の向こうから現れ、自ら腰間の二本を抜き取ると、 「この度のことは拙者が悪かった。局長があまりにもご立派になられたのでつい言い過ぎた。どうぞこの首を打たれい」と土下座した。 近藤も永倉も、もう済んだことだからと武田を許して一緒に前川邸へ戻ってきた。
 それも土方にしてみれば馬鹿馬鹿しい話だった。近藤が立派になりすぎたからだなど、自分のせいではないと言わんばかりではないか。 自分が悪いと思うならさっさと腹でも切ればいい、謝ったのもどうせ保身のために過ぎないだろうと土方は鼻息を荒くした。
 それに最近島田から報告があったのだが、何人かの若い隊士が武田に言い寄られたらしい。武田には衆道の気があるようだ。ただでさえ 鼻持ちならないむかつく野郎だというのに、さらに火に油を注ぐような情報がもたらされ、土方はぞくりと背筋を震わせる。

 隊士の問題を言うならば、もうひとつ土方にとっては頭の痛いことがあった。
 七月に、幕府の命令で入京していた松代藩士・佐久間象山が殺された。その息子が敵を討ちたいからと、新選組に入隊してきたのだ。
 名は恪次郎と言い、象山を砲術の師と仰いでいた会津藩の山本覚馬の紹介で食客となった。象山が武士にあるまじき後ろ傷を負って 亡くなったため、佐久間家はお家断絶の憂き目に遭い、恪次郎は三浦啓之助と名を改めた。

 近藤は、啓之助の身の上を心配すると同時に会津藩からの紹介だということで丁寧に接した。それを変に取られたらしく、啓之助は大きな態度を取りだした。 巡察に出たり出なかったり、隊士部屋でごろごろしていたり、勝手に遊びに出かけたり。
 自分たちの雇い主からの預かりものであるし敵を討つまでの辛抱だと思い、土方もそれとなく注意するに留めていたが、本当の隊士ならば 厳しく取り扱いたいところだ。土方はいっそ何があっても教育的指導だいうことに出来ないかとまで考えてしまっていた。
 敵討ちの相手は禁門の変で生死不明になっている。土方は山崎と島田に命じ、任務の他に啓之助の敵の消息を探るように申し渡していた。


 そして、もっとも気にかかるのが近藤のことだ。
 近藤も幕府の決断力のなさをふがいないと憤慨しており、何度も容保公に書状を書いて、将軍の進発を提言している。
 その近藤が今日、容保公に呼び出されて黒谷に赴いていた。近藤の考えに対して何らかの下知があるのかも知れないと土方は踏んでいる。


 永倉たちの糾弾。
 新規加入の隊士たちの素行。
 近藤のこと。
 さらに、池田屋で傷を負った藤堂を隊士募集の名目で先月下旬から江戸に戻しており、試衛館の仲間は手薄だ。
 新選組という組織を充実させるためにやらねばならぬこと、考えなければならぬことは山ほどあったが、自分の意を汲むことの出来る手駒が足りない。
 こんな時は使える者だけを使い、切り開いた隙間から時が動くのを待つしかない。
 土方は頭の前で手を組み、自分にそう言い聞かせた。


 「土方さん」
 とその時、部屋の障子が開いた。
 が黒谷から戻ってきたのだった。
 「何だお前、今日は早いな」
 土方は組んだ手を解き、の方を向く。まだ外は明るく、が帰営する時間にはほど遠い。
 「ええ、あんまり暑くて皆がばててきたんで、今日はもう終わりにするってハーバー先生が」
 は手拭いを取り出して額の汗を拭いながら言った。
 「フン、根性のねえ野郎どもだ」
 土方は団扇を取り出してぱたぱたと自らを扇ぐ。
 「京都の夏は暑すぎます。皆が皆、土方さんみたいに健康で体力も根性もあればいいんですけど」
 も荷物をしまうと団扇を手にした。

 二人が黙ると、非番の隊士たちが邸内で過ごすざわめきと蝉の鳴き声だけが聞こえてくる。
 あのざわめきのどこかでまた問題を起こしている奴がいないかと、土方は頭を外に向けた。
 「お茶、お淹れしましょうか」
 がすっと立ち上がって土方に聞く。
 「ああ、もらおう」
 土方が答えた。

 部屋を出て行ったは茶を二つ持って戻ってきた。
 濃いめに淹れて水を足し、冷たすぎないように調整した茶が喉の奥へ滑り落ちる。
 ふとを見ると、書見台を前にして茶を飲みつつ、英吉利語の勉強を始めていた。
 静かで邪魔にならない気配に土方は背を向け、再び考え事に埋没した。




 翌日も近藤は黒谷に呼び出され、夕刻になって戻ってきた。
 「トシ、江戸に行くことになったぞ」
 近藤は息を弾ませて土方の部屋に入ってきた。
 「あ? 江戸だと?」
 土方は近藤を仰ぎ見る。
 「ああ、肥後守様のご内意でな」
 「待ってくれ、山南さんを呼んでくる。話はそれからだ」
 話を続けようとする近藤を押しとどめ、土方は山南を呼んだ。

 近藤は黒谷で容保公から承った話を副長二人に聞かせた。
 近藤は永倉が江戸詰の松前藩士の嫡男という出自を利用して、七月に老中格兼陸海軍総奉行に就任した松前伊豆守と面会する心づもりを容保公に伝え、 それが承知されたのだ。

 土方は反対した。永倉は局長への糾弾を行った罪で謹慎中の身である。僅か数日で謹慎を解き、大事な任務に同行させるなど、 他の隊士への示しがつかないからだ。
 しかし近藤は譲らなかった。今、新選組内にある経歴を最大限に活用して攘夷を訴え出るべきだと。そして将軍を崇める者同士、心を合わせて この任務を成功させられるはずだと。
 土方は折れた。現時点で使える者を使うという主張には賛成であるし、近藤も永倉も幕府に忠誠を誓っていることには違いない。 近藤の意思に任せることにした。


 九月五日、近藤は永倉、武田、尾形俊太郎の三名を伴い、京を離れた。
 先の六名と武田が謹慎している部屋にて永倉を連れて行くと申し渡した際、武田も同行を願い出た。連れて行くのは永倉だけだと近藤は言ったのだが、 ぜひ自分も連れて行って欲しいと武田は訴え、延々と勤皇の志について話し始めたのである。口先は軽いが、頭は悪くなかった。近藤はその熱心さを 認め、武田も同行させることにした。



 こうして、糾弾を行った六名の内、二名が局長に同行して江戸へ下った。
 (かっちゃんめ…人がいいのはいいが…)
 まだ強い日差しの下、土方は近藤たちの背中を見送りながら唇を噛んだ。
 謹慎を一時中断して連れて行くのは、一人ならば、そしてそれが試衛館の者ならばまだいい。京で同志となった、しかも胡麻擂りの武田の同行を 許してしまった。平隊士たちも今回の糾弾・謹慎騒動は何だったんだと放談し始めた。

 ここで隊士たちを引き締めておかねばならない。
 土方の頭の中に、ひとつの策が思い浮かんだ。


 「総司、来い」
 見送りが済むと、土方は沖田を部屋に連れてきた。
 「明日、謹慎中の葛山を切腹させる。お前が介錯しろ」
 部屋に入るなり土方は命じた。
 「かしこまりました」
 沖田は頷く。
 「じゃあ本人に伝えないといけませんね」
 「ああ」
 土方と沖田は立ち上がり、部屋を出て行った。


 が黒谷から戻ると、邸内の雰囲気がおかしいことに気がついた。落ちつきが無く、ざわついている。
 「あ、神谷さん」
 ちょうどそこへ晒しを抱えた神谷が通りかかったので、は神谷を呼び止めた。
 「何かあったんですか?」
 「大変なんですよ、葛山さんが明日、切腹になったんです」
 「え?」
 は耳を疑った。
 「ほら、葛山さんたちが肥後守様へ局長を訴えたじゃないですか。あれの責任を取って詰め腹を」
 神谷は声を潜める。
 「…そうですか、わかりました。引き留めてすみませんでした」
 は事態を悟ると、神谷を解放して土方の部屋へ向かった。

 部屋に入ると土方がおり、二人は普段通り食事をして寝るまでの時間を過ごした。
 「明日、葛山を切腹させる」
 寝る間際に一言だけ土方は告げた。
 「はい」
 も一言だけ返事をした。



 翌朝、葛山武八郎は罪を問われて切腹となった。
 前川邸の庭に筵が敷かれ、青い顔をした葛山がその上に座る。
 介錯は沖田が務めた。
 葛山が震える手で目の前に置かれた三方の上の切腹刀に手をかけた瞬間、沖田の剣が一閃した。



 切腹の場には立ち会わなかったが、その代わりには土方から庭が清められるのを見届ける役を任された。
 「これで…よかったのだろうか…」
 掃除が行われている庭の縁側に座り、同じく清掃を見届ける役の山南が呟く。
 「隊内の空気が緩んでいたことには違いなかった。しかしだからと言って…」
 そう言って項垂れる山南を、は隣に座って見つめた。

 土方の考えそうなことだった。
 永倉と武田が近藤に同行したことで、隊内が浮き足立っているのはも感じていた。
 謹慎を命じられた残り五名の中で、原田と斎藤は試衛館時代からの仲間だ。島田は土方の意を受けて行動している。後は尾関と 葛山だが、尾関は旗持ちという大事な任務に就いている。となれば、切り捨てるのは同志としての経歴がもっとも浅い葛山だ。

 責任という名の見せしめの下に。

 人道的に見れば山南の言う通りかも知れない。
 だが土方にしてみればこれがもっとも効果的な方法なのだ。
 自分たちの頭たる局長を批判した罪が謹慎程度で済むならば、今後何度でも同じ事は起こりうる。簡単に不満を抱き、新選組はいくつもの 内部分裂を起こすだろう。それは組織としての崩壊を意味している。
 どちらが正しいのかは、この時代に仮寓しているに判断は出来ない。
 しかしは土方について行くと決めていた。



 庭が掃き清められ、血の臭い以外は何も無かったかのように元通りになった。
 は立ち上がり、土方の部屋に戻って黒谷へ行く支度をする。

 「では葛山さんの切腹については、野村様に報告しておきます」
 は懐に土方がしたためた書状をしまいながら言った。
 「ああ」
 土方は文机に散らばったいくつもの書付に目を通しながら返事をした。
 「行って参ります」
 は頭を下げ、部屋を出て行った。


 かたんと音を立ててしまった障子を、土方は見遣った。
 軽い足音が遠ざかってゆく。


 手駒なら、小せえが近くにひとつあったじゃねえか。
 鬼の眉がぴくりと動いた。




 20091229