久遠の空 ドリーム小説 元治元年六月五日 16

元治元年六月五日

update:2009.07.17

元治元年六月五日 16 

 同時刻。
 土方は祗園会所でいらいらしながら会津藩と申し合わせた出動を待っていた。
 待てども待てども会津藩は来ない。じりじりと待ち続けてやっと藩からの連絡が来たと思ったら それは出動の合図ではなく、準備にあと半刻ほどかかりそうだとの報告だけだった。会津藩のみならず、一橋慶喜や京都所司代、 奉行所とも相談して兵を差し出し、軍にしているところなのだと伝令は言った。

 とうに準備を整え、出動を今か今かと待つ隊士たちの間にも苛立ちが募ってきた。
 「土方さん、まだなのかよう」
 原田が足をたんたんと踏みならす。
 「まだだ。もうしばし待て」
 部屋を見回る足を止め、土方が言った。
 「早く出てえよ」
 「副長、あとどのぐらい待てばいいのですか」
 「いつ会津藩と合流するのですか」
 汗をだらだらと流しながら、他の隊士たちも口々に土方に問う。
 「…ちっ」
 土方は忌々しそうに舌打ちをし、近藤の元へ早足で戻った。

 歩きながら土方は思う。
 自分とて皆と同じ気持ちだ。早く打って出たい。
 こうしてここで待っている間に宮部らがこの町のどこかで謀議をなし、京を焼き払う計画を実行に移すか京よりの一時撤退を していたらどうする。奴らが確実に京にいるとわかっている今が捕まえる絶好の機会だというのに、何故ぐずぐずしていなければならないのか。

 「近藤さん!!」
 土方は近藤に詰め寄った。
 「俺はあんたを英雄にしたい!! 英雄にもっとも必要なものは何だ!? 服従か! 決断か!」
 地道な捜索の果てに、やっと古高という尻尾を捕まえた。ここで自分たち新選組が獲物の胴体を押さえつけなければ何の意味もない。 土方は他の誰にも、会津藩にも一橋公にも京都所司代にも奉行所にも、この手柄を譲る気はなかった。
 自分は、近藤を武士にするために京へ上ってきたのだから。
 今ここで手柄を掴まなければ。

 「決断だ」
 近藤が立ち上がり、新選組は会津藩との合流を待たずに出動することになった。


 土方は出動する三十四人を全員を集めて、人数の割り振りを行った。
 全体を三つに分け、近藤、井上、自分の三人が隊の先頭に立つ。
 近藤には沖田、永倉、藤堂など腕の立つ者をつけて周りを固めさせた。
 「ああ土方君、神谷清三郎は私につけてくれないか」
 近藤が切り出した。
 「何故」
 土方は訝しむ。近藤が自ら同行を頼むとはただ事ではない。
 が、近藤はただ、
 「生きて帰れたら話す。頼むトシ」
 と笑みを見せるだけだった。
 「―――いいぜ。必ず話してくれるならな」
 こういう笑みを見せるときの男に何を聞いても無駄だ。土方はそれ以上詮索せず、近藤の隊に神谷が加わるのを了承した。 必ず近藤が生きてこの場をくぐり抜け、話してくれると信じて。

 「武運を!」
 「武運を!」
 槍の穂が天に向かって突き上げられ、互いの武運を祈る声が響く。
 近藤以下三十四名が、勇ましい足音をたてて祗園会所を出発していった。


 土方と井上が率いる隊は会所からまっすぐ伸びる大通りを歩き、四条大橋の手前で縄手通りに入った。 この通りには両側にそれぞれ三十軒から四十軒ずつ酒楼や旅宿がある。土方と井上は通りの右と左に分かれて捜索を始めた。

 土方は懐から書き付けを取り出す。そこには監察があぶり出した、攘夷派の浪士たちが出入りしている旅宿や酒楼の名が書き連ねられていた。 そのうちの一軒が、今、土方たちの目の前にあった。

 土方はその旅宿の表口と裏口に三人ずつ見張りを配した。そして隊士に戸を開けさせ、中に入った。
 「いらっしゃいまし」
 入店に気がついた店の主人が恭しく頭を下げる。
 「ここの主はお前か。新選組だ。御用改めである」
 土方はずいと店の主の前に立った。
 「し、新選組」
 主人は顔を上げると身を堅くした。
 「怪しい者たちが宿泊してないか調べさせてもらう。黙って協力すれば手荒なことはしない。おい、始めろ」
 土方は主人に向かってそう言い放つと、隊士たちを宿の中に散らせた。
 「あ、あの、うちがなにか」
 主人は顔を青くして、宿の中に踏み込む隊士の背中と、仁王立ちする土方の顔を交互に見た。
 「宿帳を見せろ」
 土方は質問には答えずに主人を厳しい目つきで見下ろす。
 「は、はい?」
 「宿泊している者の名前を書いた帳面があるだろ。それを出せ。ぐずぐずするな」
 主人はいきなり踏み込まれておろおろするばかりだ。土方は苛立って大刀の鞘を握ると、親指を掛けた。
 「ひ、ひい、ただいま」
 それを目にした主人は腰を抜かさんばかりに驚いて、帳場の机上に置いてある宿帳を土方に差し出した。 土方はそれを無言でひったくると一枚ずつめくり、宿泊客の名前と生国、いつから泊まっているのかを丹念に読み始めた。

 土方が行灯の明かりで帳面を調べている間に、他の隊士たちは屋内を探った。 客がいようといまいとお構いなしに部屋へ踏み込み、壁に抜け穴がないか、天井に開閉できる板はないかを確認する。 廊下にもどこかへ通じる隠し通路がないか、隊士たちが壁や床を叩いて確かめた。客らは武装した人間が突如部屋に入ってきて驚き、 何が起きたのか理解できずにぽかんとしたり、無礼な行いに罵声を浴びせたりした。が、隊士たちはそれを無視して捜索を行った。

 また、玄関付近には地面の下に通路があった。これは鴨川の水が氾濫して屋内に入ってきた際に、その水を再び鴨川へと落とすためのものである。 そこに不逞の輩が潜んでいないかも、隊士が実際に入っていって確認した。

 土方の元に隊士たちから異常なしの報告が次々と寄せられる。この宿には今宵、攘夷派の浪士たちは泊まっておらず、隠れてもいないようだ。

 「邪魔したな」
 泊まり客に不審な者がおらず、建物の中に潜んでもいないことを確認した土方は、隊士たちをまとめて店を出た。
 「お、お疲れさんどした」
 怯えきって震える声で、宿の主人が見送った。


 たったの一軒目でずいぶんと手間取ってしまった。通常の巡察ではこれだけ大がかりな捜索をしていない。 隊服を着た姿を見せて歩くことで見回っていることを誇示したり、宿帳を見たり、口頭で異常がないか確認する、必要があれば捕縛する程度である。 その上鬼副長の土方が平隊士の先頭に立って隊をまとめているのだ。隊士たちの間にも余分な緊張が走っている。

 土方は次の捜索場所へ移動しながら、二軒目からはどのようにしたらもっと手早く作業を進められるか考えを巡らせた。 配置は今のままにして、屋内捜索を行う隊士たちに慣れてもらうほかない。土方は一度足を止め、一軒目で屋内に入った隊士たちに聞き込みを行った。 隊士たちから捜索の手順や手間取ったことを聞くと、その改善方法を考えて伝えた。
 「どこに野郎どもが潜んでいるかわからねえから慎重にならざるを得ないのはわかるが、もたもたすんじゃねえぞ。 俺たちが奴らを捕まえて、新選組の中でも一際いい働きを見せてやれ。 奴らを捕まえるのはこの隊だ。他の隊に遅れを取るな!」
 「「「おう!」」」
 土方のかけ声に隊士たちが返事をする。土方が放った俺たちという言葉に、鬼副長もともにあるという連帯感を感じたようだ。

 次の店からの捜索は一軒目より少し手際よくなり、軒数を重ねるごとにどんどん早くなっていった。が、この縄手通りは何せ店の数が多い。 監察から報告されている他にも怪しそうな店がたくさんあった。土方はそれらもその場で捜索の対象にし、中に踏み込んでいった。


 井上の隊も同じように、土方とは反対側の通りに沿って捜索を進めていった。近藤の隊も祇園会所からまっすぐ伸びる大通りを調べてゆく。 この通りには五十軒ほどの店があり、何度か利用したことのある一力をはじめ、きく新、井筒などといった店を、監察の下調べに合わせてつぶさに調査していった。



 三つの隊とも収穫のないまま、しばし時が過ぎる。



 「…これで四条通りのめぼしいところは終わったな。これからどうする、近藤さんよ」
 永倉が四条大橋の欄干に寄りかかって呟いた。指で摘んだ監察からの報告の書き付けが、がさがさと川風に揺れる。
 「それを見せてくれ」
 近藤は永倉から紙をもらうと、藤堂に提灯を掲げてもらい、まだ捜索の経路に入っていない店の所在地と名前を眺めた。
 「三条に出よう。三条小橋の西側にまだ調べていないところがたくさんある」
 「承知」
 藤堂が近藤に同意した。
 「ったく、どこにいやがるんだ。追っかけ甲斐がありすぎるぜ」
 永倉が汗を拭った。他の隊士たちも座り込み、汗を拭いたり着込んだ中に風を送ったりしている。
 「まあまあ、まだこれからでしょう。あ、神谷さん、羽織の紐が緩んでますよ。ちゃんとなさい」
 沖田が神谷に手を伸ばし、羽織の紐を固く結ぶ。
 「ありがとうございます!」
 神谷は勢いよく頭を下げて礼を述べた。
 「お、神谷君はやる気いっぱいだな」
 近藤が大きな口を広げて笑った。
 「はい! 局長からご指名を受けたからには頑張ります!」
 「ははっ、いいね。皆も神谷君に続くんだ!」
 「「「おう!」」」
 神谷と近藤の声に、一同は疲れを吹き飛ばした。


 近藤の隊は四条大橋を渡り、木屋町通りを北上した。ここは材木屋と薪炭商がほとんどで、酒楼や旅館はほとんどない。 が、捕縛した桝屋が表向きは薪炭商を営んでいたので、念のため各店を改めて回った。 どこの店も協力的で、近藤たちはさほど時間も手間もかからずに木屋町通りを抜けることが出来た。


 高瀬川にかかる三条小橋を渡り、近藤たちは西に進路を変える。左右に店が立ち並んでいるが、 そのほとんどがすでに本日の商売を終えて大戸を閉めていた。
 近藤は通りをまっすぐに見つめた。少し先の右側にある建物の二階から明かりが漏れている。 その下に視線を動かすと、大きな提灯がぶら下がっていた。目を凝らして見ると、「池田屋」と書かれている。



 その時、ふと風が吹き、一瞬の静寂が訪れて。
 何かを叫ぶ男の声が、川沿いの柳の枝をぞわりと揺らした。



 「近藤先生、今のは」
 沖田が近藤に近づいて耳打ちする。
 近藤は力強く頷いた。
 近藤の目が、沖田の目が、その場にいる隊士全員の目が、一点に集中する。
 大きく開け放たれた二階の窓、微かに漏れる室内の明かり。
 間違いなく、そこから聞こえてくるざわめき。

 「浅野君、縄手通りを捜索している土方と井上に伝えてきてくれ。谷君、武田君、君たちは両隣の家でこの店の間取りを聞いて来るんだ。 安藤君と新田君は裏に回り待機」
 「「はっ」」

 「総司」
 「はい」

 「新八」
 「ういっす」

 「平助」
 「はい」

 「奥沢君」
 「はい」

 「神谷君」
 「はい!」

 「俺についてこい」
 「「はい!」」

 「さあ、行くぞ」
 近藤がざっと地を蹴って足を踏み出した。その真後ろに沖田、永倉、藤堂、奥沢、神谷が続く。

 旅宿、池田屋。
 星明かりに浮かぶ男たちの影が、その入り口に立った。



 鍵の掛かっていない戸を開けて、まず永倉が中に入った。足下は二坪ほどの土間で、式台がある。右手は帳場だが、誰も座っていなかった。
 沖田が続けて入り、式台に立てかけてある鉄砲と槍に気がついた。沖田は神谷とともにそれらを縄でからげ、入り口で待機している谷に渡して 外へ出させた。

 耳を澄ませてみると、二階から大人数のざわめきが聞こえてくる。近藤たちは足音を立てないように、静かに奥へと進んだ。

 調理場があり、その奥に中庭。
 小さな中庭の向こうに上がり口があり、そこに男が一人座り、女が板の間を拭いていた。

 「主はおまえか、新選組の者だ。旅客改めをしたい」
 近藤が男に話しかけた。
 男は近藤たちが入ってきたのに全く気づいていなかったようで、出迎えの言葉も発せずに腰を浮かした。
 「新選組!?」
 男は突如として団扇を放って駆け出すと、奥の階段の上に向かって叫んだ。


 「お二階の皆様っ、旅客改めにございますッ!!」


 「!!!」
 近藤は一瞬で全てを悟った。男を―――池田屋の主人を押し退けて階段を駆け上る。その後ろを沖田と神谷が荒い足音で追う。 主人は柱に頭を打ちつけて倒れた。その隙に奥沢が部屋を通り抜けて裏庭に出、板塀の戸を開けて外の二人を呼び入れた。


 上がった先の部屋の障子に写る影。
 その隙間からひとりの男がこちらを窺う。
 ダンダラ模様の姿を捕らえると、顔面を蒼白にして小さく叫んだ。
 「しっ、新選組!!」


 近藤は障子を蹴破り部屋の中へと踊り込んだ。
 二十人ほどの男がこちらに顔を向けている。ある者はすでに立ち上がって抜刀し、ある者は中腰で刀の鍔に手をかけている。

 このダンダラを見て。
 新選組という名を聞いて。
 相手は刀を抜いている。 
 間違いない。
 これは、敵だ。

 「御用改めでござる!! 手向かい致すに於ては容赦なく斬り捨てる!!」
 近藤の大音声が熱気を打ち破って。
 戦いの幕が開いた。


 座敷の火がすべて消える。
 それと同時に一人の男が奇声を発して近藤に斬りかかってきた。近藤よりも一瞬早く、沖田がその男を突きで倒した。
 「ひいっ」
 群の中から怯える声が上がる。
 沖田はそのままじりじりと前に進み、男たちに切っ先を突きつけた。

 浪士たちは沖田の迅速な初太刀に恐れをなした。ざっと音がして部屋の後ろにある障子が開き、そこから男たちが次々と裏庭に飛び降りる。 ぎゃあと叫ぶ声と、剣を交える音が立ち上ってくる。下でも戦闘が始まった。

 飛び降りたのは裏庭の方だけではない。反対側の障子も取り払い、男たちはそこからも下へとどんどん身を落とした。
 「新八! 平助! そっちの階下へも逃げるぞ!」
 近藤が怒鳴る。
 「先生も追ってください!! 二階は私たちが!」
 下に飛び降りる数が多い。一階の室内はたったの三人しかおらず、いくら手練れの永倉たちとて数で押されれば危険だ。
 「頼んだぞ総司!!」
 沖田の判断を瞬時に理解した近藤は裏庭へと飛び降りた。どすりと大きな着地音がし、砂煙がぼうっと足下を霞ませる。

 近藤はすぐさま剣を構えた。気をその切っ先に集中させながら状況を確認する。近藤を取り囲んでいるのは三人。 板塀の戸を守りながら新田と安藤が敵と斬り合っていた。開け放たれた戸の脇で、奥沢がぴくりとも動かず横たわっている。
 「奥沢君…!」
 ぎり、と近藤は奥歯を噛みしめた。
 「来い!!」
 近藤が腹の底から声を絞り出した。


 二階では沖田が白刃を振るっていた。
 狭い室内でも敵の動きに合わせて自在に剣筋を変化させ、次々と相手を倒してゆく。神谷は沖田に倒された者へ縄をかけ、 抵抗できないように縛り上げた。
 が、沖田の冴えた剣の煌めきは長く続かなかった。敵に斬り掛かられたのを受けて、急にどさりと倒れ込んだのだ。
 神谷が駆け寄り、沖田を抱き起こした。沖田は意識がない。血塗れである。最悪の事態が頭をよぎり、神谷は思わず沖田の名を叫んだ。

 その時、神谷の中で何かが外れた。
 後ろから浪士が襲いかかってきたが神谷は抜き打ちに胴を払い、相手を血の海に沈めた。星明かりの届かぬ室内でも相手がどこにいるのかを察知し、 素早い突きで二人目も倒す。三人目には突きで抜けぬ刀の替わりに鉢金を当てた。
 「刀を捨てろ! 今の私は誰にも斬れない!!」
 神谷の全身から闘気が立ち上る。
 相手は恐怖に駆られ、刀を握る力を失う。
 花の阿修羅が今、ここに誕生した。


 一方、階下の永倉たちは次々と降ってくる敵と対峙していた。
 永倉は玄関から調理場までを守った。飛び降りて駆け出してくる男に斬り掛かり、二、三合打ち合って相手が逃げ出すと、 外を守る谷の槍が相手の足下をすくい、永倉がとどめを刺した。別の男がまた逃げようと走ってきたので、これを袈裟がけに斬り捨てる。

 藤堂は中庭で刀を抜いた。上から飛び降りてくる浪士たちを避けつつ、飛び降りた直後で動きの鈍い輩を斬りつけていった。
 が、飛び降りてくるのをすべて避けるのは難しく、間一髪のところで交わす場面もあった。それに加えて激しい動きに鉢金が緩む。 その感覚が邪魔で仕方ない。藤堂はずり落ちてきた鉢金を取り去った。しかしその隙に、倒れてやられた振りをしていた男が斬りつけ、 藤堂は眉間を深く斬られてしまった。

 「平助!!!」
 永倉が叫び声をあげ、目の前の敵を斬り捨てた。藤堂へさらに斬りかかろうとする男を後ろから斬り捨て、急いで駆け寄って藤堂を抱き起こす。額から血が流れ出し、藤堂の顔面を赤く染めていた。 相当な重傷だ、これではもう藤堂は戦えまいと永倉は、中庭の隅に藤堂を引っ張って転がした。

 その時永倉は左手に走る痛みに気がついた。ふと手を上げて見ると親指から下の肉がそげ、血が滔々とあふれだしている。
 永倉は左手の疼きを堪え、横たわる藤堂の前に立った。庭から室内を見渡すと、天井からぶら下がる八軒の明かりに照らし出された浪士二人が 永倉に向かって構えていた。
 天に瞬く星が、闇の中に立つ永倉の姿を薄く浮かび上がらせる。返り血に赤く塗れ、目をぎらぎらと光らせた、鬼神の姿を。

 だが相手は二人だ。ひとりが永倉の動きを封じてもうひとりが斬り掛かってくれば、いくら永倉とて危うい。
 浪士二人は永倉に向かって間合いを詰めてきた。永倉は後ろに藤堂をかばっているため、もう後ろへは下がれない 。血の混じった汗が永倉の口元を濡らした。


 「「新八!!」」
 と二つの声が重なって聞こえた瞬間、浪士たちはうめき声を上げて倒れた。裏庭のある左から近藤が、表口のある右からは土方が現れ、 刀を振り下ろしていた。
 「近藤さん! 土方さん!」
 永倉は二人の姿を認めて駆け寄った。
 「大丈夫か新八」
 「ああ、それよりも平助が」
 「…平助! これはひどい、早く手当を」
 近藤が手ぬぐいを懐から取り出して藤堂の額に当てた。
 「一階はこんなもんか、二階は?」
 土方がぐるりと辺りを見回して言う。谷が縄手通りまで急いで知らせに来たのを受けて、土方と井上の隊もこの池田屋に全力で走ってきた。 が、すでにもう大半は決着が付いたようで、屋内には死体がごろごろと転がっており、空気は生臭く息苦しい。
 「二階は総司と神谷君が守ってくれている」
 「総司はともかく、あの童が? 見てくる。斉藤、ついてこい」
 土方はいつの間にか後ろに控えていた斉藤に声をかけると、奥に見える階段を駆け上がった。


 二階で土方と斉藤が見たものは。
 戦いの場で新たに誕生した新選組の鬼の姿と。
 隊内最強と謳われる一番隊組長が倒れている姿だった。
 幸い、倒れていた沖田はただ昏倒していただけで、掠り傷ひとつ負っていなかった。

 土方は神谷に沖田を任せ、自分は斉藤と手分けして屋内を見回った。
 障子は目も当てられないほどめちゃくちゃに破壊され、畳の上には浪士たちがとっていた酒食が散らばっていた。割れた皿の破片を踏みそうになったり、 血溜まりに足を取られそうになる。もしかしたら死んだふりをして隙を窺っている者がいるかもしれない。土方は慎重に足を進めた。


 中をあらかた見回ると、土方は外に出た。手の空いている隊士たちに屋内を片付ける様に指示を出し、表の壁にもたれかかる。
 中に突入したのはたったの五人。あの数を相手にし、戦ったのか。三つのうちどの隊が“当たり”を引くかは運だったが、 最強の人選をした近藤の隊が引いたのは僥倖だったとしか思えない。

 遠くの景色に大量の明かりがちらつく。きっと援軍を頼んだ会津藩や桑名藩の軍だろう。
 (遅えよ)
 土方は重い息を吐いた。



 元治元年六月五日。
 後の世にまで語り継がれる池田屋事件が、終局を迎えた。





 20090717