元治元年六月五日 14
土方とは庭を横切り、近藤の部屋へと入った。中ではすでに組長たちが座して土方が来るのを待っていた。
近藤は文机に向かって会津藩への報告をしたためている。
土方は入り口付近の空いている場に腰を下ろした。もその後ろに座った。
「封じていた蔵が破られた以上、向こうに桝屋―――古高捕縛が漏れているのは間違いない。どっかの物陰から覗いていやがったんだろう」
「これからどうする?」
永倉が顎をさすりながら聞いた。疑問の形をとってはいるが、目はらんらんと輝いている様は次に土方が言うことをわかっているのだろう。
「盗まれた荷物の量と捕縛してここまでの時間から判断して、奴らもまだそう遠くへは行ってねえだろう。
そして古高をどうするのか、京焼き討ち計画をどうするのかを早々にどこかで話し合ってから、焼き討ちなり一時撤退なりするだろうと俺は思う」
「俺もそう思うぜ」
土方と永倉は目を合わせてニヤリと笑った。
「蔵が早々に破られたことを考えると、やつらの行動は早いよね」
藤堂が額の汗を拭いながら言った。
「今夜にでもどこかで会合が開かれることは必至。そこをつきとめ、一網打尽にする」
土方が皆をぐるりと見渡すと、全員が頷いた。
「副長、会合場所の見当は?」
斉藤が涼しげな顔で聞く。
「以前から監察が報告してきている、討幕派と目される藩の定宿や怪しい奴らの出入りが確認されている旅宿、茶屋などが二十軒以上ある。
それが集中している通りを徹底的に洗い出す」
土方は懐から巻いた紙を取り出した。
「トシさん、病人が多くて出動できる人数は局長を含めても三十五人しかいねえんだが」
と井上が報告した。
「会津藩に加勢を頼む。近藤さん、書けたか?」
土方が近藤の後ろ姿に目をやった。
「ああ、今書けた」
近藤が振り向いた。
「斉藤、この書を会津藩に届けるのと一緒に加勢を頼んできてくれ」
土方は近藤から紙を受け取ると手早く畳み、斉藤に手渡した。
「承知」
斉藤は書状を受け取ると素早く近藤の部屋を辞した。
幹部の話し合いが終わると、今度は平隊士への指示が出た。
「モタモタするな! 鉢金、胴、槍などの武具は各々がまとめて小荷駄に預けろ! くれぐれも討幕派の連中に気取られぬよう、
少人数ずつ平服で屯所を出るんだ!」
土方の檄が隊士たちの間に響く。隊士たちは大慌てで荷を作り、小荷駄方に預けてばらばらと動き出した。
土方とは土方の部屋へと戻った。
「お前は留守居だ」
土方が自分の荷を用意しながら告げる。
「えっ…」
てっきり自分も出動に数えられていると思っていたは、驚きの声を上げた。
「お前なんか来たところで足手まといだ。ここでおとなしく留守番してろ」
「でも」
「うるせえ、出動は三十五人でなく三十四人だ」
土方は襷、鉢金、小手などを次々に取り出し、風呂敷に包んだ。
「山南さんも留守居だ。山南さんのところへ行け」
土方は立ち上がり、風呂敷をひっつかむと部屋を出ようとした。
ふと土方がを見ると、下を向いていた。青い顔をして、肩が僅かに震えている。先ほど土蔵で見たものが余程恐ろしかったのだろう。
「どうした」
「い…いいえ、何でもありません」
何でもない態度ではない。まったくわかりやすい奴だと思いながら土方は短くため息をついた。
「だったらしゃきっとしてこっちを見ろ」
「は、はい…」
返事をしては背筋を伸ばした。が、ちらっと土方の顔を見るとすぐにまた俯いた。
土方はしばしが自分を見るのを待ったが、は頭を垂れたままだった。
土方はの肩を掴み、そのまま後ろにある納戸の戸へと追いつめた。
ははっとして上を向く。
土方はの顎を捕らえると、その唇に己の唇を押しつけた。
「…っ」
は一瞬、何をされているのか理解できずに固まったが、唇に与えられた感触に気づくとすぐに土方を両手で突き放した。
「な、何す」
「呆けてんじゃねえぞ、この野郎!」
土方はの肩を掴んで怒鳴りつけた。
は割れんばかりの大声に身を竦ませる。
「いいか、敵方は桝屋に行って蔵を破り、古高が家にいないと知ってるんだ! ここに古高が捕らえられていることもばれてるかもしれねえんだぞ?
俺たちが出動して壬生は手薄だ、俺たちがいない間に仲間の野郎どもが奴を取り戻しにここを狙ってきたらどうする、留守居だろうと油断できねえんだぞ!」
土方は鋭い目でを見据えた。
そう、考えてみれば確かに土方の言うとおりだ。彼らが集っていた桝屋が暴かれ、当主を連れ去られたことは相手にわかっている。
古高が屯所にいるとまで知れていたら、取り戻しにくるかもしれない。そうしたらここも決して安全ではないのだ。
「古高は、奉行所に引き取りに来るように手配しておく。すぐに役人が来るだろうから、蔵を開けて引き渡してくれ」
土方は紙に包まれたものを懐から出してに渡した。が紙を開くと、中には蔵の鍵が入っていた。
「俺たちが出動すれば、前川邸にも八木邸にも満足に動ける奴はいねえ」
と言って土方は、の着物の上から腹に手をやった。そこにはハーバーからもらった短筒が納められている。
「よし、ちゃんと持ってるな。万が一の時にはこれを使うんだ、いいな」
土方がを見ると、はこくりと小さく頷いた。だがまだ土方のほうを見ない。俯いた頬が今度は赤く染まっている。
「…ったく」
土方はを抱き寄せて、再び顔を近づけた。だがも今度は隙を見せずに、自分の口元を手で隠した。
「土方さんっ」
が予想通りの反応を見せ、土方は満足してくっと笑った。
土方は抱き締める腕に力を込めた。
「屯所で体調が万全なのはお前だけになる。留守を頼んだぞ」
の耳元で土方が囁いた。
「はい」
は土方の胸元でまた頷く。
「いい返事だ」
土方は体を離しての目を覗き込んだ。今度こそは土方の目をまっすぐに見つめ返してきた。
「じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
「こういう時は“ご武運を”って言うもんだ」
「はい…ご武運を」
「ああ。見送りはいらん、ここでいい。じゃあな」
土方はの頭をくしゃりと撫でると、風呂敷包みを持って部屋を出ていった。
ぱしんと障子が閉められると、は納戸の戸に背を預けてずるずると座り込んだ。
土方に、唇を。
は自分の唇にそっと触れた。乾いたその表面に、先ほどの感触が甦ってくる。
(あれは…私がぼんやりしていたから、そう、気付けだ、気付け)
他意などない、ただの気付けだとは自分に言い聞かせる。
そう思うと、郷里にいる土方の許嫁に申し訳ない気持ちが沸き上がってきた。将来を約束している相手がいるのに、自分が不甲斐無いせいで、好きでもない自分にあんなことを。
そして土方に、こんな非常時に気を使わせて。局長である近藤に次ぐ指令塔として、やらねばならぬことは山ほどあるだろうに。
は自責の念に駆られ、頭を抱えた。
が、いつまでもそうしていられないこともわかっていた。
これから桝屋を、古高を引き取りに奉行所の役人が来る。押し込めてある蔵の鍵は自分が持っているから、役人が来たら応対せねばならない。
(土方さんは、山南副長のところへ行けって言っていた…)
はゆっくりと顔を上げ、後ろを向くと納戸を開けた。自分の行李を取り出すと、底のほうにしまっておいた懐紙の包みを三つほど手に取った。
込められる弾数に合わせて六発ずつ分包した短筒の弾である。
懐に納めてある短筒に触れた。ハーバーに自分が女だと露見してから、ほとんど毎日撃ち方の練習をさせられている。まだほめられるような腕前ではないが、刀を使うよりはましかもしれない。
(とりあえず、山南副長のところへ行こう)
は立ち上がった。弾も懐に入れ、腰の二本がしっかり挟まっているか確認する。そして静かに土方の部屋を出、山南の部屋へ向かった。
土方は廊下を進み、小荷駄に荷物を預けると式台へ足を進めた。支度を終えた隊士たちが数名ずつ外へと出ていく。
そこへ、山崎が現れた。
「副長」
「山崎、ご苦労」
「どえらい拷問やったそうですな」
「何だ、見たかったのか?」
「はは、遠慮しときます。それよりも、桝屋の身元を調べとったんですが、あいつは古高俊太郎という名前で、
もしかしたら奴自身が勤皇派と直接関わりがあるかもしれへんことがわかりました」
「そうか、こっちはお前たち監察が調べてきてくれた宿をこれから洗うところだ」
「うちも加わりますか。病人だらけで人手が足りないでっしゃろ」
「いや、お前はいい。引き続き古高の身辺を調べてくれ」
「承知」
「ああ、ついでに奉行所にひと走り頼む。古高を預けたい」
「わかりました」
山崎は踵を返すと足早に去っていった。
土方は式台を降りると下駄に足を通して外へ出た。
何気ない振りを装ってぶらぶらと歩く。午を過ぎた太陽が無用なほど照りつけ、今朝方までの雨を湿気に変えている。体を伝っていく汗が気持ち悪かった。
半刻ほど歩いていくと、大通りが人で賑わっていた。
土方は祗園祭が二日後に迫っていることを思い出した。伝え聞くところによると、祗園祭は遙か昔に疫病が流行り、疫病退散を願って行われたのが
起源らしい。七日と十四日に、合わせて三十二基の神霊を招く“山”と“鉾”が町ごとに立てられる。
遠くに見える山鉾の壮麗な飾り付けを眺めながら土方は思った。何事もなければ、を連れ出して二人で祗園祭を楽しむのもよかっただろう。
山鉾には駒形提灯がついているものもあり、夜になればそれに灯が入る。土方もまだ見たことはないが、暗闇にぼんやりと光が浮かび上がる様は幻想的な光景に違いない。
普段はあまり表情を変えない彼女も、これだけ見事な景色を見れば心を動かすことだろう。
人をかき分けて土方は進んだ。
心配していないわけじゃない。
に語った屯所襲撃は、全くあり得ないことではない。もし屈強な浪士どもにかかったらなどひとたまりもないに決まっている。
殺されるだけならいいが、女だと暴かれたらそれ以上の苦痛を味わうことになるだろう。
だが捜索に連れて行くことも出来ない。敵地に飛び込むのだから、屯所にいるよりも格段に危険だ。戦闘になったら彼女を庇う余裕もない。
屯所が襲撃されないことを、そしてもし襲撃されても何とか無事でいることを祈るだけだ。
土方は先ほどにしたことを思い出し、唇に触れた。
思わずやってしまった。気付けのつもりだった。あいつがぼけっとしてたからだ。
今思えば頬を軽くはたくとかでもよかったはずなのに、どさくさに紛れて俺は何をやっちまったんだと土方は頭を掻いた。
四条通の突き当たりに祗園祭の根源である祗園社が見える。
その手前に、出動前の待ち合わせ場所である祗園会所があった。
土方は何度か辺りの建物をぐるぐると回り、つけられていないか確認してから会所に入った。
「土方さん、お早いですね。まだあまり集まってませんよ」
沖田が笑顔で土方を出迎えた。
「ああ」
土方は素っ気なく返事をして、会所の中を確認した。
局長である近藤はどこに座らせるか、椅子は足りているのか。小荷駄方が荷物を持ってきたらどこに置くのか。
隊士たちの身支度を調えさせる部屋はどこを使うかなど細かく決めた。そしてもし怪我人が出てここに運び込まれたらすぐ処置が出来るように、
部屋のひとつも開けておかねばならぬことも念頭に置いた。
昼間には空高く白い身を見せていた半月が、黄金色に輝きながら山の端に沈んでゆく。
時間の経過に従い、だんだんと隊士たちが集まってきた。小荷駄方が少しずつ分けた荷物を順々に運び入れる。
屯所から握り飯のまかないが届くと、皆それぞれに食事を済ませた。
「各自腹拵えがすんだら軍装を整えろ! 槍・大小の目釘は必ず相確かめ、十分に湿らせておく様に!」
土方は身支度に宛がった部屋に声を掛け、出撃の準備がどれぐらい整ったか、自らの目で確かめた。
「土方さん、お手伝いすることはありませんか?」
沖田が目の前に現れた。廃止したはずの浅葱色の隊服を身にまとっている。
「なんだ総司お前、その隊服は」
「いいでしょう、皆で“討ち入りといえばダンダラ!”ってものすごく盛り上がってますよ」
ふふっと沖田が笑う。
「…」
土方は腕を組んで考え込む仕草をした。
「あれ、怒らないんですか? 廃止しただろって」
沖田が首を傾げる。
「いや、いいかもしれねえな」
土方は呟いた。
「え?」
沖田が問い返した。
「俺たちも向こうも面識はねえ。名乗りを聞いたりその隊服を見たりして逃げた奴が怪しい連中だ」
「ああ、そうですねえ」
土方の言葉に沖田はぽんと手を打った。
「真っ先に狙われるのもそれを着てる奴からだな」
「土方さんは元々持ってないですよね、ひどいなあ、我々はエサですか」
「そうだ」
「せめて相討ちが防げるとかそういう方向で」
「初太刀の誉れを受けられる機会に恵まれるんだ、有り難く思え」
「まったくもう、土方さんは」
笑みを絶やさない沖田を従え、土方は近藤の元へ行った。
「用意出来たか」
「ああ、いつでもいい」
土方が声を掛けると、近藤はすっかり戦闘準備の整った格好で椅子に座った。
「斉藤君が会津藩とつけてくれた話では、戌の刻にここで待ち合わせだと」
「そうらしいな。早くその刻限になってもらいてえもんだ」
「まああせるなよトシ」
「待ってるのは性に合わないんでしょうよ、この人は」
「やかましいぞ総司」
近藤と土方に言われ、土方はふんと鼻を鳴らした。
祗園祭の宵山の前日。
浮かれるこの空気のどこかで何かが起きている。
土方は唇を引き結び、腰に差した大小に手を当てた。
20090703