元治元年六月五日 13
永倉と原田は数人を引き連れて、鴨川方面へと向かった。まだ日が上って時間はそう経っていなかったが、
昨日までの降雨で息苦しいほどに湿気を含んだ空気はじっとりと体にまとわりついてくる。早足で向かう一同の顔を、大粒の汗が伝っていった。
鴨川の西、高瀬川にかかる四条小橋。その手前に、桝屋はあった。
遠くの板塀から、永倉と原田に向かって手招きをする影が見える。
二人が他の隊士を物陰に待機させてそちらへ行くと、監察の中島登がいた。中島はまるで乞食のような格好で桝屋を見張っており、
頭に被っていた汚い色の手拭いを取って二人に頭を下げた。
「永倉先生、原田先生」
「中島、ご苦労」
「様子はどうでい」
「それが…不自然なほど出入りがありません。昨日は山崎先生が薬売りに変装して中を窺ってくださったのですが、
入り口には菰包みが見えたとおっしゃっていました。すぐに追い出されてしまったので、それだけしかわからなかったそうですが…」
中島が眉を寄せて呟く。
「そうか。じゃあ、行くかぱっつあん」
「ああ、左之」
二人は中島の元を離れ、連れてきた隊士たちを集めて枡屋の前に立った。
「おーい! おーい! 枡喜はん! 枡屋喜右衛門はん!」
町が活気づく前の静けさの中、どんどんと永倉が枡屋の戸を叩く音が響いた。
ややあって、戸の向こうに人の気配が現れた。
「何やねん、まだ店の時間やおへんのに」
「ほんま、えろうすまんこって。…藩のご用で」
「えっ」
永倉が潜めた声に、戸の向こうの人物はがたがたと忙しく鍵をはずし、戸を開けた。
「桝屋喜右衛門さんかい?」
永倉が足で戸を押さえて男に聞いた。
「な、あんた、藩の方やないな」
男は――桝屋喜右衛門はびくりと身を震わせた。
「新選組だ。顔ぁ貸せ」
出てきた男の鼻先に、小刀が突きつけられる。
「!」
厚い雲の切れ間から朝日が顔を出し、刀の鎬に当たって鈍い光を放った。
「…新選組の方々が何のご用で」
枡屋は一瞬動揺の色を見せたが、すぐに落ち着いた態度で永倉たちに対峙した。
「この前、ウチの隊で肥後藩の小者をとっ捕まえたんだが、その後ここに逃げ込んだって噂があってねえ」
永倉が刀の峰をとんとんと肩に当ててうそぶいた。
「そりゃうちは肥後藩の割木を扱うとります。藩の方が出入りしてもおかしくあらへんがな」
桝屋は腕を組んで永倉を白い目で見る。
「ああ、俺もそう思うんだがなあ。念のため調べておけって上のお達しでね。ちっと中見せてくれねえか?」
とん、と永倉の手が止まり、薄い目で枡屋を睨んだ。その目は拒むことを許さない、強い視線だった。
「…仕方ありまへんな、どうぞ」
枡屋は気圧されて、体で塞いでいた入り口を明け渡した。
永倉はニヤリと笑うと小刀を収め、くぐり戸をまたいだ。
中に入ると、右手が母屋だった。その母屋の入り口には、中島が語ったように菰で包まれた何かが積まれている。
原田が中を改めると、槍が数十本まとめられていた。その奥の暗がりに目をやると、甲冑が三組置いてある。
「これは何だ!」
原田が枡屋の襟を掴んで締め上げた。
「うっ…、うちの実家が…丸太町で骨董屋を営んでて…元は馬具商やって…置ききれないのを預かっとるんどす…」
枡屋は息を乱しながら言う。
「本当か?」
「ほんまどすねん! 調べたら、っ…わかります」
原田の探るような目を、枡屋はまっすぐに跳ね返した。
「…丸太町っつったな。おい、書き留めておいて後で監察に調べるように頼んどけ」
枡屋を離した原田は後ろを向き、同行の隊士に書き付けるよう言った。
永倉と原田は他の隊士二人に母屋を捜索させ、自分たちは別の建物を見ることにした。
中庭を通り、奥には土蔵と長屋がある。永倉は用心のため桝屋と共に待機し、原田は他の隊士を二手に分けて土蔵と長屋を調べた。
さらに敷地の南側も住居や蔵、離れなどの建物が立ち並んでおり、面積は外から見ただけよりもうんと広く、すべてを見て回るのには時間がかかった。
捜索の最中に出てきた物が次々と土蔵の前に集められた。
槍二十五筋、弓十五張、矢数百本、甲冑十組、鉄砲三挺、木砲五丁、竹筒入り火薬五本、小石と鉛玉がいっぱいに詰め込まれた樽ひとつ。
これが敷地内のあちこちから見つかった。
枡屋の実家が丸太町で元馬具商、今は骨董屋を営んでおり荷物を預かっているのが本当の話だとする。
その筋からの荷物だとしても不思議ではない。が、それにしてもこれだけの火薬類があるのは尋常ではない。
「実はな枡屋さん、俺たちは肥後藩の宮部鼎蔵ってえ野郎を捜しているんだ。心当たりはねえか?」
永倉は、汗を垂らして立つ枡屋の顔を覗き込んだ。
「知りまへんな」
枡屋は横目で永倉を見る。
「もうええやろ、去んどくれやす。なんも証拠なしにこれだけ家捜しされて…朝っぱらから気分悪いわ」
手拭いで汗を拭く桝屋に心底嫌そうな目で見られ、永倉もぐっと言葉に詰まった、そのときだった。
「ぱっつあん、これ見てくれ!」
南側の蔵を捜索していた原田が駆け足で戻ってきた。その手には紙が握られている。
原田は永倉の目の前にその紙をばっと広げた。
「…こいつはっ…」
その文面を読んだ永倉の表情が一変した。連判状だった。そこにはずらずらと名前が書き連ねられており、
その中にはこれまでの探索要請のなかにあった長州人と思われる名前が幾人も見えた。
別の文には“玉ご同座の機会を失しないように”と書かれており、文末には先の連判状にあった名が記されていた。
原田は他にも紙の束を持っており、それを受け取った永倉が乱暴な手つきで束を繰る。
「枡屋さん?」
永倉が枡屋のほうを見た。枡屋は目を見開いて、顔中を汗だらけにしている。
「これは一体何なんだ?」
原田がひらひらと紙を振り、枡屋に詰め寄った。
「し、知らん」
ふと枡屋は目をそらした。
その時、母屋を捜索していた隊士が飛び出してきて叫んだ。
「原田先生、大変です! 母屋の押入に大きな穴があるのを見つけました! 今、中を調べていますがおそらく抜け穴ではないかと!」
「抜け穴だと?!」
永倉が叫ぶ。もしそれが本当に抜け穴だとしたら、今まで桝屋にいた者や駆け込んだはずの忠蔵がそこから出て行って、見張りの監察に
気づかれなくても当然だ。
全員の目が枡屋に向けられる。枡屋は真っ青になり、だらだらと汗を垂らしながら拳を震わせていた。
続けて中島が入ってきた。
「先生方、たった今山崎さんから知らせがありまして、例の忠蔵という男の身元を洗ったところ、宮部鼎蔵の下僕であったことがわかりました。
忠蔵の身柄は押さえてあるそうです」
とさ、と小さな音を立てて、枡屋の手から手拭いが落ちた。
「まあ…屯所でゆっくりと…でもねえか、お話聞かせてもらおうかねえ。枡屋喜右衛門さんよ」
な、と永倉が枡屋の肩を掴む。
「っ!」
枡屋は顔をしかめた。
骨太の指が、その肩に強く食い込んでいた。
永倉と原田は枡屋から出てきた武器類を蔵に押し込めて鍵をかけ、二人を見張りに立たせて一人を町奉行所へ報告に行かせた。
「ほら、立て!」
後ろ手に縛った枡屋を無理矢理引っ張り、引きずるように歩かせる。桝屋捜索部隊は前川邸へと戻って行った。
永倉たちは一刻ほどの捜索の後、屯所に帰ってきた。
「土方さん!」
藤堂がその帰りを副長室へ伝えに駆け込んだ。
「やっぱり枡屋は当たりだったみたいだ! 永倉さんたちが引っ立ててきた!」
「…そうか」
ゆらりと土方が立ち上がる。
「どうする?」
「東の蔵へ連れていけ」
「わかった」
藤堂はすぐに永倉たちの元に行った。
土方は近藤の部屋へ行き、枡屋の捕縛を伝えた。そして再び自分の部屋に戻り、鏡を出して身なりを整えた。
は一部の隙もなくぴしりとした土方の姿を見て、ぞくりと身を震わせた。故郷で、そして京の花街で数々の
浮き名を流している土方は、元々見た目が整っている。しかし今はその見た目に、底知れぬ何かをまとっている。
整然とした外見に刃のような空気を乗せた土方が、やたらに恐ろしく感じられた。
「お前は来るな」
腰を浮かせて立ち上がろうとしたを、土方は静かに制した。
その声に、は動きを止めた。いや、止められたと言うほうが正しいかも知れない。
すっと土方がの横を通り過ぎてゆく。
その袴を、かろうじてはぐっと握った。
「何だ」
土方が抑揚のない声で問う。
「私は、土方さんの小姓です」
は土方の発する空気に押されながらも、それだけを何とか口にした。自分が会津藩の命令で黒谷に通っているのは隊士たちも知っている。
が、今日は出仕していない。それなのに副長と行動を共にしていないのはおかしく思われるだろう。
土方の迷惑にはなりたくない。出来れば役に立ちたい。はその一心で土方に同行を願い出た。
「…何を見ても知らねえぞ」
土方は小さく溜息をつくと、の手をとって立たせた。そして局長室の近藤に声をかけ、蔵に向かった。
土方とは近藤とともに蔵へ入った。
蔵の中は薄暗く、先ほど重い扉を開いたばかりで、たまっていた空気は澱んでいる。
すでに隊士たちによって二階の床板が取り払われ、天井の梁から下がっている滑車に太い縄がくくりつけられていた。
はこの蔵に入ったことがなく、いったい樹齢何年の木から作られているのだろうかと初めて見る梁の太さに目を見張った。
その縄の真下に、後ろ手に縛られた枡屋が座らされていた。
「枡屋喜右衛門…だったな」
近藤が枡屋の前に膝をついた。
「我々は肥後藩の宮部という男を追っている。お前の所に出入りしていた男が宮部の下僕だということもわかった。
ここはひとつ、おとなしく全てを話してはくれないだろうか」
「…」
枡屋は口を真一文字に引き結んで横を向いた。
「頼む、話してくれ」
近藤は枡屋の肩を掴んでぐっと揺さぶった。だが、枡屋は口をつぐんだままだ。
「近藤さん、説得なんざ無駄だ」
土方が枡屋に歩み寄って、じろりと見下ろした。
「こういう奴は、体に聞いたほうが早え。新八、左之、始めてくれ」
「ああ」
近藤と土方は、入り口付近にある二階への階段の下に移動した。土方は階段状になっている箪笥のところへもたれかかり、
自分の後ろにを連れてきて立たせた。
体に聞いたほうが早い、とは。
その先を想像したくなくて、は軽く頭を振った。視線を感じて顔を上げると、土方がこちらを見ている。
まだ何も始まっていないのにこんな態度をとっていたら、土方の小姓として失格だとは思い直し、拳を握って背筋を伸ばした。
「、もうちっとこっちに来い」
土方がの立ち位置を指定した。は土方の言うとおりの場所に移動する。
枡屋の前には永倉と原田が、まるで壁のように立った。
枡屋の顔を伝う汗が顎先でひとまとまりになり、ぼたりと床に落ちて大きなしみを作った。
蔵の周りを隊士たちが取り囲み、中の様子を窺っている。枡屋の体を打つ音が響き、その合間に永倉たちの怒号が混じっていた。
「お前んちの蔵から武器弾薬が出てきて、連判状も見つかった! 宮部の下僕も出入りを認めた! 宮部はどこにいる? とっとと吐け!」
永倉の言葉が終わると同時に原田が手にした棒で枡屋を打つ。枡屋は打ち据えられて全身を傷だらけにしながら、それでもなお一言も発さずにいた。
近藤と土方は黙ってその様子を見ている。は土方の後ろで手拭いを口元に当てながら、暑さと、汗と、傷からにじみ出る血の匂いに耐えていた。
ちらりと土方がを見て、頬杖をついていた手を逆の手に変えて体を右にずらした。すると、の視界から桝屋が見えなくなった。
まさか、さっき自分に場所を指定したのは、このためだったのか。こんな時にまで、こんなことに慣れていない自分のことを。
は申し訳なく思いながら、目の前の広い背中を見つめた。
しばらく打ち続けても枡屋が一向に口を割らないので、土方は枡屋を天井からつるし上げるよう指示を出した。
ぎい、と滑車が軋んで、枡屋の体が宙づりにされる。逆さにされたその顔に血が集まり、みるみるうちに膨れ上がっていった。
「そろそろ何か吐いたらどうだ? あ? 枡屋さんよ」
永倉が髻を掴んで言った。
逆さに吊られてさすがに苦しくなったのか、枡屋はうめき声を上げて、掠れた声で何かを漏らした。
「…何だって?」
永倉が枡屋の口元に耳を寄せる。
「ほ…んみょうは、ふ、古高、俊太郎」
「!」
枡屋が口を開いて、場は一気に緊張を高めた。
「ほーう。古高さんかい。生まれは?」
「お…ゴフッ、お、近江…」
「宮部はどこだ?」
「し…、知ら…」
永倉の問いに、あくまでも枡屋は知らぬ存ぜぬを繰り返す。何度も途中で気を失いかけたが、その度に周りから水をひっかけられ、意識を戻された。
何度打っても、水をかけて意識を戻しても。どれだけ体から血を流そうとも、枡屋はまったく口を割らなかった。
朝の空気は天空高くまであがった陽で暑くなっている。蔵の中で責め問いに加わっている者たちも、外で見物している者たちも、汗が止まらない。
「このままじゃ埒があかねえな」
土方が近藤に耳打ちした。
「あの…っ、局長、副長。あの人、本当に何も知らないという事ははないのでしょうか。ここまでされて何もしゃべらないのは…」
と、蔵の外から様子を見ていた神谷が中に入ってきて進言した。
「阿呆かお前は、神谷」
苛立ちを隠さずに土方が言う。
「阿っ…!?」
神谷は阿呆扱いされてかっとなり、土方をにらみつけた。
「本当に何も知らねえなら、知ってる限りのどんな瑣末なことでもしゃべってるはずだろうが!」
土方の厳しい声が飛ぶ。枡屋が何も知らないのであれば、助かりたい一心で何もかも、それこそ宮部の下僕である忠蔵との関係から
すべてを話すはずだ。
土方はそれを言いたいのだと思い、も小さくうなずいた。神谷もそれに気がついたように目を瞬かせた。
そこへ、急な知らせが届いた。
「局長、番屋からの知らせで、つい先刻我々が封じた枡屋の蔵が破られ、中に集めて置いた武器弾薬がすべて盗まれたと!」
「何っ!?」
近藤が勢いよく立ち上がった。
蔵が破られたということは、枡屋の捜索と捕縛が敵方に漏れたのだろう。桝屋の救出と蔵の武器弾薬の奪還を秤に掛け、
どちらかと言えば手薄な桝屋の蔵を襲ってとりあえず武器だけは回収しようという作戦を、急遽考えて実行したと推測される。
前々から風の噂に聞いている、長州による京の焼き討ち計画。武器弾薬が奪われた以上、その計画が行われる可能性はまだ捨てきれない。
もし、桝屋がその計画に加わっていたとして、今こうして責め問いを受けて計画の詳細がこちらにばれたと倒幕派が判断した場合、
計画より前倒しして京を火の海にせんと、今夜にも動くかも知れない。
「トシ!」
「ああ」
近藤が土方を短く呼んだ。それを聞いて土方は近藤の意志を全て理解した。
「新八、左之! 責め問いは俺が変わる! 近藤さん、あんたは会津藩に次第の報告と探索の応援を要請してきてくれ。それから総司たちは…総司?」
土方の声には辺りを見回した。そういえば明け方に別れてから沖田の姿を見ていない。
「総司はどこだ!」
「捜してきますッ!!」
神谷が蔵から飛び出していった。
土方は立ち上がるとの背をぐいと押して、階段の影に押し込んだ。はよろめいて階段の板に手を掛ける。
そして土方は桝屋のほうへ歩き出した。
「手間かけさせやがって」
土方はふうと息を吐き、着物の袖で乱暴に汗を拭った。そして原田が使っていた笞を手に取ると、ひゅんと音を立てて振った。
枡屋はひたすらに押し黙っている。不自然なほどに黙っている。土方はそれの理由に察しがついており、
くっと嘲るような笑みを浮かべて桝屋に近づいた。
「お奉行様んとこじゃ拷問は一刻と決まっている」
ひた、とその足が止まった。
「…が、俺たちはそんなお偉いさんじゃねえ。黙り通して時がくれば中止すると思ってんのかも知れねえが、
そんな考えはよして吐いちまったほうがいいぜ」
枡屋の、古高俊太郎の目が、腫れ上がった瞼の裏で見開かれた。どうやら図星だったらしい。
「鬼の責めに、いつまで耐えきれるか…見物させてもらおうか」
土方は腕を振り上げた。
神谷が沖田を連れて蔵に戻ってきた。
「副長、沖田先生を…!」
そこまで叫んだ神谷の口が固まった。
「…神谷、さん」
は体が震えるのを必死で堪えながら神谷の名を呼んだ。
神谷がの顔色を見て視線を桝屋へ向ける。
桝屋は、神谷が沖田を連れてくる僅かな間にもう自力で上半身を起こすことも出来なくなっていた。
元結いは外れ、髪がばらりとほどけて顔や体に貼り付いている。ほんの四半刻ほどの時間で、どれだけ厳しく打ち据えたらこんなになるのだろう。
「―――総司か」
土方がふっと視線を沖田に向けた。その目は炯々と光り、尋常でない黒さを内包していた。
「どんだけ打っても一向に吐きやがらねえ。もういっぺん逆さ吊りにしてみるか」
「無茶です! こんな状態で吊されたらしゃべるより先に死んでしまいます!」
普段隊士たちの怪我を見ている神谷は、桝屋の状態を見かねて桝屋に駆け寄った。
「道理だ。お前もたまにはいい事を言うな、神谷。おい、古高の縛めを解いてやれ」
土方は神谷の言葉に顔を上げた。
いくら敵方とはいえ、この惨状は見るに耐えない。も神谷も、そしてその場にいたほとんどの者が、
もうこれ以上の拷問は行われないと思い、安堵の息を吐いた。
しかし。
「それから、うつぶせにして手足を押さえ、足の甲から五寸釘を貫け。そこに百匁蝋燭を立てて火を灯すんだ」
「えっ…」
低く命令するその声に、誰もが一瞬耳を疑った。
「なっ…!?」
真っ先に反応したのは神谷だった。
今でさえかろうじて浅い息をしているのに、さらなる衝撃を与えたら、今度こそ本当に死んでしまう。
「神谷さん!」
土方の前に飛び出て抗議しようとするのを、沖田が素早く押さえた。
「副長っ」
「神谷さんは外に出なさい!」
「うるせえ小童だ、おい、!」
土方は眉間に皺を寄せ、を呼んだ。
「は、はい!」
ははじかれたように、もたれ掛かっていた階段からすぐ土方の元へ小走りに寄った。
「小童を外へ連れ出せ! やかましくてかなわん!」
「はいっ」
土方に言われたとおりには神谷を蔵の外へと引っ張りだした。
「戸を閉めろ!」
「はい!」
土方は背中越しにに命令する。は重たい蔵の戸を閉めた。
神谷は閉じられた戸に駆け寄り、耳をつけて中の様子をうかがった。もその隣で同じように耳を澄ませた。
夏を告げる蝉の声が煩い。
すでに桝屋は足に五寸釘を打たれ、そこへ立てた蝋燭に火をつけられているようだ。人のものとは思えない、
苦悶の声とも泣き叫ぶ声ともつかない悲鳴が蔵の外へ響いてくる。
はついにがたがたと震えながら、へたりとその場に座り込んだ。
神谷がそれに気がつき、同じように腰を下ろしての手を握った。
人が人にこのようなむごい仕打ちをせねばならないほど、京に危険が迫っている。
は必死でそれを飲み込もうと、神谷に握られていないほうの手を胸に当ててひとり頷いた。
「…なあ古高、知ってるか?」
土方がゆっくりとした口調で話し始めた。
「溶けた蝋は傷口から身体に入ると血の管を通って心の臓へと辿りつくのだそうだ…
そしてそこに少しずつたまり、ついには固まって心の臓をとめるとか」
小さな火が暗闇の中でゆらりと身を揺らす。熱で溶けた蝋がたらたらと蝋燭の身を伝い、重力に従って桝屋の足の裏に落ちてゆく。
「祖父の口伝によれば、まず足先から蝋の様に硬く冷たくなり…」
「…いっ…」
「七日七晩苦しんだ後には、全身がやがて一本の蝋燭に…」
「い、いやだああ!!! やめてくれえぇ」
桝屋が半狂乱になって乞うた。
「話すっ、話すから火を――――」
土方が床に膝をついた。
「消すのは喋ってからだ。とっとと吐け」
今月二十二日前後の強風の日を待って御所の風上より火を放ち、その混乱に乗じて御所に参内する尹ノ宮(中川宮)と
京キ守護職の松平容保を襲い、天皇を長州へ連れて行く。
桝屋の口から、前々から流れていた噂のはっきりとした日付が漏らされ、土方は眉を上げた。
あれはただの噂ではなく、もう実行予定に入っているのだった。
しかも尹ノ宮と会津公まで討ち果たす計画になっているとは。八月十八日の政変の恨みに相違ない。
「右足だけ消せ」
土方はそう言って軽く手を挙げた。
右足を押さえていた隊士が蝋燭を吹き消す。
「しゃ、しゃべっただろ、早く左も――――!」
桝屋は血と汗と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫んだ。
「喋ってからだと言ったはずだ。まだ聞くことがある」
土方は桝屋を縛っている縄を掴んだ。
「宮部はどこだ?」
「し、し、知ら、本当に」
桝屋は激しく頭を振りながら答えた。
「やつの下僕の忠蔵がてめえんとこに出入りしてんだろ、知らないわけがねえだろうが!」
笞の柄で土方は桝屋の頭を小突く。
「ほ、本当に知らない! 俺の家にずっといたが、あんたたちが忠蔵を一度捕まえた時に皆どこかへ移っていった!
どこへ隠れたかは知らせがないんだ!」
「そうか…おい、左足も消してやれ」
土方は頷いて蝋燭の火を消させた。そして隊士に水を持ってこさせ、桝屋を仰向けに寝かせて口元に水を注いだ。桝屋はむせながら水を嚥下した。
「もうひとつ吐いたら、両足の釘を抜いてやる。お前のところに寄宿していた奴らの名を全員教えろ」
先ほどの怒号とはうって変わった静かな口調で、土方は桝屋に話しかけた。
「じ、自分がどうなろうとも、仲間を、売ることは出来んっ…」
桝屋はぎっと土方を睨み付けた。
「売りゃあしてねえよ。ここまでよく耐えたな。もう全て吐いて楽になっちまえ」
そう言って土方は柄杓で水を掬うと、桝屋の体にかけた。
傷口に生ぬるい水がしたたり落ち、血や汗が洗い流される。
「…うう…み、宮部…、河村、萱野…」
桝屋は、口を開いた。
ばん、と蔵の戸を勢いよく開けて土方が出てきた。
隊士たちの喧噪も蝉の鳴き声も、一瞬全てが声を止めた。
「神谷、野郎の手当をしておけ。、お前は俺と来い」
「はいっ!」
「はい」
神谷は蔵の中に駆け込み、周りの隊士たちに手当の手配を言い渡した。
土方はざっざっと土埃を巻き上げて自室へ向かう。
はよろよろと立ち上がって、土方の早足について行った。
太陽が中天に高々と上がった真昼。
ついに、桝屋は陥落した。
20090625