久遠の空 ドリーム小説 嵐の序曲 5

嵐の序曲

update:2009.02.06

嵐の序曲 5 

 三日後、近藤たちは再び会津藩公用方の宿舎を訪れ、将軍警護の具体的な配置を聞いてきた。
 新選組は安治川河口付近の西九条村近辺の警護を任された。
 「今のところ不穏な動きはないが、十二分に気を配ってくれ」
 と公用方の秋月悌次郎は近藤たちに申し渡した。

 前年の八月十八日の政変で長州勢力が失墜し、公武合体派が台頭してきた。京都では、主に攘夷に対する討議が盛んになされていた。
推進されていた攘夷断行の実現に向けての将軍上洛。その警護が今回の任務であった。
 新選組が任された地域は、淀川が大川に交わり、八軒家の前を通って大坂湾に流れ込む安治川河口付近である。安治川の北岸に位置し、川の入り口にある 天保山からは約半里(2キロメートル)といった辺りだ。

 「いよいよだな」
 宿舎を出て歩きながら近藤が言う。
 「いよいよだね」
 山南も軽く頷く。
 「それまで近辺を巡察だ。順番を決めて隊ごとに回らせる」
 土方が顎に手を当てながら思案する。
 「それがいいな。どこに不逞の輩が潜んでいるかわからん」
 「大事になる前に手を打ちたいところだね」
 「大事にならなきゃ一番いいがな」
 大川に沿って歩いていくと、水運を利用して商いをする者たちがひっきりなしに動き回っているのが目に入る。 路地からは追いかけっこをしている子どもたちが飛び出し、白い息を吐きながら元気に走って行った。
 この町のどこかに、大樹公を狙う不届き者が身を潜めているかもしれない。
 そう思う男三人の眉は、自然と険しくなるのであった。



 京屋に戻った土方たちは、暮れ六つに隊士たちが帰営したところで副長助勤を近藤たちの部屋に集めて、将軍警護の配置やそれまでの近隣の巡察について通達した。
 「ご上陸は八日、つまり明後日だ。明け六つにはここを出て西九条村へ向かう。向こうに到着したら近辺に怪しいものがないか徹底的に捜索し、 万全の態勢で当たってもらいたい」
 近藤が前に座り、重たい口調で告げた。
 「わかりました」
 沖田が笑顔で頷いた。
 「万が一のときは任せとけって」
 永倉が目の奥を光らせる。
 「前の方は総司と永倉と平助が担当だ。左之助」
 「おうよ」
 「お前の組には小荷駄方と殿(しんがり)を任せる」
 「合点承知」
 土方の通達に原田はドンと胸を叩いた。
 「斉藤と松原は後方だ。何かあったら原田の隊を守れ」
 「承知」
 「承知いたしました」
 会津藩の命による探索活動から戻ってきた斉藤と、副長助勤の松原忠司が返事をした。
 巡察は結局明日一日だけになってしまったが、連れてきた六組を二組ずつに分けて、京屋近辺から大坂城までの道のりを捜索することにした。
 「明後日まで巡察以外の外出は禁じる。刀はよく手入れし、いつでも使えるようにしておくこと。上様の御為に、皆力を尽くしてくれ!」
 「おう!」
 近藤の言葉に副長助勤全員が呼応した。

 「お前は俺と行動しろ」
 土方はばらばらと出て行く足音に混じって、に囁いた。
 「承知いたしました」
 は返事をしたがその表情は固い。
 五ヶ月ほど前の、八月十八日に起きた政変を思い出す。あの時のように物々しい雰囲気になるのだろうか。
 「心配すんな。今度は戦じゃねえ。八月ほどデカかねえよ」
 土方は事も無げに言った。
 「は、はい」
 は自分の考えが土方に読まれていることに驚き、ぴくりと体を揺らした。
 土方はその様子を見て、考えてることが丸わかりなんだよと薄く笑った。


 新選組は翌日の巡察で宿改めなどをして、近辺の無事を確認した。今のところ、怪しい人影は見当たらない。
 各所に潜伏させて諜報活動をさせている監察方からも、特にこれと言った情報は入ってこなかった。



 そして八日早朝、将軍上陸の当日となった。
 近藤以下全員は夜明け前に起き、身支度を整えるとまた薄暗いうちに京屋を出発した。

 は土方や小荷駄方の面々と同じく舟に乗った。
 局長と副長、小荷駄方は現地に先乗りするために舟を使うことにしたのだ。
 京屋の前から舟に乗り、来た時と同じように大川を下る。
 土方の隣に座って冷たい川の風を受けながら、は水面を見つめた。水がとても澄んでいる。日の当たっている場所はかなり奥まで見えている。 落ち葉などの自然な物はともかく、人が出すようなごみは一つも川面に浮かんでいない。川岸に目をやると水を汲んでいる人が何人もいた。その中には竹筒と思しきものに水を詰めている姿もあった。 機械工場が見当たらないので、工業排水がないから水がきれいなのだろう。
 「落ちるなよ」
 土方がの袖を引いた。
 「はい」
 は自分が思ったよりも舟の縁から身を乗り出しているのに気がつき、体を引いた。
 舟の上はしんと静まり返っていた。いつもは騒がしい原田も緊張からか口を噤んでいる。
 雀の鳴く声と舟に水が打ち寄せる音だけが辺りに響いていた。

 途中の橋の袂で舟を降り、そこからは歩きで西九条村に入った。
 村に着くと小荷駄方は荷を降ろし、行李や風呂敷から防具などを出した。徒歩でこちらに向かっている隊士たちが来たらすぐ身につけられるように、 組ごとに分けて地面に置いた。

 土方と山南は小荷駄方が荷物の整理を終えると彼らを引き連れて周辺の見回りに出かけた。
 近藤は数名とともにその場に残り、陣を構えた。とは言っても形だけのもので、近藤が座るための折りたたみの腰掛と、誠の文字が赤字に白く 染め抜かれた旗を立てただけである。
 は近藤と共に陣に残った。土方が「文官のお前は見回りにまで一緒に来る必要はねえ」と残したのである。表向きは足手まといを装ったが、 彼女が少しでも危険な目に合わないようにするための措置である。はおとなしく近藤と共に陣で待っていた。

 しばらくすると、沖田の隊を先頭にして徒歩部隊が到着した。
 「お疲れー! じゃ、お前ら早速身支度しろ」
 原田が沖田たちの分の鎖帷子などが置いてある場所を指差した。
 「いいなあ原田さんたちは。こっちは歩いてきてくたくたです」
 神谷がうんざりした様子で言った。
 「何を言っているんですか。体があったまってちょうどいいくらいじゃないですか」
 沖田は懐から手拭いを取り出して額の汗を拭う。
 「身支度が済んだらすぐに周囲の見回りに向かえ。君、あれを」
 「はい」
 一番隊が身支度をしているところへ近藤がやって来て、横に侍るに指示を出した。は手に持っていた紙を広げた。 その紙には安治川から西九条村、そして大坂城までの簡単な地図が描かれていた。
 「今、副長二人と数名がこの辺りを見回っている。一番隊はこの南をあたってくれ」
 「承知しました」
 沖田は近藤の命令を聞いてにこりと笑うと白い鉢巻を締めた。その表情からすっと温度が消える。
 「一番隊、用意はいいですか? これより見回りを開始します」
 「おう!」
 組長の掛け声に、一番隊の全員が反応する。
 ざっざっと勇ましい足音と共に、一番隊は見回りに出発した。
 は沖田のすぐ後ろを歩く神谷と一瞬目を合わせた。互いに軽く頷いた。

 その後も二番隊、三番隊と準備が整い、それぞれが見回りに出かけた。
 そして土方たちがまず見回りから戻ってきて、周囲に異常がないことを近藤に報告した。
 は邪魔にならないように話の輪からは少し距離を置いた。戦ではないこの警護はどうなるのだろうかと思いながら。


 最後に出かけた松原の四番隊が戻ってきて少しした頃、川下の方の道の様子が変わってきた。
 「ご到着だ」
 徳川幕府第十四代将軍、徳川家茂の上陸である。
 近藤が立ち上がり、土方と山南と共に隊士たちの前に進み出た。もその後ろから様子を遠目で伺った。
 遠い道の向こう、列の先頭と思われるのは、葵の紋所を金で描いた大きな挟箱を担いだ男二人である。その後ろには先槍が二本付き、菅笠を被った徒(かち)が 何十人も隊伍を組んでいる。さらに今度は槍組がぞろぞろと並び、青い空に向かって槍を突き立てていた。
 「よし、全員並べ!」
 近藤の号令に新選組は一瞬で隊列を組んだ。
 山南と並ぶ土方の傍らにはその身を置いた。
 「上様の列が無事に大坂城にご入城になるまで、細大漏らさず目を光らせよ! 新選組、前へ進め!」
 「おう!」

 この西九条村から大坂城まで約半里の道のりを警護しながら歩く。新選組は将軍の行列に少しだけ先んじて隊を進めた。
 誠一文字の旗を押し立てて、まず沖田の一番隊が道を行く。その後ろに近藤が入り、永倉の二番隊と藤堂の八番隊が続く。 斉藤の三番隊、松原の四番隊ときて、殿は原田の率いる小荷駄方と副長二人が守る。
 は浅黄色の羽織が列を成して進んでいくのについて行きつつ、少しだけ頭を動かして周囲をも見渡した。
 後ろから来る将軍の列は、道が途中で緩く曲がっているせいか、将軍が乗っているであろう駕籠も列の終わりも見えない。 黒く長い列の上に、背の高い槍や担いだ弓などの先が見えるだけである。
 これだけの供を連れていれば、いかに将軍とて襲われて実害を加えられることもないだろう。それに加え、空には会津藩を始めとして 様々な藩の旗が風にたなびいていた。その下を見れば鎧甲冑に身を包んだ大軍が控えていた。正直に言って、たった数十名の新選組が 警護をする必要もないのではないかと思うぐらいだった。

 将軍の行列はゆっくりと、粛々と大坂城に入っていった。心配されたような不逞浪士どもの襲撃も全くなかった。
 「うむ」
 と近藤は重々しく頷いた。その瞳には無事に将軍が入城したことへの安堵の色が浮かんでいた。


 警護が終わり、新選組は八軒家の京屋へと戻った。
 「後は二条城へのご入城だな」
 部屋で陣羽織を脱いで軍装を解いた近藤が、どっかりと座り込んで言った。
 海路で京に入るには、まず大坂で上陸してから船で伏見へ行く。今度はその道筋を守ることになるのだ。
 「大坂をお立ちになられるのが十四日頃になると秋月様がおっしゃっていたが、明日またうかがってこよう」
 「ああ」
 「山南さん、大丈夫か? 顔色が悪いぜ」
 土方が山南を見て言う。
 「大丈夫だよ土方君。ちょっと疲れただけだ」
 情けないね、と山南は頭を掻いた。
 「今夜はゆっくりお休みなったほうが」
 横からも思わず口を出した。それほど山南の血色が悪かった。
 「次の警護で足を引っ張るわけにはいかないからね。今日はそうさせてもらうよ」
 山南はゆっくりと立ち上がり、布団を出そうとした。
 「そんなことは俺がやろう。山南さん、ちょっと端で待っててくれ」
 近藤が急いで立ち上がり、山南を横にどけて布団を敷き始めた。も近藤から布団を受け取り、手早く床の準備を手伝った。
 「ありがとう。静かにしていなくていいから、今後のことを話し合ってくれ」
 と山南は言い、昨日まで近藤が寝ていた一番端の布団に潜り込んだ。

 近藤と土方は今日の警護について話し合った。
 隊列は保たれていたし、無駄口を叩く者もいなかった。他藩の警護の者たちと小競り合いをすることもなく、上々の内容だったと言える。
 「…」
 だが土方にはそれ以外に気がかりなことがあった。
 「どうした?」
 近藤が問う。
 「山崎から連絡がねえんだ」
 山崎とは、去年芹沢を除外した後に入隊した山崎烝という名の隊士である。針医の息子で大坂出身、京坂の地理に明るいことから、 土方が直々に監察へと指名した男だ。
 長州勢力の怪しい動きを見つけたらすぐに知らせるように言って、ひと足早く年末に大坂へと送り込んだのだが、まだ一度も連絡を寄越していない。
 「彼のことだから、小さいことでも詳しく調べてるんじゃないか?」
 近藤が肩をほぐしながら言った。
 「それならそれで、これを調べているからと言ってきてもいいはずだ」
 土方は目の奥に剣呑な光を湛えた。

 「なあ近藤さん、静かすぎやしねえか?」
 「何がだ?」
 「上様のご上陸さ。長州どもが上様に反旗を翻すというなら、このご上陸の時に何かをするのが一番いいだろ。成功するにしろ 失敗するにしろ、最大の見せつけになるじゃねえか」
 「…そうか」
 「それなのに鉄砲の玉一つ、弓矢の一本も出てきやしねえ。おかしかねえか?」
 「言われてみればそうだな…」
 「俺は山崎が何も言ってこねえのと何か関わりがあるんじゃねえかと踏んでいるんだが」
 「それが何なのか、お前には見当がついているのか?」
 「それがわかりゃ苦労はねえだろ」

 なあ、と土方は隣に座るを見た。
 の表情は全く動いていなかった。彼女は土方の話を頭の中で整理するだけでいっぱいいっぱいになっていたのだ。
 不逞の輩から守るために将軍の警護をしているはずなのに何も起こらず、それ以外の何かが起きようとしている?
 だとしたら一体何が?
 それを思いつくことなど出来るわけがないとわかっていても、はそれが何なのかぐるぐると考え続けていた。

 「オイ」
 を呼ぶ声と同時に、ぴしりと土方の指がの額をはたいた。
 「いたっ」
 「人様が話しかけてんのに無視するたあ上等だな」
 「あ、す、すみません。何ですか?」
 「もういい。それより…」
 土方は矢立を取り出し、紙も出して布団の外に置いた。
 「今日の陣はこんな感じだったか」
 そして紙に何かを書き始めた。
 近藤とは頭を付き合わせてそれを覗き込んだ。

 「何だ? これは」
 近藤が首を傾げる。
 そこには紙を横切るように細い線と、四角い旗のようなものが描かれていた。
 「今日の陣の配置だ」
 土方は満足そうに筆を置いた。
 「川ってこんな感じだったか?」
 近藤がうーんと考え込んだ。
 「いえ、もうちょっとこの河口付近は曲がっていたのではないでしょうか。川に沿って動く行列の後ろが見えないぐらいでしたから」
 も口を出した。
 「んだと、文句があるならお前ら描いてみろ」
 自分ではうまく描けたと思っていたのにとむっとして、土方は近藤とに紙と筆を突きつけた。

 が筆を持ち、近藤が隣で指示を出した。
 「こうですかね…」
 「ああ、いいね。そんな感じだと思う」
 「新選組はこの辺でしたっけ?」
 「そうそう、ちょうどこの曲がったところ辺りだったな」
 「この辺りに会津藩の旗が見えました」
 「こっちに相模守様の…」

 「こんな感じでいかがでしょうか?」
 が土方に紙を差し出した。
 二人が描き示した図は、土方のものより見やすく、地形もそれっぽく見えた。
 「…お前、なかなかうまいな」
 土方は怒りを引っ込めて感心したように言った。
 紙の右端には安治川の河口にある天保山、川が緩やかに曲がったところに新選組の誠の旗、会津藩他諸大名が送り込んできた警護の 旗も幾つか描かれていた。

 「ここに“会津藩御預 新選組 百人”って書け」
 土方はに筆を握らせた。
 「え? 百人もいませんでしたよ?」
 は頭の中で即座に新選組の人数を確認した。来ているのは六つの隊と近藤たち幹部、そして自分だけだ。 少し多めに見積もっても七十人がせいぜいといったところだろう。
 「いいから書け。ここに会津の…」
 「あ、ちょっと待ってください」
 は紙を押さえて、土方の言うとおりにどこにどの藩がいて何人だったのかを書き込んだ。
 「ご苦労」
 土方は書き終えた紙を四つに畳むと懐へしまいこんだ。
 「何にするんですかそんなの」
 は土方に矢立を返しながら聞いた。
 が、土方は答えずに、厠に行ってくると言うと部屋を出て行ってしまった。



 将軍が大坂城に入ってからは、しばらく平和な日々が続いた。
 新選組は毎日巡察を行い、残すは将軍の列が大坂から伏見へと移動するのを警護をするのみとなっていた。

 しかしここで一人の運命が大きく変わる事件が起きる。
 山南が、斬られた。




 20090205