久遠の空 ドリーム小説 帰還 3 噂ってコワーイ

帰還

update:2008.09.12

帰還 3 二股の噂

 「・・・え?」
 は自分に向けられたその質問に、ただあっけにとられた。
 「そ、そうなんだな?否定しないってことは、そうなんだな山口君っ」
 相手はそう言い捨てるとがくりとうな垂れ、の目の前から走り去って行った。




 「は?」
 土方はの報告に眉を顰めた。
 「何故このような噂が立っているのか、全く心当たりがないんですけど・・・」
 も首を傾げる。



 つい先ほどのことだ。
 と再び入れ替わった翌朝、すっかり晴れて気持ちのいい朝日の中をは井戸へと向かった。
 水を汲み上げて顔を洗い、手拭いで水気を拭き取る。

 ふと誰かが目の前に立っているのに気がつき、は頭を上げた。
 名前は知らないが、隊士の一人であることは知っていた。黒谷にいる時間のほうが長いから、同じ新選組隊士でありながら 名前と顔が一致しない者が多い。だが目の前の相手は何かの折に一言二言話したことのある男だった。

 「山口君、確かめたいことがあるのだが・・・」
 相手はどこか言い辛そうに切り出した。



 確かめたいこと。
 もしや自分が女だとどこからかバレたのだろうか。
 もしそうなら否定して、自分は男だと押し通さなければならない。相手がそれを確かめようと近づいてきたら、全力で土方の部屋に逃げる。
 はいつでも走り出せるように足元を少し広げた。




 「や、山口君、斉藤先生とデキてるって本当なのか?」
 相手は顔を赤くして言い放った。




 「・・・・・・え?」
 は耳を疑った。
 斉藤さんと、誰がデキてると?





 「さらに、土方副長と二股掛けてるってのも本当なのか?」
 相手は詰め寄ってきた。




 「・・・え?」
 斉藤さんとデキていて、土方さんと二股掛けている。
 何故、いつ、どこからそのような話が出て来たのだろう。
 は頭の中で、自分の行動にそう疑われるようなものがあったか思い返してみた。
 「・・・」
 何も思い当たることが浮かばず、は驚きの表情で相手を見つめた。
 否定の言葉を返してこないを、相手は勝手に肯定だと解釈して冒頭の場面に至ったのである。



 は一体どういうことなのか考えながら土方の部屋へと戻った。
 そして土方に事の次第を告げたのである。

 「さんが・・・何かしましたか?」
 は、自分じゃないならと、最も近い可能性を土方に聞いてみた。



 土方は一昨日のと自分、そして斉藤の行動を振り返ってみた。
 まず入れ替わった直後にと斉藤が屯所の前で抱擁を交わして、土方が後ろから声をかけると土方にも飛びついてきた。
 そして昨日、雨の中を飛び出したを追って前川邸を飛び出し、見つけるなり腕を引いた。
 は自分の気持ちを吐露し、土方の胸に顔を埋める。土方はしばしの後、その頭を撫でた。
 が、の動きが止まったと思ったら突然に入れ替わり、感情のままに土方はを抱き締めた。は抵抗せず、おとなしく土方に体を預けた。
 そこへ斉藤がやって来て二人を見咎め、土方と言葉を交わした。
 決して友好的とは言えない雰囲気の中、二人の間にが割って入った。
 最終的には土方が斉藤とを促して屯所へと戻って行った。


 客観的に事実だけを見れば、そう誤解されてもおかしくはない。
 どちらにでもふらふらと抱きつく
 雨の中を厭うこともせず追いかけて行って相手を抱き締める土方。
 自らの感情を表に出すような動作は少ないけれども、邪魔だけはきっちりする斉藤。
 そんな穿った視点から見られたら、どうだろうか。



 「・・・たいしたこたあねえ」
 おそらく門番の隊士たちが、見た光景をこそこそと噂し、それがあっと言う間に肥大して隊内に広まったのだろう。
 あの野郎、何も面倒を起こさずに戻って行ったと思ったのに、とんだ置き土産だと土方は溜息をついた。



 だが、待てよ。
 土方の頭に、ある考えが思い浮かんだ。



 「で、お前は否定したのか、それを」
 土方は文机に肘を付いての方を向いた。
 「いえ、突然そんなことを言われたので、吃驚して何も言えませんでした」
 はすまなそうに頭を垂れた。


 「その噂、そのままにしとけ」
 土方が両手を袖に突っ込んで言った。
 「え?」
 は怪訝な顔で土方を見た。
 「幹部の“お手付き”ってことになれば、そうそうお前に手を出そうとする奴らもいなくなるだろう。外でも、お前に相手がいるとわかれば同じことだ」
 いわゆる“お相手”がいると知れば、に迫ってくる虫もほぼいなくなるだろう。我ながら名案だと土方は肩を聳やかした。

 「でも、それじゃあ斉藤さんと土方さんにまたご迷惑が・・・」
 は表情を曇らせた。土方の案は確かに有効かもしれない。が、妙な噂を立てられたら二人だって困るだろう。
 「・・・そうだな、じゃあ斉藤は否定しとくか。従兄弟だしな」
 土方は口の端をくっと上げた。



 「俺だけ、ってことにしとけ」



 「はい?」
 土方の言葉がよくわからずに、は聞き返した。
 「俺だけが相手ってことにすれば、斉藤には迷惑かかんねえだろ」
 土方が事も無げに答えた。
 「あの、だからそれじゃ土方さんに・・・」
 は眉を寄せて、迷惑が掛かるからと続けた。
 「俺は別に構わねえ」
 ただの噂だろ、と土方はさらりと言いのけた。

 「ただのって・・・許嫁の方に知れたらどうするんですか?私は嫌ですよ、事実でもないのに」
 「お前はいちいち許嫁許嫁ってうるせえな、俺にその気がねえって知ってんだろ」
 食い下がるを、土方はじろりと睨みつけた。
 と出会ってからすっかり許嫁のことなど忘れていた。もともと気がなかったのだ、それも仕方がないだろうと土方は思う。


 が自分をじっと見つめている。少しばかり機嫌の悪そうな色を瞳に宿して。
 わかっている。不実だと言いたいのだろう。


 土方は素早く腰を浮かせると、の肩を掴んで畳に押し倒した。
 「土方さん?」
 「俺が相手じゃ不満なのか?」
 吐息が触れ合う距離で、土方はと視線を合わせた。
 「不満って、わけじゃ・・・」
 はついと目を逸らした。
 このまま目を見つめていたら、必ず相手のペースに巻き込まれてしまう。土方にはそういうところがあるのをは学習していた。


 土方はにやりと笑い、顔を背けるの耳元に口を寄せた。
 「さっき、事実でもないのにと言ったな?・・・じゃあ事実ならいいのか?」
 そして彼女の白い首筋を、己の唇で掠めた。


 「っ、そういう問題じゃありません」
 一瞬感じたくすぐったさには肩を竦めた。
 自分は本当に土方や斉藤に迷惑を掛けたくないだけなのに。
 「もう、からかうのもいい加減にしてください」
 は真っ直ぐに土方を見た。


 「わかったわかった」
 苦笑いを漏らしながら土方は身を起こした。
 の腕を引き、彼女も起こしてやった。

 「とにかくその噂はそのまま捨てておけ。で、つまらねえことをほざく奴らには俺の名を出しておけ。いいな」
 土方は再び文机の前に戻った。
 「でも・・・」
 はまだためらっている。
 「お前は本当に“でも”が多いな。人様の好意は素直に受け取れっつっただろ、可愛くねえ」
 土方の眉間に皺が寄った。

 「可愛さなんて必要ありません。私は男です」
 「そういう意味じゃねえ。何度言ったらわかるんだこの野郎」
 前にもこんなことを言い争ったような気がする。こういうところはまったく可愛げがない、と土方は目を眇めた。


 「・・・そろそろ黒谷に向かいます。失礼します」
 が徐に立ち上がった。
 「ああ」
 土方も文机の上にある道具箱の蓋を取った。
 は納戸を開け、黒谷で使うものが入っている風呂敷を手に取った。


 はそっと土方の背中を見遣った。
 土方が言いたいことはわかっている。が、男らしくない要素は極力排除したい。女に対する言葉は聞きたくないだけだった。


 は彼の背後に膝を進めた。
 「あの、土方さん・・・」
 「何だ」
 すでに土方は何か書付を始めている。

 「・・・ごめんなさい」
 は土方の広い背中に声を放つ。
 「あと、ありがとうございます。もし何かあったら土方さんのお名前、使わせていただきますね」

 自分の秘密を守ること。
 それは、秘密を共有する男二人に心配を、ひいては迷惑をかけないことに繋がる。
 完璧に一人で秘密を守ることは無理かもしれない。守るためには少しだけ手段も必要だとも思う。
 第一の目的を守るために少しだけ土方の力を借りようと思い直した。


 「行って参ります」
 「ああ」
 土方は彼女の方へは目を遣らずに返事だけをした。




 ぱたりと障子が閉まり、彼女が出掛けてしまうと、土方は筆を下ろした。
 まったく、最初からそう言やあいいのに。ちっとも可愛くねえ。
 後から素直になるぐれえなら、ハナっからそうすりゃいいんだ。


 だが、例え仮初めでも、彼女と噂が立つのに悪い気はしない。
 しかもそのことで彼女を少しでも庇ってやれるのならなおのことだ。


 「・・・まあいい」
 ふっと土方は短い笑みを漏らすと、再び筆の穂先に墨をつけた。


 彼女を守るためなら、噂のひとつやふたつ、何てことはない。
 むしろ喜んで流してもらいたいような内容だ。
 例えそれが、己の嫌う衆道だとしても。
 本当はそんなものではないから、自分の中では何も問題がない。



 土方はもう一度笑うと口元を引き締めた。
 気持ちを入れ替えて、鬼の副長へ。


 新選組副長、土方歳三。
 彼の“仕事”は開始の時間を迎えた。



 20080911