久遠の空 ドリーム小説 帰還 1

帰還

update:2008.08.29

帰還 1 

 「あれ・・・ここって・・・」
 しとしとと降る雨の中、傘も差さずにその人物は立ち尽くしていた。
 「何だよ・・・壬生浪士組じゃないのか?新選組って・・・?」
 黒々と墨書きされた新選組の看板を、濡れた指で差す。
 「でも・・・俺・・・」
 その指先が震える。

 「俺・・・帰ってきたんだ・・・!」

 「そこで何をしている?」
 天に向かって片手を突き上げる“彼”に後ろから声が掛かる。
 振り返ると斉藤が立っていた。黒い羽織に黒い傘がよく似合っている。
 「は、はじめにぃ・・・」
 “彼”は破顔した。
 「はじめ兄ぃーっ!」
 そして顔をくしゃくしゃに歪めると、手に持った風呂敷を投げ捨てて斉藤に駆け寄った。水を蹴上げて斉藤に飛びつく。その反動で斉藤は傘を取り落とした。
 「・・・何の冗談だ?」
 自分の胸元に顔を擦り付ける相手に、斉藤は無表情で言った。
 その体を力一杯抱き締めて、彼は言った。



 「俺だよはじめ兄ぃ、だよ!」



 はじめ兄ぃ、はじめ兄ぃと呼ぶ声がだんだんと小さくなり、しゃくりあげる声に変わってきた。

 斉藤は現在の状況を頭の中で整理した。
 目の前にいるのはのはずだ。自分の従兄弟と入れ違いに遠い未来からやってきた女だ。
 だが、どうも様子が変だ。
 まるで従兄弟のであるような口ぶりである。

 斉藤は相手の体に手を回し、着物の上からぽんぽんと手を置いて確かめてみた。
 服の上からは誤魔化せても実際こうして形を辿ってみれば分かってしまう、男とは違う体だった。
 間違いなくの体である。
 が、発する空気と言うか雰囲気と言うか、それは明らかに異なっている。のものではない。
 斉藤は首を傾げた。

 「お前ら・・・そこで何やってんだ・・・?」
 その時、斉藤の前から声がした。
 「これは、副長」
 斉藤はふと顔を上げて声のする方を見た。
 「何やってんだと聞いてんだ・・・」
 土方はくすんだ朱色の傘をぼとりと取り落とし、雨を全身に浴びている。

 斉藤はふと自分と相手の姿勢を思い返した。
 と前川邸の門前で互いの体に腕を回している。傍らには傘がひっくり返っている。さらにその近くにはの風呂敷が放り出されている。
 土方の脳内に展開されている想像が、彼の表情からありありとわかった。

 「副長、我々は別に」
 斉藤がそう言い掛けた途端、はくるりと後ろを向いた。
 「あ、土方さんだ!土方さーん!」
 斉藤から腕を離すと、は今度は土方に抱きついた。
 「うわっ」
 その勢いに思わず土方はよろける。
 「土方さあん」
 甘えるような声で、ぎゅっとは抱きついてきた。

 「何だこりゃ・・・」
 どう見てもらしくない行動に土方は目を丸くした。
 「酔ってるわけでもなさそうですな」
 斉藤は近づいて来るとの匂いを嗅いだ。
 「酔ってなんかないよー。帰ってきたんだあ」
 えへへと鼻声では笑う。
 保護者二人はどうしたものかと立ち尽くした。


 そして、前川邸の門を守る隊士たちが目を丸くして一部始終を見ていた。




 三人はとりあえず前川邸に入り、それぞれの部屋へと戻った。
 土方の部屋ではが先に濡れた着物を替えた。
 「うわあっ」
 が突然障子の向こうから声を上げた。
 「何だ」
 髪を手拭いで拭きながら、相手が着替え終わるのを廊下で待っている土方が聞いた。
 「何で俺、女なの?」
 障子が勢いよく開き、が飛び出してきた。驚いた土方がを見ると、長着の前を開いたままだった。着物で隠れていない、体の中心部分が丸見えである。
 「っ、そんな格好で出てくんじゃねえ!」
 土方は慌ててを中に押し戻した。中身はだが体は彼女のままだ。目の毒である。いや、それ以前にこんな姿をしているところを誰かに見られたら、 “山口”が女であることが露見してしまう。
 「だって土方さん、何でなのかわかんないよ」
 は肩を押されて室内に押し込まれたが、再び顔を出してきた。
 「後で説明する。それより早く着替えろ。その体に風邪を引かすな」
 土方はぐっとの頭を押して、素早く障子を閉めた。
 はしばらくぶつぶつと文句を言っていたが、大人しく着替えると土方と交代して廊下に出た。
 そこへ同じく着替えた斉藤がやって来た。
 「はじめ兄ぃ」
 にこりと笑う従兄弟に、斉藤は軽く頷いた。


 土方と斉藤が並んで座り、その前にがちょこんと正座した。各自の前には斉藤が淹れてきた茶が湯気を立てている。
 外見は間違いなくなのだが、中身は間違いなくである。いつもの静かな佇まいではなく、黙っていても騒がしげな雰囲気だ。
 「・・・やはりなのか」
 斉藤が口を開いた。
 「そうだって言ってんのにもう、はじめ兄ぃはー。帰ってきたんだよって」
 が口を尖らせる。
 「何だってまた、中身だけ」
 土方は常なら決して見ることのない、明るい様子の“”に気味の悪そうな目を向けた。
 「知らないよ、池眺めてたら雨が急にざーって降ってきたんだ。で、気がついたらあそこにいたわけ」
 手をひらひらと振ってが言った。
 「池?池だと?」
 土方が思わず前のめりになる。
 「うん。だって俺、池からあの世に行ったんだもん。戻れるとしたらまた池からって考えるのが普通でしょ」
 「あの世?」
 「お前、今どこにいるのだ」
 の言葉を聞いて土方と斉藤がそれぞれ疑問を放った。
 「さっきはまさか女の体になってると思わなかったけど・・・こいつ、って言うんじゃない?」
 は自分を指差した。
 「の母上と一緒にいる」
 「何だと?」
 「京の宿で、こいつの母上に世話になってるんだ」
 はやはりと入れ違いになっていたのだ。そして彼女の母親と共にいると言うのだ。
 「そうか」
 斉藤は首肯した。
 「いろんなものが違って吃驚だよ。メシはうまいからいいけどさー」
 足が痺れてきたのか正座を崩しては後ろに両手をついた。
 「きちんと座れ、だらしない」
 斉藤が眉を寄せて言った。
 「はーい」
 はしぶしぶと正座に直した。
 「で?」
 しゃんと座ったは目の前の二人に視線を投げかけた。
 「こっちでこいつは何してんの?」
 土方と斉藤は顔を見合わせた。教えてやるのはやぶさかではないが、どこまで教えていいのだろう。
 土方は斉藤に任せることにした。斉藤が説明するのが一番いいだろうと思ったからだ。余計なことを言わず、 ただ事実だけを伝えられるだろう。
 斉藤は説明を始めた。土方の思ったとおりに斉藤は簡潔に、余分を言わないでが納得できるように話した。


 「しかし、心だけ戻って体は戻らないってのはどういうこった」
 土方は溜息混じりに言った。
 「いいじゃん別に」
 ふわあ、と欠伸をしながらが言った。
 「困るだろ」
 土方が言う。
 「困んないよ」
 は茶碗を手に取り、冷めてきた茶を啜った。
 「別に体が女なだけだもん。中身俺だし」
 事も無げには続けた。
 「それが困ると言ってんだろうが」
 土方も茶を手にした。口調はかなり苛立っている。
 「困んないって」
 じろりとは土方を睨んだ。

 「そんなことより、別の世にいることのほうがよっぽど困るっての」

 男二人は口を噤んだ。
 は二人をよそに、再び茶を喉に流し込む。その眼差しはいつもの穏やかなそれではなく、鋭く前を見据えていた。
 別の時代に飛ばされたものだけが知る、困惑。
 確かに、も今は生活に関することを身に付けてうまくやっているものの、最初は何も分からずに四苦八苦していた。
 あちらに飛ばされたも同じに違いない。
 土方と斉藤も多少の想像はつくが、それはあくまでも物理的な面だけであり、精神的な面は本人たちでなければ決して理解できないものだ。

 「あーあ、お腹すいたなー」
 空になった茶碗を茶托に置くと、は伸びをした。
 「はじめ兄ぃ、ご飯食べたい」
 気がつけばもう日は暮れており、先ほどから賄い方の作る夕餉の匂いがほんのりと漂ってきていた。
 きゅるると腹が鳴り、へへっとは笑った。
 「出来ているか見て来よう」
 斉藤は立ち上がり、土方の部屋を出て行った。

 土方とは部屋に二人きりで残された。
 は斉藤がいなくなった途端に足を崩し、痺れた足の裏を揉み出した。

 土方は何を言っていいのかわからない。
 無事に元の時代に戻って欲しいとは思っていたが、こんな形で急に、しかも中身だけ入れ替わってしまうとは。
 別れの言葉を言えないだろうことは覚悟していたが、まさかこんなすぐにとは土方は思っていなかった。

 「どしたの?土方さん」
 は黙り込んだ土方に近づき、下からじっと覗き込んだ。
 見上げてくる表情は彼女そのものだ。
 「・・・帰れ」
 土方の唇が微かに動いた
 「え?」
 「もう一度向こうに帰れ。そしてお前の体ごと戻って来い」
 土方は目を逸らして言い捨てた。
 「ええ?せっかく戻ってきたのに?またあそこへ帰れって言うの?」
 頬を膨らませては土方の前に回りこんだ。
 「そうだ」
 土方は厳しい表情で言った。
 「やだよ」
 も同じく顔を顰めた。
 「あのなあ」
 土方が大きな溜息をつく。
 「ヤ・ダ」
 つんとあちらを向いてが言い返した。

 「飯だ」
 とその時、斉藤が膳を持って入ってきた。
 土方とが互いに顔をそむけあっているのを見て、斉藤は僅かに眉を動かした。が、何も問わずに夕餉を中に運び入れた。


 静かな雰囲気の中、三人は夕餉を口にした。
 しかしどことなく居心地の悪い空気だった。


 「はじめ兄ぃ、俺ちょっと疲れた・・・」
 食事を終えたはぐっと伸びをした。外はすでに暗くなっており、降り続く雨が暗い空をますます黒く見せていた。
 「さっき風呂が沸いているのを確認しておいた。入ってから横になるといい」
 「サンキュー、はじめ兄ぃ」
 斉藤の申し出に、はふわあと大きな欠伸をしながら言った。
 「さんきゅう?」
 土方が聞き返す。
 「こいつの母上様に教わったんだ。ありがとうって、英語・・・こっちでは英吉利語だっけ?で、サンキューって言うんだって」
 は土方にの荷物を出してもらうと、着替えを用意して斉藤に風呂へと案内してもらった。


 斉藤はを風呂に連れて行き、戸につっかえ棒をさせると、土方の部屋へと戻った。静かに障子を閉めると土方と相対するように座った。
 「どうする」
 土方が腕を組んで言った。
 「どうしようもありませんな、本人たちが入れ替わらない限り」
 斉藤は平然と言った。
 「まあそうだ」
 土方にもそれはわかっていた。たとえ中身が入れ替わろうとも、体も入れ替わらなければ何の意味もないことを。
 どうして入れ替わったのか。何が原因だったのか。それを知る必要がある。


 「・・・水か?」
 考え込む二人のうち、先に口を開いたのは土方だった。
 「最初にあいつらが入れ替わった時、互いに池に落ちただろ。で、今回は雨だ。もあっちで雨に濡れていたようだが、あいつも黒谷から帰る途中で 傘もなく、雨に濡れて帰ってきたんじゃねえか」
 「成る程」
 土方の推察に斉藤は首肯した。
 「水に濡れることに何かがあるやもしれませんな」
 「ああ、風呂とか飲み水は大丈夫みてえだが」
 斉藤の同意に、土方はさらに自分の考えを続けた。

 しかし、だからどうするのか。
 こちらがまた雨に濡れても、あるいは池に飛び込んでも、向こうはどうなるのだろう。
 互いが入れ替わるために、どちらかだけでも水に濡れればいいのであれば、とっくにこちらから試している。
 つまり今回のことで、互いが同時に水に濡れねばならないという条件がわかった。

 土方は彼女の言葉を思い出した。
 池が光った、と。
 池が光る何かが、その要素が水に加わらなければあちらの世界に行けないのではないだろうか。
 果たしてその要素とは何なのか。
 そこまでは今の彼らにはわからない。




 が風呂から上がって土方の部屋に戻ると、もう斉藤は自室へ戻っていた。
 「土方さん、俺、はじめ兄ぃの部屋で寝たい」
 「あ?」
 は土方の隣にちょこんと座って言った。
 土方はを睨みつけた。
 「お前は俺と同室ってことになっている。我侭言うな」
 「・・・えー?」
 は眉を寄せた。
 「嫌だとか抜かすんじゃねえぞ」
 「違うよ、だってこいつ女だよ?」
 は自分を指差して言った。
 「だからどうした」
 土方は平坦な声で問う。


 「・・・ヤっちゃった?」


 「ば、馬鹿なこと言ってんじゃねえ」
 何もしていない。いや、多少はした。後ろめたいことはいくつか思い当たる。予想外の質問に土方は、一瞬だけそれを隠すのに失敗した。
 「ふーん」
 がニヤニヤとしながら土方を見る。
 「・・・何だ」
 気を取り直した土方が鋭い視線を投げかける。
 「好きだから逆に手を出せなくて黙って見てるってやつ?土方さん、手ぇ早そうなのに」
 悪戯っぽい笑みを浮かべ、は土方にぐっと顔を近づけた。

 「もしそういう仲なら、俺が土方さんと寝なきゃいけないのかなと思って」

 その言葉に、土方はすぐに怒りがこみ上げてきた。
 「っ、このませガキが、さっさと寝ろ!疲れたっつったのはテメエだろ!」
 さすがに彼女の体を乱暴にはたくことは出来ず、苛立ちながらも土方はの頭を押しのけるにとどまった。これが本当にの体だったら間違いなく 鉄拳が飛んでいた。
 「痛いなあもう、冗談なのに」
 は押された頭を抱えて頬を膨らませると、土方が敷いておいた布団にしぶしぶと潜り込んだ。
 「・・・おやすみなさい」
 「ああ」
 それでも挨拶だけは布団の中からして、は目を閉じた。


 土方は怒りを静めると、自分に背を向けて横たわるを見遣った。
 まだ眠りに落ちてはいないようだが、上下する肩の動きは落ち着いている。

 顔かたちは間違いなく彼女だ。だが言うことも雰囲気も違いすぎる。
 ヤったかだと?
 そういう仲だったらだと?
 ふざけるな。
 あいつの存在はそんなに簡単なものじゃねえ。
 本当のことはすべて押し隠していかなきゃならねえのに、そんなことができるか。
 ・・・全くなかったと言えば嘘だがな。


 土方は溜息を漏らしながら自分も布団に横たわった。



 あいつは今、どこにいるんだろうか。
 元の時代に戻っているのだろうか。
 はあいつの母親の元で世話になったと言っていた。
 もし入れ替わったとしたら、母親の元に帰っているのだろう。

 のように、心だけでも帰ることが出来て喜んでいるのだろうか。
 それとも、体は戻っていないからどうしようかと思っているのだろうか。

 俺のことは。
 こちらの世界で過ごしたことは、どう思っているのだろうか。
 さっきが語っていたように、不安だらけの日々を送っていたのだろうか。
 俺にはそんな態度を微塵も見せずに。
 本当は困っているのに、そうしなければならないからと無理をして。

 もう二度と会えないのだろうか。
 そうだとしても仕方が無いのはわかっているが。

 土方の頭の中を、埒も無い考えが回り続ける。



 20080822