選ばれざるもの 6
芹沢派を一掃する。
それが近藤派の目前にある仕事だった。
そのために土方が思いつき、練り上げた計画を斉藤は黙って聞いた。
血の粛清が始まる。
監察は非常に便利だ。
土方は短期間ながらも、情報の重要さを身に沁みて理解していた。
俸禄三両と聞いて、それが本当なのかも確かめもせずに新選組に飛び込んできた者たち。
が黒谷で夷荻の言語である英吉利語を学んでいる、それだけで同志と勘違いした田所。
平野国臣を捜索する際に調べたあれこれ。
その全てが情報に左右されている。
正しい情報が、無駄のない行動を生み、目的を成功へと導いていくのだ。
今回の大仕事も同じ事だと、土方は唇を引き結んだ。
本丸を落とすためにはまず外堀からとは言うが、土方にとっては本丸も外堀も変わりがなかった。
芹沢と言う本丸も、新見と言う外堀も。
あの粗暴さも金遣いの荒さも、どちらも新選組には排除せねばならない要因だ。
加えて、新見がを襲ったことも忘れてはいない。それに対する“感情”は私情だが、隊士に謂れのない乱暴を働いたという点では私情とは関係なく許すことは出来ない。
斉藤は土方の話を黙って最後まで聞くと、軽く頭を下げて部屋を出て行った。
すべてにカタをつけてやる。
そして近藤さんを押し立てて、この京で上り詰めてみせる。
土方は朝の光が障子から薄く入ってくる様子を眺めながらそう心に誓った。
静かに、だが確実に時は近づく。
いつもと同じ朝だった。
「行って参ります」
とが荷物を持ち、前川邸の門をくぐった。
珍しく土方がそれを見送る。
前川邸の角を曲がると右手に八木邸があり、その向こうには壬生寺の門が見えた。
道の奥からふらりふらりと揺れながら歩いてくる影があった。
「・・・」
土方は目を凝らしてその影が誰だか見定めた。
新見だった。
「・・・おはようございます、新見局長」
八木邸の前まで新見がやって来ると、はすっと頭を下げて挨拶をした。
「お前らか・・・」
明らかに嫌そうな顔をして新見は呟いた。
「朝っぱらから外に出てまで二人きりか。お熱い事だな」
そしてフンと鼻で笑い、酔った目つきで二人を睨み付けた。
はきっと否定しても信じてはもらないのだろうなと思い、新見の“お熱い”という言葉をそのままにして黒谷へと向かって行った。
「お早いお戻りですな」
土方は口調こそ平静だが嫌味たっぷりな言葉で新見に話しかけた。
「余計な世話だ。貴様こそあんな奴にご執心とは」
酒臭い息で新見は答えた。
「貴様が衆道だとは思わなかったがな。あれのどこがよいのやら。・・・どうもあ奴と顔を合わせると碌なことがない」
新見は遠ざかっていくの後姿を忌々しそうに眺めた。
「新見先生は女子の方がお好きなようですな」
土方は新見のどの言葉を否定せず、肯定もせずに会話を続けた。
「いつも祗園に行かれるとか。いい妓がいたら紹介してもらいたい」
ふと土方は笑って言った。
「ふん、図々しい。確かに祗園は粒選りだが、それは貴様が身銭を切って知ることだ」
新見は一層厳しい目で土方を一瞥すると、もう話したくないと言わんばかりに八木邸へと入っていった。
新見の姿が八木邸の門に消え、の背が角を曲がった。
土方はその両方を確認すると、自分も前川邸へと戻っていった。
前川邸の庭では、巡察に加わっていない隊士たちが剣術の稽古を始めていた。
土方の姿を認めると全員の動きが一瞬止まったが、藤堂が続きを促す声を発すると、再び竹刀が空を切る音と掛け声が辺りに響いた。
土方は自室に戻り、文机の前に座った。
芹沢の一件が済んだ後にするべきことを書き付けるために。
さらさらと淀みなく筆を動かすこと四半刻。
島田が部屋にやって来た。
「奴が今朝戻ってきたのは知ってるな。おそらく休んだらまた出るに違いねえ。場所は祗園らしい。後をつけろ」
「はっ」
用件を聞くと島田は立ち去った。
書き付けが終わる頃、庭での稽古も終了したようだった。竹刀の打ち合う音が止んで、どやどやと男たちが解散する声が聞こえてきた。
ちょうど昼餉の時刻になり、台所のほうから温かな匂いが漂ってきた。
近藤の部屋に膳を運び、二人で静かに食事をした。
どちらも今日は口数が少なかった。
夕刻になり、島田が再び部屋を訪れた。
大きな体に似合わぬ小さな声でぼそぼそと何かを述べると、すぐに立ち去った。
「総司」
土方の部屋の奥、赤い夕日が差し込むそこに沖田は座っていた。
「聞いたな」
「はい」
沖田は背を伸ばし、軽く握った拳を両膝に乗せて返事をした。
「予定通り今夜四つに決行だ。斉藤たちにも伝えておけ」
「はい」
感情を窺わせない、厳しい表情で土方は告げた。
沖田は逆に笑みを見せた。
が前川邸に戻ってきたのは、空に星が光る時分だった。
部屋に入ると土方の姿が見当たらない。用事で外へ出ているのだろう、あるいは島原へ行ったのかもしれないと思いながら、は一人で遅めの夕餉を摂った。
膳を片付け、布団を敷いて行灯に火を入れた。
今日の英吉利語の授業の内容を復習をするために風呂敷を開き、中から半紙を取り出した。はそれを土方の机の端に置き、納戸にある自分の行李から、表紙の付いた綴りを取り出した。
始めに取り出した半紙は、今日の授業でとったメモ書きである。
それを次に取り出した表紙のある綴りに書き写していく。
机も使う時間は僅かなので、鏡同様に購入を断った。土方が机を使っていない時間に少しだけ借りれば事は足りている。
書き写すことで元の時代で習っていても忘れてしまった英語の文法や単語を思い出し、脳に焼き付けていく。
己が何の恩恵をもってここに安心して存在していられるのか。それを考えたら、恩人である土方や斉藤に対して恥ずかしい真似は出来ない。
いつ池が光ってあちらに戻るのかはわからないが、せめてその時が来るまで自分に与えられた使命に―――英吉利語を学び、会津藩のお役に立つと言う事に―――真剣に取り組みたい。
そうしていればいつか新見だって、受け入れてくれなくとも文句を言うことはなくなるのではないかとは期待した。
自分のことで、土方や斉藤に恥を掻かせることのない様に。
自分のことを訝しく思う人たちが納得してくれるように。
そう思いを込めながら、は筆を紙の上で滑らせた。
土方はその頃祗園に居た。
夕方、島田が報告に来たのは、新見が昼見世が開いたと同時に祗園の新地にある貸座敷『山乃緒』に入ったという情報だった。
同じ祗園でも、『一力亭』より奥まったところにその見世はあった。
高級な座敷ではない普通の座敷だったが、亭主の人柄がよく、商売は繁盛していた。
芹沢たちが大坂に行き、置いていかれた後にたまたま利用したのが最初だった。新見が多少の無茶を言っても万事愛想よく手配し、新見は毒気を抜かれたような気分になった。
それ以降、新見はこの貸座敷に入り浸るようになり、滅多に八木邸へは戻らなくなっていたのである。
茶見世で待機していた土方は、監察から報告を受けると金を払って見世を出た。
提灯を持った、如何にもと言った風情の男女が何組も横を通り過ぎていく。
少し歩き、『山乃緒』の看板に明かりが灯っているのが確認できるところまで来た。
そこには副長助勤の沖田、斉藤、永倉、原田がいた。
『山乃緒』からは見えない塀の影に身を潜め、土方が来たのを見つけると、軽く頷いて目で挨拶をした。
「・・・何でコイツがいるんだ」
土方は眉を思い切り寄せた。
その視線の先には沖田がおり、神谷がその背から顔を出していた。
「わ、私だってお役に立ちたいんです!」
神谷は沖田の背の影から出てきてきっぱりと言った。
「そう言って聞かないんで連れてきちゃいました」
沖田は仕方なさそうに笑った。
「連れてきちゃいましたじゃねえだろ、童の出る幕はねえんだよ」
帰れと土方は神谷を一蹴した。しかし神谷は食い下がる。
押し問答の末に、土方は渋々と神谷の同行を許可した。
「もし仕損じてみろ、タダじゃ済まねえからな」
土方はそう言い捨てると後ろに下がった。
そして自分の背後に小さく気配を発する人物に声を掛けた。
「山崎、奴はどの部屋に居る」
「二階の奥の部屋です」
監察の山崎が土方の後ろからこそりと囁いた。
「よし。斉藤と永倉は表を張れ。左之助と山崎は俺と裏へ回るんだ」
土方は羽織を脱ぐと袴の股立ちを取り、腰の二本がしっかりと鞘に収められているのを確認した。
「総司、童と一緒に打ち合わせ通りに部屋へ入れ」
「承知」
「はい!」
沖田と神谷が了承して頷いた。
新見はこの建物の二階に居る。
沖田には、新見のこれまでの所業、つまり芹沢の名の下にしてきた数々の押し借り、放蕩、さらには局長であるにも関わらず全くその職責を果たさずにいることを詮議するとの名目で前川邸にしょっ引くように言ってあった。
そしてもし、新見がそれに応じない場合のことも含めてあった。
土方は見世の裏へ回り、息を潜めて二階を見遣った。
もし奴が気づいて裏から逃げようとしたら、自分たちが始末を付ける算段だ。
どこからか遠く、音曲が風に乗って漂ってくるのが聞こえる。
低い男の声が聞こえ、その後に怒鳴りつける甲高い声が窓から放たれた。
一瞬それが静まった後、沖田の名を呼ぶ悲鳴のような声がし、小さくも鋭い音を立てて障子に黒い飛沫が張り付いた。
終わった。
土方は立ち上がり、原田と山崎を促して表へ回った。
見世の中からは叫び声が上がり、朱が混じったかに思える空気が漏れてきた。
見世の者に金を渡し、永倉と島田と山崎を始末のために残すと、土方は他の者たちを引き連れてその場を後にした。
「土方さん、俺が二階に行きたかったぜ」
原田が刀の柄を撫でながら言った。
「ほら、があんな目にあっただろ。俺があいつをやっつけてに自慢してやりたかったのによ」
不敵な笑みを浮かべ、原田はそう言った。
それは土方も同じだった。
惚れた女を、未遂とはいえ手にかけようとした事実は腸が煮えくり返る心持ちだ。
しかしそれは私情だ。
結果が同じだったとしても、その目的を見失ってはならない。
確実に新見を仕留めるために、土方は沖田を選び、実行させた。
それが最良の選択だったと思っている。
第一段階は終了した。
早々に次に移らねばならない。
前川邸に戻り、自分の部屋が廊下の先に見えた。部屋の隅がぼんやりと障子越しに明るくなっていた。
土方がすらりと障子を開けると、がすっと手をついて迎えた。
「お帰りなさい」
「ああ」
廊下を歩く音が複数聞こえ、沖田と神谷、それに原田が現れた。
「さん、こんばんわ」
沖田が顔を覗かせた。
「沖田さん、こんばんわ」
「おっす、」
その後ろから原田も笑みを見せた。
「原田さん、こんばんわ」
は原田にも挨拶をしたが、さらにその後方にある人影にも気がついて声を掛けた。
「神谷さん」
青白い顔をして神谷が立っていた。
「どうしたんですか?顔色が・・・」
「何でもありませんっ」
が神谷の顔色の悪さに思わず腰を浮かせたが、神谷は頭を振った。
「じゃあ報告に行くか」
揃ったところで土方が襟を正して近藤の部屋のほうを見遣った。
「お前も来て聞け」
そしてに視線を向けると、くいっと顎で来るように示した。
「近藤さん、俺だ」
障子の前で土方は声を掛けた。
「ああ」
中から近藤の声で返事があり、土方たちは中へ入った。
近藤が一人座していた。
土方が奥に入り、沖田、神谷、原田、の順に座った。
「新見局長は自裁なされた」
土方がまっすぐに近藤を見据えて言った。
その場に居る全員が近藤を見て、近藤がその視線を受け止めて返した。
ただ、一人だけが目を見開いていた。
自裁と言う事は、つまり。
「二百両の借金を作ったことと今までの己の行動を恥じて自ら切腹され、総司が介錯した。相違ないな」
土方は横目で沖田を見た。
沖田は相違ありませんと言い、近藤を見た。
原田も神谷も相違無しと頷いた。
あの新見が。
いつ顔を合わせても不敵だったあの男が。
今朝方言葉を交わした相手が。
は息が詰まった。
「まもなく新見局長の亡骸は八木邸に運び込まれる。その後の一切は山南副長に任せる。俺たちは明日から大坂だ。皆準備を怠らんようにな」
土方はそこまで言うと解散を申しつけ、部屋を出て行った。
それぞれが自室に戻り、も土方の部屋へと帰った。
行灯の明かりがゆらゆらと障子を照らしていた。
「土方さん、新見さんが・・・本当に・・・?」
は信じられない思いで土方に問うた。
「ああ」
土方は簡潔に返事をした。
今朝顔を合わせたときには全くそんな様子ではなかったのに、どうして突然切腹など。
は土方から視線を逸らすことが出来ない。
きっと何かを隠している。
根拠はないが、勘がそう言っている。
土方の目の奥に分厚い壁のようなものが見えるような気がした。
「・・・明日早朝、俺たちは大坂へ行く」
ふと視線を逸らして土方は呟いた。
「会津藩から警護の要請が来た。二日ほど留守にする。居ない間のことは山南さんか源さんに相談しろ。いいな」
目を逸らされたは頭の中が曇ってきた。一体何が起きていると言うのだろうか。
「わかったのか」
土方は射抜くような目でを見た。
「は、はい」
視線に貫かれ、ははっとして返事をした。
互いが黙ったまま時間が流れ、半刻もしただろうか。八木邸の方が騒がしくなった。
それを聞いた近藤と土方が部屋を出て、八木邸に向かっていった。
新見の遺体が運び込まれて来たのだ。
の心の底から、何かがゆっくりと湧き出してきていた。
それが何なのかは正体が掴めない。
だが時が来れば判明するだろうとは確信めいたものを抱いていた。
めくられないままの書見台の上の本。
本に触ったままの指先。
行灯の明かりが、ただそれだけを照らしていた。
20080626