選ばれざるもの 5
新選組の名を拝命した翌日から、入隊したいと言う者たちが引きも切らずに現れてくるようになった。毎日素性書に何名もの名前が書き込まれる。
入隊試験をしても、かなりの人数をさばかなくてならない。隊内は俄かに繁多になった。
土方は、増えてきた隊士たちを役割ごとに振り分けて行動させることにした。
局長、副長、副長助勤までは今まで通りだが、新たに調役並監察、勘定役並小荷駄方、国事周旋方と言う部署を新設し、諸士調役並監察には島田魁を、
勘定役並小荷駄方には河合耆三郎を、国事周旋方には荒木田左馬之助を頭に据えた。島田は先だっての縄手通の戦いなどで活躍しているし、
河合は商家の息子で算盤が得意だった。荒木田は腕の立つ熱い佐幕派で、どれもうってつけの配置である。
そして浪士組創設の面々は全て副長助勤に組み入れた。
今までは勘定方に平間重助を置いていたが、金の流れを芹沢派に握らせないようにするために、平間の俸禄を増やして助勤に“格上げ”という形を
取って金の現場から離れさせた。
近藤たちには芹沢たちをどうにかせねば、排除せねばならない焦燥感が募っていた。
芹沢自体はお梅を得てから乱暴は収まったものの、相変わらず金を湯水の如く使い込んでいた。
つい先日も高価な螺鈿細工の櫛を幾つも購入した。それを嬉しそうに飾るお梅を、芹沢は満足そうに眺めた。
が、その金はツケで済ませていた。
大和屋焼き討ちを目の前で見た京の商人たちは、自分たちもああなるくらいならと、苦渋を浮かべながらもツケの要求に従ったのである。
他の芹沢派の隊士たちも芹沢の名を出して押し借りや踏み倒しなどやりたい放題だ。
その支払い請求は当然屯所へと届けられる。
請求書を見るたびに近藤たちは落ち込んだ。金額の大きさにももちろんだが、それだけ多くの商家に迷惑をかけていると言う事実にである。
これでは不逞浪士どもと何も変わらないではないかと。
会津藩からも謁見の度にまだかとせっつかれている。
しかしなかなかその機会がない。
毎日の巡察やその報告から上がってくる不審人物の捜索、隊士たちの稽古。どれも細かいことではあるが、それも積もり積もれば時間は取られる。
そしてだが。
今回の編成で、彼女は土方付き小姓と言う役目になった。
が、それは名目だけで、実際に彼女がする仕事はない。
まずほとんど屯所にはいないし、格別に取り立てられた会津藩士と言うだけでも不用意にに近づく輩もいない。加えて副長の、しかも土方付きともなれば、煩い蝿は寄ってこない。
「考えましたな」
斉藤が編成表を眺めながら呟いた。
「あいつが帰るまでの身の上は俺とお前で保障すんだろ。俺が出来ることっつったらこれぐれえだ」
土方は素っ気無く言った。
「充分でしょう」
斉藤も眉ひとつ動かすことなく答えた。
「隊内では俺が見ておくから、お前は会津藩の方を頼むぞ」
「承知」
たいしたものだと斉藤は思った。
彼女を守りながら、突き放すことなく自由を与え、己の心を律していくのにどれだけの忍耐が必要なのだろう。
斉藤は改めてこの隊を率いていく器を土方の中に見たような気がした。
実は新選組の名は、武家伝奏から送られたものでないことを斉藤は知っていた。
会津公松平容保が与えたものだ。
昔読んだことのある会津藩の総力兵力表記に、藩主の親衛隊となる中軍にその名を見たことがあった。
会津藩主松平容保は、たいそう近藤のことが気に入っている様子である。できることなら新選組を自分の傍に置き、戦闘の要としたいに違いない。
が、斉藤は黙っていた。今更新選組の名をどこからもらったものか明らかにする必要はない。知ったところでこの男たちが志を捨てるわけもない。
だとしたら余計なことは言わぬが花と言うものである。
そんな中、会津藩から大坂へ出動の命令が届いた。
姫路藩主、酒井雅楽頭が東下するのでその警護である。
関八州の北に位置する会津藩にとって初めての京都の夏は厳しいものであった。気をつけてはいたものの、八月十八日の政変後に残暑から体調を崩したり
食あたりを起こすものが続出して、人手が足りなくなってしまったのである。
そこで警護が出来そうなところへ声を掛け、新選組にも白羽の矢が立ったと言う訳だ。
「大坂・・・」
部屋に土方と山南を呼び寄せた近藤は汗を拭いながら、届けられた書面を読んだ。
「また大坂で何か起こされても困るな。芹沢には内緒で、俺たちだけで行くことにしよう」
土方が団扇をゆったりと動かして言った。
「私は屯所に残っていてもいいかな。どうも体調が思わしくない。行っても足手まといになるだけだろう」
山南がふうと息を吐いた。
山南も仙台藩の出身で、暑さにはあまり強くなかった。政変後の市中見回りでは祇園を担当したが、その直後に腹を壊した。
「そうだな、山南さんには屯所の留守を頼むとしよう。誰もいないと言うのも物騒だしな」
近藤が言う。
「近藤さん、申し訳ない」
山南が頭を下げた。
「いや、屯所固めも立派な仕事だよ」
にこりと近藤は笑った。
「まてよ・・・大坂・・・?」
ふと土方は何かを考え付いたように、顎に手を当てた。
「どうした?トシ」
近藤がその顔を覗き込む。
「・・・これは絶好の機会かもしれねえな」
土方の目が剣呑な光を帯びた。
「土方君?」
それを見て山南は知らずの内に袴の上で拳を握った。
土方は襟をぐっと正して言った。
「近藤さん、山南さん、一気に芹沢派を壊滅に追い込むぞ」
翌日。
は朝餉を済ませると、いつもより部屋の掃除が早く終わったので本を読んでいた。
すると、どこかへ行っていた土方が部屋に戻ってきた。
の前の縁側に腰掛け、手にしていた小刀で爪を切り始めた。
「ったく、総司の野郎、人の小刀持ってくのはいいけどよ、きちんと返せってんだ」
どうやら爪を切りたかったが、沖田が土方の爪切り用の小刀を持って行ってしまったので、それを回収しに行っていたようだ。
は本から土方に視線を移した。
この時代の人はどうやって爪を切っているのだろうと言う好奇心からだった。
明るい日の光を受けて爪を切る土方の手元を見つめた。
細くて小さな小刀を使い、器用な手付きで爪を削っている。
長く節くれだった男らしい指の先が、みるみるうちに整えられていく。
その作業の正確さに感心して、はしばらく目を離すことができなかった。
「・・・お前」
土方が口を開いた。
「はい」
はその低い声にふと我に返った。
「爪、切ってやろうか?」
自分の指先を見つめながら土方が言った。
は言われて自分の指先を見た。
「・・・?」
爪が伸びていない。
池に落ちてこの時代にやって来てから半年が経とうとしている。それなのに爪の長さは全く変わっていないようだ。
京都へ旅行に来る前に家で爪を切ってきたのを覚えている。
こんなに時間が経っているのに、ちっとも伸びた形跡がないなんて。
はじっと自分の指を見つめたまま土方の問いに答えない。
土方は小刀を置くとの傍に寄った。
「どうかしたか?」
書見台の本の上に、土方の人影が落ちる。
「あ、いえ、あんまり伸びてないようなので結構です」
は結論だけを答えた。
が、土方は答えの中に何かが含まれているのを感じ取った。
「前に切ったのはいつだ?切ってるところを見たことがねえが」
「・・・こちらに、来る前です」
嘘や誤魔化しがきく相手ではない。こんなに長い間爪が伸びないなんておかしいと思われるだろうと思いながら、は正直に答えた。
「見せてみろ」
土方はの手を取った。
竹刀での稽古は、英吉利語の授業が最優先ではあるが未だに黒谷で時々行われている。
そのためにところどころが固くなった指の内側に触れ、土方は小さくため息を漏らした。
そしてそっと彼女の指を、自分の指で摘んだ。
明らかに男のものとは異なる節を持った指だった。
長くもなく、さりとて短くもなく、ごく普通の女の指。
その先についている爪に視線を落とすと、指先に沿ってきれいな曲線を描いていた。
「お前のいた時代では爪の伸びる速さが遅いのか?」
土方はまず考えられる可能性を口にした。
「いえ、そんなことは」
半年も切らずにいることなどまずありえない。
何故こんなことになっているのか、今まで全く気にもしなかった。
ははっとして土方の指から自分の指をするりと抜き取り、頭に手をやった。
「土方さん、鏡貸していただけますか?」
「あ、ああ」
いつもは見せない、少々焦ったような顔つきの彼女を見て土方は少し驚いた。一体どうしたと言うのだろう。
土方は鏡を取り出し、台に据えた。
はその前に座ると、後ろで結んでいる元結を取った。
鏡は部屋にひとつあればいいと思い、買ってやると言った土方に丁寧に断りを入れて、同じものを使わせてもらっている。
毎日相対して身づくろいをしているのに、どうして今まで気がつかなかったのだろう。
髪も、伸びていなかった。
高い位置で結えるほど長くもないが、完全なショートカットでもない。長さが変わればすぐに気づくはずだ。
毎朝触って整えているのに気がつかなかった自分が馬鹿みたいだ。
気持ちが悪い。
どうして爪も髪も伸びていないのだろう。
そして、しばらく失念していたが、生理もまだ来ない。
いい加減諦めたが、思えばそれも気味が悪い。
は思わず自分の体を抱きしめてふるりと震えた。
「顔色悪いぞ、大丈夫か」
急に青くなったを見て、土方は彼女の肩を掴んだ。
「大丈夫です。すみません、自分で気味悪いと思って」
は静かに睫毛を伏せた。自分の体に何か起きているのだろうか。
「・・・切る手間がねえと思えばいいだろ」
土方はの手をもう一度取った。
「え?」
「爪だ髪だって余計な気使わねえでいいってこった。今までここに来てからそれで不自由したことがあったか?」
は土方の言葉を聞いて考えた。爪や髪が伸びないことで何か困ったことはなかった。
多少具合が悪くなったこともあったが、それは爪だの髪だののせいではない。
「・・・いいえ」
「じゃあいいだろ、それで」
そう言い放つと土方はの指を再び見つめた。
そして自分の右手と彼女の左手を、一本ずつ指先から手の平まで合わせていった。
形も長さも細さも厚みもまったく違う。
重ねた部分から互いの体温が伝わる。
土方はその温もりを心に沁み込ませた。
いつかはこの手を離さねばならない日のために。
「」
ふいに廊下から声がした。
「斉藤さん」
二人が廊下へと目を向けると斉藤が立っていた。
「そろそろ黒谷へと行く時間なのではないか」
「あ、そうですね、いけない」
手を離し、はすっと立ち上がって書見台を片付けた。
そして風呂敷包みを抱えると、行って来ますと告げて部屋を出て行った。
「・・・忍耐強いと思って感心していたんですが」
ふーっとため息をついて斉藤が言った。
「何の話だ」
土方が眉を顰めて斉藤を見遣った。
「斉藤、いいところに来た。お前に話がある」
土方は座り直すと、斉藤にも自分の前に座るように指で示した。
「何でしょうか」
「大事な話だ。障子を閉めろ」
土方はいつも以上に真剣な空気で部屋を満たした。
「新選組になって初めての大仕事だ、心して聞け」
斉藤も自然と背筋がぴしりと伸びる。
二人は障子に目をむけ、外に誰の気配もないことを感じ取った。
斉藤はゆっくりと土方に視線を戻した。
が、土方は先ほどまでの空気を幾らか解いて、廊下の方を見たまま何やら思案顔になった。
「・・・斉藤、悪いが廊下に転がってる小刀を持ってきてくれねえか」
土方はと爪の話をした時に廊下に小刀を置いてそのままにしていたのを思い出した。
もし自分たちが話している間に誰かが踏んづけたら危ない。話はあれを片付けてからだ。
「まさかそれが“新選組になって初の大仕事”なのではありますまいな」
斉藤は本気とも冗談とも読めぬ表情で聞いた。
20080618