選ばれざるもの 4
縄手通の豊後屋を取り囲み、土方の声で中に踏み込んだ一行は広い宿の中を進んで行った。
中庭に離れがあり、入り口に回ると人のいる気配がする。
土方たちは迷わず踏み込んだ。
部屋にはぽつんと一人、壮年の男が背筋を伸ばして座っていた。
「会津藩御預、壬生浪士組だ。御用改めである」
土方は重々しく告げた。
「ほう」
男はちらりと土方を一瞥した。
「名を名乗られよ」
「そちらから名乗るのが筋であろうよ」
土方の言葉を、まるで鏡が光を跳ね返すかのように、その男は返した。
「壬生浪士組副長、土方歳三」
「知らんな」
男はふっと侮蔑の眼差しでもって土方を見上げた。
「壬生浪風情が私に何の用だ?」
知らないと言っておきながら“壬生浪風情”とは。食えない野郎だと土方は思った。
「平野国臣はどこにいる」
土方はゆっくりと男の周りを一周した。
「知らんな」
男は顎を上げ、嫌味な笑みを漏らした。
「平野がここに入るところを見た者がいる。しらばっくれても無駄だ」
土方は懐から扇子を取り出して、たたんだまま相手の顎の下に先端を入れ込んだ。
「吐け」
ぎらりと土方の目が光る。そして扇子をますます喉元に押し込んだ。
その様子に、藤堂も原田も背中に冷たいものを滴らせた。
「入ったのを見た、と」
いささか苦しそうに相手は言った。
「では出て行ったのも知っているな?」
そしてくくっと喉で笑って土方を睨んだ。
「何?」
扇子を持つ土方の手が僅かに動いた。
「これはこれは・・・先ほど奴が出て行ったのもご存じないとは」
ははっと声を上げ、相手は高く笑った。
「もう奴はここにはおらぬ!御用改めが聞いてあきれるわ!」
「・・・左之助、こいつをふん縛れ!」
まるで喉元を突き通すように男を扇子ではじき倒すと、土方は捕縛を命じた。
「島田、裏にいる奴らを連れて外を見て来い!」
「承知!」
原田も島田も素早く動いた。
「平野はどこだ、言え!」
土方は縄をかけた相手を怒鳴りつけた。
「さあ・・・そこまで・・・私も知らぬ。金を渡しただけだ・・・」
畳に転がされ、突かれた喉の痛みに咳き込みながら男は呻いた。
「もっと扇子を食らいてえようだな・・・」
土方はぱちりと扇子を鳴らし、再び男の喉に突きつけた。
「土方殿」
後ろから同心が声を掛けてきた。
「ここから先は奉行所で扱うことにする。それよりも二階を見てきてくれないか」
「二階?」
確かに縄を掛けた後はもう奉行所に引き渡すのが筋である。土方は中途半端で気持ちが悪かったが、渋々と次の命令に従った。
「二階にもどうやら人がいるようなのだ。離れではなく母屋の方だがな。今ここの主人が起きて来たので案内させる」
「・・・かしこまりました」
土方は縄をかけられて座り込む男に一瞥をくれると、汗を拭いながら豊後屋の主人が来るのを待った。
ややあって、まだ眠そうながらもしっかりした足取りで、豊後屋の主人がやって来た。
「助かりましたわ、実はあの方たちに居座られて困っておりまして」
豊後屋の主人は土方たちに何度も頭を下げた。
「桃の節句の頃やろか、あの縛られた人がうちにやってきましてな」
その頃はまだ旅宿として普通に営業していたのだが、今捕縛した男が数人の手下を連れてきて、突然、客の僧侶二人を斬り殺したのだそうだ。
「そのお坊さんたちが何をしたのかは知りまへんが、天下の為やと言うてました」
それから捕縛された男は、お前もこうなりたくなかったら言うことを聞けと脅してきたのだそうだ。
主人は男の言うままに店を閉め、男が連れてくる客を何も聞かずに宿泊させることになったのだ。
「お客はん、失礼します」
二階に上がると、朝日に白い障子が眩しい部屋の前で主人は膝をついた。
「何だ?」
中から返事があった。
「すんまへんが、お宿改めだそうでございます。ご案内してもよろしゅうございましょうか」
主人が丁寧な言葉で伺った。
「・・・是非もない、お通ししてくれ」
「承知いたしました」
主人は頷くと後ろに下がり、土方に場を譲った。
「会津藩御預、壬生浪士組である。御用改めである」
土方は落ち着いた声でそう申し渡すと障子を開いた。
中を覗くと、布団に横たわっている男が一人。その傍にさらに二人の男が座っていた。
障子の内側の空気が廊下に流れてきて、ある独特な匂いが辺りに漂ってきた。
「いずれの藩か、名乗られたい」
土方は敷居に膝をつき、かがんだ姿勢で言った。
「・・・長州でございます」
座っているうちの一人が、緊張した面持ちで言った。
「長州・・・!」
隊士たちは色めきたった。
が、土方はふっと手を上げて彼らを制した。
「長州藩の者は退京するべしとのお達しが出ているのはご存知か」
土方が問う。
「存じておりますが、この通り病人がおりますゆえ」
先ほど答えた男がまた口を開いた。
「・・・名を名乗られよ」
土方は藤堂に矢立を出すように言い、三人の名前を書き留めさせた。
「病が治り次第、早々に京から立ち去られるがよい。失礼する」
土方は立ち上がり、障子を閉めると一階へと降りていった。
「土方さん、いいの?長州の奴らだよ?」
藤堂が矢立を懐にしまい、姓名を書き留めた紙を土方に渡した。
「あれは本当の病人だ。病の匂いがしたろ」
障子を開けた時に流れ出てきた空気の匂い。あれは間違いなく病人の匂いだった。
「島田に言って見張らせろ。怪しい動きをするようなら容赦なく斬り捨てるように言っとけ。それとさっきの野郎がいた部屋を徹底的に調べろ」
藤堂から紙を受け取った土方は、その名前と男たちの顔を頭に叩き込んだ。
松本清熊、萩野鹿介、有田又四郎。
病人を抱えてはそうは動けない。
それに長州藩の中にも穏健派がいるし、嫌疑のかかっていない者を勝手に始末することもできない。
つまり、今の彼らには姓名を問い、内密に後をつけることしかできないわけである。
捕縛した男の部屋を丹念に調べた結果、天誅組のものとおぼしき連判状や、彼らとやり取りしたと思われる書面が出てきた。
それらを同心に報告し、土方たちは豊後屋を出た。
細い路地に気を配り、少しでも気になる家屋があれば改める。
途中で外へ行くように指示を出した島田と合流した。残念ながら、まったく平野らしき影は見当たらなかったと言うことだった。
平野がいつ逃げたのかも、どちらの方面へ行ったのかもわからない。
が、平野の逃走を何らかの形で手助けした人物を捕縛できた。
後は奉行所がどのようにあの男を詮議するかだ。
先日自分たちが受け持った範囲の再度の見廻りを終え、土方たちは帰営した。
「・・・って感じかな、ねえ土方さん」
藤堂がから土方に視線を移してにこりと笑った。
「まあな」
土方も回想を終わらせて、ふっと短くため息をついた。
「へーえ、やっぱり私も行きたかったなあ」
と沖田が横から口を出した。
は語られた情景を想像した。
そして土方を見て、火事装束を身に着けたところを思い浮かべる。
浅葱色のダンダラを羽織った者たちを従え、通りを闊歩する黒い羅紗の姿。人によっては恐ろしくもあり、頼もしくも見えたであろう。
は少ししびれた足を直しながら、その様子を心の中にしまった。
「ところでさっき、何しようとしてたんですか?」
神谷が興味津々な様子で聞いてきた。
「はい?」
は首を傾げる。
「私たちが入ってこようとしたときに、副長がすごい勢いでさんから顔を背けてたじゃないですか」
「あれ、そうでしたか?私は全然見てませんでしたけど」
沖田が言った。
「そうでしたよ、ねえ、藤堂先生」
沖田に同意を得られなかった神谷は、藤堂に話を振った。
「そう?」
が、藤堂も同じように現場を目撃していなかった。
「んもー、藤堂先生まで・・・。それはともかく、お二人、怪しい」
探るような目で神谷は土方とを見た。
(妙な感づきするんじゃねえよ)
土方は、にんまりと笑う神谷を睨み付けた。
「別に何も・・・土方さんが唇に怪我をしたとおっしゃるから見ようと思っただけですよ」
さらりとは答えた。
「え、土方さん、怪我するようなことしたっけ?」
その斜め前で藤堂が座り直しながら言った。
「捕縛の時に号令をかけたのは土方さんだけど、縄をかけたのは原田さんだろ?土方さんはぜんっぜん危ないことしなかったじゃん」
「!」
藤堂は何の悪意もなく、ただ起こったことだけを素直に言った。
「え、そうなんですか?」
「うん」
藤堂に確認をしてから、は土方へと顔を向けた。
嘘を言ったのがバレた。
土方は開き直った視線をへと返した。
「本当に、お怪我はないんですか」
「・・・ああ」
土方は渋々と本当のことを白状した。
「じゃあいいです」
事も無げには言った。
「お怪我がないなら、それで結構です」
そう言っては立ち上がった。
「さん、どこ行くんですか?」
神谷も腰を上げた。
「お茶淹れてきます」
「あ、じゃあ私も手伝います」
「いいですか、お願いします」
二人は連れ立って台所へ向かった。
「土方さん、に嘘ついてどうするつもりだったの?」
二人の足音が聞こえなくなったのを見計らって藤堂が聞いてきた。
「別に・・・嘘が見抜けるかどうか試してやっただけだ」
土方はふいと横を向いて素っ気無く答えた。
お怪我がないなら、それで結構です。
彼女の声を頭の中で反芻する。
嘘をついたことに対する恨み言ではなく自分の無事を安堵するその声に、土方は満足した。
からかったのを理解していないことは、今回は保留にしておいてやるか。
土方は表情は崩さずに、心の中だけで苦笑した。
その日の午後すぐに奉行所の取調べで判明したことだが、この時に捕えられた男は古東領左衛門と言う。先に出た過激攘夷派組織の天誅組に私財を投げ打って協力した人物である。
淡路島郷士の庄屋だと自称するのが本当だとしたら、半士半農で名主だと言うことだ。
土方の義兄・佐藤彦五郎も名主であり、求心力のある男だ。そして大事の時には献金を集めたり、私財を投じることを惜しまない。
実際に彦五郎は安政元年に品川砲台作成への多額の助成金を集め、文久二年末に地元で疫病が流行った際には薬の配布に尽力していた。おそらく古東もそういった類の人間なのだろう。
土方は金の力が物を言うことを、彦五郎の行いを見て知っている。
だからこそ古東を捕えられてよかったとは思うのだが、同時に郷里にいる義兄の身を案じた。
翌日、黒谷へと出仕したは午後になって呼び出された。
「山口、こちらへ参れ」
英吉利語の授業が行われている宿坊に、ハーバーの一切を任されている公用方の外島機兵衛がやって来てそう言った。
「はい」
はハーバーに軽く頭を下げて、入り口に立つ外島の元へといざり寄った。
「今から浪士組に沙汰がある。そなたも来て聞くがよい」
「はい」
手をついて頭を下げるに外島は言った。
「ハーバー殿、山口を少々お借りするがよろしいかな。すぐにお返ししますゆえ」
「ハイ、ドウゾ。、イッテラッシャイ」
ハーバーは笑顔でを送り出した。
沙汰と外島様はおっしゃったが、何の沙汰だろうか。
は外島の後ろについて塔頭の門をくぐりながら考えを巡らせた。
今朝自分が前川邸を出てくる時には、近藤や土方たちが黒谷へ来るらしき事は言っていなかった。
となると、自分が出かけた後に前川邸に声がかかったに違いない。
大方丈に入ると、しんとした空気の中で、近藤たちが平伏していた。
まだまだ暑い時期で暑い時間なのに、黒い羽織を一同きちんと着込んで、汗ひとつ見せていない。
(芹沢局長と近藤局長と山南副長と・・・土方さん)
は誰がいるのか、ちらりと視線を送って確認した。
もう一人の局長である新見がいないようだが、きっと八木邸に戻ってきていないのだろう。
廊下を歩く音が次々と聞こえてきて、野村左兵衛ら公用方が次々に入ってきた。
そしてほどなくして先触れの小姓がやってきた。
浪士組の面々はもちろん、公用方も、そしても畳に手をつき、頭を下げた。
伏せていても分かる、大藩の主ならではの重々しい空気。
松平容保が大方丈に入ってきた。
畳の上を上等な布地が滑る音が聞こえ、静かに着席する動作が窺えた。
「面をあげよ」
低く放たれる声に、一同皆顔を上げた。
「壬生浪士組へ、お達しがある」
公用方筆頭の野村が告げ、小姓が四日前と同じように文箱から紙を取り出した。
容保公は恭しく差し出されたそれを受け取ると、紙を広げて読み上げた。
「壬生浪士組へ 新選組の名をここに与うるものとする」
容保公はそれだけを短く読んだ。
「・・・新選組?」
は聞こえてきた単語に思わず言葉を発してしまった。
身じろぎの音ひとつすらもしない静まり返る広い大方丈の中で、の呟きは決して大きいものではなかったが、思った以上にその声は響いてしまった。
「どうかいたしたのか、山口」
隣に座る外島が、眉を寄せて聞いた。
「い、いえ、申し訳ありません。ご無礼いたしました」
はっとしては我を取り戻し、平伏して詫びた。
容保公は小姓に紙を渡した。小姓はそれをたたんで野村へと運ぶ。
野村はその紙を近藤の前へ差し出した。
「武家伝奏からのお達しである。有り難く頂戴せよ」
「ははっ!」
武家伝奏とは武家が天子に裁可を請う際に間を取り持つ者のことで、納言や参議といった地位の高いものの中から二人ほど選ばれた公卿である。
当然、天子から物事を下すこともあり、相互の情報の通行を受け持つ役割を果たしている。
その武家伝奏を通じて、天子から壬生浪士組へ新しい隊名が下されたのだ。
通達を渡される近藤の手が震える。
先日は幕府から、そして今日は恐れ多くも天子様から。
多摩の田舎から出てきて、お仕え出来るだけでも至福であるのに、それ以上に身に余る光栄。
手どころか、全身が震えても仕方の無いことだった。
「先日までの捕縛活動、ご苦労であった。平野は取り逃がしたが、怪しい者たちを多数捕縛できた上に、天誅組に金を工面していた古東を捕まえたのでこれからじっくり吟味することとする」
野村がそう報告して謁見は終わった。
近藤たちはすぐに壬生へと帰っていったが、は再びハーバーの元へと戻り、英吉利語の授業を少し受けた。
明日辺りから他の生徒たちも授業に加わることができるらしいことを、大方丈を出た時に外島が言っていた。
夕方になり、残照が厳しい中をは歩いて前川邸に帰った。
門柱を視界に捕えると、何かがいつもと違うような感じがした。
松平肥後守御預 新選組宿
と、真新しい木の板に今までとは異なる名が書かれて掲げられていた。
「」
後ろから声を掛けられた。
「土方さん」
振り向くと、いつの間にか土方が腕組みをして立っていた。
そしての隣に歩み寄った。
二人はしばしの間、黙って看板を見上げた。
は、自分には実感がないが、きっと横に立つ土方には万感迫るものがあるのだろうと思った。
そっと彼の横顔を見たら、何かがその目の奥から立ち上るようなものを感じたからだ。
力のある、純粋なまでの見えない何か。
きっとこの名を胸に、この人はどこまでも行くに違いないと、直感で思った。
「・・・さっき」
徐に土方は口を開いた。
「はい」
「この名前を聞いたとき、何であんなに驚いたんだ?」
はどきりとした。
この名前を、新選組の名前を松平容保が声に出した時、思わず放ってしまった疑問符。
知っている。
学校ではあまり詳しく学ばない時代なのでつぶさにではないが、新選組の名を。
幕末に駆け抜けた徳川幕府末期の、最強の武士(もののふ)の集団と謳われたその名を。
そして。
自分の隣に立つこの男の名を、初めて会った時にどこかで聞いたことがあるような気がした。
新選組副長、土方歳三。
二つの名がセットになり、ようやく思い出した。
自分が来た時代でも、ちらりとその名を耳にしたことがあったことを。
本当に、私は、今、江戸時代の真っ只中にいるのだ。
今までおぼろげだったものが、新選組の、そして土方歳三の名でもって確たるものに変わる。
おそらく何かを知っているのだろう。
新選組の名を聞いてあの反応だ、彼女の歴史の知識の中にその名が刻まれているに違いない。
答えあぐねているを見て土方はそう確信した。
土方は組んでいた腕を解くとの背中をぽんと叩いて門の中へと入っていった。
は急に力を加えられてよろめいた。
土方の背中が式台の奥へと消えてゆく。
はそれをぼんやりと見送った。
江戸時代の終わり。
知っている範囲で言うならば、中世の日本が終わりを告げる頃。
その中に、期せずして放り込まれてしまった自分は、これからどうなるのだろう。
生暖かい風が足元をさらい、首筋を撫でていく。
は荷物をぐっと抱きしめた。
20080611