久遠の空 ドリーム小説 選ばれざるもの 2

選ばれざるもの

update:2008.05.30

選ばれざるもの 2

 近藤と山南、そしては屯所へと戻って来た。
 「トシ、聞いてくれ!」
 局長室へ戻るなり、近藤は隣の部屋へと続く襖を開けて土方を呼んだ。
 「近藤さん、局長ともあろうあんたが副長如きをそんな風に」
 呼ぶのはよさねえか、と言おうとした土方の肩を、近藤はぐっと掴んだ。
 「幕府から正式に市中見廻りの命令が出たんだ!」
 そしてきらきらと目を輝かせて声高くそう言った。


 「失礼します」
 は茶を運んできた。
 すでに近藤と山南は前川邸で留守を預かっていた土方にあらかたの説明を終えたようだった。

 「正式に・・・か」
 土方もさすがに驚いた様子だった。
 「ああ、こうして書面も頂いてきた」
 近藤は通達が書かれた紙を広げた。
 土方はそれを手に取り、短い文面を数回読み返した。

 「光栄だよ。君、本当にありがとう」
 近藤は茶をひと口啜ると、大きな口をさらに横へ広げてを見た。
 「いえ、これもひとえに局長の努力の成果かと」
 はそれだけ言って畳に手をついた。
 「ははは、報という物はね君、もたらしてくれる者に左右されるものなんだよ。いい者が持ってくるのはいい報なんだ」
 「・・・恐れ入ります」
 そう言うとは近藤の部屋を辞した。
 黒谷から戻って集まって話すということは幹部会である。それに自分如きが席を設けておいていいはずがない。
 声の高さによっては内容が隣の土方の部屋まで筒抜けだったとしてもだ。

 「早速仕事だ。三条に福岡浪士の平野国臣と言う者がいるらしい。攘夷派の中でも危険な存在だと言うことだ。明日の朝、会津藩の先導で捕縛に行く」
 近藤が聞いてきた通りに告げた。
 「わかった。全員に通達を」
 土方は書面をたたんで近藤に返した。
 そしてざっと立ち上がると沖田以下副長助勤へと号令を下しに廊下を歩いていった。

 平野国臣、福岡出身。
 あの清川八郎や西郷隆盛とも親交を持つ攘夷派で、此度の大和行幸を画策した一人でもある。
 天誅組と言う過激攘夷派組織が、大和行幸が行われるものと信じて挙兵し、大和の五条なる場所の代官所を強襲した。
 それを諌めるべく、行幸を画策した中心人物の三条実美により平野が京都から派遣されたが、いわゆる“ミイラ取りがミイラになる”形で天誅組と意気投合、鼻息荒く京都へ戻ってきたのである。
 会津藩としては是非とも捕縛しておきたい人物だ。
 その捕縛を任されたという事実は、近藤たちを高揚させるに足るものであった。



 翌日早朝、会津藩士数名と共に浪士組は出動した。
 筆頭局長芹沢以下、屯所の守りを固める者数名以外は全員が隊列に加わった。
 しかしその中には新見の姿がなかった。
 彼はすっかり遊里に入り浸るようになってしまい、滅多に屯所へは戻らなくなっていた。

 「近藤」
 会津藩士を引き連れてきた公用人の広沢富次郎が口を開いた。
 「はっ」
 近藤が大きな背を屈めて広沢に答える。
 「これが平野の人相書きである。よく頭に入れておけ」
 「はっ」
 広沢は懐から平野の容貌を描いた紙を取り出して近藤に渡した。
 近藤はそれをよくよく眺めると、隣にいる芹沢へと渡した。
 芹沢もしばし紙を凝視し、山南へと手渡す。山南から土方へ、土方からさらにその周りへと人相書きが回覧された。

 「三条へ向かうのではないのですか?」
 思い描いていた方向と異なる方へ向かっていると思った近藤が質問した。
 「山中成太郎と言う者の家に奴が寄宿しているとの情報があったが、どうやら木屋町にも山中の住居があるようでな。そこへ向かう」
 「はっ」
 まだ早い時間だが空には雲ひとつなく、すでに気温は気持ちが悪いほど上昇している。
 加えて湿度が高いため、皆汗だくで歩を進めて行った。


 木屋町二条下ルにある山中宅。
 家の表と裏を固め、広沢が声を張った。
 「御用改めである!平野国臣、貴様がいるのはわかっているぞ、出て来い!」
 辺りは広沢の声を飲み込み、しんと静まり返る。
 「どうしますか」
 広沢について来た会津藩士の一人が、入り口から目を離さずに聞いた。
 広沢は顎で戸を示し、踏み込むように合図した。

 木が破られる音がし、戸が開かれた。
 どっと皆が中になだれ込み、まず先に入った会津藩勢が抜刀して走り庭をまっすぐ進んでゆく。
 それを見た近藤は中之間へと上がり、座敷を通り抜けて土蔵の前に出た。
 芹沢と山南は近藤の後に続いたが、土方は沖田たちに命じて中之間と座敷を徹底的に調べた。

 半刻ほどかけて土蔵も含めた家捜しをしたが、もぬけの殻だった。
 「・・・いないようだな」
 「感づかれましたかな・・・」
 広沢と近藤が汗を拭いながら言葉を交わす。
 「仕方がない。私はこのことを報告しに一度黒谷へ戻る」
 広沢は刀を納めた。
 「不逞浪士どもがまだまだ京師に潜んでいる可能性があると野村様はおっしゃった。すでに我が藩は摘発に動いているが、 お主らもそれに加われ。我が藩と町奉行所と協力し、木屋町、祇園町、縄手四軒町寺町、壬生村の四箇所を捜索しろ。その辺りが怪しいとの 報告が入っている」
 「ははっ」
 広沢は後の事を連れてきた藩士たち数名に託すと、黒谷へと足早に戻っていった。


 「ふー・・・」
 暑さに溜息をついて芹沢は路傍の石に腰掛けた。
 その周りを芹沢一派が囲み、竹筒を渡して水を飲ませたりしている。

 「四箇所の割り当てはどうする?」
 芹沢たちから少し離れた場所で近藤が言った。
 「近藤さんと山南さんと俺・・・あと一人、陣頭指揮をとってもらいてえな」
 すらすらと土方が言った。
 「総司はどうだい?」
 山南が提案する。
 「いや、あいつは駄目だ。芹沢を抑えてもらわねえとなんねえ」
 土方が言う。
 「では芹沢さんに指揮を取ってもらうのはどうだろう。そこに総司を加えれば」
 山南が言った。
 「そうだな・・・一人ぐれえあっちから出さないと後が煩そうだ」
 「では近藤さんと、芹沢さんと、君と、私で」
 「ああ・・・だが総司一人じゃ心配だ、斎藤もつけよう」
 「わかった、そうしよう」

 全ての話は決まった。
 木屋町を近藤が、祇園町を山南が、縄手方面を土方が受け持つことになった。
 芹沢には沖田と斎藤を付けて、遊興から遠く、帰営しやすい壬生村を宛がった。
 さらに芹沢派は各所にバラして配置をし、芹沢本人のいる壬生村受け持ちの隊には、金勘定と芹沢の扱いには長けていても剣の腕はそれほどでもない 平間重助のみを残した。

 土方はこの話を芹沢に持っていった。
 「そういうことで、筆頭局長には壬生村をお願いします」
 「相わかった」
 芹沢は鷹揚に返事をした。そして自分の一派がどう割り当てられているのかも聞かずに列の前へと出て行った。
 細かいところを問いただされずに済むのは、土方には願ったりだ。
 (ここから芹沢たちの分裂を図る・・・)
 土方はぐっと肝に力を入れた。

 全員が戦闘体制を整え直して、四つの隊に分かれた。
 ここで初めて芹沢たちは、自分たちがバラバラに行動しなければならないことに気がついた。
 が、会津藩と合同の探索である。今更文句を言う時間はなかった。

 「では各々方、抜かりなく頼むぞ!」
 近藤の号令に応えた浪士組の面々は、各隊を率いる頭を先頭にそれぞれの場所へと向かった。

 土方は後ろに二十名近い隊士を引き連れて、会津藩士一名を先頭に早足で縄手方面へと向かった。
 (先日の御花畠の分まで手柄を立てなきゃならねえ)
 会津藩の見ている目の前で存分に働いて力を見せつけることが出来れば、その後がやりやすくなる。
 浪士組の為に。近藤の為に。
 土方は拳を握り締めた。
 「平助」
 土方は一緒の隊に組み込んだ藤堂に声を掛ける。
 「何?土方さん」
 人懐こい笑みを浮かべて藤堂は隣へやって来た。
 「気合入れていけよ」
 口の端をくっと上げて土方は言った。
 「承知」
 藤堂もそれを見てにこりと笑った。
 が、二人の目の奥は笑っていなかった。



 芹沢の隊は壬生村の探索であったため、それほど混乱もなく早めに八木邸や前川邸に戻ってくることができた。
 普段から自分たちが出入りしていて目を光らせている場所だから当然とも言える。
 芹沢は八木邸に戻るとお梅と食事をし、疲れたといって横になった。
 同じ隊に配された沖田と斎藤は、嫌がるお梅を無視して芹沢が寝入るまで見届けてから、平間に後を任せて前川邸に戻った。


 夕刻になり、が黒谷から戻ってきた。
 「さん、お帰りなさい」
 沖田が玄関で出迎えた。
 「ただいま戻りました・・・ほかの皆さんはまだですか?」
 邸内がいつもよりもしんとしている。は人の気配が少ないことに気がついた。
 「ええ、私たちは昼前から壬生村の捜索だったんで早く終わったんですよ」
 「そうですか、お疲れ様です」
 は草鞋を脱いで式台を上がった。

 「沖田先生」
 と、後ろから声を掛けてくる者がいた。
 「はい。あ、河合さん、どうしました?」
 新入隊士の河合耆三郎だった。
 「実は・・・今、留守を預かっている者たちは皆、炊事が不得手な者ばかりでして・・・」
 「え?」
 そろそろ夕飯の支度をしなければならない刻限であるのに、それを行える者が誰もいないと言うのだ。
 「仕方ありませんねえ・・・さん、お願いできますか?」
 くるりとの方を向いて沖田が言った。
 「はい」
 「私も手伝いますからね。荷物を置いてくるついでに、斎藤さんと、疲れて寝ちゃってる神谷さんにもお手伝いをお願いしてきて下さい」
 「わかりました」
 「ええっ、そんな、いくらなんでも副長助勤の方々に食事の支度など・・・!」
 二人の会話を聞いて、河合は焦った。
 「そんなこと言ったって、じゃあ誰がご飯作ってくれるんですか?」
 沖田が言った。
 「そ、それは・・・」
 河合は言葉に詰まった。
 「隊士も増えてきたからさん一人にやってもらうのは無理だし、そしたら私たちが手伝うしかないじゃないですか」
 「は、はあ・・・」

 困る河合を尻目に、と沖田と斎藤、それに寝ぼけ眼の神谷が台所へと入っていった。
 包丁を使うものは沖田と斎藤が、それ以外のものはと神谷が担当した。
 沖田は華麗な包丁捌きで、野菜を猫だの犬だのと様々な形に切っていった。
 斎藤は、初めは黙々と野菜を切っていたが、「斎藤先生も何か作ってください」と神谷にせがまれると、人参の切れ端にあり得ないほどの繊細な鳥の細工を施してみせた。
 それを見て神谷は感嘆の声を上げる。
 沖田は負けじと大根の切れ端を手にしたが、なかなかいい案が思い浮かばない。
 勝ち誇ったような斎藤と、うーんと考え込む沖田。その二人を見て笑う神谷と
 賑やかに夕餉の支度は進んでいった。



 他の面々が前川邸に戻ってきたのは夜も更けてからだった。
 が風呂を済ませて布団を敷き、行灯に火を入れて本を読んでいると、どやどやとやかましい男たちの声が聞こえてきた。
 廊下に顔を出してみると、玄関の辺りが騒がしい。
 は本を閉じると行灯を消して玄関に向かった。

 「おー、出迎えありがとな」
 永倉が汗と埃にまみれて立っていた。
 「永倉さん、お疲れ様です」
 は軽く会釈した。
 「メシメシー、腹減ったメシー!」
 続けて原田がずかずかと入ってくる。
 「ちょっと原田さん、草鞋放り投げないでよ」
 その後ろから藤堂が原田の草履を持って来た。

 他の平隊士たちが次々に入ってきた。
 そしてその一番後ろから近藤、山南、井上、土方が帰ってきた。
 「お帰りなさい・・・えっ?」
 一人ずつに言葉を掛けたは、土方の姿を見て息を呑んだ。
 鉢金を巻いたさらしが赤く滲んでいる。
 「土方さん、お怪我を」
 「たいしたこたあねえ」
 土方はそう言い捨てるとの横をすっと通り過ぎ、自室へ向かった。

 「機嫌悪いんだよ」
 藤堂が寄ってきてにそっと耳打ちした。
 「最初に木屋町へ捕縛に行ったんだけど、そこで誰もいなくてさ。次の縄手で目当ての浪士を探して旅館改めをしてたら 怪しいのが二人も逃げちゃって。追いかけて斬り合いになって、相手は土方さんに何回か当てたんだけど、土方さんは相手にかすり傷ひとつ負わせられなくてさ。
捕まえることは捕まえられたんだけど、捕まえた奴らが土方さんのこと野次って」
 剣の腕前を野次られて怒る土方の姿がの脳裏に浮かんだ。
 「捕まえた奴らは奉行所に引き渡しに行ったんだけど、そこでみんなとばったり出くわしたんだ。で、一緒に帰ってきたわけ」
 それぞれが不審人物を引き連れて奉行所にやって来た。
 土方の隊は二人だけだったが、近藤と山南の隊は二十名ぐらいずつを捕縛してきた。
 それも土方の自尊心を害する原因になったらしい。

 「まあ、たまたま私たちの探索していた場所にそういった輩が多かっただけの話なんだけどね」
 後ろから山南が苦笑いをしながら口を挟んできた。
 「土方君は負けず嫌いだから」
 そこが長所でもあるんだけど、と山南が言うのに近藤も同意した。

 「とりあえず島田に市内の様子を探らせてる。もしかしたら土方さんの部屋に報告に来るかもね。、もしそうなったら何時でもいいから俺に教えにきてよ。 土方さん一人で行くことはないと思うけどさ」
 ぽんとの肩を叩くと、藤堂は自分の部屋へ戻っていった。
 は踵を返すと薬箱を抱えて土方の部屋へと向かった。



 「失礼します」
 は障子を開けて部屋へと入った。土方は着替えを済ませたところだった。
 「お怪我を」
 「たいしたことねえっつっただろ」
 土方は、薬箱を脇に置いてじっと自分を見つめると目を合わせようとしない。
 「でも」
 「何度も言わせるな」
 「・・・はい」
 これ以上突っ込むのはよくないと思い、は諦めて薬箱を部屋の隅に置いた。

 「あの、お食事は」
 「いらねえ」
 の問いかけに、またも土方はそっけなく答えた。
 自分でもわかっている、これは八つ当たりだと。
 たかが野次られたぐらいで、たかが他の面々よりも捕縛の人数が少なかったぐらいで。
 気にしなければ気にしないでいいことなのだが、負けず嫌いな性格のせいで、自分で自分を許せない。


 土方がこちらに背を向けて文机に頬杖をついているのを見て、は部屋を出て行った。


 (呆れられたか・・・)
 遠ざかる足音を聞きながら土方は思った。
 そうとられても仕方がなかった。
 だが今は放って置いて欲しかった。誰にも何も言われたくなかった。
 慰めの言葉も、叱咤の言葉も聞きたくなかった。


 ややあって、が戻ってきた。
 そして文机の手前まですっと膝を進めた。
 「お茶です」
 ことりと茶碗が置かれる音が響いた。
 「あとこれ、お腹が空いたらどうぞ」
 は乾いた布巾で覆った皿を文机の端に置いた。
 麦入りの飯と海苔の匂いがふわりと漂った。

 「もしお手当てが必要なら起こしてください。お先に失礼します」
 畳に手をついて挨拶をすると、は布団に潜り込んだ。


 庭から、気の早い秋の虫の鳴き声が聞こえてくる。
 土方は茶碗を手に取り、中身を喉に滑り込ませた。
 温く冷まされたそれをゆっくりと飲み干して茶碗を机に置く。


 「・・・オイ」
 「はい」
 土方はぼそりとを呼んだ。彼女もそれに答えた。
 「手当てしてくれ」
 「はい」
 茶を飲んでひと息ついたところで、土方は落ち着いてきた。
 打たれて血の滲み出た部分が急に痛みを持ち始めて気になってきた。

 は起き上がると行灯に火を入れて、土方の傷を見た。
 幸いなことに、少し切れた時に血が出ただけのようで、今はもう止まっている。
 手拭いを濡らしてきて傷口を拭くだけでよさそうだ。

 「お終いです」
 「ああ」
 傷口をきれいにしたは手早く周りを片付けた。

 「おやすみなさい」
 「ああ」
 は再び布団に入った。

 土方はその様子を眺めながら、机の上の布巾をめくった。
 先ほど漂った香りから推測できる通り、握り飯があった。
 土方は二つあるそれの一つを手に取って齧った。

 室内には自分が握り飯を咀嚼する音だけが小さく聞こえる。
 それに虫の音が規則的に被さってきた。


 よし。
 握り飯を二つとも平らげたところで、土方は膝を叩いた。
 くだらない気分は、いつしか晴れていた。
 時間が経過したせいなのか、茶を飲んで落ち着いたせいなのか、腹を握り飯で満たしたせいなのか。
 土方はちらりとの背を見遣った。
 彼女はもうとっくに眠っていた。

 土方はふっと口元を緩めると、自分も布団に入った。
 横になって目を閉じると、急に眠気が襲ってきた。



 土方の命令で市中探索を行っていた島田が情報を持ってきたのは、次の日の深夜だった。







 20080529