久遠の空 ドリーム小説 僻歌―ヒガウタ― 4

僻歌―ヒガウタ―

update:2008.02.15

僻歌―ヒガウタ― 4 

 大坂から芹沢たちが戻ってきた。
 芹沢は全く反省していない様子で、声高に大坂での武勇伝を語りながら八木邸に入った。
 近藤は心底疲れきった顔で前川邸に草鞋を脱いだ。
 土方は近藤の気疲れを休めるような仕事の割り当てを整え、賄い方には滋養のあるものを出すように指示をした。

 「ご苦労だったな」
 土方は沖田と斎藤を部屋に呼び寄せ、大坂での働きを労った。
 「近藤先生がすべて収めて下さいましたからね、無事に片付きましたよ」
 沖田はにこやかに笑いながら言った。
 「蜆橋で事を収めたのはアンタじゃないか沖田さん」
 斎藤は淡々とした口調で呟いた。
 「報告にあったな。激高する力士を引き倒してすごんだらしいじゃねえか」
 土方がニヤニヤしながら顎に手をやる。
 沖田は何も言わずに笑みを湛えたままだった。
 茶を出しているも、それを見て小さく微笑んだ。

 「大坂で、神谷さんが仇を討ちました」
 茶受けに出した饅頭をぱくりとかじって、沖田は土方に告げた。
 「ほう、あの童がか」
 土方は意外そうな顔をして身を乗り出した。
 そしても目を丸くした。

 前に神谷が家族を失ったことは聞いていたが、火事で亡くしたとしか聞いていなかった。
 それに敵が伴っていたとは。

 結果的に相手が自決したことで決着がついたとの事だが、敵を取るということはいかなる気持ちなんだろうか。
 ましてやそれが人の命を賭けるものだとしたら。
 ここにいる誰もが神谷の敵討ちが成立したことを肯定しているが、にはいまいち理解できない。


 細かい報告を終えて沖田と斎藤が土方の部屋を辞そうとすると、土方が斎藤に残るように声を掛けた。
 沖田は何かを察したように薄っすらと笑うと障子を閉めた。

 今度は土方たちが、斎藤の留守中にあったことを報告する番だった。
 は新見に襲われたことを包み隠さず述べた。
 斎藤は眉一つ動かさずにそれをすべて聞き、の話が終わると黙って出て行った。



 斎藤が部屋を出て行くと、は全員の茶碗を盆に乗せ、台所へ向かった。
 洗い桶に水をため、茶碗を洗いながらは考えた。

 斎藤は黙っていたが、自分の話が伝わっただろうか。
 未遂でよかったと思ってもらえただろうか。そしてあの手段でよかったのだろうか。
 新見との出来事を思い出すだけで、あの時と同じように背筋が寒くなる。
 地面に押し倒され、手の動きを拘束されたあの恐怖。もしあのまま続けられていたら、今頃どうなっていたかわからない。

 土方の部屋に到達したとき、本当に心からほっとした。
 そしてその後、土方が抱きしめてくれたことも安堵した要因の一つだった。
 いつも土方は自分に安心を与えてくれる。彼に守られていると思う。
 は心からそう思っていた。

 そしてふと、土方に押し倒されたときのことを思い出した。
 保護者扱いして、土方を怒らせた(とは思っている)ときだ。


 土方さんは、驚いたけどそれだけだった。
 新見さんに同じ事をされた時は凍るような思いだったけれども、土方さんの時は。


 (これが保護者・・・じゃなくて味方と敵の境目なんだろうなあ)
 はふうと溜息をつき、肩の力を抜いた。
 その拍子に、つるりと茶碗が手から落ち、地面に落ちてぱくりと割れた。

 いけない、と慌ててしゃがみ、破片を拾う。
 「っ」
 大きな欠片の影に隠れていた小さな破片が手に刺さった。血が滲み出てくる。
 は自分のそそっかしさに呆れ返りながら、傷口を咥えた。



 新見との事件は、に少なからず影響を与えた。
 会津藩士だと自ら口にしたことで、多少の自覚が生まれたようだ。
 相変わらず目立たないようにしてはいるものの、黒谷や屯所で場を共にした者は、の中に芯のようなものが通るようになったと感じていた。


 そして新見だが、芹沢が大坂から帰営し、報告のために局長と副長が全員揃った場で土方が、
 「芹沢さん、新見さんがあなたに置いて行かれたと思って、たいそう沈んでいらっしゃいましたよ」
 と発言し、
 「おお、そうか新見。それはすまんかったな」
 と芹沢がまともに土方の話を受けたことで、それ以降、芹沢の行くところすべてに引き回されることになった。
 おかげで酒にも女にも不自由することなく過ごすことができたが、に近づくことが出来なくなった。

 始めのうちはを手篭めにして土方たちに打撃を与えてやろうと思っていたが、芹沢がとにかく自分を離してくれない。
 新見自身もあちこちの遊興先で憂さを晴らすことは出来ていたので、だんだんとへの感情は下火になっていった。



 そうこうしているうちに、とうとう黒谷の学校で、英吉利語の授業が始まることになった。

 いつもより早めに黒谷へ赴き、英吉利語の講義を受ける皆で部屋を掃き清め、机を出した。
 結局、英吉利語を学ぶために集まったのは四人だけだった。
 のほかは三人とも元々会津藩士である。新参はだけだ。

 すいと襖が開き、公用方の秋月が入ってきた。
 全員が一斉に平伏する。
 秋月の後に続いて幾人かが入ってくる気配がした。

 「一同、面を上げよ」
 秋月が声をかけると、静かに空気が動いた。
 「えー、本日より、英吉利語の講義が始まる。講師の先生を紹介する」
 秋月が横に座った外国人へと視線を動かした。

 「コンニチワ」
 正座をした金髪の異国人が日本語で挨拶をした。その発音の美しさに、部屋の空気に微かな驚きが混じる。
 「・・・あ」
 金髪の異国人を見て、はぱちりと瞬きをした。
 「Oh,アナタ、みなと屋で会いマシタね!」
 相手もを見て何かに気がついたようだ。

 こちらの時代に来て少しした頃に、街で買い物をしてて偶然出会った、あの金髪の青年だった。
 書葎(本屋)のみなと屋に数日滞在し、知人と待ち合わせていると言っていた彼だ。
 「アナタにイングリッシュ教えるなんて、思ってもみまセンでした。これからヨロシクお願いしまス」
 「は、はい、よろしくお願いします」
 金髪の彼はすっとの前に進み出てきて、手を取った。

 「山口、そなた知り合いか?」
 秋月をはじめ、その場にいた全員が呆気に取られている。
 「秋月様、京の街で迷っていた方です」
 は秋月の方を見て言った。
 「・・・ああ、あの時の。そなたと初めて会うた」
 顔をよく見てなかったからわからなんだ、と秋月は言い、改めて金髪の青年をまじまじと見た。

 「エリック・ハーバーでス。ロンドンから来ました。ジャパン・・・日本各地を見物してたノデ遅くなりました。皆さんのお手伝いデキルのを楽しみにしてましタ」
 の手を離して名乗った彼はにこにこと笑いながら皆を見回した。
 「ロンドンではアンティークショップ、骨董屋、デスか?やってました。日本の品物、とても人気でス。ワタシも大好きでス。だから人に頼んで、日本来ました」
 もともと滞在期間は短いつもりだったが、出来る限り日本国内を回ってみて、日本が気に入ったらしい。
 そこで伝を辿って、こうして会津藩の英吉利語教師という職を得たのだそうだ。

 「内藤二郎衛門と申します」
 端から順番に自己紹介が始まった。
 初めは内藤二郎衛門。二十歳。元藩家老の次男である。
 「海老原郡司です」
 若いながらも隠居した父の跡を継ぎ、勤番として京にやって来た。二十三歳。
 「石井藤太郎でございます」
 こちらは江戸詰めの藩士で、国許の会津から江戸の昌平坂学問所に送り込まれた秀才。二十五歳。
 そして、
 「山口です」
 末席にはが座していた。
 全員が一斉に頭を下げる。

 「野村さん、お言葉を」
 と秋月が隣の男を促した。促されたほうが、ああ、と言って居住まいを正した。
 「こうして四名が無事に揃い、英吉利語の講座を開講できることは望外の喜びである。今後も一層の研鑽に励んでもらいたい」
 十八人いる公用方の中で筆頭を務める野村左兵衛が、壮年らしい立派な太い声で言った。
 「以降、ハーバー殿のことは外島に任せる。困った事が合ったら遠慮なく外島に言うがよい」
 同じく公用人の外島機兵衛が、金髪の講師に向かって軽く頭を下げた。
 「外島にて候」
 「トシマさん、よろしくお願いしまス」
 ハーバーも柔らかい微笑を浮かべて会釈した。

 「本当は山本と南摩にも来てもらいたいところだったのだが、あいにく山本はまだ国許で、南摩は樺太警備に組み入れられておる」
 外島が嘆息しながら言った。
 「山本?山本覚馬か?」
 秋月が聞いた。
 「ああ、山本は会津の日新館の蘭学所設立に携わっていたから今回もこちらで指揮してもらおうと思っていた。しかし人数も四人と少数であるし、 山本からこうしたらどうかと提案が届けられてもいるから、何とかなるだろう」
 外島は懐から書状を取り出して広げた。
 「ハーバー殿、お読みになれますか?」
 「スンマヘン、文字はほとんど読めませン」
 ハーバーは頭を掻いた。
 「では私が後ほど読み上げますゆえ、山本と申す者からの講義内容の提案をお考えいただきたい」
 「ハイ」
 外島はその書状を野村に渡した。野村は目を通して秋月に回した。

 「いやしかし・・・流暢でいらっしゃいますな」
 野村が感心してハーバーを見た。
 「本当は日本人なのではありますまいな」
 外島も半分疑いの目を向けた。それはその場にいる全員が思っていることだった。
 「ノー、ワタシ、一所懸命勉強しましタ。教えてくれる人、タクサンいました。日本人、親切デス」
 ハーバーが青い瞳をきらめかせて言った。
 「だから、アナタたちも頑張ればできるようになりマス。一緒に頑張りまショウ」
 金髪の講師はそう言って、笑顔を見せた。

 本日のところは簡単な自己紹介と、差し当たっての持ち物の通達をして終わった。
 とは言っても、紙と筆があれば事足りるので、いつも黒谷に持ってきているもので問題はなかった。



 「、一緒に帰りまショウ」
 荷物をまとめて帰営しようとしていたを、ハーバーは呼び止めた。
 「え・・・ハーバーさん、どこにお住まいなんですか?」
 背の高い彼を見上げては聞いた。
 「みなと屋のファーストフロア、えっと、二階デスか?にお世話になりまス」
 あの書葎の・・・とは呟いた。ハーバーは頷いて歩き出した。

 夕焼けを反射してきらめく金髪の異国人に、男にしては華奢なシルエットの藩士。
 奇妙な組み合わせの二人が並んで歩いていく。
 先ほど黒谷で自己紹介したよりももう少し踏み込んだことを話しながら。
 もっとも、主に喋っていたのはハーバーの方で、はなるべく自分のことを話さないように注意しながら会話をしていた。
 ハーバーは半年ほど前に日本にやって来て、知り合いの伝を辿りながら、長崎から京都の間を放浪していたらしい。
 そして間に何人もの人を介して、会津藩の英吉利語講師を引き受けたということだ。
 「これでまだしばらく日本にいられまス。京都、とても美しい街デス。ジンジャブッカク、静かな雰囲気で大好きデス」
 ハーバーは心底嬉しそうに言った。

 「でも・・・あの、気をつけたほうがいいですよ」
 はひとしきりハーバーの話を聞いてから口を開いた。
 「気ヲつける?」
 「はい。前にお会いしたときにあったと思うんですけど、その、あまりよその国の人は受け入れられてないから」
 好奇心丸出しで取り囲んでも、ちょっと道を聞こうとして近づこうとすればごっそり引いていく。たかが道を教えてほしいだけなのに。
 「あの時はあれだけで済んでいましたけど、襲われるかもしれないし・・・」
 はそれが心配だった。黒谷だけが生活圏内ならまだしも、こうして街中に居を構えているとなると、過激な攘夷派から狙われる可能性も高い。

 「・・・Thank you.」
 ハーバーが上から声を降らせた。
 「え」
 は思ってもみなかった言葉を聞いて、彼を振り仰いだ。
 「ワタシ、言葉とか物を教えてくれる人はいたケレド、心配してくれる人いなかった。嬉シイ」
 「ハーバーさん・・・」
 金色に輝く太陽が金色の髪を透かしてきらきらと光を分散させ、人種特有の白い肌をより際立たせる。
 そして海のように青い瞳での顔を覗き込んだ。

 「アリガト、

 の心に漣が立った。
 元の時代に近い服装の人間に見つめられて。

 途端に心の中を、懐かしい思いが満たしていく。

 「・・・いえ、本当に、気をつけてください」
 はふと反対を向いた。
 そしてその後は押し黙ったまま、みなと屋まで歩いていった。



 ハーバーをみなと屋まで送った後、は前川邸へと足を向けた。
 みなと屋の女将が出てきて再会を喜び、一服していくように勧めてくれたが、は丁寧に辞した。
 暗くなりつつある空を頭上に頂き、店先の提灯や店内の明かりが身を照らす。

 (すっかりこの時代に馴染んできたつもりだったけれども)
 は重い足取りを止めた。
 (まだ、帰りたい気持ちを捨てたわけじゃない)

 でも・・・
 (帰れるのはまだまだ先かもしれない)

 それに・・・
 (帰れなくてもいいと・・・思っていないだろうか)

 には自分の気持ちがわからなくなってきていた。
 夜の闇はどんどん彼女の背後に迫ってきて、影をも飲み込んでいく。

 浪士組で、黒谷で、世話をしてくれた人たちの顔を思い浮かべる。
 その最後に土方の顔が出てきた。
 一番お世話になっている人。

 「土方さん・・・」
 ぽつりとは呟いた。
 彼の名をこんなところで呼んだとしても、


 「なんだ、じゃねえか」


 ・・・いるわけがないのに、と思ったら、土方が目の前に立っていた。
 「今帰りか?」
 はごしごしと目を擦って、土方を見上げる。
 「は、はい」
 「何だ、どうした?」
 ぱちくりと瞬きをして自分を見るを、土方は訝しげに見つめた。

 「目にゴミでも入ったか?」
 土方がの肩に手を置き、目と目を近づけた。
 不意に顔が近づいて、すっと通った鼻筋が目の前に現れた。

 「いえ、何でもありません。丁度土方さんのことを考えていたらそこにいらっしゃったので吃驚しただけです」
 体を後ろに引いて、は答えた。
 「俺のこと?」
 土方はどきりとしたが、それを表には出さずに僅かに眉を上げた。
 「はい」
 「俺の、どんなことだ?」
 肩から手を離さないまま、土方は尋ねた。
 「いつもお世話になってます、って」
 は土方の目をまっすぐ見て、小首を傾げて微笑んだ。

 肩から手を離し、土方はくるりと後ろを向いた。
 (この野郎・・・)
 まったく、突然何をどんな表情で言いやがるんだ、こいつは。
 後ろからは見えないが、土方は耳まで赤くなっていた。

 「土方さん?」
 今度はが聞く番だった。
 「な、何でもねえ」
 何でも話せと言うから率直に言ったつもりだったのに、何かまずいことでも言ったのだろうか。
 にはどうも土方の心が読めない。


 「あ、ところで土方さんはどうしてここに?」
 ふと思い立ち、は土方に質問した。
 「・・・買い物だ、悪いか」
 顔の熱が引いたところで土方は振り向き、照れ隠しに声低く答えた。
 「そうですか」
 は再び笑みを湛え、土方を見上げた。

 ・・・そんな目で見つめるな。
 土方は大きく溜息をつくと歩き出した。

 「そうだ、土方さん」
 は些か眉を寄せて土方に話しかけた。
 「どうして受け取ってくれないんですか、お給料・・・えっと、俸禄が入ったから、いろいろ買っていただいた分のお金、お返ししますって言ってるのに」
 は会津藩から俸禄が支給されたときに、土方と斎藤に自分の物を買い与えてもらった分の代金を返すと言って紙に包んで渡したのだが、二人とも受け取らなかった。
 「当然だろ。あの時はあの時だ」
 土方たちにしてみれば当たり前だった。例え彼女が金を稼ぐ身になったとしても、返してもらおうだなどとこれっぽっちも思わなかった。
 「でも・・・お返ししたいのに」
 は俯いた。
 その気持ちは土方にもわかっていた。

 「あ、今からおいしいもの食べに行くとかどうですか?」
 が顔を上げて土方を見た。
 「飯?」
 「はい、どこかおいしいお店とかお気に入りのお店とかあれば、私にご馳走させてください」
 ほんの少しだが、いいことを考え付いたとばかりには笑った。

 ・・・だから、その目つきで俺を見つめてくれるな。

 「そんなことしなくていいっつってんだろ」
 土方は歩を早めた。
 「駄目ですか?お酒もつけますよ」
 は小走りについてゆく。
 「だから・・・」
 言ってることがわからねえのか、とばかりに土方は眉を顰めた。

 「それじゃ足りないならお食事の後、その・・・女の人もおつけしますけど」

 土方はぴたりと足を止めた。
 も傍らで止まった。

 何が悲しくて、惚れたオンナの金で他の女を抱かなきゃならねえ?


 は、土方が島原通いを余儀なくされている理由を知らない。
 だからこそ真顔でそんなことを言う彼女を見遣ると、土方は今までで一番大きな溜息を吐き出した。
 は土方の答えをじっと待っている。

 「・・・一緒に飯食うだけだからな。変なオマケつけやがったら殴るぞ」
 土方はの頭に手をやると、ぐしゃぐしゃに掻きまわした。
 「はい」
 は土方の手が自分の頭を離れると、手ぐしで整えながら返事をした。


 いっそ、お前を抱きてえよ。
 こころなしか足取りが軽くなったを、土方は恨めしそうな目で見ながら歩いた。



 20080209