僻歌―ヒガウタ― 3
会津藩に認められ滞りなく巡察を行っている壬生浪士組に、大坂でよからぬ噂が流れているとの情報が斎藤からもたらされた。
どこの誰ともわからぬ輩が、大坂の商家を訪問して浪士組の名を騙り、金の供出を強要するという事件が多発しているらしい。
それを押さえるべく、沖田と斎藤および彼らの配下から手だれのものが数名ずつ派遣されることになった。
「どのくらいの滞在になるんでしょうね」
沖田が旅支度をしながら斎藤に話しかけた。
「さあな。下手人を押えられればすぐにだろうが」
斎藤も風呂敷に必要なものを詰めながら答える。
「ねえ斎藤さん、さんって・・・」
突然沖田が切り出した。
斎藤はぴくりとして手を止めた。
「ちょっと謎めいてて不思議な方ですよね。なんかこう・・・どう言えばいいのかわからないけど」
「そうか」
沖田の言葉を聞くと、斎藤は再び手を動かし始めた。
「何かあったら、お手伝いしますよ」
斎藤の傍ににじり寄ると、沖田は小声で斎藤に告げた。
「普通の隊士として扱うなら隊士部屋に置くはずなのに土方さんのお部屋ってことは、何か訳ありなんじゃないですか?別にその内容を知りたいわけじゃないですけど、
できることがあれば」
「・・・」
真剣な光を目に宿し、沖田は斎藤の目を見て話した。
斎藤はそれを横目で受け止める。
勘のいい男だ。だが不用意に踏み込まないところはこの男の剣に通じている。そう斎藤は思った。
「・・・のことだけでなく、隊全体にその気配りを忘れんことだな」
斎藤は目を逸らし、荷物と手甲と脚絆を持つと部屋から出て行った。
うまくはぐらかされたと思いながら沖田は準備をすすめる。
沖田は以前から何となく感じていた。
斎藤の従兄弟だというが、どことなく浮世離れしたところがあることを。
それが何なのかはわからないし、知ろうとも思わない。
武士なら誰でも腹に隠し物があることを、沖田は重々承知していた。そしてそれを漁るような真似はしない。
隊士が増えてきて試衛館メンバー以外とはほとんど口を利こうともしないを、土方と斎藤は何気なく、しかし頑なに守っている。
何かあると思うのが自然だ。
だが、自分も守りたいと思う。
浪士組に溶け込もうとしているというよりはもっと別な何かを感じるが、己にできることを懸命にこなそうとしている姿は応援したくなる。
それに何より自分が尊敬している土方が、仲間と目している斎藤が、を守っている。
自分が信じている人たちが守っているものを、自分も守りたい。
「・・・私たちが大坂に行っている間に、何もなければいいんですけど」
沖田はひとり呟くと、自分も荷物を持ち部屋を出た。
限られた人員だけが大坂に行くはずだったのに、そこに芹沢と神谷が加わった。
芹沢は大坂行きを聞き、花街の北新地が目当てで物見遊山も同然だ。そして神谷は芹沢に捕まえられて同行する次第らしい。
近藤や土方は渋い顔をしたが、局長である芹沢の采配だ。今浪士組でもっとも力を持っている芹沢に、誰も逆らうことはできなかった。
「芹沢を抑えておけ」
土方は沖田に耳打ちした。逆らえなくてもその行動を捕捉しておくことはできる。
沖田は黙って頷き、近藤に挨拶をすると芹沢の傍に寄って行った。芹沢の隣には神谷がおり、旅姿に笠を持って出立を待っている。
沖田は神谷の同行に反対のようで文句を言っていたが、斎藤がやってきてそれを諌めた。
「お気をつけて」
前川邸の門の前で皆が見送りをする。
は先頭を切って歩く芹沢について行ってしまった沖田と神谷には挨拶出来なかったが、斎藤だけは何とか捕まえることができた。
「ああ。お前も充分気をつけろ」
最近少しばかり周りが賑やかになってきたから目を離すのは忍びないが、土方がいる。余程のことがなければ心配はいらない。
「はい」
は口を引き結び、軽く頭を下げた。
土方と斎藤は視線を合わせて、お互い同じ考えを交差させた。
こちらのことは任せておけ、その代わりそちらは頼んだと。
斎藤は笠の紐がしっかり結ばれていることを確認すると足を踏み出した。
土方とは並んで立ち、その後姿を見送った。
「まさか芹沢さんが一緒とは思わなかったが・・・総司と斎藤君がいるなら大丈夫だろう」
近藤が土方に言う。
「どうだかな、あれは」
土方はフンと鼻を鳴らした。
「余計なことにならなきゃいいが」
剣呑な目つきで一行の姿を見送った土方は、を促し前川邸の門をくぐろうとした。
そこへ、道の向こうから籠がやって来た。その中からふらりと千鳥足で降りてきたのは、新見錦。
「・・・あ〜、お前ら、こんなところで何やってんだ?」
明らかに酔っている。
「芹沢さんたちが大坂へ出張に行くことになったのでお見送りを」
土方が簡潔に言った。
「お、大坂だと?!」
新見はそれを聞いて目を見開いた。
「ええ、大坂で浪士組の名を騙って金品を巻き上げる事件が勃発しているので、取り押さえに」
「私を置いてか?」
土方の言葉を遮って新見が叫んだ。
腹心である自分を置いて、自分は大坂へだと?
「そのようですな」
土方は冷ややかに言い捨てた。
新見はゆうべ、いつものとおり芹沢たちと島原へ行っていた。
芹沢は酒だが、新見は女に汚かった。
昨日も妓楼で散々騒いだ挙句に、芹沢は一応妓を伴って別室へ行き、すぐに寝てしまった。
新見もまた妓と同衾したが、遅くまで行為に耽っていたため起きるのが遅くなり、芹沢と他の仲間が帰るのに気がつかなかった。
隊の、そして一派の財布を握っている平間は新見の分も会計を済ませて帰営したが、新見は自分一人が置いていかれたことに腹を立て、店に無理を言って
酒の支度をさせると再び飲み出した。
少しは気が晴れたと思ったところで浪士組に帰ってきたらこの様だった。
「ちくしょう」
新見は地面に唾を吐き捨てた。
そして土方を鋭い目で睨み付け、その後ろに立つをも視界に入れると射殺さんばかりに目を眇めた。
その雰囲気には後じさる。
を気圧したことに満足した新見は、身を翻すと八木邸に消えていった。
三日後、大坂にいる斎藤から近藤に宛てて急ぎの書状が届いた。
近藤は部屋に土方と山南を呼び寄せて中身を改めた。書状の内容は、なんと芹沢が大坂の蜆川に架かる蜆橋で、興行を終えて町をぶらついていた相撲取りを切り捨てて
しまったと言う衝撃的なものだった。
さすがに三人とも言葉を失った。見世などでの多少のトラブルは覚悟していたが、まさか町中で浪士でもないものを殺めてしまうとは。
すぐに近藤は大坂へ出立し、事の収拾にあたった。
出張していた全員に話を聞き、調書をまとめ、大坂東町奉行所に口上書を提出した。
そして亡くなった力士の葬儀に出席し、自分が把握した事実を丁寧に親族や力士の親方に伝え、謝罪した。
その細かく行き届いた態度に、殺された力士の親方は感激して、すべてを水に流して和睦を受け入れた。
関わった面々はほっと胸を撫で下ろし、無事に京へと戻ってくることになる。
その、近藤が大坂へと旅立った日のこと。
は気忙しい日々に突入していた。
英吉利語の教師陣がそろそろ入京してくるとの下知があったからである。英吉利語を学ぶ藩士として取り立てられてからおよそひと月、やっと真のお役目が回ってきたのだ。
本陣内の学校では、藩士として最低限身に着けておかなければならない教養や礼儀作法、武道を急ピッチで叩き込まれた。そうでなければ異国人に対して恥だという認識らしい。
の成績は文系の科目では中の中で済んでいたが、武になるとダントツの最下位だった。基本だけがかろうじて身についているといった程度であった。
礼儀作法だけは誰にも引けをとらずにこなせるようになったのが、唯一の救いである。
は頭も体もオーバーワーク気味で、もしかしたらあちこちから蒸気が出ているのではないかと思いながら屯所に戻ってきた。
英吉利語を学ぶようになったら他の勉学や武道に当てる時間が減る。それまでになんとかカタチにしていかなければならないことが山ほどあった。
時代が違うとは言え、自分の覚えの悪さに辟易する。しかし投げ出すことは許されない。
穂先がだいぶくたびれてきた筆や、茶色い汚れが洗濯で落ちなくなってきた足袋などの買い物を済ませて帰ってきた。
はあの角を曲がって少し歩けば前川邸というところで背筋を伸ばし、己の身なりを見直した。土方も斎藤も、いつも身なりには気を配ってみっともない姿はしていない。
自分が疲れているとしても、だらしのないところは見せられない。
角を曲がり、左手には壬生寺、右手には新徳寺。
何気なく視線を動かすと、壬生寺の向こうにある八木邸の前に人影があった。
新見だった。
新見とは顔を合わすと碌なことがない。きっと相性がよくないのだ。別に新見が悪いわけでも自分が悪いわけでもない。因果と言ってしまえばそれだけのことだ。
向こうは帰りなのかこれから出かけるところなのか。八木邸の門前に立つ新見がこちらを睨み付けている。
も八木邸の門の前まで進み、新見とは視線を合わせないようにしつつ頭を下げた。
そして門の前を通過しようとした瞬間、
新見がの襟首を掴み、八木邸の門内に引きずり込んだ。
新見は苛立っていた。
大坂で芹沢たちが起こした力士殺害事件はもう一人の局長である新見にも当然知らされた。近藤が新見と副長である土方・山南を自室に呼び、大坂に事態収集に赴く
と告げた時に、新見が自分も同道すると申し出たが、
「いや、新見さんには局長として京にいてもらいたい」
と近藤に制されてしまったのである。
大坂に行けば、京とはまた異なった趣の遊郭があり、憂さを晴らせる。そして芹沢の名の下で勝手のし放題も出来る。
新見は他の芹沢派の隊士たち同様、芹沢の威を借る狐だった。逆に言えば、芹沢がいなければ大きな振る舞いは出来なかった。
大坂に芹沢が飛び出して行ってしまったここ数日、新見は存分に行動を起こせずに鬱々としていたのだ。
それでも今日は昼見世が開くのと同時に一人で妓を買いに行った。
あまりにも陰惨な空気を漂わせて酒を飲み、乱暴に自分を扱う新見に本日の敵娼は、
「お客はん、何しにここへお越しになったんどすか」
と呆れ顔をした。
「遊里はお客はんが楽しく過ごすところで、あちきらはそのお手伝い。でもお客はんのように暗い方はどうしようもあらへんわ」
敵娼は体を起こし、襦袢だけを羽織ると煙草盆を引き寄せた。
新見が射すような視線を送るが、構わず煙管に火をつける。
「けっ、たかが買われ物の女子のくせに生意気なことを」
新見は吐き捨てるように言った。
「女子があかんと言わはるなら、今度は陰間でも買うたらよろしいわ。男はんのほうがお互いお気持ちわかるかもしれまへんしな」
ほほほと高く笑い、妓は煙を吐き出した。
笑われた新見にしてみればたまったものではない。新見は頭に血が上り、敵娼を押しのけると、時間を示す線香がまだ尽きぬと言うのに見世を出た。
帰る足取りも荒々しく、新見は道を歩いた。籠を呼びたかったがそこまで金がなかった。
芹沢に二度も置いてけぼりにされたこと。
大坂に行くのを阻止されたこと。
思う存分行動を起こせないこと。
そして妓に笑われたこと。
何もかもが新見の心を荒ませていく。
もう今日は八木邸に戻って誰かに酒を買いに行かせて、酔って寝てしまおう。
そう思った新見が八木邸の前にたどり着いた時、目の前に現れたのは、
以前からムカつく奴だと目している、山口だった。
近藤一派の中でも頭の切れる土方に匿われ、腕の立つ斎藤に従兄弟と言うだけで守られている。
そして自分たちの雇い主である会津藩に一足先に取り立てられ、藩士として悠々自適の生活を送っている。
そこに大きな志があるわけでもなさそうなのに。
ふと新見の脳裏に、先ほど妓に言われた言葉が浮かんできた。
“女子があかんと言わはるなら、今度は陰間でも買うたらよろしいわ”
・・・陰間?
新見の頭脳が素早く回転し、ある考えに至った。
その瞬間、新見の腕が伸びての襟を捕らえ、八木邸の内に引っ張り込んだのだ。
がさがさと言う音とともに植え込みの影に連れ込まれ、は顔を顰めた。
小さな枝があちこちに引っかかり、腕や足に細かい擦り傷を作ってゆく。
だがそれ以上に新見の行動に恐怖を覚え、身を固くした。
地面に叩きつけられ、は呻いた。
転がっている小石が背中に刺さり、食い込むのがわかる。
「山口、貴様、斎藤の従兄弟だというのは方便であろう」
新見が嫌な笑いを浮かべて言い放った。
どくり。
の心臓は大きく跳ね上がり、次の拍動までに時間がかかった。
とうとう・・・バレたか。
「貴様は本当は陰間で、斎藤に連れられてきて土方に夜毎仕えているのだろう。そして斎藤にも」
新見は遂に暴いてやったぞと言わんばかりに勝ち誇った笑いを上げた。
女だとバレてはいない。
そのことにはとりあえず安堵した。
だがその次の問題がまたいただけない。
陰間が何なのかはわからないが、誰が誰に“夜毎仕えている”と?
それが意味することが何なのかくらいはにもわかった。
つまり新見は、自分が男として土方と念友関係にあると勘違いしている、そして斎藤とも関係を結んでいるとも思っているのだと解釈した。
「ち・・・っ違います、それは誤解です」
は新見が自分の動きを制しようとする手を払いのけて言った。
「そりゃあ否定はするであろうな、幹部とデキてますとは言えぬであろう」
払われた手をしつこく伸ばし、新見が笑う。
「おやめください、新見局長」
は何とか新見から逃れようと手足をばたつかせた。
だが所詮は女の力である。男に適うわけもなく、すぐに両手を頭上で拘束された。
くくと嫌な声で笑う新見に見下げられ、はぞわりと背筋が震えた。
「どうせ陰間を相手にするなら、忌々しいあいつらにひと泡吹かせてやる」
そう呟くと新見は抵抗するの袴の紐に手を掛けた。
前から近藤派の奴らが気に入らなかった。
金策のことにしろ女遊びのことにしろ、自分たちとは考えが違いすぎた。
こいつを堕とすことで衝撃を受けるあいつらの顔が目に浮かぶ。
一方のは、力では新見に勝てるはずもないことは承知していた。
相手の陣地である八木邸で助けを求める声を上げても、相手にしなければならない敵が増えるだけだ。
何としても新見一人だけを相手にし、この場を逃れなくてはならない。
どうしたらいい?
袴の紐を解かれてさらにその下まで暴かれてしまったら、さらに事は大きくなってしまう。
必死に紐を守るの頭に、ちらりと何かが浮かんだ。
それを何とか手繰り寄せ、頭の中で正体を掴んだ。
新見は自分が会津藩士になったことに過剰に反応していた。
ならば。
は胸に土埃の混じる空気を取り込むと、腹に力を入れて叫んだ。
「これでも私は会津藩士です!主君の命なくば、切腹が如く前を開き腹を見せることはいたしませぬ!」
新見の手が、止まった。
そうだ、こいつは仮にも会津中将様に召し抱えられている藩士だった。しかも重要な任務で。
もし手荒な真似をしたことが判明すれば、何か言われることは間違いない。
新見にもその程度の分別はまだ残っていた。
その隙を突いては新見の手を自分の着物からもぎ取った。
結び目は緩んでいたが、まだ体から布が落ちてはだけるほどではなかった。
だが男性とは明らかに体の線は違う。着物の上からなら何とか誤魔化すことは出来ても、脱がされてしまえばすぐに気付かれるだろう。
かろうじて手荷物の風呂敷包みを回収し、は全力で前川邸に逃げ込んだ。
そのままの勢いで庭を突っ切り、いつの間にか片方だけになった草履を飛ばして土方の部屋へと転がり込んだ。
日が落ちた暗い部屋には誰もいなかった。
どさりと倒れこみ、肩で息をする。
成功した。
どうにか無事に脱することが出来た。
は全身の力がやっと抜けていくのを感じ、畳に身が沈んでいくかのような感覚を覚えた。
本当は権力に訴えるようなことはしたくなかった。
まだ全くお役に立てていない藩主の威を借りてしまった。
申し訳ないと思いながらも、助かったと感謝する。
の意識がふと遠のきそうになった刹那、すっと襖が開いた。
「か?」
不在である隣の近藤の部屋を借りて話していたらしい。行灯の逆光に照らされた土方が、半身をこちらに向けているのが見えた。
「ひじかた、さん」
は小さな声で彼の名を呼んだ。
土方はの姿を見て目を見開いた。
後ろでやっと結ばれている髪はほつれ、ところどころに何かの葉や折れた枝の破片が刺さっている。
羽織と袴は土埃にまみれ、その下の袴の前は手で固く握り締められていた。
顔も腕も足も、見えているところには擦り傷があり、血が滲んでいる箇所もあった。
おまけに、いつも大事に抱えている風呂敷包みは縁側に置き去りにされている。
「お前、どうした!そんな格好で!」
土方は思わず大声を出し、の傍に駆け寄った。
「君?!」
土方の話し相手になっていた山南も驚いて腰を浮かせる。
土方がを抱えると、は安心したようにその身を預けた。
「おい!しっかりしろ!」
土方は目を瞑った彼女の頬を叩く。
「だ、いじょうぶ、です。大丈夫・・・」
睫毛を僅かに揺らしては答えた。
「井上さんを呼んでくる。手当てしてもらおう」
山南は素早く立ちあがって、廊下の向こうに消えていった。
「どうした、何があった」
袴の紐の結び目を握るの手の上に己の手を重ね、土方は低く囁いた。
「何でも話せと言った筈だぞ、」
はその言葉に手を僅かに緩ませ、土方をゆるゆると見上げた。
「新見さんに・・・」
「新見に?」
言葉を継ごうと息を飲み込むを、土方は改めて上から下まで見た。
土埃や葉が体についていることから外で乱暴されそうになったのであろうと容易に推測できた。
「大丈夫です、バレてませんから」
それだけは守ったとは薄く笑った。
「馬鹿野郎、どこが大丈夫なんだ」
土方はの頬に手をやった。
は土方の手に頬を寄せ、再び目を閉じる。
いたたまれずに土方はをきつく抱き締めた。
廊下を走る足音が複数聞こえ、山南と、薬箱を持った井上と、井上とちょうど一緒にいた原田がやってきた。
「!」
皆が口々に名を呼ぶ。
土方に支えられ、はそろそろと体を起こした。
井上が手にした箱を畳に置いての様子を見た。手足に多少の傷はあるものの、どれもたいした怪我ではなかった。
「山南さんが珍しく慌ててくっからよ、どうしたかと思ったが大事でなくてよかったぜ」
原田がほっとしたように言い、の頭を撫でた。
「すみません、ご心配をおかけしました」
は苦笑いで返した。
「井上先生、ありがとうございます」
は傷口をきれいにしてもらい、やっと人心地がついた。井上は手当てを終えると茶を持ってきて、湯気の立つそれをに手渡した。
「原田の言うとおり、大事無くてよかった」
井上も細い糸目をさらに細めて安心の表情を見せた。
襖を開け放ち、たちが土方の部屋で話すのを近藤の部屋から見ながら、土方は山南に言った。
「大坂の心配ばかりしていたが、こっちも問題ありだな」
「そうだね土方君。芹沢さんがいないから安心していたが・・・」
山南も口元に茶碗を近づけながらぼそりと言った。
(新見の野郎・・・)
土方は、触れればそれだけで斬られてしまいそうな、恐ろしい空気を発していた。
半分は私心だ。分かっている。
だが、浪士組全体として見ても、新見の行動は段々と常軌を逸してきた。
組織をまとめる者としては、適格とは言えない。
「そろそろ考えなきゃならねえな・・・」
温めの茶で唇を湿らせて土方は呟いた。
山南も黙って頷いた。
新見を、芹沢一派を、どうにかしなきゃならねえ。
が原田と井上にぽつりぽつりと答えるのを視界に捉えながらも、土方の脳裏に映るのは新見の顔だった。
しかしながら、しばらくと新見の接点は遠のくことになる。
芹沢たちが帰営し、黒谷では英吉利語の授業が開始され、それぞれに別な時の流れがやってきたからであった。
20080130