僻歌―ヒガウタ― 2
暮れてゆく空の下を、は斎藤と並んで歩く。
この男は、土方以上に無駄口を叩く様子がない。
黒谷からだいぶ離れたところまで来てから、斎藤がおもむろに口を開いた。
「、柴に何を言われた」
突然話しかけられ、はぴくりと肩を揺らした。
は少し思案した後に、先ほど“聞きたいこと”と言ったものから切り出した。
「・・・あの、“ねんゆう”って何ですか」
「おい、何をいきなり」
「“ねんゆう”になってほしいと言われたのですが」
は斎藤を仰ぎ見る。
斎藤は歩みを止めた。
まさかこいつが他人にそんなことを言われるとは。
斎藤は改めてをじっと見つめた。
同じく足を止め、斎藤の横に立ち、質問の答えを待っている。
特別目鼻立ちがいいわけでも、頭がずば抜けていいわけでもない。
ここでの生活に慣れようと懸命なところは好感が持てるといった程度。
ただそこに在るだけの、極普通の存在だ。
好みは人それぞれだ。斎藤にはそれをとやかく言う心積もりはない。
しかし、のこととなったら別だ。
「念友というのは、男子同士の間に愛情を結ぶことだ」
斎藤は再び歩き始めながら簡潔に話した。
「・・・えっ」
歩調を合わせながら斎藤の言葉を飲み込んだは、驚きの言葉を発した後、言葉を失った。
「武士の世では、男女間の愛情は畜生の間にすらある子孫を残すための契りにしか過ぎない」
目を丸くするが自分の言っていることを理解してこくりと頷くのを見てから、斎藤は言葉を継いだ。
「だが、男子同士の間の愛情は崇高なものであり、人としての真の愛情の発露だということになっている」
斎藤の言葉を聞き、そういうものなのだとは心に書き加えた。
「だからお前がそういう相手に目されたというのは、本来ならば喜ぶべきことなのだが」
そこで斎藤は言葉を切った。そしてを見遣った。
この先は言わずもがな。
斎藤の細い目の隙間から、彼の言いたいことが伺える。
も黙って了解の意を示し、首を縦に振った。
「・・・浪士組の方にも今朝、同じ事を言われたんです」
残照を浴びながらが口を開いた。
「何?」
斎藤が眉を顰めて聞き返した。
「念友になってくれって」
「誰にだ」
「確か、田所さん・・・という方だったと思います」
斎藤は素早く頭の中で組の人間を検索した。
田所弘人。先日入隊したばかりの若いあいつか。
「それで何と返事をした」
頭の中で考えをめぐらせながらも、それをまったく表に出さずに斎藤はに問うた。
「念友の意味がわからなかったので、そのまま部屋に帰りました」
「それでいい」
斎藤はふいと顔を前に向け、その後はひと言も話さないまま屯所まで帰った。
驚いた。
念友というものがそういう意味だったとは。
やはり迂闊に返事をしなくてよかったとは静かに嘆息した。もしこれからも念友になってくれと言われたら断ればいい。
告白されたのも男だと見られてこそだが、それは安堵すべきことである。女だとばれていないからだ。
それが何より優先。自分が女だと認識されないことが大事なのだ。
屯所に戻り、夜になっては風呂に入った。
その間に斎藤は土方の部屋を訪れた。
「が?」
「はい。田所と、会津藩士の柴と言う者に言い寄られたそうです」
斎藤の報告を聞くと、土方は舌打ちをしながら行灯のあかりを忌々しそうに見た。
「あいつは自分が何なのか自覚してんのか、まったく」
ち、と土方は舌打ちをする。
「だいたいだな、俺やお前があれこれ言ってることをするだけで手一杯のくせして、色恋に現を抜かしていられる身じゃねぇだろうが」
「あいつ自身は抜かしてなどいないように見受けられますがね」
「黒谷に行くのですら、こちとら気を揉んでるのによ、こんな心配までさせやがって」
「・・・ご心配ですか」
「当たり前だろ」
斎藤が平坦な口調で言うのと対照的に、土方は大きく溜息交じりで吐露した。
それを見て斎藤はしばし考え込む。
そしてもぞと動いて姿勢を正し、口を開いた。
「土方さん、アンタまさか、あれに惚れているのではないでしょうな」
「・・・はぁ?!」
沈黙は神の通り道、と言う。
神が何柱も通ったかのような長い沈黙の後、土方が妙な声を出した。
「だからアンタまさかあれに惚れて」
「い、一回言やぁわかる!お前、何とぼけたこと言ってやがんだ!」
「顔赤いですよ副長」
斎藤に指摘され、土方ははっとして己を振り返った。
心臓が早鐘を打ち、明らかに自分の理性と本能に食い違いがあるのを示している。背筋を汗が伝わり、顔も体も熱い。
言葉に詰まる土方を冷静に見つめ、斎藤はさらに畳み掛けた。
「仕事のために・・・局長のためにあらゆるものを切り捨てるアンタが心配するほどの執着を見せるなど、惚れている以外何物でもないでしょう」
「置きやがれ、斎藤!俺はただ、拾い物の面倒を見ているだけだ」
「拾い物など普段は気にも留めないのにですか」
次々と自論を裏返される土方は全く面白くなく、眉間に皺ばかりが寄る。
「・・・だが、あれだけはやめておいたほうがよろしいでしょうな」
斎藤は短く息を吐くと、障子の方に目を向けた。
「俺があいつに惚れてるって決め付けんじゃねえ」
土方は斎藤を見据える。
「あれは・・・いずれ我々の前から消える運命にある。そうなった時に苦しいのは土方副長、アンタですよ」
土方の胸がぎしりと軋んだ。
そうだ、池が光ったらあいつはあの水の向こうに帰っていく。
別れは情が深くなればなるほど悲しみに侵食される。
待て、俺は別にあいつに惚れてるわけじゃねえ。
むしろ無事に帰ればいいと思っているはずだ。
なら、この心に迫ってくる、想像しただけで胸のうちが引き裂かれるような別れへの悲しみは一体何なんだ?
土方は虚ろな目で中空を見据えた。
まさか、まさか。
その様子を見て斎藤は再び溜息をつく。
「俺の勘ははずれたことはありません。今はわからなくとも、理由や根拠は後からついてくる」
「斎藤、俺はだな」
「では失礼」
これ以上はお互い平行線を辿るだけだと、斎藤は腰を上げた。
丁度その時、静かで軽い足音が近づいてきて、障子の向こうにその人影が現れた。
「失礼します・・・あ、斎藤さん、お見えでしたか」
が風呂から上がってきた。
「ああ、風呂は空いているか」
「はい、いいお湯でしたよ。沖田さんが沸かしてくださって」
「そうか」
では俺も入るとしようと言い、斉藤はするりと部屋を出て行った。
明日の洗濯物をまとめて、池が僅かに見える程度に障子を開き、はいつもの位置に座した。
隙間から入り込む風が、湯で火照った体に気持ちいい。
少しだけ襟を抜き、首元に風を送りこんだ。
土方はその何気ない動作を一通り観察していた。
一日が終わり、風呂に入ってすべてを洗い流した後のくたりとした雰囲気。
白く細い首元に、嫌でも視線を注いでしまう。
斎藤の台詞が頭の中に延々と回っている。
まさか、俺が、こいつなんかに。
あり得ないという意識で、湧き上がる何かを必死に押しとどめながら土方はこほんとひとつ咳払いをした。
「・・・今日、男に言い寄られたそうだな」
「えっ、あ・・・はい」
のどもった答えに、土方の心はちりちりと音を立て始めた。
「何故俺に報告しない」
「あの・・・別に言うほどのことでもないかと思ったので」
そう、彼女にしてみれば大したことではない。
だが。
「大したことでなくともきちんと言いやがれこの野郎」
知りたい。
「はい」
俺のいない間にお前に起こったこと全てを。
が了承してくれたことに土方は内心ほっとし、は土方を怒らせたわけではなかったようなのでほっとした。
しかし、その後にが漏らした笑いに、
「何だ」
「だって、土方さん、本当に保護者みたいなんですもの」
土方の中の何かが、ぶつりと音を立てた。
気がつけば土方はを畳に押し倒していた。
驚いて起き上がろうとする彼女の手首を掴み、そのまま畳に縫いとめる。
「土方さ」
「テメェ、誰が保護者だ!俺は貴様に、ほ」
ほ?
ほ。
・・・惚。
双方の心臓が大きく音を立てた。
だがその意味合いは全く違う。
は突然の土方の行動を理解できずに、ただ驚いて。
土方は己の心に気がついて。
部屋の隅にある行灯がゆらめく。
外からの星明りが静かに差し込む。
間違いない。
俺はこいつに惚れている。
いつからなのか、何故なのか。どこが琴線に触れたのか。
そんなことは全てどうでもいい。
ただ、今組み敷いている女が自分の心を占めている。
土方は顔がかあっと熱くなるのを感じた。
「土方さん・・・?」
小さくが声を発した。
「・・・テメェの、保護者になった覚えはねぇよ」
薄い闇の中で、表情を見せずに土方が呟いた。
「・・・すみません・・・」
それを受けて、が声のトーンを落とした。
「保護者なんて、そんな軽いものではないですよね。命の恩人に向かって」
同じく薄暗がりの中でがひとりごちる。
土方が、斎藤が拾ってくれなければどうなっていたことか。それを保護者の一言で片付けるとは、何と軽率な、自分。
「申し訳、ありませんでした・・・」
段々と弱々しい声になりながらもは謝罪した。
違う。
お前は何も悪くねぇ。
「・・・いいか」
土方は、掠れた声で囁くように言った。
「誰にもテメェの心を開いちゃならねえぞ」
掴んでいた手首を片方だけ離し、少しだけ見えているの胸元を人差し指でとんと指した。
「誰にも、自分を明け渡すな。例外はねぇ」
心も、体も。
「はい」
いつかは別れを告げなければならないこの世界で、特定の誰かと結ばれる事は、絶対にあってはならない。
もちろん別離に苦しむだけだし、それが歴史を変えるようなことになる可能性もある。
土方に言われ、は改めてそれを心に焼き付けた。
一方の土方は、胸中の曇りが晴れているのに気がついた。
やっとこのモヤモヤの正体がわかった。
誰にも彼女を渡さない。
自分にも、だ。
そうでなければ後に残るのは、苦々しい思い出だけ。
そんな思いは自分の方だけで充分だ。
こいつにくだらない傷を作って元の時代へと返しはしない。
俺だけが実らぬこの想いを抱いて、最後まで付き合ってやろうじゃねぇか。
土方はを戒めていた手を離し、体を起こした。
は土方が立ち上がるのを見ながら、ゆるゆると起き上がる。
土方は袴の皺をさっと手で直し、羽織を着た。
「出かけてくる」
「はい。どちらまで?」
も服の乱れを整えて正座した。
「島原だ。金も入ったしな」
懐に財布を入れ、土方は障子に手をかけた。
「今夜は遅くなる。先に寝ていろ」
「かしこまりました、行ってらっしゃい」
手をついて送り出すを一瞥し、土方は部屋を出た。
島原か・・・。
はふーっと嘆息し、足を崩した。
島原がどういう所なのかはおぼろげに知っている。
土方さんもオトコなんだな、とは苦笑した。
遅くなると言ったが、帰ってきてからひと眠りするかもしれない。そう思い、自分の分と土方の分の布団を敷いた。
そこへ横になりながら池を眺める。
原田や永倉も島原へ行くと言っていた。そして土方も行った。
そのうち自分も行かなければ男として怪しまれるだろうかなどと考えながら、うとうとと眠りに入った。
「はぁ・・・」
敵娼に腕枕をしながら土方も溜息を漏らした。
値段の割には器量もよく、具合も良かった。
だが、分かりきっていたこととは言え空しい。
自覚してしまった以上、惚れた相手と同じ部屋で布団を並べて我慢を続けられるほど彼の想いは軽くなかった。
だから仕方なく、別の妓を抱くしかない。
相手が本人でない以上、心は絶対に満たされないと知っていても、だ。
「どないしはりましたん?」
相手が土方の胸をつつとなぞった。
「いや・・・何も」
天井を見つめて土方が呟く。
妓は艶やかに微笑んだ。
「どなたはんのことを考えて、うちを抱いたん?」
土方の体が一瞬緊張した。
何故バレる?
それを見て、妓はふふっと笑みを零した。
「・・・つまらねぇこと聞くんじゃねえよ。目の前のお前しか見てねえだろ」
土方は体を反転させ、再び妓に覆い被さった。
結局土方は早朝に屯所へ戻ってきた。
朝日がまだ山の端を覗くか覗かないかの、薄明の空の下を。
土方は静かに障子を開いた。
はいつもと同じく、障子の方に体を向けて眠っていた。
土方は羽織を衣桁にかけ、そっと彼女の布団に膝をつくと顔を覗き込んだ。
僅かに寝息を立てて、安らいだ顔で目を閉じている。
その寝顔を見ただけで、土方は心の波に凪が訪れるのを実感した。
こうしているしかないか、と諦めたような笑いを口の端に上らせると、土方は彼女の前髪を掻き揚げる。
そして己の唇で彼女の額を掠めた。
こうして、土方の島原通いは始まった。
20080126