久遠の空 ドリーム小説 僻歌―ヒガウタ― 1

僻歌―ヒガウタ―

update:2008.01.26

僻歌―ヒガウタ― 1 

 朝日が屯所の屋根を照らし、一日が始まる。


 過日の“俸禄三両”が巷で噂になり、壬生浪士組には入隊希望者が引きも切らずに現れた。
 近藤は報国の志を持つ者がこんなにまだ身を潜めていたのかと歓喜の涙を流し、喜んで同志とした。
 だが、そのほとんどは金目当てである。
 三両という金額が実は幹部のものであり、平隊士はその半分だと聞いてがっかりする者もいたが、とりあえず食いはぐれないということで残る者が大部分だった。
 土方は金目当ての輩のことは重々承知だった。
 そんなことよりも、もっと目を光らせねばならないのは、これに乗じて隊内に潜り込んでいるかもしれない―――


 は朝に似つかわしくない沈んだ面持ちで厠から出てきた。
 今日も生理は来ない。
 こちらに来てから三ヶ月、一体いつになったら来るのだろうか。
 もちろん、来ない理由の覚えなど無い。

 それに、数日前に見た斬り合い後の現場の映像と、新見に言われた言葉が頭を離れない。
 士(さむらい)の掟。
 そんなことは考えもしなかった。
 ただ元の時代に帰れるまでに、拾ってくれた人たちに失礼の無いようにしているだけのつもりだった。
 刀を持つことがあんな出来事を引き起こすような、新見の言う信念の元に許されているような事だとは。
 時代劇じゃない、本物の世界。
 成り行きでここまで来てしまったが、引き下がる事も出来ない。

 サムライにふさわしい人物に、なれるだろうか。

 そして、池はいつ光るのだろう。
 いい加減、旅行に同行していた母も心配しているはずだ。
 捜索願も出されているかもしれない。
 無事でいる事だけでも伝えたいが手段が無い。携帯も言わずもがな、圏外だ。
 重苦しい気持ちが次々と別の重苦しさを呼ぶ。

 「おはようございます、さん」
 「おはようございまふ」
 うな垂れて井戸に向かうと神谷と沖田、その他大勢の隊士たちが身支度を整えにきていた。
 「あ、おはようございます」
 二人の姿を認め、も挨拶を返した。ぼんやりと考え事をしていたそのままの表情は暗い。
 「ふぁん、元気なひでふね。どうかひまひたか?」
 沖田が房楊枝を口に突っ込んだまま聞いてきた。
 「沖田先生、お行儀悪いですよ。でも本当に元気ないですよ、どこかお悪いんじゃ」
 神谷が心配そうな顔でを覗き込む。

 生理が来ないから悩んでます、とも
 刀を持つことの責任に負けそうです、とも
 実は私はこの時代の人間じゃないんですが、とも

 ・・・どれも、言えるわけが無い。

 「いえ、大丈夫です」
 体は元気だ。稽古による打ち身が多少痛くはあっても。
 は釣瓶で水を汲み上げて、顔を洗った。
 冷たい水が考えすぎた頭を冷やしていく。

 ・・・どれも、考えたって仕方が無いではないか。

 は手早く身なりを整えると、土方の部屋へと戻っていった。



 隊士が増えてくれば、自然と多くの人の目に触れる。
 あまり人目に触れたくないにとっては有難くない話だ。。
 はほとんど毎日朝早く黒谷へと出立するし、“鬼の”副長の部屋に近づく新入隊士はまずいない。
 問題は食事の時間だ。
 台所の隣の部屋に皆が集まり、殺伐とした仕事の中でも楽しみな時間。
 は朝と夜の二回、前川邸で食事をする。
 土方がいる時には部屋で食べているが、最近は土方も忙しく、特に夜は遅く帰ってくることが多くなってきた。
 そんな時は皆と一緒に食事をするが、斎藤がさりげなく横に来て黙々と膳に箸をつけている。

 その日も土方は留守だった。
 しかも斎藤もいなかった。
 なので、沖田と並んで座る神谷の隣に招かれ、静かに食事を摂っていた。

 ・・・どこからか、見られている気がする。
 は汁椀から口を離し、辺りを見回した。
 ざわつく部屋の中、どこから見られているかはわからない。
 慌てて目を逸らす様な素振りをする者もいなかった。
 気のせいだろうか。

 「さん?」
 沖田と和やかに話していた神谷が気がつき、を呼んだ。
 はっとしては周囲を見渡すのを止める。
 「どうしたんですか、さっきもちょっと変だったし」
 神谷が箸を置き、の額に手をやった。
 「あ」
 突然触れられ、は僅かに体を揺らした。
 「熱はないみたいですね。お疲れですか?」
 確認が終わった神谷は再び箸を手に取った。
 「いえ・・・どこからか見られているような気がしたんで・・・」
 もう一度ちらりと辺りに視線を巡らせ、は言った。
 「そうなんですか?・・・誰もこっちを見てないみたいですけど」
 沖田もぐるりと室内を見渡したが、皆それぞれ食事に夢中だったり隣の者と会話をしていたりで、特にこちらを伺っている気配はない。
 「気のせいだと思います、たぶん」
 はそう言うと正座を直し、食事の続きを始めた。
 「何かあったら言ってくださいね・・・って沖田先生、それ私のひじき!」
 に言葉をかける神谷の膳から、沖田がおかずをさらっていた。
 「おいしいですよね〜、この豆がまた絶品ですよね。甘辛く煮てあって」
 沖田は堂々と神谷の小皿を手に持ち、ぱくぱくとひじきの煮物を消化していく。
 「最後に食べようと思ってたのに、沖田先生返してくださいよ!」
 神谷が小皿に手を伸ばす。
 「あーおいしかった。ごちそうさまでした」
 沖田はふーと満足気に息を吐き、空になった小皿を神谷に渡した。
 「ああ・・・もう・・・」
 悔しがる神谷。
 それを横目で見て、はふっと笑った。

 「そうそうさん、今度また一緒においしいもの食べにいきましょうね」
 口を拭いながら沖田が言った。
 「え、あ、はあ」
 お汁粉十一杯。
 は目の前に高く積み重ねられたお椀を思い出し、心の中でげんなりとした。
 あの光景はすごすぎた。
 「あ、あの、今度は神谷さんとご一緒されたらいかがですか」
 あのお椀の塔を見るのは、正直しばらく勘弁だ。
 「神谷さんと?」
 沖田が神谷を見る。
 「ええ、今おかずを食べてしまったお詫びがてらにでも。私は次いつ行けるかわからないので」
 実際に次の休みはいつなのかわからない。定期的な休みはないのだ。
 沖田はじーっと神谷を見つめた。
 「そうですね、じゃあ今度は神谷さんと行きます。さんもお休みの日が合ったらぜひご一緒に」
 「はい」
 沖田と神谷は一番隊の所属だから、常に休みは同じである。
 次の休みはいつでしたっけと、沖田は神谷に聞いた。
 とりあえず、すぐそこにある危機は脱したらしい。
 心の中で神谷にごめんなさいと手を合わせ、はお茶を口にした。


 食事が終わり、沖田や神谷と別れて部屋へ戻った。そして室内を掃除し、荷物をまとめると黒谷へと赴く。
 いつもどおりの日常。
 だが、今日は少しだけ違う出来事があった。

 「山口君」
 勉強や稽古といった日課をこなして帰り支度をしたが呼ばれて振り向くと、一人の若い藩士が立っていた。
 名を柴司と言った。
 齢二十一ながらも利発で真面目、会津藩の将来を背負って立つであろうと目されている青年だ。
 藩士になったばかりのとも度々顔を合わせ、わからないことは何でも丁寧に教えてくれている。

 「柴さん。お疲れ様です」
 は風呂敷包みを抱えて頭を下げた。
 「山口君・・・実は折り入って話があるんですが、これからお暇ですか?」
 柴は人当たりの良い微笑みを浮かべて言った。
 「すみませんが・・・」
 は申し訳なさそうに眉を寄せて答えた。
 「あ、別に今日でなくてもいいんですけど」
 柴は食い下がった。
 「あの、申し訳ないんですけど・・・あまり外出を認められていないので」
 「え?」
 子供じゃあるまいし、と柴は思った。
 「何故です?保護者が必要なお年でもないでしょう?」
 柴は疑問を素直に口にした。
 は、それはそうなんですけどと心の中で薄く笑った。
 「いえ、保護者が厳しいものですから。では失礼します」
 頭を軽く下げ、保護者って・・・と呆然とする柴に背を向けては山門をくぐった。

 保護者とは言い得て妙だ、とは苦笑する。
 土方も斎藤も何かと面倒を見てくれて、適切なアドバイスをくれる。そのおかげでここまでやってこれたといつも思う。
 頼もしい保護者。
 それが彼らに対する、の今の正直な気持ちだった。

 かすかに残る違和感には、まだ気がつかずに。



 屯所にて、夕餉の時刻。
 今日は土方が帰営していたので、部屋に膳を運び、二人で食事を摂った。
 静かな中で向き合い、落ち着いた食事の時間。
 互いに今日あった出来事をぽつりぽつりと話したが、 は黒谷で柴に呼び止められたことは特に言うほどのことでもないと思い、話さなかった。

 食事が終わり、それぞれ本を読んだり書状を認めたりしていた。
 そこへ障子の外から声がかかった。
 「土方さん、沖田です」
 「入れ」
 すらりと障子が開き、沖田が入ってきた。
 「沖田さん、こんばんわ」
 「あ、さん、こんばんわ」
 挨拶を交わすと沖田は土方の近くにすとんと座った。
 「今日の巡察もいつもどおりでしたよ」
 「そうか」
 「はい」
 そこまで言うと沖田はくるりと首を回し、の方を向いた。
 「それからさっき、田所さんが探してましたよ、さんのことを」
 「・・・私をですか?」
 突然自分の名前が出てはどきりとした。
 「をか?」
 土方が眉を顰めてを見遣る。
 「はい、夕餉の後に、“山口さんはどこですか?”って聞いてきたものですから、うちの隊の山口眞一郎さんのことかと思って“あちらにいますよ”って 教えてあげたんです。そうしたら“いえ、沖田先生と昨日一緒に食事をしていたさんのほうです”って」
 沖田が、は今日は土方の部屋で食事をしていると告げたら、そうですかと言って去っていったらしい。
 「・・・」
 には特に思い当たる節もない。
 「まあいい。何かあったら知らせろ」
 「承知しました」
 沖田はじゃあと言って退出した。

 は書見台に目を戻して読書を続けた。時折外の景色を気にするのを忘れずに。
 土方はに背を向けた格好で書き物をしていたが、手を止めてちらりと後ろの様子を伺った。
 以前よりは落ち着いているものの、やはり池が光ることに注意している。だがそれ以外に変化は見られない。

 平隊士が何の用事だ。本当に心当たりはねぇのか。
 実は俺がいない間に何かあったんじゃねぇのか。
 だとしたら相談もしないなんざ、俺はそんなに頼りにならんのか。
 土方の頭の中に、己の中だけで形成された何も裏打ちのない考えがふつふつと沸き上がる。

 「・・・土方さん?」
 ふと彼の視線に気がついたの声で土方は我に返った。
 「何でもねえ」
 すぐに土方は書状に視点を戻し、筆を動かした。
 はその背中をしばらく眺めていたが、そのうちに再び読書に戻った。


 胸がモヤモヤする。
 何だってんだ、最近。


 数日後の朝のことだった。
 が井戸端の隅の方で顔を拭いていると、山口さん、と声をかけられた。
 顔から手拭いを離して声のした方へと向くと、そこにはゆうべ沖田が話した人物、田所弘人がいた。ごく最近入隊した新参者である。
 「おはようございます」
 はとりあえず挨拶をした。
 「おはようございます。・・・今ちょっとだけよろしいですか?」
 田所はちょいちょいと手招きをして、を馬屋と蔵の間にある細い隙間へと誘った。
 は屯所の中なので特に警戒もせず、彼の後に着いて行った。

 「山口さん、お呼びたてしてすまない」
 「いえ」
 はそっと辺りを見回した。
 ちらほらと人が井戸を行き来するのが見える。が、こちらに気がついている者はいない。

 「や、山口さん、俺の念友になってくれ!」
 顔を赤らめ、意を決したように拳を固めた彼の口から出た言葉はこれだった。
 「・・・?」
 だがには言われていることの意味がわからない。
 「食事の席でとか、黒谷へ出かけるときに姿を見かけていて、いつの間にか山口さんのことが」
 「ねんゆう・・・」
 は彼の最初の台詞に織り込まれたその単語に囚われて、その後の語り掛けを聞いていなかった。

 “ねんゆう”って、何?

 知らないことには適当に判断を下して答えてはならない。
 そう思ったは、
 「申し訳ありませんが、失礼します」
 と言ってすたすたとその場を後にした。
 残された田所は隙間から飛び出し、の後姿を物言いた気に眺め、しばらく立ち尽くした後にのろのろと隊士部屋へ戻っていった。


 同日、黒谷、夕方。
 「山口君、待ってくれ」
 黒谷での一日が終わり山門へ続く道を歩いていると、またもや声を掛けられた。
 「柴さん」
 柴が息を切らしてを追ってきていた。
 柴は追いついて呼吸を整えると、を庭の大きな木の陰に引っ張っていった。

 「山口君、少しだけ話を聞いてくれ」
 木を背にして立たせたを、柴は真剣な眼差しで見つめた。
 「はい・・・」
 いつもと感じの違う柴を訝しみながらは答えた。
 柴は下から覗き込むようなの視線を受け、赤くなってどもりながらこう言った。

 「山口君、俺は・・・、っ、俺の、念友になってはくれまいか」

 ・・・まただ。
 “ねんゆう”になってくれって、何だろう?

 頭上に疑問符を浮かべて自分を見上げるに、柴は言葉を続けた。
 「君の静かで落ち着いた佇まいが好ましいと思ううちに、君から目が離せなくなったんだ」
 ・・・何だか告白のような台詞を聞かされている気がする。
 「俺では、駄目だろうか」
 黙りこくるに柴は手を伸ばし、彼女の顔の左右に手を置いた。
 「返事を聞かせてくれ」
 後ろに木の幹、自分の左右に柴の両手。
 は逃げ道を塞がれた格好になったが、相手の台詞を正確に理解していないのを自覚しているため、答えあぐねていた。

 「
 と、その時、遠くから声がした。
 「・・・斎藤さん?」
 胸に風呂敷包みを抱いて柴の領域から抜け出せずにいたを呼んだのは、斎藤だった。
 が剣術の稽古をする宿坊へと続く道から庭を横切り、すっすっと無駄のない足取りでこちらに向かってくる。
 あっと言う間にたちの元へとやってきた斎藤は、木の幹にあてがっていた柴の手をはずし、その中で縮こまっていたの腕を引っ張った。
 「こんなところで何をしている」
 斎藤は口調こそ穏やかだったが、その裏には微かな怒りがちらついていた。
 「斎藤さん、ちょうどよかった。お聞きしたいことが」
 斎藤の微妙な感情を読み取ったは少々肩を竦め、斎藤を見上げて言った。
 「後で聞く」
 そう言い捨てると斎藤は柴の方へと視線を移した。

 「柴さん」
 「斎藤さん」
 お互い会津藩士である。一千人と言う大所帯ながらも、顔ぐらいは見知っているようだ。
 「柴さん、悪いがこいつのことは構わないでもらいたい」
 単刀直入に斎藤は言った。
 すると柴は、先ほどを口説いていた現場を押さえられたことに赤面した。
 「お恥ずかしいところを。失礼しました。しかし山口君とはどういう」
 ご関係ですか、と柴は聞こうとした。

 「保護者の一人です。以前お話した」
 が真っ先に口を開いた。

 保護者です。
 保護者ですか。
 保護者か。
 三人の脳裏にそれぞれの思いが去来する。

 「・・・とにかく」
 斎藤はを引き寄せ、彼女の肩に手を置いた。
 「こいつにはこれ以上関わらないでくれ」
 失礼する、と斎藤は言い、を引っ張って黒谷を後にした。
 柴は二人の姿が視界から消えるとふぅと溜息をつき、己の寝起きする宿坊へと帰っていった。



 20080126