士(さむらい)の掟 4
近藤は今日も黒谷へ出仕である。
隊内の組織化が進み、人数も増え、先日はとうとう俸禄まで出るようになった。
俄然張り切る。
黒谷の面々へ細かく京の街の様子を報告し、自分たちの為すべきことは何なのかを煮詰めていく。
一方の会津藩も、壬生浪士組が巡察を行う事で少しずつ不逞浪士どもの動きが弱まってきている手ごたえを感じていた。
ただ、芹沢一派の狼藉振りには、近藤も会津藩も言いようのない思いを抱いていた。
結成以来の同志であるし、酒さえ飲まなければあのような態度に出ることもない。
これ以上大きな事が起こらなければいいのだが・・・と近藤は溜息をついた。
腰間に二本を差し、羽織の紐を結ぶ。
隣の部屋の土方に準備が出来た事を告げようと、部屋へと直接続く襖に手を掛けた。
「大丈夫ですかね」
「大丈夫だ」
隣の会話が漏れ聞こえてくる。
土方との声だ。
「だって・・・そんなに太いの入りますか」
「ああ」
「こんな狭いところにですよ。それに後で緩んで落ちるとか」
「よく締まってるじゃねぇか、心配すんな」
・・・何の会話だろうか。
近藤は何となく耳をそばだてた。
「ほら、グズグズすんじゃねぇ」
「ま、待ってください土方さん、やっぱりもうちょっと・・・」
「待てねぇ」
何か、布の擦れる音がした。
「・・・っ、痛いです土方さん、無理には入れないで下さい」
「うるせぇ野郎だ、もう一本いくぞ」
「駄目、絶対無理です。痛いです」
「これぐらい締まってんのがいいんだ、じゃなきゃ後で大変だぞ」
「いや、ちょっと・・・痛っ」
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
この襖を開けていいのだろうか。
近藤は固まった。
と、その時、襖が向こう側からすっと開いた。
近藤は反射的にその奥から目を反らす。
「近藤さん悪い、こいつの支度が終わるまでもうちっと待ってくれねぇか」
土方がそこに立って、近藤を見た。
「あ、ああ、それは構わんが・・・」
「かっちゃん、何だ、どこ見てんだ」
土方は不思議そうな顔で聞く。
近藤はおそるおそる襖の奥へと視線を移した。
見るとが腰を抑えてへたりと座り込んでいた。
袴姿に乱れは無く、腰には大小が差し込まれている。
「こいつ、大小の差し方がわからねぇって言うから差してやったのによ、痛えとかぬかしやがって」
土方は両腕を組み、大げさに息を吐いた。
近藤は乾いた笑いを浮かべた。
自分で帯を結び直した後、近藤がに大小を差し直してくれた。
帯を片ばさみに結び、胴に巻いた一枚目と二枚目の間にまず小刀を差す。
そして二枚目と三枚目の間に大刀を差した。
土方が差してくれた時には体に鞘が食い込み痛くて仕方がなかったのに、近藤の場合はまったくそんなことが無い。
小刀の上に大刀が重なり、しっかりと固定され、刀があちこちへと揺らがず安定している。
「ありがとうございます、近藤局長」
あの痛みに毎日耐えなければならないのかと思ったが、これなら大丈夫だ。
「よかったな、君。どこから見ても立派な藩士姿だよ」
近藤は微笑んでを見た。
はその笑顔を受けてはにかんだ。
「いらん時間を食った。さっさと行くぞ。八木邸の奴らはどうした」
自分がうまく差してやれなかったことに苛立ちを感じながら、土方はくるりと背を向けて玄関へと歩き出した。
どすどすと音を立てて歩く。
(・・・何だ、俺は何でこんなに苛立っている?)
自分の器用さを見せるのに失敗したことに対する恥ずかしさを隠すためか?
それともかっちゃんには何かにつけ昔から勝てなかったことへの劣等感か?
オンナのことにかけちゃあ、・・・それだけは俺のほうが上なのに。
待て、俺は何を考えている?
とん、と土方の背中に軽い衝撃が伝わった。
振り向くとが鼻を抑えて立っていた。
「す、すみません、止まると思わなくて」
追いつこうと早足で土方の後ろに着いてきたが、土方が突然足を止めたのでぶつかってしまったらしい。
失礼しました、と言って、土方が動くのを待っている。
土方は返事をせずにさっさと玄関へ行き、草履を履くと外へ出た。
早足でが玄関に至ると、八木邸に入っていく土方の後姿が見えた。
「おお、芹沢さんたちを呼びに行ってくれたのか、さすがトシは気が利くな」
後ろから近藤がやってきて、草履に手をかけた。
さらにその後ろから山南もやってきて、前川邸の面々の準備は整った。
ぞろぞろと黒い羽織の集団が街を闊歩する。
芹沢、新見、近藤、土方、山南、そして昨日は休みだったが今日からまた黒谷へ通う。
芹沢と新見が、近藤と山南が、土方とが並んで歩く。
毎日のように黒谷へ行っていて、やっとその通い道に慣れたと思っていたが、大小を腰に差しての道程はまた違うものがあった。
何と言っても、二本の刀は重い。
中身は鉄である。それに様々な拵えを着け、腰にたばさんでいる。重たくない訳が無い。
ここにいる全員が何気ない顔で同じ重量を味わっているのかと思うと、それだけで尊敬の念を抱く気がした。
「どうした」
前川邸を出てから一言も口を利かなかった土方が話し掛けてきた。
「・・・いえ、何も」
たいしたことじゃない。はそう思って返事をした。
「どうしたと聞いてんだ」
土方はの返答がお気に召さなかったらしく、睨みつけてきた。
「・・・刀が重いなと思っただけです」
皆はそんなこと思いもしないだろう。自分だけ弱音を口に上らせて。
「最初は誰でもそうだ。そのうち慣れる」
土方は視線を前に戻した。
しばらく歩いていると、前を行く近藤と山南との間に少しだけ差が出来始めた。
は土方の速度に合わせて歩いている。
そう言えば先ほどより少しだけゆっくりなような気が・・・。
重たいと言ったから、気を使ってくれたのだろうか。
土方が実際にどう思ってどう行動に移してくれたのかは確かめる気は無いけれども、今の自分にとってはこの速度は有り難かった。
心の中で感謝しながら、はいつもと違う自重を前へ前へと推し進めていった。
黒谷に着き、は皆と別れて宿坊へと足を進めた。
いつもどおり始業の時間より早めに着く事が出来たので、部屋を掃除する。
はたきをかけ、箒で埃を集めて、木で出来た部分を水拭きした。
部屋の隅に片付けられた机を並べ、一番後ろに自分の席を取る。
しばらく一人で本を読んでいると、他の藩士たちが集まってきた。挨拶を交わし、それぞれ思い思いの場所に座る。
師範がやってくると、その日の授業が始まった。
昼食を取り、午後は稽古着に着替えて竹刀を持つ。
最初の頃よりは大分マシになったとは言え、まだまだ動きは覚束ない。
師範も根性と努力だけは誉めてくれるものの、
「上達が遅い」
と苦笑いしている。
本日の稽古には公用方の広沢も加わっており、立会い稽古が始まっての出番が来るまでに、先日が買い求めた刀を見た。
「無銘ながら、なかなかの品だな」
「はい」
刀は刀祥堂がいくつか出してくれたものの中から選んだものだ。自分で最初から選んだわけではない。
刀祥堂がきちんとしたものを勧めてくれた事に、はほっとした。
「これでいつ不逞の輩が襲ってきても、己の身ぐらいは守れよう」
広沢は刀身を鞘に戻しながら言った。
たぶんそれは無理だろう。
人をこの手で、この刀で傷つけるなど、ましてや命を奪う事など、絶対に出来ない。
だから竹刀での稽古とは言え成長が遅いのを、は自覚していた。
やる気の無いものに伸びしろはない。
折角気合を入れて教えてくれている師範には悪いと思うが、どうしても心が拒否している。
散々打たれて、稽古が終わった。
痛み、軋む体で今日も黒谷の山門をくぐった。
夕日が沈みかける逢魔が刻。
腰には大小を、手には風呂敷に包まれた教材を持ち、は階段を下りた。
道の角をいつもと同じく曲がる。
と、そこでぐっと襟を引っ張られた。
“これでいつ不逞の輩が襲ってきても・・・”
先ほどの広沢の台詞が脳内に響く。
まさかこんなに早く。
だが、咄嗟の事でどうしたらいいのかわからない。
このまま斬られてしまうのだろうかと血の気が失せた顔で相手を見上げると、
「何を呆けた面してやがる」
土方だった。
「もうお話は終わったんですか?」
が襟元を直しながら聞いた。
「ああ」
土方は両手を袖に突っ込んで塀に寄りかかる。
は辺りを見回したが、他には壬生浪士組の面々は誰もいない。
「他の皆さんは・・・」
「ちっとばかり先にいる。テメェも早く来い」
土方は踵を返すとすたすたと先に歩いていった。
もしかして、待っててくれたんだろうか。
誰かと帰るなんて久しぶりだ。
の頬が僅かに緩む。
暗くなりつつある風景を見ながら一人で帰ることに、知らず重みを感じていた。
それが未熟な思考であるとは自覚しながらも、今日だけ、今だけは誰かと共に帰れることを素直に嬉しく思った。
その笑顔を、背を向けていた土方は知らない。
特に会話もないままだったが、夕日に影を長く伸ばしながら二人は歩いた。
にしてみれば一緒に帰る時を過ごしてくれる相手がいるだけで満足だったし、土方も余計な事は喋らない。
来た時と同じ、ゆっくりめな歩調。
焼けた空を飛んでいく烏。
だんだんと辺りは宵闇に沈んでいく。
その変化を見ながら歩いていたが、屯所の近くまで来た時に、突然刀を合わせる音が聞こえてきた。
はっと二人は顔を上げ、その音がする場所を探す。
前にも後ろにもそれらしきものは見えない。だとすれば、二人の前にある角を曲がったところから―――
土方はすぐに駆け出した。
も角を曲がり、現場に到着した時には全てが終わっていた。
芹沢や近藤たちが、皆、抜刀して立っていた。
その刀の先からは、いずれも黒っぽい何かが滴り落ちている。
そして地面にはすでにこと切れている、力の入っていない人間の肉体が複数転がっていた。
の呼吸が早くなる。
走ってきたせいだけではない。
心音が耳に煩いほど鳴っていた。
「壬生浪士組の者だな、と言っていた」
山南が懐紙で刀身を拭い、鞘に収める。
「そうだな、俺にもそう聞こえた」
近藤も返り血が感じられる頬の辺りを手の甲で拭きながら言った。
京の街で大樹公を――将軍を推し立て、守護職の元で巡察と称して街を練り歩く壬生浪士組を、尊王攘夷派の連中は目障りに思い始めたようだ。
少しずつではあるが活動が活発になってきた浪士組を、今のうちにたたいておこうと言う意志だったらしい。
組織が大きくなってくれば、それは当然付きまとう業であった。
「己の主義主張の為に」
新見が息を整えながらに向かって言った。
「こうして我々は命を懸けている」
は呆然としながらも、新見に話し掛けられているのを察知し、ゆるゆるとそちらを向いた。
「お主はその刀に、それを懸けているのか、山口よ」
会津藩お抱えとなり、ついに二本差しの姿になったを見て、新見は続ける。
こんな奴が、という苦りきった気持ちを隠そうともせずに。
「己の信ずるものの為に、その刀を振るう。それが士の掟なのだ」
お前には信じるものがあるのかと、新見は言外に問うているようで。
には、何も言えなかった。
20080115