Excuse Me? 7
それこそ飛ぶような早さで前川邸に戻った土方は、同じ速度で引き連れてきたの腕をぐいぐいとひっぱり、おとなしくついてくる彼女を自室へと投げ込んだ。
続いて斎藤も入る。
庭の掃除をしていた井上が声をかけても、三人が三人とも返事をせずに、障子がぴしゃりと閉まった。
外出中に何かあったんだろうと井上は思って箒を動かし始めたが、すぐに障子が開いて、
「井上さん、すまないが茶を三つ持ってきてくれないだろうか」
と斎藤が顔を出した。
「あ、あぁ」
井上が了承すると、頼みます、と言わんばかりの表情で斎藤が頷き、障子が閉められた。
ややあって、井上が盆に三つの茶を乗せて運んできた。
「井上です。お茶でございます」
障子の前で一言声をかける。
「ありがとうございます」
障子が開き、斎藤が盆を受け取った。
斎藤の肩越しに、土方と、彼の前に正座して息を整えながらうなだれているの姿が見えた。
「・・・何があったのかは知らんがな、あまり新入隊士をいじめんほうが」
「イジメてねぇ」
中の雰囲気に思わず井上は口を出してしまったが、土方がぴしゃりと言い返した。
「そうか、すまん」
では、と言って井上は障子を閉めて姿を消した。
井上の気配が完全になくなったと同時に、土方は茶を啜った。そして溜息と共に言葉を発した。
「とにかくだ、お前は単独行動厳禁、異国語厳禁だ。それだけは必ず守れ」
「はい」
「前川邸内では問題ないでしょう。外に出るときだけ俺と副長で気をつけてやれば」
「まぁそうだな」
「公用方にも気をつけろ。聞かれても知らぬ存ぜぬで通せ」
「通りますかね」
「通せっつってんだ」
その辺は臨機応変にうまく交わせ、ということらしい。
この時代の道理を解せぬ自分がもどかしい。
ほんのわずかな行動が、この二人に迷惑をかけている。
自分で自分のことを危険分子だと言っておきながら、それがどう危険なのか抽象的にしかわかっていなかった。
この時代における基本的な概念が理解できるようになるまで、何一つ事を起こしてはならない、とは改めて心に誓った。
翌日。
朝餉の支度をしていると、斎藤が炊事場に入ってきた。
「あ、斎藤さんおはようございます。すみません、ご飯できるまでもう少し」
「いや、俺の分の膳は仕立てんでいい。握り飯を作ってくれ」
「・・・おむすびですか?」
「ああ、出かけねばならぬ用事ができた」
麦入りのご飯は先ほど炊き上がったばかりだったので、は握り飯用に平たい皿へ飯を広げた。
「急ですね、どちらへ」
「江戸だ」
「え、江戸?」
朝食の席で、すっかり旅支度の整った斎藤はしばしの暇乞いをした。
「故郷の父が倒れまして、兄姉たちと家督の相談などもいたしたく」
神妙な顔つきで斎藤は頭を下げた。
「斎藤君は江戸表の出だったな。お父上は急に?」
近藤が問う。
「はい、気弱になっているとのことで」
斎藤は頭を下げたまま答えた。
「そうか、これから浪士組が骨格を成していくときに君がいないのは残念だが、ゆっくり孝行してくるといい」
本来なら武士は親の死に目に会えずともと言われても仕方がないのに、近藤は大きい。
「申し訳ありません。では失礼」
斎藤はもう一度深く頭を下げ、顔を上げると皆の顔をぐるりと見回してその場を後にした。
前川邸の門を出る寸前で、後ろから声を掛けられた。
「斎藤」
「副長」
斎藤は、やはりというような目で土方を見遣る。
土方の目には怒りと困惑が混ざっていた。
「どういうことだ、昨日のことを二人で気をつけると言ったばかりじゃねぇか」
声を低めて土方が吐き出すように言った。
「今朝方突然に書状が届いたので」
「何言ってやがる、テメェの親がどうのこうのというのは建前だろ」
やはり、というような目でもう一度土方を見遣った。
やはりこの人には虚偽は通用しないのだ。
「・・・できれば本当のことは申し上げずに行きたかったのですが」
「他の連中はともかく、俺にはそんな嘘は通らねぇ」
斎藤は土方の目を見た。
先ほどは怒りと困惑に満ちていた瞳には、もうそのような感情は映っていなかった。
ただ本当のことを言えと、それだけを訴えていた。
「さる筋からの命令で、江戸に行って参ります」
根負けした形で、斎藤は口を割った。
「さる筋とは」
「・・・ご想像にお任せします」
斎藤とて、すべてを軽々しく話してしまうつもりもなかった。
相手の視線に負けてポロポロと何かをこぼしてしまうほど胆力がない人物ではない。
「・・・まさかお前、会津藩の」
ふと頭に浮かんだある可能性を口にした土方は、そこまでで口を噤んだ。
昨日の蕎麦屋でのあのシーン。
公用方の二人は、やたら斎藤と親しげだった。
浪士組の件で度々まみえている自分と同じか、それ以上に。
そして「そうだ斎藤にも・・・」と言っていた。
それが何かはわからないが、何かを斎藤にも手伝わせようとする魂胆。
それに関する書状が今朝方届き、緊急の用事だとしたら、のことを放り出してこうも急に江戸まで出向くとしても不思議ではない。
「隠密か・・・」
ごくりと唾を飲み込んで、土方が言葉を続けた。
斎藤は旅笠を持って背筋を伸ばして立ち、土方の言葉に軽く頷いた。
その静かな佇まいは、言われてみれば隠密にふさわしいかもしれない。
「俺たちを監視しているのか」
土方の目が険しくなる。
「そうである、とも言えます」
斎藤も、険しさはないにしろ、己の任務を遂行する気迫の篭った目で土方を見つめた。
「だが安心してくれていい。俺はアンタたちを悪いようにするためにこんなことをしているのではない」
斎藤はまっすぐに土方の目を見据えた。
「・・・わかった」
土方はそう言うと目を逸らし、視線を下に向けた。
「のことを頼みます」
「あぁ」
斎藤は前川邸の門をくぐった。
「斎藤さん」
見送るために一緒に門をくぐった土方の後ろから、がぱたぱたと草履を鳴らして小走りにやってきた。
「」
「江戸までお気をつけて」
ぺこりとは頭を下げて挨拶した。
江戸ということは東京だ。ここは京都だし、列車などの交通機関もない。大変な長旅だろう。
自分には何もできないが、せめて見送りの言葉だけでも、とは思った。
「ああ。俺が留守中のことは副長に何でも相談するとがいい」
前川邸内でのことも、外へ出かけるときのことも。言外に斎藤はそう言い含めた。
「はい」
はいささか不安そうな顔をしながらも、がんばりますというような雰囲気をにじませて返事をした。
それを見て斎藤はふっと表情を和らげ、彼女の頭にぽんと手を乗せた。
「では」
斎藤は笠をかぶり、紐を締めた。そして振り返ることなく前川邸を後にした。
土方とはそれぞれの心の内をかかえ、その背中を見送った。
朝餉の片づけを終えたは土方の部屋へ戻り、襖の奥から昨日買ってもらった行李を出した。
中に入っているのは着替えや筆記用具など、同じく昨日買ってもらった様々な自分専用の品。
そしてその下には小さな包みがあった。
包んである布を取ると、中には携帯電話が入っていた。
こちらにタイムトリップしてきた時、ジーンズのポケットに入っていたもの。
自分と一緒に水没したため、しばらく電源を入れずに放置しておいた。
昨日、行李に入れる前に電池カバーを開けて電池やその奥を出来る限り見たところ、もう乾いているようだったので電源を入れてみた。
当然圏外だった。
夕闇の迫る薄暗い室内で画面だけがぼんやりと光っていた。
当たり前だが、改めてがっかりした。
今もう一度だけ電源を入れてみる。
家族や友達と撮った写真を画面に映した。
今となってはこの携帯電話と、同じく行李に収められている風呂敷に包んだ衣服だけが元の時代から来た事を証明してくれる。
そしてこんなものは技術的にこの時代にあるわけがないので、絶対に誰にも渡してはならないと思った。
「何だそりゃ」
ひょいと後ろから土方が覗き込んだ。
「ひ、土方さんっ」
土方は、が背中を丸めてこそこそと何かをしているようだったので、気配を消して近づいたのだった。
「あー吃驚した」
「それは何だ」
土方はの手に握られている、見たこともないような物体を指差して再び問うた。
「これは・・・私がいた時代にあるもので、遠くにいる人とでも話せる道具です」
電話と言っても理解してもらえないだろうから、簡単に説明した。
「・・・へぇ」
土方はあまり納得していなさそうな顔で呟いた。
「あ、こんなことも出来ますよ」
はボタンを操作すると、土方の隣に回って寄り添った。
「何だ?」
「はい、チーズ」
カシャリ。
「?」
訳がわからんというような表情をする土方に、は携帯の画面に写った自分と土方の写真を見せた。
「ほら、土方さんと私」
写真の中で、土方は眉を寄せての方を向き、は画面を真っ直ぐに見ていた。
「写真撮れるんですよ」
「しゃしん?」
「あ、写真まだこの時代にないですか」
しまった、とは思った。
「・・・気をつけろ、馬鹿野郎」
今の“しゃしん”と言うものがこれからの時代に現れるものだと理解した土方は、溜息をつきながら注意した。
だが、
「今のもう一回見せてみろ」
と携帯電話をの手から取った。
小さな画面には自分と彼女が並んで写っている。
「不思議なモンもあるもんだな」
まじまじと土方は画面を見つめている。
その横顔をは横目で見た。
男にしてはきれいな肌、整った顔立ち。きっとモテることだろう。
「こうもっとマトモに・・・やり直してぇな」
どうやら写真の中の自分の顔がお気に召さなかったらしい。
「どうやって使うんだ」
くるりと土方はの方を向いた。
急にこちらを向かれては少し焦った。
不躾に見つめていたのに気づかれただろうか。
「え、い、いいじゃないですかコレで」
「いや、もっと俺は男前なはずだ。やり直す」
「これでも充分男前ですから。もうしまいますよ」
他の誰かに見られたら大変です、とは言って土方から携帯を取り上げた。
「あ、おい、やり直し・・・」
は携帯をさっと布で包み、行李の中に押し込んだ。
そして人差し指を口に当て、
「こんなの持っていることは秘密ですよ」
と小さな声で告げた。
写真が取り直せなかったのは不満だが、彼女が秘密をお願いする姿がなんだか可愛げで。
「・・・まぁいい」
土方はふと口元を緩めた。
それから数日は、何もなく平和な日が続いた。
20070812