Excuse Me? 5
何日か経ち、与えられた仕事を何度もこなしていくともだんだんと慣れてきたようで、うまくこなせるようになってかかる時間も短くなってきた。
炊飯の火加減が一番難しかったが、焦がしたり固かったりを繰り返してなんとか要領を得たようだ。
また、一度うっかり火種を消してしまったことがあったが、斎藤に火打石の使い方を教えてもらい、今は石からの点火を目下修行中である。
は昼餉の片付けをした後に、竈の前で火打石と火打金を打ち合わせて火花をとばす練習をしていた。
外から声が聞こえてきた。あの声は芹沢たちだ。
ふとの脳裏に浮かんできたものがあった。
斎藤が言った「芹沢には近づくな」の意味。
言われた時はそれが何故なのかを問わなかったが、少しずつ明らかになってきた。
酒乱だ。
いわゆるアルコール依存症である。
芹沢はいつ顔を合わせても酒の匂いを撒き散らし、側にいる誰かが酒瓶を用意していることもしばしばだ。
「巡察」と称して昼間から酒を出す店に入り浸ったり、強制的に酒を出させたりしている。
時には些細なこと―ちょっとした接客態度が気に入らないとか、こちらを指差してこそこそ話している者がいるとか―で、暴れて店を壊したりしているらしい。
そして夜遅くなってから八木邸へ戻ってくるのだが、酔っ払いはいつの時代も変わらぬようで、大声を出して喚いたり歌ったりしながらなものだから、
池を眺めながら寝るまでを過ごすの耳にもそれは聞こえてきた。
「まったく困ったもんだ」
と、昨晩土方が眉を顰めて言っていた。
「あんなのがいるから俺たちまで同類に見られて・・・たまったもんじゃねぇ」
先日は芹沢グループが勝手に大坂まで出向き、今橋の両替商・平野屋から百両をなかば強引に供出させた。
「国事のため」という正論を振りかざし、ご丁寧に借用書まで置いてきたらしい。
さらにその金で「揃いの隊服を作り、浪士組の存在を天下に知らしめる」と言って、京の大丸呉服店に発注、袖に山形の模様の入った「ダンダラ模様の羽織」を作ったのである。
近藤は局長の一人として芹沢と話し合い、金品の無理な調達は控えるように頼んだが、芹沢と新見はまったく取り合わなかった。
それどころか、「会津藩御預であるならば藩から手当てが出るのが当たり前であるのに、全く支給されないとあらば今後如何するおつもりか」と
逆に二人して近藤に説教する始末であった。
芹沢たちの論にも一理ある。京で活動するためには、まず自分たちが生きていくための糧が必要だ。つまり、金や食料である。「武士は食わねど高楊枝」とはものの例えでしかない。近藤や土方は国許に手紙を書き、様々な援助を求めている最中であった。
芹沢たちには頼めるところがなかった。国許の常陸では尊皇攘夷集団・天狗連(後の天狗党)の同志三人を殺して獄中にあり、浪士隊を結成した
清川八郎が発案した大赦をもって出獄、浪士隊に加わったという。そのようなならず者たちに助けの手を差し伸べる者などいるわけもなかった。
そこで芹沢の一派が画策したのは、豪商からの金品供出である。
将軍警護のため、玉(天皇)を不逞の輩からお守りするためと言っては京都はおろか大坂まで出向き、自分たちを胡乱な目つきで見て出し渋れば、その巨躯から搾り出される迫力の脅しと神道無念流免許皆伝の腕前を揮って、なかば強奪に近い形で金を出させるという有り様だった。
しかもその金は純粋な国事活動に使われるというものでもなかった。
ほとんどが芹沢たちの遊興費に消えていたのだ。
初めて京に上ってきた関東の猛者たちには、文化も食生活も何もかもが新鮮に見えた。
そして女も。
京の女は関東の女と違い、しっとりとしていてたおやかだった。
はんなりとした、誘うような、蕩けるような柔らかい雰囲気を持っていた。
芹沢の一派はすぐに溺れ、まとまった金ができると遊郭のある島原に繰り出しては飯を食い、酒を飲み、女を抱いた。初会も裏もなかった。
金が足りなくなれば言葉と剣による脅しでツケにして、挙句の果てには駕籠に乗って大騒ぎしながら八木邸へ帰っていった。
しかし飲まなければまともなのだ。
天狗連で活動していたのは伊達でないらしく、国事に対する考え方もしっかりしていれば、論も立つ。
だが飲まずにいれらない。ともかく酒、酒、酒なのだ。
それに周りが進んで飲ませている感もあった。
飲ませて芹沢を騒がせておけば、その陰に隠れて自分たちも多少の無茶をしてもたいしたことに見えない。
果たして芹沢自身はそれに気が付いているのかいないのか・・・
「ただでさえあの野郎のせいで壬生浪士組の評判はガタ落ちだってのに、揃いの隊服まで着せられて巡察に行ってみろ、俺には耐えられねえ」
心底勘弁と言うように土方が肩を落とした。
壬生浪士組にそのような深刻な問題が積もってきた頃、は土方と斎藤に連れられて京の街に出かけた。
にとって、初めての外出だった。
今までは前川邸にずっと詰めていて、こちらの時代の生活に慣れるように、そして身元がバレないようにしていた。
日常のものは土方や斎藤、そして入れ替わりに消えたの物を使わせてもらっていたが、どうやらここでの生活が長くなりそうな気配が濃厚になってきたので、彼女専用の品を揃える事にし、そのために街へ出てきたのだった。
金は土方と斎藤が出す事にした。
ホテルに着いてすぐに体ひとつで、しかも泊まる部屋の目の前にある庭を散策していたため、持ち物はほとんどなかった。
財布も部屋に置いてきていた。
「お金も、売って換金できるような物も何も持っていませんからお返しできません」
とは遠慮したが、男二人は引き下がるわけもなく。
本当にいいですから、と言うを半ば引き摺るようにして連れてきた。
春がそこまで来ている事を思わせるような暖かい日差しの注ぐ日だった。
空は澄み切って、ビルどころかせいぜい二階建て程度の建物しかない、視界を遮らない広い空間が頭上に広がっている。
電信柱も当然ない。あの灰色の柱と黒い送電線のコンビネーションが空を切り取っていた事に今更ながら気づかされた。
道の左右に活気にあふれた店が建ち並び、足を止めると店の者にすぐ声を掛けられる。
はまるで時代劇の世界に迷い込んだようで、見るものすべてが目新しかった。
きょろきょろとひっきりなしに辺りを見回し、気がつけば土方と斎藤に遅れて歩いていて「早く来い」と急かされたり。
はその度に二人のほうへ小走りに向かっていった。
実際には、買い物をするのはほとんど土方と斎藤だった。
どこに何の店があり、何を買わねばならないのか。どのようなものが適切であるのか。店の主人と話し、次々と品物が購入されていく。
それでも、服だけはに選ばせてくれた。古着屋の店先で店主が小袖を何枚も広げてくれて、はそれらを真剣に眺める。
どうせ女の買い物だ、時間がかかるだろうと、男二人は店の外で待つ事にした。
大きな風呂敷に包まれた行李を降ろし、土方は通りに目を向けた。
「特にこれと言った目はないようですな」
今まさに土方が思った事を斎藤が口にした。
「・・・そうだな」
土方も相槌を打つ。
彼らとてただ買い物をしていただけではない。常に不逞浪士がどこかに潜んでいる気配はないか、巡察をしている自分たちの顔を覚えていて、ここぞとばかりに襲ってきたりしていないだろうかなど、気にかけながら歩いていたのだ。
尊皇派で反幕派の浪士どもには目障りな事だろう、関東から来た夷どもは。
一方、彼らから少し離れたところで、店主があれこれと勧めてくれた服を手にとって眺めていたは小さくため息をついた。
実はもう服は選んでいるのだが、考え事をしているのだ。
こうして自分のことを考えてくれるのは有り難い。感謝している。
けれど本当に返せるものがない。
いつか帰らなくてはならない身でもある。いつなのかは不定だ。だからいろいろと揃えてもらうのはもったいない気がする。
自分の元いた時代に帰ったら、特別な事でもない限り使うことのないものだ。
それにさっきからちらちらと物色しているが、欲しいものが一つある。
・・・生理用品だ。
予定ではそろそろだから、何かに紛れてこっそりと買ってしまいたい。
あるいはどこにあるかだけでも確認して、後でこっそり買いに来てもいい。
さすがに男の人には頼み辛い用事だ。
だが、今のところソレらしきものはどこにも見当たらない。
この時代の女性はどうしているんだろうか・・・。
土方は周囲に気を配りながらもの様子を窺っていた。
肩がわずかに落ちて、ため息をついていることが分かる。
じっと着物を見つめたり、店の中を見回したり。
やがて選んだものを手に取り、土方のいる方を向いた。
つつがなく買い物が終わり、三人は蕎麦屋で食事をしていた。
日は中天よりもわずかに西に寄り、店の賑わいも一段落したといったところだったので、混雑している時間からは外れていた。
「これで全部揃ったな」
土方が蕎麦を手繰りながら言う。
「そうですな」
斎藤が返事をした。
「ありがとうございます」
は二人にぺこりと頭を下げた。
買ったものはすべて新品の行李に収められた。あとは前川邸に帰るだけ。
不逞浪士に狙われる事もなく、彼女が女子だとバレることもなく無事に買い物を済ませることが出来た。
そのまま前川邸に戻っても、今日の雑事を頼んできた井上が喜んで昼食の支度をしてくれたことだろう。
だが、先ほどがため息をつく後姿を見た土方は、一休みさせてから帰ろうと思い、蕎麦屋に立ち寄ったのだった。
土方の心を読み取った斎藤も、何も言わずにその提案に従った。
は注文したものに箸をつけながら、どことなく浮かない気分でいた。
やっと前川邸での生活に慣れてきて、この時代にも馴染んできたと思ったが、今日改めて外へ出てみると、やはりそれが自分一人の考えであったことを思い知った。
空の広さも高さもその色も。
並ぶ店の構えも、その店先に並ぶ数々の品も。
出会う人の雰囲気さえも。
どことなく元の時代に通じるものを感じながらも、やはりそれは異なるものだと実感せざるを得ない。
どことなく感じられる違和感、疎外感。
それに加えて自分の正体が、別の時代から来た存在だという事と、女であるという事を隠さねばならない緊張感。
たった午前中、数時間だけの外出が、の心に重く圧し掛かっていた。
逆に考えすぎだということも充分に分かっている。
誰も自分がそんなことを隠して往来を歩いているとは思っていない。
それを知っているのは、同伴してくれている二人だけだ。
自分だけの考えすぎなのだ。分かっている。
心ここに在らずといった様子のを前に、男二人は蕎麦を食べるのに集中する振りをしながら彼女の様子を観察していた。
休ませてやろうと思ったのは裏目に出たのだろうか。
箸は動いているものの、丼の中身はあまり減っていない。
土方と斎藤はこっそりと目配せをし、そこそこのところで前川邸に戻る事を決めた。
「お、土方と斎藤ではないか」
暖簾を上げて入ってきた二人組が、食事を続ける土方たちに声をかけてきた。
「広沢様、秋月様」
土方がさっと席を立って頭を下げる。
斎藤も同時に椅子を引き、一歩遅れてもガタリと立ち上がった。
「お主たちも飯か」
「はい」
先に入ってきた方が笑顔で言葉を続けた。
「そちらは」
土方と斎藤に同席しているもう一人を見て、後から入ってきた方が質問した。
「私の従兄弟で山口と申します。先日、壬生浪士組に入隊いたしました。、会津公用方の広沢富次郎様と秋月悌次郎様だ」
「山口です」
は紹介されてさっと頭を下げた。
「私は広沢富次郎。こちらは同じく秋月悌次郎」
よろしく、と公用方の二人は鷹揚に頷いた。
「すみません斎藤さん、公用方とは・・・」
は分からないことはすぐに聞くようにしていた。
「京都守護職であらせられる松平容保様の補佐をされている方々だ」
斎藤が小さな声で教えてくれた。
京都守護職の補佐ということは、その御預である壬生浪士組にとって上司である。
はますます深くお辞儀をした。
「こんなところでどうされました」
土方が広沢たちに話しかけた。
「いや会議が長引いてな、気分転換を兼ねて外で飯でも食うかということに」
広沢が些か疲れたように肩を叩いた。
「左様で」
「不逞浪士どもは、今は鳴りを潜めているが、京に着々と同士を集めていると言う噂があってな、どのように探索を進めていくべきか考えているところだ。そのうち浪士組にも手伝ってもらうことになるだろう。その際は頼むぞ」
「はっ」
「あ」
秋月が思い出したように短く声を発した。
「広沢殿、斎藤にも・・・」
「お」
広沢の方を向き、何事かを小声で話し始めた。
その時、外の様子が少し変わった。
土方と斎藤はさっと外へ飛び出した。も後を追って暖簾を上げる。
ざわざわと、通りにいる人たちが何かを遠巻きにしている。
その中心になっている何かが動くと、ざわめきが僅かに大きくなり、避けるように人の輪が形を変えた。
土方と斎藤の合間から覗くと、着物の肩や隙間からちらちらと見え隠れするのは、
和服でない人の影だった。
20070727