Excuse Me? 4 〜彼女と一緒 斎藤編
朝餉の後、土方副長は仕事だと言って近藤局長と出かけていった。
二人を前川邸の門で見送った俺は、同じく見送りをしたと共に邸内へ戻っていった。
今日からの新しい生活が始まる。
まずは掃除から。
布団は起きた時分に上げておいたので、部屋を箒とはたきで埃を払い、廊下を雑巾で水拭きをする。
雑巾をすすぐ桶をそれぞれ持ち、小さな中庭を挟んで向こうの廊下をが、こちら側を俺が拭いていく。
ふと見ると、長い廊下の途中では何度か手を止めていた。
は額に滲んだ汗を手の甲でぬぐうと、再び雑巾がけを開始した。
それが済んだら洗濯である。
木製の桶と洗濯板を井戸の近くに持っていき、コツを教えながら冷たい水に手を入れた。
「冷たいですね、当たり前ですけど」
は一度手を水から上げて両手をこすり合わせた。
骨まで凍るような冷えた水で手がかじかむ。
それでも顔を顰めるのすら我慢して手を動かし、きれいに糊付けされた洗濯物が竹製の物干しにはためくとは満足したような表情をした。
「ではそろそろ飯の支度を」
雑巾がけや洗濯で固まった腰を伸ばすの背を押し、俺たちは連れ立って台所へ行った。
竃の灰に埋もれさせていた種火から火を熾し、米を砥いで釜に入れる。
飯が炊けるまでに別の竃で味噌汁を作り、漬物を切る。おかずは厚揚げと野菜の煮物。それと湯を沸かして茶の準備。
どうやら包丁とまな板は元の時代にあったものとさほど変わらないらしく、言われたとおりの薄さに漬物を切っていた。
だが使い慣れない場所や火の加減ににさすがに手間取り、あたふたとしている様子を心の中で微笑ましく見守りながら、俺は横で盛り付けを始めた。
皆を呼び、昼餉になった。
「これが作ったのー?」
一番早く膳の前に座った藤堂さんが感心したように声を上げた。
「え、ホントかよ?」
原田さんと永倉さんが一緒に部屋に入ってきた。
「ほとんど斎藤さんですよ。それとすみません、ご飯少し焦がしてしまったんですけど・・・」
ところどころに焦げ茶色のものが入り混じる麦飯の椀をそれぞれの膳におきながらは頭を下げた。
「いーっていーって、最初はそんなもんよ」
永倉さんが原田さんの隣に座って笑った。
「あ、、俺もっと大盛りで」
原田さんが自分の飯椀をに渡した。はそれに飯をもっと乗せて返す。
昼餉が始まり、朝の巡察をしてきた皆がその様子を報告した。
「まー今んとこはまだアヤシイのは見当たらねえな」
永倉さんが胡坐をかいて飯を口に運びながら言った。
「そうだね、巡察を始めて日も浅いし、どの辺りに不逞の輩が潜伏しているのかも見当つかないしさ」
藤堂さんが続けた。
「あーあ、京に来たらハデに暴れられると思ってたのに、ちょっと拍子抜けだよな」
剣呑な台詞を吐きながら原田さんが米粒を飛ばしてがつがつと飯を食らう。
「いいじゃないか、平穏なのは結構なことだよ」
山南さんが笑顔を見せた。
「そうですねぇ、いいんじゃないですか。ところで近藤先生と土方さんはまだですか?」
沖田さんが上座に目を向けた。
「まだ黒谷からお帰りでない。どこかで飯を食ってくるかもしれんとおっしゃっていたぞ」
井上さんが答えた。この人はいつも局長と副長の動きを把握している。
「そうですかー・・・」
沖田さんはそれを聞いて少しがっかりした様子だった。
「そう言えばさ、この前の考試で合格したやつらっていつから来るの?」
藤堂さんが話題を振った。
「各自の身辺整理が整ったらそれぞれすぐに来てもらうことになっているから、まもなくだと思うよ平助」
山南さんが藤堂さんへ顔を向けた。
「そっか、人数が増えたら巡察も楽になるだろうな。昼と夜とじゃ正直キツイよ」
「何言ってんだ、こんぐらいでへばってんじゃねぇよ。不逞浪士どもと斬り合いになったらこんなもんじゃねえぞ」
永倉さんが目に光を宿して言った。
「そういう意味じゃなくてさ、巡察だけならともかくとして、もし斬り合いってことになったら、わずかな体力の消耗も危険だってことだよ。
俺たちだって体力や集中力が無限ってわけじゃないだろ?それに人数が多いほうが見栄えもいいしね」
「ま、そりゃそうだけどな」
「だからさ、いろんな意味でいい状態を保つために人員が必要だって思うんだよね」
藤堂さんの忌憚のない意見には俺も賛成だ。今はまだ人数が少ない。少なすぎる。これで警護が出来るとは到底思えない。
「、おかわり」
原田さんが茶椀を出した。ははいと返事をして原田さんに「このぐらいですか?」と聞きながら飯を盛った。
「どの道前回の考試で合格になった人たちだけでは足りないから、近々また募集しようと思う。そのときはもっと広く宣伝しないといけないね」
俺もそう思ったので、黙って頷いた。
ふとを見ると、真剣な顔つきで話を聞いていた。
昼餉の後片付けを終わらせると、を伴って前川邸を出た。
そして目の前にある八木邸の門をくぐる。
「実は浪士組には近藤局長の他にもう二人の局長がいる」
庭の敷石を踏みながら俺は話しかけた。
「・・・はい」
「この八木邸に分宿している。これから挨拶に行く」
「はい」
はおとなしく俺の後ろを付いてきた。これが本物の方だったら何で三人もいるんだとかどうして別に住んでるんだとかうるさく聞くに違いない。
「失礼します、芹沢局長」
声がしたので庭から入ると、目当ての集団がたむろしていた。
「おお斎藤か」
俺たちに気が付くと、件の人物は笑顔で寄って来た。
・・・酒臭い。
「これから巡察に参ろうかと思うんじゃが、どうだ斎藤、お前も来んか」
「いえ、本日は挨拶のみで失礼します」
そう答えると俺は、心なしか後ろに下がっていたを俺の横に押し出した。
「俺の従兄弟で入隊しました山口です。若輩者ゆえ不届きなこともあるかと思いますがよろしくご指導下さい」
「よ、よろしくお願いします。播州明石藩、山口です」
些か緊張した様子でがお辞儀をした。
「そうかそうか、斎藤の従兄弟か。わしは水戸脱藩、芹沢鴨だ」
「芹沢さんは局長だ。それからこちらの新見錦さんも局長でいらっしゃる」
「新見だ」
「はい、芹沢局長、新見局長、重ねてよろしくお願い申し上げます」
芹沢さんと共に上洛してきた平山五郎さんと野口健司さんも紹介し、早々に八木邸を後にした。
「もう帰るのか、山口の入隊祝いに飲みに参ろうではないか」
芹沢さんが申し出てくれたが、昼間からこの酔っ払いどもにを付き合わせるわけにはいかない。
「何分修行中の身ゆえ、またの機会に。御免」
「失礼します」
ぺこりと頭を下げるを連れ、俺は前川邸に戻った。
「すみません斎藤さん」
「何だ」
前川邸の土方副長の部屋に戻り、これからしばし手習いの時間だ。
はこの時代の字の読み書きはほとんど出来ない。とりあえずいろはの書き方から教えることにしていた。
とある所から拝借してきた子供向けの本を広げたところで、が聞いてきた。
「なぜ局長は三人もいらっしゃるのですか?」
組織の頂点が複数というのもいい点はあるが、いざという時に意見がまとまらないなどの弊害もあると思います、とは言った。
「局内の均衡を図る為だ」
俺は説明した。
「俺たちがどのようにしてこの壬生に残ったのかは先日話した通りだ。紆余曲折あったが、最終的に残ったのは近藤さんが率いる集団と、先ほどの
芹沢さんが率いる集団の二つ。だがいろいろとやり方に相違があり、本当の意味で団結はしていない。だから浪士組の頭を決めるときに、局長三人と
副長二人、それと勘定方一人でお互いの持ち駒から数を合わせるようにして出している」
「・・・そういう意味だったんですね」
思ってもみなかったのだろう、一瞬意外そうな、考えてもみませんでしたというのがありありとわかる反応をした。
「ひとつ言っておく」
「はい」
「・・・芹沢には近づくな」
いい機会だ。一言言っておく必要がある。あの芹沢という男の酒癖の悪さには、さしもの俺も辟易している。今日はまだそう深酒していないようだが、飲んで暴れ出したら―――
「・・・わかりました」
何故近づいてはならないのかの理由を聞くこともなく、は返事をした。
何か勘付いているのかそれとも無条件で今の生活に溶け込もうとしているせいなのか。
いずれにせよ無駄口が少ないのはいい。どうも必要以上に煩いのは苦手だ。
「用意はできたか。では最初からここまで書け」
相手が納得した以上、この話は終わりだ。俺はが手元を墨で黒くしながらも懸命に筆を動かすのを見つめた。
幸い陽のあたりがよく、薄い洗濯物はあらかた乾いた。
洗濯物を取り込んだ後は前川邸を案内した。
風呂や厠、台所、俺の部屋はとっくに知っていたが、他の部屋はまったく知らなかった。
他の皆の部屋、点在する井戸、二ヶ所ある蔵などを見せて回った。
「なんか・・・広くて迷子になりそうです・・・」
前川さん一家は俺たちがここに来てからすぐに出て行ってしまった。突然訳のわからない浪人どもが押しかけてきて、
しかも自分の家に宿泊しているのではないにしろ素行の悪いのがいるのだから当然とも言える。九、いや十人で住むには広すぎだ。
「一度に覚えようとしなくていい。自分の部屋だけ覚えておけ」
「自分のって言うか、土方さんのお部屋なんですけど」
は苦笑いをしてつぶやいた。
「気にせんでいい」
俺はの肩をぽんと叩いた。
は俺の顔を見上げて少し笑った。
邸内をぶらぶらと歩いていたが、そのうち夕餉の時間になった。
冬だから一日が短い。
朝餉を取ったと思ったら、あっという間に夕餉だ。
は昼と同じく要領が掴めない作業になると手間取り、俺はその横で惣菜を準備する。
それでも昼間に飯を焦がしたのを気にしてか、釜の火加減に神経を使っていた。
その結果、今度は少々生煮えだった。
夕方の巡察でイイ女を見たとかで原田さんと永倉さんがはしゃいで騒々しい夕餉が終わり、風呂にも入って一日が終わった。
が風呂に入っている間、一応外で見張りをし、俺が出てくるまで土方さんの部屋で待っているように伝えて入れ違いに入浴した。
今日一日のの感想と、俺から見て気になるところを話そうと思ったからだ。
土方さんは予定が狂ったのだろう、まだ帰ってきていなかった。
出来れば一緒に話したほうが土方さんも安心するだろうに。
風呂から上がり、温まった体に冷たい外気を受けて土方さんの部屋へ入った。
「、今日の・・・」
そこまで言って、俺は言葉を止めた。
は眠っていた。部屋の隅に体を預けて。
よく考えたら今日は朝から今まで様々なことをした。
慣れぬことばかりで気を張り詰め続けて疲れたのだろう。
これが本物のほうだったらだらしがないと説教するところだが・・・。
襖を開け、土方さんとの布団を出した。
廊下側の布団にを寝かせる。
揺すっても起きないので抱き上げて布団に横たわらせた。
「斎藤」
ふと視界が陰り、部屋の主の声がきた。
「副長、お帰りなさい」
に布団をかけ、俺は土方さんに挨拶をした。
「なんだ、寝ちまったのか」
を見て土方さんが小さくため息をついた。
「何か伝えることでも?」
「いや、今日一日どうだったか話そうかと思ってよ」
「今日、やつはどうだった」
買ってきた酒をふたつの杯に注ぎながら土方さんが聞いてきた。
「予定通りに。何日かは今日の作業を繰り返して、少しずつ他の仕事も増やしていこうかと」
頂戴します、と一言断ってから杯を空けた。
「手間をかけるな」
「それは俺の台詞です」
は紛れもなく俺の従兄弟だ。
いや、厳密に言えば“そうだった”。
今ここにいる人相の似通った者は本当は違う。
だが、本物が消えてこいつが同じところから現れた以上、そして俺の従兄弟という事にした以上は俺にも責任が発生したと言う事だ。
「の国許へは」
「二、三日中に書状を認めます。浪士組に入隊した、俺と一緒だから心配無用だと」
「そうか」
「まさかこいつを遣るわけにもいかんでしょう」
「そうだな」
ぐっと杯を飲み干し、土方さんはまた徳利を傾けた。
何気なく二人同時に、が消えた池を見た。
いつまでこれが続くのか、いつ本人たちが元に戻るのかはわからない。
しかしもう乗りかかった船だ。
土方さんの顔を見る。
ふっと笑った。
俺と同じことを考えていたのだろう。
そして同時に視線を逸らした。
眠るを見遣る。
疲れきった様子が行灯に薄く照らし出されている。
何より大変なのはこいつだ。
こいつに俺が出来る事といえば、“であるように”守ってやることだけ。
元の女子として扱う事は、金輪際しない。
女子であることを見て見ぬ振りをするのが、俺にできる精一杯だ。
「土方さん、もう一杯頂戴してもよろしいですかな」
二杯目で湿らせた口元をぬぐって俺は杯を差し出した。
「あぁ」
土方さんが小さな杯に目一杯注いでくれた。
この酒のように。
女子であることを零さないよう、身元を明かさないよう、来る日まで守るのが俺の役目。
行灯の光をぼんやりと映した水面を、唇に近づけた。
20070714