久遠の空 ドリーム小説 Excuse Me? 2

Excuse Me?

update:2007.07.09

Excuse Me? 2

 が目を覚ますと、すでに夕刻に差し掛かった頃だった。
 部屋には誰もおらず、自分には布団がかけられていた。
 身支度を整えると井戸へ行き、慣れぬ手つきで釣瓶を扱って水を汲み上げ顔を洗った。

 土方が部屋へ戻ると、は池を眺めて座っていた。
 「あ、土方さん。お帰りなさい」
 土方の姿を認めると、畳に手をついて迎えた。
 「ああ」
 土方は素っ気無く返事をしたが、脱いだ羽織の袖を衣桁に掛けながら肩越しにを観察した。

 今朝よりは周りを取り巻く空気が和らいでいる気がする。
 諦めたような、それでいてすべてを投げ出してはいない程度の微妙な硬さを保っている。
 覚悟を決めたとまではいかなくとも、元の時代に戻れないことを受け入れるだけの気概は持ち合わせているのだろう。
 所用で出かけなくてはならなかったが、実は一人で置いておくのは些か心配だった。
 彼女が絶望感からここを飛び出して行方知れずになってしまったら、たかが十日とはいえ関わっていた人間としては寝覚めが悪い。


 ・・・そう、寝覚めが悪い。
 それだけだ。






 その日の夕餉は斎藤も一緒だった。
 これからについていろいろと相談しなくてはならないことがあったからだ。

 まずは今現在、彼女が置かれている環境について土方と斎藤から説明があった。

 時は文久三年、晩冬。場所は京都・壬生村。
 この年の二月二十三日に近藤を始めとする壬生浪士組は、大阪に下ってくる第十四代将軍・徳川家茂警護のため江戸で募集された“浪士隊”に混じって上京してきた。
 だが将軍警護と言うのは体よく人数を集めるための方便で、浪士隊はそのまとめ役であった尊王攘夷派の清河八郎の画策によって、最近頻繁になってきた外国の渡来を打ち破るための攘夷集団にまんまと仕立て上げられてしまった。
 ほとんどの人員が清河の演説に絡め取られて江戸への帰途に就く中、近藤は将軍警護と言う当初の目的を完遂するため清河に反発して京都残留を決意した。
 結果として近藤と同じ剣道場の出身者たちや、目的を同じくする水戸出身の芹沢鴨を頭とする一派が残ることになり、清河は攘夷実現のため東帰した。

 京都に残った関東の猛者たちは何のつてもなかったが、初心を貫こうという彼らの姿勢に感じ入った浪士隊の幹部の一人が世話を焼き、京都の治安を維持する役目を 司る会津藩にパイプを繋ぐという置き土産残していってくれた。こうして浪士隊残留組は晴れて会津藩御預というバックを得たのであった。

 しかし、会津藩も度重なる藩内の財政難に加え、千人もの供揃えで京都守護職を拝命したため、金銭的危機に陥っていた。
 当然海の物とも山の物ともつかぬ輩に手当てが支給されるはずもなく、浪士組は困窮に喘いでいた。
 それでも京で一旗上げたいという気持ちを失わず、浪士隊の者たちはここ前川邸と道の反対側の八木邸に分宿している。


 がそこまで理解したところで、今度は彼女の身の振り方についての相談となった。

 斎藤の従兄弟・山口
 斎藤に会いに来て浪士隊の存在意義に感銘を受け入隊。
 精神的により厳しく鍛えてもらうため、斎藤の元でなく土方付きに。
 武術はあまり得意でないため、主に内向きの仕事を任される。

 「こんなところでどうだ」
 あまり嘘を盛り込んでもバレやすくなるし、人前に出しすぎてもボロが出る恐れがある。
 特に武芸に関しては土方も斎藤も心配だった。聞けばは戦闘が行えるような技術を何も持っていないと言うことだったからだ。
 「稽古でも実戦でも碌に戦えはいたしますまい」
 斎藤はを横目で見て、事も無げに言った。
 「すみません」
 は苦笑する。
 「謝ることじゃねぇだろ、別に」
 土方は食後の茶を喉に流し込んだ。
 「黙っておとなしくして人前にでしゃばることをしなきゃ、そうそうはバレやしねぇだろう」
 加えて浪士組副長である土方の傍に置いておけば、彼の権限で庇えることもあるだろう。
 次に池が光るまで。

 「あの、ひとつよろしいでしょうか」
 が口を開いた。
 「なんだ」
 土方と斎藤の目がに向けられる。
 「こちらに置いていただくことについては感謝しています。ありがとうございます」
 は畳に手をついて深々とお辞儀をした。
 そして顔を上げ、口元を引き締めた。
 「しかし、私は別の時代から来た者です。この時代の結末を詳しくはないながらも知っています。そのことに関しては危険人物であるということをご承知おき下さい」
 は確かめるように目の前の男二人と視線を合わせた。
 「・・・つまり?」
 土方がその視線を受け止めて聞く。


 「私の言動や行動が、歴史を変える可能性もあるということです」


 もちろんそれについては十二分に気をつけるつもりではありますが、とは付け加えた。
 「当たり前だろ、それはてめぇが自分で気をつけるこった」
 土方の言葉に斎藤も軽く頷いた。
 その領域は己で守らねばならない。はよくよく肝に銘じた。

 「この前川邸内で内向きの仕事をしていればまず問題は起きん。日常のことを引き受けてくれりゃ、俺たちとしてもその分巡察だとか警護だとかに充てられるからな」
 土方が襟を正しながら話を進めた。
 「で、実際にしてもらいたいことと言うのは、だ」




 「・・・は?」

 問題が起きた。
 土方からの仕事について説明があったが、

 炊事も、
 洗濯も、
 裁縫も、
 金銭の計算や帳簿の記入も、
 全くといっていいほど彼女にはできなかったのである。

 もちろん元の時代だったらどれもある程度はできることであった。
 しかし時代が違うのだから無理もないが、が来た時代と今いる時代とでは、機械的技術に格段の差があった。
 いや、差というのは的確ではない。そもそも生活の中に電気仕掛けの機械が存在すらしていないのだから。
 
 そしてもちろん文字を読む事も覚束なかった。
 楷書で書かれた短い文字――例えば前川邸の門に掲げられている「会津藩御預 壬生浪士組」程度なら読む事ができたが、瓦版や書物、手紙といった 草書・行書で記されているものはほとんど理解できなかった。

 「・・・」
 「・・・」
 「・・・」
 三人はそれぞれの思いを胸に俯いた。

 「・・・いっそ手習指南に行かせるか」
 土方が半ば呆れたように肩を落とした。
 「上方では寺子屋と言うんですがね」
 斎藤もさすがに当惑したような表情をした。
 「馬鹿野郎、冗談だ。斎藤、てめぇに任せる。仕込んでおけ」
 「承知」


 は何もできない自分が恥ずかしかった。
 己のいた時代からほんの百数十年しか経っていない、会話は成立しているのに他の事は何もかも違うこの時代。
 早く慣れなければ、とはこっそり拳を固くした。




 20070709





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 参考文献:
 『図説 江戸の学び』市川寛明 石山秀和 河出書房新社 2006年